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第1章

【1-7】再会

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 街での一件から五日後、マルティヌス教会へ予期せぬ来客が訪れた。──王都からの使者である。


 週の七日目…すなわち礼拝日に定められている日であったため、教会にはキリエはもちろんのこと、神父もシスターも孤児たちも皆が揃っていた。
 王都からの使者は三人の騎士であり、そのなかの一人はキリエとエステルが忘れられない存在である。

「なぁ、キリエ。あの真ん中の騎士って、もしかして……」
「ええ。夜霧よぎりの騎士様──リアムさんでしょうね」

 神父が教会の入り口で応対している来客を壁の陰から眺めつつ、キリエとエステルは言葉を交わす。それを彼らの背後に隠れながら聞いていた子どもたちが、小さな歓声を上げた。

「夜霧の騎士様って、キリエとエステルの命の恩人なんでしょ?」
「すごいね、すごいね! あの人が噂の英雄なんだね!」
「すっげー……、めちゃくちゃかっこいい!」

 十年の時が経ち、リアムは完全に大人の雰囲気を纏うようになっていた。しかし、真摯な眼差しはかつてと変わらず、力を持たない田舎の弱小教会の神父に対しても礼儀正しく接してくれているように見える。
 彼らの会話は聞こえてこないが、どうやらまずは礼拝堂へ向かうらしい。王都からこの地方までは馬車で三日ほどかかる。おそらく、ここへの旅路を急いでいたため今日が礼拝日であるのに、まだ神へ祈りを捧げていなかったのだろう。不真面目な騎士であれば祈りの時間を省いたままにしておくのかもしれないが、彼らはそういう人間ではないようだ。

 神父が先導に立ち、騎士たちを礼拝堂へと案内している。一同が近くを通りがかる際、キリエたちは素早く身を隠したのだが、リアムは何かを感じ取ったらしい。一瞬立ち止まって視線を向けてきたものの、隠れている者たちをあえて暴こうとは思わなかったようだ。夜霧の騎士は再び神父の背を追って歩き始めた。
 神父と客人たちが礼拝堂の中に消え、キリエは小さな溜息をこぼした。

 王都周辺の有力教会ならいざ知らず、ここのような郊外の教会へわざわざ使者が来る用事など滅多に無い。それも、王国騎士を三人も派遣してくるなど、なかなかの大ごとだ。十中八九、キリエが次期国王候補の一人であるかもしれないことが関係しているだろう。

「……キリエ、この間の落し物が関係しているのか?」

 キリエの緊張を感じ取ったのか、エステルが小声で尋ねてくる。子どもたちの耳に入らない程度の囁きに対し、キリエは曖昧に頷くことで答えた。そうだとは思うが、そうだと言い切ることは出来ない。そんなキリエの心中を察したのか、「そっか」と短く言ったエステルはそれ以上は何も訊いてこなかった。

「なぁ、キリエー。なんで騎士がここに来たんだ? また何か助けてくれるのかなー?」

 子どもの一人、ベンが無邪気に言いながらキリエの手を引いてくる。十歳になったばかりの少年の小さな頭を撫でながら、キリエは微笑を浮かべた。

「どんな御用でいらっしゃったのかは、僕にもハッキリとは分かりません。何か手助けをしてくださるのか、そうでないのかも、判断できないです。今はとりあえず、神父様にお任せしましょう」
「助けてくれないかもってことは、悪い騎士様かもしれないの? キリエとエスエルを助けてくれたのに?」

 ベンの後ろで首をかしげているフィオナ。今度は彼女の頭を優しく撫でながら、キリエは穏やかに首を振った。

「ここに着いてすぐに神へ祈りを捧げている方々です。悪い人ではないと思いますよ。この国のために、一生懸命にお仕事をされている方々です。でも、そのお仕事が僕たちを助けてくださることなのかどうかは、分かりませんからね」
「うん……、そっかぁ」
「そうですよ。特にリアムさん──夜霧の騎士様は、本当に素晴らしい方です。僕はそれを、身をもって知っています」

 十年前に森で助けられたときには子どもだったこともあり、そこまで実感が湧かなかったが、そのあと成長していくにつれ世の情勢を知るようになり、リアムがいかに正義感が強い騎士であったのかを思い知らされたキリエである。

 十年前のあのとき、子どもが森へ行ってしまい、それを探しに行ってしまった子どももいる、と神父とシスターが狼狽えている様子を見て、リアムはすぐに森へ駆け込んで行ってくれたらしい。だが、他の騎士たちはそれを呆れ笑いで見送るだけだった。上流階級出身の者ばかりの騎士たちにとって、孤児が行方不明になったところでどうでもよかったのだ。ただ一人、リアムだけは真剣に案じて動いてくれた。夜霧の騎士は、やはり英雄だったのだ。

 五日前からずっと最悪の事態を覚悟してはいたものの、例の件についての使者として派遣されたのがリアムであったことは救いに感じた。少なくとも、即座に命を奪われてしまう確率はだいぶ下がったように思える。

「でもさぁ、夜霧の騎士ってかなり落ちぶれちゃったんじゃなかったっけ?」

 子どもらしい純粋な疑問を投げかけてくるベンに対し、キリエは悲しげな瞳で首を振った。

「ベン、そのように人を貶めるような言い方はよくないですよ」
「はーい、ごめんなさーい。……でも、だいぶ前にハデに噂になってたもん」
「噂話がすべて真実とは限りません。それに、たとえあの人の騎士としての立ち位置が変わってしまったとしても、彼の魂が落ちぶれたわけではありません。あんなに澄んだ目をしていて、神への祈りを忘れないような、そして他人を慈しむ心を大切にしているような人を、貶めてはいけませんよ」

 キリエの言葉へ再び「はーい」とベンが不貞腐れ気味に返したところで、礼拝堂の扉が開かれる。その戸口に立った神父は、普段よりも少しだけ声を張って言った。

「キリエ! キリエは近くにいるかな?」

 孤児たちが近くで様子を窺っていると分かっているからこそ、老神父はその場で呼びかけたのだろう。不安げに顔を強張らせるエステルに柔らかな視線で心配無用だと伝えてから、キリエは背筋を伸ばして歩み出て行った。

「ここにおります、神父様」
「ああ、……キリエ。君は、どうして騎士様方がいらしたのか心当たりがあるんだね?」
「……はい」

 神父の青い瞳をまっすぐに見つめ返し、キリエはしっかりと頷く。その態度に何か感じ取るものがあったのか、神父は何度も頷いて見せた。

「キリエ。君は、とても賢くて優しい子だ。そして、嘘のない正直な人間だ。私はそれを知っている。……君がなぜ何も言わなかったのか、それもおおよそ見当はついている」
「神父様に隠しごとをするなど、とても罪深いことだという自覚はあります。申し訳ありません」
「罪なものか。君が口を閉ざしたのは、私たちへの深い愛情の印だ。分かっている。分かっているとも。……ああ、キリエ」

 キリエよりもわずかに背が高い神父は、我が子同然の青年を痩せこけた腕で抱き寄せ、そっと髪を撫でてくる。

「愛しいキリエ、大きくなったね。貧しく苦しい環境で、よくここまで育ってくれた」
「神父様……」
「君もいつかこの小さな神の家を飛び立っていくのだと、そう分かってはいた。分かってはいたけれど……、ああ、どうしてこんな突然に。神よ、何故ですか」

 神父が騎士たちからどのような話を聞いたのか、ぼんやりと分かった。おそらく、キリエは彼らに連れて行かれるのだろう。猶予は与えられず、今日すぐにでも出発せねばならないのだ。
 その行き先が良いものか悪いものかはまだ分からないが、キリエは涙腺が緩まないように気を引き締めながら覚悟を決めた。

「神父様、僕をここまで育ててくださってありがとうございます。後でお伝えできるか分かりませんが、シスターたちにも心から感謝を」
「キリエ……」
「神様がこの教会を──この家を、子どもたちを、神父様やシスターたちを、お護りくださいますように」
「ありがとう。君の道行きにも神の大いなる祝福があらんことを。……中で騎士様方がお待ちだ。行きなさい、キリエ」
「はい」

 神父と青年は互いの背をしっかりと抱き合ってから、そっと身を離した。おそらくこの光景を物陰から見ているであろうエステルと子どもたちは、嫌な予感で胸をざわつかせているかもしれない。あえてそちらを見ないようにして、神父へ丁寧に一礼をしてから、キリエは礼拝堂の扉を開いた。

 古い木扉の軋んだ音を聞き、中にいた三人の騎士たちは同時にキリエを振り向く。三人の中で中央に立っている夜霧の騎士──リアム=サリバンは、深い紫色の瞳でキリエの姿を捉え、静かに一礼してから跪く。両隣の若い騎士たちも、リアムの動きに合わせて同時に膝をついた。

「ご無沙汰しております、キリエ様」

 心地よい中低音の声でそう述べたリアムは顔を上げ、十年前と変わらない実直な眼差しを向けてきた。
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