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1章 渡る異世界は魔物ばかり
第二十五話
しおりを挟む学生時代は気が楽だった。
俺にはこの言葉に違和感しか感じなかった。
物心が付いた時には父親は無く、母親一人で俺を育ててくれていた。
小学校に入る前に母から父親が亡くなった事を教えて貰い、子供ながらに母の苦労は肌身に染みていた。
小学四年生位になると、早く働いて母親を助けたいと考えていた。
片親で育てられていた子供の大半は、そんな思いを抱いていたのではなかろうか?
周りの片親家庭に育った友人も、似たような意思があった。
片親が母親の場合、母親を助けたいと言う思いが強く、片親が父親の場合早く自由になりたいと言う理由が多いようだった。
これは自分が男だったからなのかと思ったりしたのだが、同じ境遇の女の場合でも似たような感じだった。
そのような理由で"学生の時は気が楽だった"と言う言葉に違和感が拭えないのだ。
社会に出た方が気は楽だったからだ。
勿論、肉体的には辛い事もあったが、気は楽だった。
本当に辛い仕事ならば辞めれば良い。何処に辛い要素があるのか?
金が無ければ質素な生活をする。これは資本主義社会では当然だ。
ヤクザ稼業であっても、上手く立ち回り金を稼ぐ奴が良い服を着て、良い食物を食べて良い女を抱ける(良い=主観)
何の問題も無い。
平等とは?何を指して平等と言うのか分からないが、人はいづれ死ぬのは平等だろう位にしか、平等は無いのではなかろうか?
何故俺が今、こんな事を考えているのかだが、今俺の目の前にはその平等である死がぶら下がっている。
つまり今、走馬灯真っ最中だった。
ダンジョン探索六日目
太郎の能力は軒並み上がり、魔法のバリエーションも増えた。
これはハンナも同様で、水魔法以外にも、聖魔法や風魔法、火魔法迄も戦闘に使えるレベルに達していた。
洞窟の奥に立ち塞がる鎧の魔物は、ハンナの見立てだと霊体の可能性が高いらしく、剣の様な物理ダメージは通らない。
ならば魔法の練度を上げて倒せば良い。
連日魔法だけを使い魔物を狩り続けていた結果相当な打撃力を持つに至っていた。
魔力と言う物が数値化出来ないので分からないが、魔法戦闘の継続が1時間半程出来れば上出来では無いだろうか?
ハンナ曰く、"三十分魔法連続使用でさえ聞いたことも無い"との事。
「多分太郎さんが"迷い人"なのが原因だと思うんだけど、私の能力の上がり方も普通では無いわ」
「成る程……まぁ、戦闘には都合が良いから構わないが、何が影響してるんだかな…」
太郎の能力に新しく現れた"共有"だろうか?それとも加護の何れかなのか不明だ。
そもそも加護とは何だ?
「一般的に"加護"と呼ばれる物は、教会等で使われる言葉ですが、太郎さんの場合"親父の加護""兄貴の加護"それに"夜の女神の加護"ですよね?」
ああ、と太郎が肯く。
「実際"加護"は"こう言う物だ"と明確に言えるものじゃなくて、教会では人が生きる上で"あなたは一人ではありません。常に神と共に在ります"と言う精神的安定と、"善なる者が何時もあなたを見ています"と言うような行動の指針を考えさせるワードですからね…」
しかし、実際に太郎の能力表には3つの加護が文字としてある。
となれば何らかの意味は必ずあるだろうし、実際加護のレベル迄も上がっているので、単なるワードでは無いだろう。
「ダンジョンに潜って6日か……そろそろ、あの鎧に挑戦してみるか?」
「そうですね、今の実力でどの程度ダメージを与えられるのか知るのも良いかもしれませんね」
洞窟の入り口で十分休憩を取った太郎達は、鎧の魔物攻略を目指し入念に準備をするのだった。
目を開けた太郎の視界に見覚えのある靴があった。
「よう 何ヘタってんだ太郎」
懐かしい声が頭上から聞こえ、太郎は身を震わす。
「あ 兄貴…」
何故か動かぬ体。必死に顔を上げると懐かしい顔が太郎を見下ろしている。
「立て太郎。何時まで地面を舐めてるつもりだ?」
「あ…はい…今…」
うつ伏せになっていた太郎は、腕に力を込めて立ち上がろうとするが全く体が動かない。
必死に立ち上がろうとするが、地面についた手の平がぬるぬるとした液体で滑り、太郎を地面から立ち上がらせなかった。
「あれ?…何だよ……こんな」
手が滑りガクンと太郎の頭が落ち、地面を舐める。
「そりゃそうだな…まだお前は俺の所に来るには早すぎるな」
視界に映る靴が踵を返す。
「ま、待ってくれ兄貴!何処行くんだ」
必死に立ち上がろうとするが立ち上がれない。
その太郎の耳に微かな声が聞こえる。
太郎さん 太郎さん 太郎さん
誰の声だ… 誰の…
視界が暗転する。
「いやーー!」
(…ハンナ……ハンナの声か…)
目の前にはダンジョンの床があった。
(何故濡れてるんだ?……)
咳き込む太郎の口から大量の血が溢れ出し、ダンジョンの床を濡らしていた。
立ち上がろうとした太郎は、床の血で滑り上体を起こせないでいた。
(どうなってんだ……)
太郎は首を捻り、声がする方向を見るとハンナが泣きながら太郎の名を呼んでいる
(………あ…ああ。そうだ…俺は…)
「はっはっはっはっ。口程にもない男だ」
太郎の頭上から声がする。
(そうだ、こいつは!)
うつ伏した太郎の横に立つ鎧の魔物は、嘲笑いながら太郎を見下ろしていた。
手に持った剣は太郎の背を貫き地面に縫い付けていた。
「太郎さん!今ヒールを!」
「動くな小娘!少しでも動けばこの男の命は無い!」
(ああそうだ……俺はコイツに挑んで…)
血を大量に失った太郎の思考が途切れ途切れになる。
「ハ……ハンナ逃げろ…」
ぼやける視界の先に、泣きながら首を横に振るハンナが見え、太郎は歯を食いしばる。
(こんな所で終われるか!)
ああ、そうだ。お前はまだ死んじゃならねえ。
太郎の耳元で亡き神津健の声が聞こえたような気がした。
太郎の背に突き刺さった剣を中心に淡い光が発つ。
太郎の背に刻まれた入れ墨。愛染明王の第三手の左の手の平が開き始めていた。
「ぬ!何だ!」
鎧の魔物は太郎に突き刺した剣を急いで抜こうとしたが、ピクリとも動かないのを悟ると後方に飛び退った。
完全に開いた手の平の上には金色に輝く球体が在り、淡い光はその球体から発していた。
太郎の頭の中に声が響く。
【兄貴の加護保持者、生命の危機と判断。摩尼宝珠を発動。続いて第三手、未敷蓮華により外的四魔を排除します】
淡い光は太郎の全身を覆い、鎧の魔物の剣は霧散する。
愛染明王の第三手。右手の手の平が開き始め、握られていた未敷蓮華の蕾が僅かに開き、その僅かな隙間から四本の光が立ち上がった。
ブンッ!
立ち上がった光は鞭の様に撓りながら鎧の魔物に襲いかかる。
「ぬ!」
その光の鞭に危険を感じた鎧の魔物は、再びバックステップをするが、生き物の様に軌道を変えた光の鞭は鎧の魔物を捉える。
咄嗟に打ち払おうとした魔物の左手をやすやすと切り裂いた。
「貴様!何だそれは!」
ボトリと地に落ちた魔物の左手が光の粒子に変わり霧散する。
意識が途切れ途切れの太郎に声を出す余力は無く、たとえあったとしても今の状況を説明出来ないだろう。
次々と襲いかかる光の鞭に、鎧の魔物は切り刻まれながら粒子となって消え去ったのだ。
太郎の頭にまた声が響く。
【四魔消滅を確認。未敷蓮華恢復。加護保持者の回復を確認、摩尼宝珠完了します。兄貴の加護を終了します…】
シンとなった洞窟。
涙でボロボロになったハンナが、ヨロヨロと歩きながら太郎の横にペタンと座り込み、恐る恐る手を伸ばす。
「た…太郎さん。…」
太郎の背中に手をあてた先に、太郎の温もりと息づかいを感じたハンナは太郎の背に覆い被さりワンワンと泣き出すのだった。
「しかし、どうなってるんでしょうね…」
馬車の荷台に座りながらマシュタールは呟いた。
王都迄後少しといった所で六度目の魔物の襲撃を退けた後だ。
「世の中どうにかなっちゃったんじゃねーの?」
「そうだよな。なんたって働かずに親に世話になってる奴が多くなってるってんだから、そりゃ世の中おかしいわ」
ランドとジオライトの掛け合いにマシュタールは首を振る。
「いや、そうでは無くて…おかしいとは思いませんか?王都の近くで魔物の襲撃ですよ?」
「騎士団が働いてねーんじゃねーの?」
「あるある」ジオライトが笑う。
ふーと溜め息を吐いたマシュタールが、小さく前方に見える王都エベンスの城壁を眺める。
遠目で見た限り王都に異変は見当たらない。
此処までの旅中に遭遇した魔物のクラスがおかしすぎる。
平地で遭遇する魔物のクラスでは無い。
レッサーデーモンに限ってはBランクダンジョン深層にしか出会わない魔物だ。
(……この現象…王都でも問題になってる筈)
マシュタールは空を見上げ再び溜め息を吐くのだった。
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