嫌われ聖女の世界救済後

菜花

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嫌われ聖女のやり直し編

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 女神ヴェリーナは世界を滅ぼしてからも愛し子を失った悲しみが収まらなかった。
 人間達は全て自分の子のようなものだった。が、特殊な状況下で一人だけに付き従うようになり、その子の悲しむ姿を間近で見てきてしまうと、どうしてもその子に愛着が湧くのを止められなかった。女神とて心はあるのだ。苦楽を共にした相手が特別になってしまうのは避けられなかった。

 その少女、メリアは初めて会った時、今にも死のうとしている子供だった。慌てて呼びかけて世界救済を行うように伝えると、選ばれた人間なのだと浮足立った彼女はすぐに立ち直ってくれた。
 ――だが、この世界は彼女に冷たすぎた。ひたすら世界を救おうと尽力するメリアに、民衆は侮蔑で返した。死を選んだのも当然だ。

 メリアを特に苦しめた人間達には死後に地獄に落ちてもらった。故郷の村ではよそ者として針の筵だったと聞いたので、村の人間には永遠に針山から転げ落ちる地獄を。世界救済の旅の最中に暴言を吐いた人間達には地獄の獄卒に鞭を浴びせられる日々を。結局頼りなかった王家の人間には何もない世界を永遠に彷徨う地獄を。
 ここで困ったのは聖女を人前で蹴り上げた子供に対する処置だ。
 メリアを死亡させた直接的な原因は間違いなくその子供。だが子供は母親に洗脳されたと言える。そしてその母親について調べると、なんと世界を滅ぼそうとしたクルトがおかしくなった原因を作り出した元凶の姉ではないか。
 この事実には流石に頭を悩ませた。元凶は永遠に飢えと渇きに苦しむ地獄に落としたが、この親子についてはどうするべきか。……いや、考えるまでもない。
 自分は女神だ。この世界で一番偉い。その自分をかつてないほど不快にさせた親子がどうなろうと知ったことか。親子のせいで亡くなった人間ぶんの血が溜まった池に無限に突き落とされる地獄を味わってもらう。
 とはいえ、ひと月もすればだいぶ気が済んだので、最後の慈悲だけはくれてやろうと思った。
 親子の元に降り立った女神ヴェリーナは囁いた。
『貴方達の片方がこの地獄に留まるというのなら、もう片方はこの地獄から連れ出しましょう』
 子供はぱっと表情を明るくさせた。そんなのお母さんが留まってくれるに決まってる。だってそもそも自分はお母さんの言うことを聞いただけなんだから。その結果がこれだ。世界滅亡のうえに地獄で毎日苦しめられている。お母さんこそ責任を取って一人で苦しむべきだ。そもそもあんなブス聖女のせいでここまで苦しめられるいわれなんて自分にはない!
 そう思って母親のほうを見た子供は、次の瞬間には血の池地獄に突き落とされていた。
「あいつです! あいつが留まります! だって聖女様にしたことはあいつが勝手にやったんでしょう!? 私は叔父の仇を無闇に慕うなって意味で言ったんであって、暴行しろなんて一言も言ってないのに! 私は馬鹿な息子を持った被害者です!」
 女神は母親の言葉にうなずいたあと、母親の手を取って地獄から連れ出した。
 子供は母親を恨んだ。自分が焚きつけたくせに自分だけ助かろうとするなんて……。
 だがその母親も、地獄から出た先はまた別の地獄だった。
 地獄の入り口まで来ると、母親はようやく苦しみが終わると涙すら浮かべたが、地獄の入り口にはあの生き物がいる。ケルベロス。
 女神は人間ではないのでスルーするケルベロスも、ただの人間の母親には容赦しない。恐怖で動けないでいる母親を一飲みで食べると、すぐさま消化して排出する。出た途端に人間の形を取り戻し、どういうことかと思いながらもとにかく逃げようとする母親を、ケルベロスの三つの頭は見逃さない。再び食われて排出され……その地獄が延々と繰り返される。その様子を女神は空虚な目で見ていた。
 そう、女神は地獄から連れ出すとは言ったが、天国に連れていくなどとは一言も言ってない。
 騙されたと分かった母親はあらん限りの罵倒をしたが、そうすると疎ましく思ったケルベロスがバリボリと音を立てて食べるものだから二度と出来なくなった。逃げることが出来れば苦しみが終わると思うも、ケルベロスが見逃してくれるはずもない。
 子供は母親を恨めばいいし、母親は自分の迂闊さを恨むべきだ。少しでも子供を思いやっていれば「二人同時に助からないなら無意味」 と言えただろうに。そう言えていたなら別の選択肢もあった。そして子供も、まだ十歳とはいえ愚かすぎた。自分のせいで大切な人が亡くなった女神が目の前にいるのに、助けてもらえるのだと当然のように思っていた。せめて謝罪の一つでもあれば違ったのに。

 ヴェリーナはこうまでして罪人どもに罰を与えても、なお気が晴れることはなかった。なぜならメリアが幸せになった姿を見るのが生きがいだったから。
 人間ならば気の遠くなるような時間を鬱状態で過ごし、そしてやっと気づいた。
 死人を生き返らせることは出来ないが、時間を巻き戻せば実質生き返ったことになるのでは? と。
 しかしそれをすると女神の力の大部分を失い、回復するには相当の年月が必要になるだろう。だが――。
 宇宙と同じ年齢を生きる女神にとって、それは初めて出来た愛し子の価値に匹敵した。
 さっそく時間を巻き戻そうとして、諸々に気づく。
 今度こそ愛し子に幸せになってほしいが、それには様々な準備が必要だ。
 故郷のこと、両親のこと、衣食住のこと、周りの環境も……。
 それに時間を巻き戻すなら必然的に今地獄の責めを受けている魂達も元に戻ることになる。また変な逆恨みなどされてもかなわない。
 なのでしっかり脅しておいた。
『貴方達はじゅうぶんに罰を受けました。なので今から時間を聖女メリアが生きていた頃に戻します。……分かっていると思うけれど、メリアをまた不幸せにすることがあったら寿命が尽き次第この地獄に戻すので、よく心得るように』
 記憶をリセットすることなくあえて引き継がせた。すべてはメリアの幸せのために。



 メリアは鳥の囀る声で目が覚めた。
 一瞬、ここがどこでどうしてここにいるのか混乱してしまったが、段々頭がはっきりしてくる。
 ここは自分の家で、眠りから覚めただけ。そう考えてゆっくり起き上がる。
 自分が何者かも忘れてしまうなんて、よっぽど怖い夢を見たんだろうけれど何も覚えてないや。さて、今日はいつものように学校に行って……苛められて……それから近所の家に仕事しに行くんだった。うん、ちゃんと覚えてる。
 メリアが寝室から出ると、スープの良い匂いが漂ってきた。
「おはよう、メリア」
「おはよう。今日はお寝坊さんだったな」
 メリアの母と、父だ。
 メリアはこの光景を見慣れているはずなのに、どうして今日はこんなに胸が切ないんだろうと感じていた。家族を失う夢でも見ていたのだろうか。
「メリア?」
 立ったままボーっとするメリアを心配するように母親が声をかける。メリアは慌てて首を振って席に着いた。
「いただきます!」
 毎日食べてるはずなのに、いつもの粗末なスープはとても美味しかった。
 食べ終わると、家族の予定確認だ。
「私は村長さんのお宅で家事手伝いをしてくるわ」
「俺は山の管理人さんのとこで一日草刈りだ。メリアはいつものように学校だな。どうだ? 学校は楽しいか? 父さんなんかは学ぶ機会がなくて、こんな職にしかつけなかったからな。しっかり学ぶんだぞ」
「……うん」
「頑張ってねメリア」

 両親の前では平静を保ってみせたものの、学校に近づくたびにメリアの胃はキリキリと痛んだ。
 学校についたらまず、自分用の荷物置き場が荒らされてるから先生に注意される前に片付けて、授業中はゴミを投げつけられるのを我慢しながら受けて、掃除は自分一人でやって、そういうのを知ってるはずの先生から「出来が悪い子は人一倍頑張らないといけないのよ」 と言われて雑用を押し付けられるからそれをやってから帰って、それから近所の家で子守のお仕事して。
 その仕事は二時間までと決まっているのに、よそ者のメリアは二時間ぶんの代金でそれ以上働かされるのが常態化していた。
 家族といる以外の時間は全て苦行。そう溜息をつきながら教会兼学校に入った。
 すると、今朝は珍しく荷物が荒らされていなかった。
 珍しいこともあるもんだとメリアが驚いていると、周りの生徒がおずおずと「あの、メリアちゃん……今までごめんね」 と謝ってくる。
 メリアはピンと来た。ああ、またこの苛めかと。
 以前にもあったのだ。「これから仲良くしようね。次の授業では一緒に班つくろう。席を取って待ってて」 と言うので喜んでいたら、次の授業とやらは外で行う授業だった。席を取ってと頼まれたからとメリアは愚直に室内で待ち続けて、先生に「何故一人だけ来なかった! サボるとは良い度胸ね!」 と大目玉を食らった。その様子を級友達は「イタズラ大成功!」 とニヤニヤしながら見ていた。
 今度は引っかかるまいとメリアは冷めた反応で「いいよ。別に」 と言って席に着く。あんな経験があるのにまともに受け取るほうがどうかしてる。
 すると級友達は「違うの、今度は本当なの」 と顔を青くしながら必死で言い募るが、メリアには他の級友達と引っかかるかどうかの賭けをしていて、賭けに負けそうだから必死なんだなとしか思えない。
 そうこうしていると先生が教室に入ってくる。げんなりした。「級友が話しかけてるのにそっけない対応するなんて何様なの!」 とでも言われるのだろう。あの先生から悪役にされるのは慣れている。
 だがその日は「メリアさんが困ってるでしょう! いい加減にしなさい!」 と級友達を怒鳴った。流石のメリアもぽかんとした。とはいえ服を掴んで必死に追い縋ってくる級友達が率直に言って邪魔だったので有り難い。級友達のように丈夫な服ではないんだから。
 しかし先生ぐるみで騙そうとしてる可能性もあるので、警戒は怠らない。



 その日は天地がひっくり返ったからこうなったのかと思いたくなるくらい、メリアにとって異常な日だった。
 今まで起きていた苛めが一切ない。どころか皆が「これプレゼントするね」 「仕事代わってあげる」 「メリアちゃんとお話したいな」 と友好的なのだ。
 物語なら自分の苦労が報われたのだと思うところかもしれない。だがそう思うには十五年の迫害は長すぎた。どうせ大がかりな苛めの前振りだろうとしか思えないし、今の今まで苛めてきた人間の優しい態度は嵐の前の静けさみたいで不気味だ。
 学校が急に知らない空間になったみたいで居心地が悪いので早く帰ろうとすると、先生が目ざとく見つける。
「メリアさん、これから先生とお話しましょう」
「……あの、私これから仕事が……」
「いいのいいの、大丈夫よ」
 何が大丈夫なんだと言いたくなるが、先生と呼ばれる立場の人の不興を買うのも控えたいと渋々先生に付き従う。
 行った先は先生の自宅で、そこでお茶とお菓子を出された。虫入りのお菓子を出された経験のあるメリアは手をつけようとはしなかったが、先生が「そんなに先生のこと信用できないの?」 と泣きそうな顔で言うので嫌々手をつけた。普通に美味しかったが、正直この先生からは何も貰いたくないというのが本音だ。
「あの、それでお話って……」
「そうそう、実はね……」



 先生――本名はマーリス・ベルツは、女神ヴェリーナの意向により時間を巻き戻って地獄からここに蘇った。ただし、メリアの死後のことと地獄の記憶付きで。巻き戻る前に女神から『メリアを幸せにするように。出来なかったのなら、またここに戻すまで』 と忠告されている。
 蘇ったあと、何千年も前に何をしていたかなど思い出せるものかと思っていたのに、目覚めたら昨日何していたのかも鮮明に思い出せる。女神の配慮だろう。
 地獄に戻るなんてぞっとする。聖女となったメリアにしていたこともちゃんと後悔している。今度は上手くやる。そう思っていたマーリスだったが……。

「それでね、私が貴方くらいの年の頃には先生に何度も褒められてね」
「はぁ……」
「男の子から何人も告白されたのよ。まあ、簡単に応じるなんて尻軽だと思ったから全部断ったけど」
「そうなんですね……」
「近所の人達からも可愛がられてね。多少のイタズラならみんな笑って許してくれたわ」
「……」

 マーリスは思っていた。何はともあれまずはメリアと仲良くなることだ。だがメリアの心のガードは固く、警戒心が物凄い。そのガードを崩すには……。
 そうだ、まずは自分のことを話して知ってもらえばいい。自分はこういう人間だって。そうしたら安心感が湧いて警戒も解いてくれるはず。そう思ってマーリスは昔のことを思いつく限り話した。

 メリアは思っていた。
 何で私、先生の家でひたすら自慢話聞かされてるんだろう? と。
 わざわざ自宅に呼ぶくらいだから重要な話なのかと思ったら、ただただ自慢話。
 それに気づいているのかいないのか、その自慢話、全然そうじゃない私の立場からすると嫌味みたいに感じるんですけど……。
 たまりかねて「あのー」 と話をしようとすると「ちょっと! 人の話の腰を折っちゃ駄目でしょ!」 と怒られる。
 なので日が暮れるまでひたすらマーリスの話す重要そうでもない話を聞いていた。
 ぐったりして帰ろうとするメリアに「楽しかったわね! またお茶しましょうね!」 とマーリスは言う。返事はあえてしなかった。

 子守の仕事の時間だというのにだいぶ遅れてしまった。それもこれもあの先生が人の予定を考えてくれないから……とむかむかしながら行くと、その子守の仕事の家では「あら来てくれたのね!」 とこちらも学校の人みたいに様子がおかしくなっていた。
「は、はい。遅くなって申し訳ありません」
「いいのよ! 来てくれただけで……。あ、これいつもありがとう、お駄賃よ」
「え、でもまだ仕事もしてないのに……」
「そんなのいいの。だからね? また来てね? 今日はもういいから、今度はお話しましょう?」

 お金を貰えるのは嬉しい。嬉しいが、どうにも何か裏があるのではと思えて仕方ない。あと別にお話するためにこの仕事してるんじゃないんだけど……。っていうか、もしかして明日からはこの人の家でも自慢話聞かされたりするのかな……。
 いつも以上に疲れて家に帰ると、同じくぐったりした両親が出迎えてくれた。
 もしやと思って話を聞くと、両親達も急に人が変わった村人達に異様に親切にされて困惑しているのだと言う。
 一番前向きな母親が言う。
「で、でもこれでこれから生活に余裕が出ると思うし、良かった……のよね?」
 父親はずっと険しい顔だった。そしてメリアを見て言う。
「今までが今までだ。何かとんでもない騙し討ちをされる前触れとしか思えない。……なあメリア。お前はこのままこの村に居たいか? 臨時収入でかなりの額が手に入ったんだ。もし、よそに行きたいと言うなら……」
 メリアの心は決まっていた。
「ここを出たい。確かにみんな優しくなったけど、昨日までのほうが気が楽だった。あと優しくなったって言っても、苛めてこないってだけでこっちの気を遣ってくれるようなことはないし……」

 愛娘のその言葉で、家族は真夜中に家を出た。



 マーリスはメリアが帰ったあともほくほく顔だった。
 楽しかった。地獄では誰も彼も「教師のくせに生徒の苦しみを無視するとは」 と責めてきた。こっちだって聖女になるって知ってたら大事にしたのに。そもそも村全体からよそ者って嫌われてるような家族にわざわざ親切にするほどの余裕が、子供を同時に何人も見なきゃいけない教師にあるとでも思ってるの? 腹の立つ。まともな子と出来の悪い子がいたらまともな子を優先するのは当たり前じゃない。教師は一人だけ見てるんじゃないんだから、子供に優劣ついたら優先順位だってつくっての。
 でもまあ、今日のメリアを見ていると大人しくて従順な良い子だった。もっと早く分かっていれば、あんな手紙だって書かなかったのに。久しぶりに悪意のない会話をしただけでも嬉しいし、今日一日でだいぶ自分のことを知ってもらえただろう。苦手に思っていた先生の若かりし頃はそうだったんだと親しみを覚えたに違いない。メリアと仲良くなって、地獄行きも回避して、これから先は幸せしか待ってないんだ。マーリスはそう信じていた。

 翌日、登校してこないメリアを心配して自宅に向かうと、狭いメリアの家には誰もいなかった。代わりに中央にぽつんと古臭い人形があり、それが重しとなって下の紙を支えていた。何だろうと読むと『先生、さようなら。どうせ私の言葉なんて聞かないんだから、話がしたいなら今度からはこの人形にどうぞ。人形なら話の腰を折ることもありませんよ』 と書いてあった。

 その頃、馬車の中でメリアは思う。いくらなんでも嫌味ったらしい手紙だっただろうかと後悔がじわじわと押し寄せる。だが、だからといってあのまま村にいて先生と上手くやっていく自信があるかと言われたら否だ。それに本当は先生が好きだったけど家族が無理矢理連れ出したんだと思われても困るし、あれくらい言わないと分かってもらえない可能性が高い。もうあれしかなかったんだ。

 メリアは気づいていないが、図らずも巻き戻り前にはマーリスに暴言満載の嫌味な手紙を貰っていたことを考えると、因果応報の結末となっていた。
 上手くいくと信じて疑ってなかったマーリスは、また地獄行きになるのが恐ろしく、現実逃避から古ぼけた人形をメリアだと言い張り続けた。人形の口にパンをげしげしと押し付けてる姿を見たら誰も文句は言えなかった。ただ、自分だけ夢の世界で幸せにしている姿に腹立ちを覚えた人間も多かった。
 ある日、マーリスが席を離れた隙に何者かが人形をボロボロにした。翌朝、マーリスはジフェンの蔓で首を吊っているのが発見された。メリアがまた死んだから、自分もせめて巻き戻り前の死に方をなぞって死のうしたのだろう。マーリスがメリアを引き留めるどころか結果的に逃亡させた事実は変わりないので、村人達は最低限の葬儀は行い、墓に名を刻むこともなく埋葬させた。
「自分は教師であり人一倍あの子と接してきたから今度は大丈夫」
 そう自信満々に言うものだから信用して一番に接するようにさせたのに……。長い地獄住まいでこの世に口だけの人間がいるのを忘れていた。




 メリア一家が向かった先は王都だった。ここなら職がいくらでもある。
 最初から上手くいくわけないと思いつつ、職業紹介所ギルドに行くと「ご出身は? え、あの村なんですか? まさか身内にメリアという方は……ああ、何ということだ!」 と職員に驚かれ、あれよあれよと一つの山の管理人になっていた。
「どうやってこんな良い職を手に入れたの?」
 母親がそう聞くと父親は狐に化かされたような心地で応える。
「……いや、俺にも分からないんだ。都会ではこういうのは普通なのか? そういえばメリア、お前、王都に知り合いでもいるのか?」
「え? 故郷でだってあんなのけ者にされてたのに、王都に知り合いなんて……」
「だよな。……知り合いの娘さんと同じ名前だったとかかな……」
 その日の夜は安宿で三人、川の字で寝た。明日からは山小屋に家族で住まうらしい。
 そして翌朝、今日から頑張るぞと意気込む一家の前に、ギルドの職員が訪ねて来た。代表として父親が対応する。
「山の所有者が行方不明になりました」
「え」
「こうなったら仕方ありません。権利書はここにありますので、ひとまず貴方達一家が管理人兼所有者ということで。半年経っても戻らなかったら貴方がたのものです」
「そ、そうなんですか……。自分達は田舎者なので分からないんですが、王都ってこういうことがちょくちょくあったりするんですか?」
「まあ、稀によくありますね」
「そうなんですか。凄いところだなあ……」



 山での暮らしは虫が得意でないメリアには多少つらいものがあったが、それ以上に不愉快な人達と関わらないで済むとくメリットが大きかった。大好きな家族と人目を気にせずのびのびと暮らせる自由。何故かこれをずっと求めていた気がした。
 三人で山を探検すると、きらきらした石が大量に埋まっている場所を見つけて興味をそそられたが、正式な所有者でもないうちは深入りすまいと決めていた。三人ともどうせすぐ所有者は戻るだろうと思っていたのだ。

 そして半年後、所有者が戻らないということで正式にメリア一家が山の所有者になった。
「おめでとうございます。……ところで、山の開発には興味ありませんか?」
「そうですね。そういえばあの山、宝石が取れるかもしれなくて」
「おお! すぐに調査員を送りましょう!」

 とんとん拍子であの山がエメラルドの取れる山だと発覚し、そのエメラルドが王家の象徴ということで王家から取引を持ち掛けられるも「無位無官の人間と取引は体裁が悪い」 と爵位を授けられてメリア一家は男爵になった。

 故郷を出てからまるでお伽噺のように成功してしまった、とメリアは遠い目をした。
 無尽蔵に湧き出るエメラルド鉱山。貴族界でも随一のお金持ち。お陰で最近では捌ききれないほどの釣書が届くし、お茶会や舞踏会の招待状なども届いててんやわんやだ。
 貴族のことを何も知らない一家だったが、何故か困る度に都合の良い人間が現れてあれこれ世話を焼いては去っていく。
 おかしいな、とは感じていたが、かといって都合が悪いとか嫌がらせだったということもないので何かをすることもない。

 適応能力が高いのか、それとも故郷で押さえつけられていたぶん成長するのが早いのか、メリアはあっという間に貴族令嬢らしく振る舞えるようになった。
 今を時めく資産家で見目麗しい令嬢付きという家門を取り込むためか、王家は三男のハーゲンとの婚約を許可しようとまで言う。
 王子様との婚姻。メリアは胸をときめかせたが、何故か不安も感じていた。貴族の価値観に慣れて、王族との婚姻が物語みたいに甘い物ではないと理解しているからだろうとメリアは思った。

 そしてハーゲンとの初めての顔合わせ。彼は「何と美しい令嬢だろう! ぜひ結婚してほしい!」 と大声でメリアに言った。
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 ハーゲンは優しかった。どんな時でもメリアを優先するし、メリアが日付を勘違いしてデートの日を間違えた時など、一日待っていたというのに翌日何でもない顔でメリアを褒めるのだから。
 
 客観的に見れば素晴らしい相手と縁付けたと思うところなのだろう。だがメリアの本能が訴える。「怪しい。信用してはいけない」 と。物心ついた時から迫害されてきた人間の勘は正確だ。
 それを証明するかのように、王宮の中庭でハーゲンが侍女に怒鳴っているところに遭遇してしまった。
「どの面下げてここに来た!」
「だって……息子が酷いの。お前は助かったんだろうって毎日殴る蹴るの暴行よ。もう家にも入れない。私だって別の場所で苦しんでたのに。弟は産まれてなかったことになってるし、生活も苦しいのにあんまりよ」
「自業自得だこの馬鹿! 愛し子を蹴り上げた息子だろう? 製造責任として今度は自分が蹴られるんだな」
「酷い! もういいわよ、貴方じゃ話にならない! メリア様を出して!」
「お前なんかに会わせてたまるか! 勝手に野垂れ死ね!」

  事情を知らないから何とも言えないが、それにしても話の内容こそよく分からなかったけれど、普段は優しいハーゲンがあんなことを言うなんて。あれが本性なのだろうか? あんな簡単に死ねとか言うなんて。あんな簡単に人を傷つける台詞を言うなんて。怖くなったメリアはその場を離れ、馬車に乗って自宅に戻る。

 もともと分不相応だと思っていた王子殿下との婚約。解消するなら早いほうがいいのかもしれないと思いながら外の景色を見ていると、急に馬車がガタンと音を立てて止まった。
「お嬢様、申し訳ございません。脱輪してしまいまして……」
 すぐに直ると思ったが、思いのほか時間がかかっているのか馬車は動かない。他の馬車を見繕うほうがいいだろうかと思っていると、公爵家の紋章を掲げた馬車が横を駆け抜けた。かと思うと立ち止まり、人を寄越して馬車が動けるようにしてくれた。これはお礼を言わないと、と馬車を出て公爵家の馬車に向かう。
「失礼いたします。私はメリア・シェーケルと申します。この度はお力を貸していただいて有難うございます。後でお礼をしたいのですが、よろしいですか?」
「メリア・シェーケル? ああ、シェーケル鉱山の……今話題の男爵令嬢か」
 その時さっと馬車のカーテンが引かれ、見目麗しい男が座っているのが分かった。その男はメリルに微笑みながら言う。
「お礼をされるほどのことはしていません。困っている人がいたら助けるのは当然のことです」
「まあ……ならせめてお名前を」
「クルト・アッシュベルト。……ああそうだ、もしどうしてもと言うのなら、月末の王の生誕祭のパーティーで私と踊って貰っても?」
「! あの、ファーストダンスは、その……」
「分かっていますよ。王子の婚約者殿。二番手となる栄誉を私に下さいますか?」
「は、はい」

 口約束は交わされ、二人はそのまま別れた。
 メリアは移動中、ぽーっとなっていた。
 何故だろう、初めて【人】 に会った気がする。あの人からは他の人達みたいな演劇の中で生きているような感覚がない。これが運命なのだろか?

 一方、クルトのほうもぽやーっとしており、それを一緒に乗っていた妹に笑われていた。
「お兄様ったら、今まで女性に興味を持たれたことがなかったのに」
「仕方ないだろ。相応だと思える女性に出会わなかったし、それに身体の弱いお前が心配だったんだ」
「療養先で医者にももう大丈夫と言われました。もう私のことを第一に考えなくてもよろしいのですよ」
「……第三王子の婚約者だ」
「そこですわよね。はあ……せっかくお兄様の運命だと思ったのに」



 しかし妹の心配は杞憂だった。
 中庭で侍女に暴言を吐いている姿を見てからというもの、どうにもハーゲンを信用出来なくなったメリアは会う回数が減り、一緒にいても笑わなくなり……いち早く異変を感じ取った王により婚約は円満に解消となった。
 ハーゲンは別れる際に「例え再び婚約者となることがなくても、永遠に貴方を想う」 とロマンチックなことを言われたが、あの中庭で女性が追い払われる時に「ざまぁみろ」 と笑ったあの悪辣な表情が忘れられない。どうしてだか、他の世界で会っても人を侮辱する姿に幻滅しそうと思ってしまった。

 二人の婚約が正式に解消となると、待ってましたとばかりにクルトが婚約を申し込み、メリアとクルトは数年の交際のち結婚となった。

 二人の結婚式の日、巻き戻り前にメリアの自死の原因となった子供――もう子供と呼べる年齢ではないが――その時の子供が成長した青年が、元凶を再び成敗する気で刃物を手に会場に向かっていた。三つ子の魂百までというか、青年は昔も今もずっと他責思考で自分が悪いなんて一つも思わなかった。優しかった母親に裏切られ、地獄では全ての人間に責められ、そのすべてはたかが一人の女のせいなのに、その元凶はのうのうと結婚式などしようとしている。青年からすれば許せることではなかった。刃物は既に母親の血に塗れている。元々の世界でも人を害することに抵抗がなかった子供だ。母親であろうが敵認定すれば平気で暴力を振るった。自分より大きいのだから平気だろうと直接暴行はしなくても高い所から物を落とす、梯子を蹴り飛ばす、橋の上で川に突き落とす。息子はこれらを当然の権利だと思っていた。そんな息子を恐れるあまり家に帰らず路上生活をする母親に「子供の世話もせずに逃げた! やっぱりクズだ! 俺の人生を狂わせた責任を取れ!」 と何度も刺して殺めたのだ。死に際に「あんたなんか……産むんじゃなかった」 と言われてやはり自分の母親はクズだと再確認した。母親はどんな時でも子供を愛するべきなのにこんな言葉を口にするなんて。こんなことを言われる子供ほど可哀想な存在はいない。そうだ、だから自分は世界に復讐する権利がある。

 しかし式に呼ばれていたハーゲンが馬車で会場に向かっている途中、異様な雰囲気で歩く青年に気付き、嫌な予感がして話しかけると、案の定というか巻き戻り前に聖女を害して自死させた男だった。止めようと説得するも、青年からは「そもそもあんたが婚約しなかったらよかった! 自分の近くに来させなきゃよかった! 近くにいるから絶好の機会だと思ってついやっただけなのに! あんただって元凶の一人だ!」 と責任転嫁され、襲い掛かってくる。もみ合っているうちに自分が刺されてしまった。王子が刺されたということで騒ぎになりかけたが、王子自身が「犯人を拘束したならそれでいい。私のことで騒ぐな。メリア嬢には憂いのない式をさせてやってくれ……」 と苦しい息の下で言うものだから、騒ぎは会場の人間に伝わることはなく、メリアは幸せな結婚式を送った。その陰でハーゲンは息を引き取った。王はハーゲンの死に嘆息するも、今世では第一王子も第二王子も生きていることが救いだった。前回のように一人しかいない我が子に執着して無理を通して道理を引っ込ませることはない。悲しくない訳ではないが。ともあれ、メリアが幸せになることを第一に考え、ハーゲンは隣国に行ったのだとメリアに伝えた。

 メリアは幸せだった。優しい夫。甘え上手でこちらを気遣ってくれる義妹。向こうの両親もなかなか縁談の話がない息子を心配していたとかでとても大事にしてくれる。
 そんなメリアを見てメリアの両親も「本当に良かった」 と喜んでくれる。そして子供にも恵まれて、両親に孫を抱かせることも出来た。鉱山の所有者と貴族になったことで裕福になって両親もいつまでも元気。実家に戻るたびに貧乏時代の思い出話をして笑い合うのが恒例になっている。なぜだかこんな未来をずっと待っていた気がした。


 女神はこの結果に大満足だった。やっとメリアを幸せに出来た。もう思い残すこともない……。
 時間を巻き戻してとっくに力を使い果たしていたが、執念でメリアの人生を追っていた女神はそこで消えた。 
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明治中期、商家の娘トモと、大火で住処を失ったハルは出逢う。 おっちょこちょいなハルと、どこか冷めているトモは、次第に心を通わせていく。 ふたりの大切なひとときのお話。 ◇この物語はフィクションです。全21話、完結済み。 ◇この小説はNOVELDAYSにも掲載しています。

【完結】お世話になりました

こな
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