上 下
7 / 39

常連・美森さん

しおりを挟む
「今日はなんにされます?」
 游太はメニューを出しながら訊いた。しかしいつもの気に入りの席に着いた彼は、それを見ることなく「二月のブレンド、もう飲めるかい」と聞いてきた。
 游太はちょっと驚いてしまう。二月のブレンドは、まだ告知していない。看板にも明日あたり出そうと思っていたくらいだ。どこから知ったというのか。
 游太の反応を見て、彼は自慢げに笑った。
「えすえぬえす、というやつにレニティフの情報が載ってる、ってさ。孫が教えてくれたんだよ。それで色々見せてもらってね」
 情報が早いだろう、とくつくつ笑う。游太もつられるように笑ってしまった。
 確かに昨日、SNSに二月のメニューの情報を最速で載せたのだった。先日試作を重ねたパンケーキの写真と一緒に。
 ほら、これだろう。
 ポケットから取り出したスマホを、やはりぎこちない手つきでいくつかタッチして、店のページを出してくれる。
 游太はそれを覗き込みながらまた笑んでしまう。こんなところで探すまでに、店のことを、ひいては自分たちのことを気にかけてくれるのだ。そういう存在がとても嬉しい。
「メニューに載せるのはまだなんですけど、じゃ、味見も兼ねて飲んでくださいます?」
 常連さんにはこのくらいのサービス、朝飯前だ。豆の準備はもうできているし。
「光栄だね。頼むよ」
 彼は満足そうに言って、スマホを暗転させてポケットに戻した。
「新しいパンケーキも美味しそうだったじゃないか。相沢くんが作るんだね?」
「はい、俺は作れませんから」
 游太の返事に彼はまた笑う。
「そうだった。食べたいけれど、俺にはちょっと重そうだから今度、孫を連れてくるよ。そしたらひとくちもらえるってわけだ」
「それはいいですね。是非いらしてください」
 それでやりとりは一旦おしまいになった。キッチンへ行って、特にオーダーがなかったので皿やグラスを拭いていた弘樹の隣に立つ。
「美森さんだったよ」
「ああ、声が聞こえたから。今日もオシャレだね」
 話をしながらフィルターをセットする。その間に弘樹がやかんに水を入れて火をつけてくれた。
「SNS見てくれたってさ。お孫さんに見せてもらったって」
「そうなのか。あー、でもちょっと前に『孫にスマホを教授してもらった』って言ってたな。お孫さん大好きだからね」
 彼の孫はまだ学生だ。中学生の男の子。一緒に暮らしてはいないのだが、近所に住んでるからよく遊びに来てくれるんだよ、と以前話してくれたことがある。店にも幾度か来てくれたことがあるが、彼に似た穏やかで優しそうな顔をしている子だった。
「それでフライングってわけか」
 游太が手にしたのが、二月のために用意した豆だと見て取って弘樹が言ってきた。本当に良く見ている。
「そう。昨日の更新見てくれたっていうんだからすげーよな」
 準備をしながらホールのほうを見ると、彼は新聞を広げていた。カフェに置いてある備品だ。とっている新聞を毎朝回収して、雑誌やなんかが置いてあるコーナーに置いておくのだ。自由に閲覧可能。むしろ読んでもらうために新聞を取っているのだから、客が手にしてくれるほうが嬉しい。
 やがて抽出しているコーヒーの良い香りが立ち込めて、店の中に広がっていく。この香りが好きだから、大切な空間を良い香りで満たせるから、この店をやっているようなもの。何度淹れても游太は穏やかで優しい気持ちになることができるのだった。気分がくさくさしていても、この香りを嗅げば落ちついていく。魔法のような香り。
「お待たせしました」
 淹れたコーヒーをトレイに乗せて、游太はホールへ入る。彼の前に、ことりと置いた。彼は新聞を読むときにかけていた眼鏡越しに游太を見る。
「ありがとう」
 新聞を畳んで横に置いて、眼鏡を外してそれも横に置いて、置かれたコーヒーに取りかかった。
 彼の飲むのはいつもブラック。コーヒー通の彼は「ホットコーヒーが一番香りや味がわかるんだよ」と、真夏でもホットコーヒーをオーダーするのだ。
「マイルドな味だね。酸味が少ない」
 ひとくち飲んで、口の中で転がして、味や香りを楽しんでいただろう彼の感想はそんなもの。それは游太のこのブレンドの目的通りだったので流石である。
「はい。パンケーキがチョコレートなのでそれに合わせてます」
「なるほど」
 それも彼に伝わったようだ。目を細めて、もうひとくち。
「この店みたいな味がするよ」
 ぽつりと彼が言ったことの意味が、游太にはすぐわからなかった。褒められているのはわかるけれど、どのあたりがだろうか。
「相沢くんがいて、瀬戸内くんがいて、コーヒーの香りが満ちている。ここはいつだって優しくてまろやかな空気だ」
「……光栄です」
 ふっと顔が緩んだ。
『相沢くんがいて、瀬戸内くんがいて』
 そう表してくれた意味がわかるので。
「ごゆっくり」
 常連相手とはいえ、あまり居座るのも悪い。游太は小さくお辞儀をしてキッチンへ戻った。
 キッチンでは弘樹がコーヒーを淹れたあとの、後片付けをしはじめてくれていた。几帳面な面が出る以外にも、使ったものは手の空いているほうがすぐに片付けたほうが効率的だ。
「さんきゅ」
 声をかけて交代する。自分の持ち場なので。弘樹もあっさり游太に仕事をチェンジしてくれた。
「ほんと、鋭いよな。喧嘩でもしてりゃ、一発で見抜かれる」
 話題にしたのは彼のこと。さっきのやりとり。
「それはお前が態度に出るからだろ」
「んなことねぇよ。ホールではちゃんとしてる」
「それでも知り合いには伝わるだろうさ」
 そう言われてしまえば言い返せない。自分がわかりやすい以外にも、そういうものだろう。ヒトというものは。
「でも、見守ってくれる人がいるってのは、いいものだ」
 弘樹は視線をあげてホールの彼に目をやった。彼は再び新聞を広げながら、じっくりコーヒーを愉しんでいる。
「……そうだな」
 游太もつられるようにそちらに視線を向ける。こういうのはちょっとくすぐったいけれど。
 SNSを気にしてくれる以外にも。
 新メニューを知りたいと思ってくれる以外にも。
 自分たちの優しい『結びつき』を理解してくれて、見守ってくれる人がいるというのは、とても幸せなこと。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】ぽっちゃりなヒロインは爽やかなイケメンにひとめぼれされ溺愛される

まゆら
恋愛
食べる事と寝る事が大好きな社会人1年生の杉野ほたること、ほーちゃんが恋や仕事、ダイエットを通じて少しずつ成長していくお話。 恋愛ビギナーなほーちゃんにほっこりしたり、 ほーちゃんの姉あゆちゃんの中々進まない恋愛にじんわりしたり、 ふわもこで可愛いワンコのミルクにキュンしたり… 杉野家のみんなは今日もまったりしております。 素敵な表紙は、コニタンさんの作品です!

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

ポメラニアン魔王

カム
BL
勇者に敗れた魔王様はポメラニアンになりました。 大学生と魔王様(ポメラニアン)のほのぼの生活がメインです。 のんびり更新。 視点や人称がバラバラでちょっと読みにくい部分もあるかもしれません。 表紙イラスト朔羽ゆき様よりいただきました。

年上の恋人は優しい上司

木野葉ゆる
BL
小さな賃貸専門の不動産屋さんに勤める俺の恋人は、年上で優しい上司。 仕事のこととか、日常のこととか、デートのこととか、日記代わりに綴るSS連作。 基本は受け視点(一人称)です。 一日一花BL企画 参加作品も含まれています。 表紙は松下リサ様(@risa_m1012)に描いて頂きました!!ありがとうございます!!!! 完結済みにいたしました。 6月13日、同人誌を発売しました。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

【完結】もふもふ獣人転生

  *  
BL
白い耳としっぽのもふもふ獣人に生まれ、強制労働で死にそうなところを助けてくれたのは、最愛の推しでした。 ちっちゃなもふもふ獣人と、攻略対象の凛々しい少年の、両片思い? な、いちゃらぶもふもふなお話です。 本編完結しました! おまけをちょこちょこ更新しています。

溺愛執事と誓いのキスを

水無瀬雨音
BL
日本有数の大企業の社長の息子である周防。大学進学を機に、一般人の生活を勉強するため一人暮らしを始めるがそれは建前で、実際は惹かれていることに気づいた世話係の流伽から距離をおくためだった。それなのに一人暮らしのアパートに流伽が押し掛けてきたことで二人での生活が始まり……。 ふじょっしーのコンテストに参加しています。

目が覚めたら、カノジョの兄に迫られていた件

水野七緒
BL
ワケあってクラスメイトの女子と交際中の青野 行春(あおの ゆきはる)。そんな彼が、ある日あわや貞操の危機に。彼を襲ったのは星井夏樹(ほしい なつき)──まさかの、交際中のカノジョの「お兄さん」。だが、どうも様子がおかしくて── ※「目が覚めたら、妹の彼氏とつきあうことになっていた件」の続編(サイドストーリー)です。 ※前作を読まなくてもわかるように執筆するつもりですが、前作も読んでいただけると有り難いです。 ※エンドは1種類の予定ですが、2種類になるかもしれません。

処理中です...