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常連・美森さん
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「今日はなんにされます?」
游太はメニューを出しながら訊いた。しかしいつもの気に入りの席に着いた彼は、それを見ることなく「二月のブレンド、もう飲めるかい」と聞いてきた。
游太はちょっと驚いてしまう。二月のブレンドは、まだ告知していない。看板にも明日あたり出そうと思っていたくらいだ。どこから知ったというのか。
游太の反応を見て、彼は自慢げに笑った。
「えすえぬえす、というやつにレニティフの情報が載ってる、ってさ。孫が教えてくれたんだよ。それで色々見せてもらってね」
情報が早いだろう、とくつくつ笑う。游太もつられるように笑ってしまった。
確かに昨日、SNSに二月のメニューの情報を最速で載せたのだった。先日試作を重ねたパンケーキの写真と一緒に。
ほら、これだろう。
ポケットから取り出したスマホを、やはりぎこちない手つきでいくつかタッチして、店のページを出してくれる。
游太はそれを覗き込みながらまた笑んでしまう。こんなところで探すまでに、店のことを、ひいては自分たちのことを気にかけてくれるのだ。そういう存在がとても嬉しい。
「メニューに載せるのはまだなんですけど、じゃ、味見も兼ねて飲んでくださいます?」
常連さんにはこのくらいのサービス、朝飯前だ。豆の準備はもうできているし。
「光栄だね。頼むよ」
彼は満足そうに言って、スマホを暗転させてポケットに戻した。
「新しいパンケーキも美味しそうだったじゃないか。相沢くんが作るんだね?」
「はい、俺は作れませんから」
游太の返事に彼はまた笑う。
「そうだった。食べたいけれど、俺にはちょっと重そうだから今度、孫を連れてくるよ。そしたらひとくちもらえるってわけだ」
「それはいいですね。是非いらしてください」
それでやりとりは一旦おしまいになった。キッチンへ行って、特にオーダーがなかったので皿やグラスを拭いていた弘樹の隣に立つ。
「美森さんだったよ」
「ああ、声が聞こえたから。今日もオシャレだね」
話をしながらフィルターをセットする。その間に弘樹がやかんに水を入れて火をつけてくれた。
「SNS見てくれたってさ。お孫さんに見せてもらったって」
「そうなのか。あー、でもちょっと前に『孫にスマホを教授してもらった』って言ってたな。お孫さん大好きだからね」
彼の孫はまだ学生だ。中学生の男の子。一緒に暮らしてはいないのだが、近所に住んでるからよく遊びに来てくれるんだよ、と以前話してくれたことがある。店にも幾度か来てくれたことがあるが、彼に似た穏やかで優しそうな顔をしている子だった。
「それでフライングってわけか」
游太が手にしたのが、二月のために用意した豆だと見て取って弘樹が言ってきた。本当に良く見ている。
「そう。昨日の更新見てくれたっていうんだからすげーよな」
準備をしながらホールのほうを見ると、彼は新聞を広げていた。カフェに置いてある備品だ。とっている新聞を毎朝回収して、雑誌やなんかが置いてあるコーナーに置いておくのだ。自由に閲覧可能。むしろ読んでもらうために新聞を取っているのだから、客が手にしてくれるほうが嬉しい。
やがて抽出しているコーヒーの良い香りが立ち込めて、店の中に広がっていく。この香りが好きだから、大切な空間を良い香りで満たせるから、この店をやっているようなもの。何度淹れても游太は穏やかで優しい気持ちになることができるのだった。気分がくさくさしていても、この香りを嗅げば落ちついていく。魔法のような香り。
「お待たせしました」
淹れたコーヒーをトレイに乗せて、游太はホールへ入る。彼の前に、ことりと置いた。彼は新聞を読むときにかけていた眼鏡越しに游太を見る。
「ありがとう」
新聞を畳んで横に置いて、眼鏡を外してそれも横に置いて、置かれたコーヒーに取りかかった。
彼の飲むのはいつもブラック。コーヒー通の彼は「ホットコーヒーが一番香りや味がわかるんだよ」と、真夏でもホットコーヒーをオーダーするのだ。
「マイルドな味だね。酸味が少ない」
ひとくち飲んで、口の中で転がして、味や香りを楽しんでいただろう彼の感想はそんなもの。それは游太のこのブレンドの目的通りだったので流石である。
「はい。パンケーキがチョコレートなのでそれに合わせてます」
「なるほど」
それも彼に伝わったようだ。目を細めて、もうひとくち。
「この店みたいな味がするよ」
ぽつりと彼が言ったことの意味が、游太にはすぐわからなかった。褒められているのはわかるけれど、どのあたりがだろうか。
「相沢くんがいて、瀬戸内くんがいて、コーヒーの香りが満ちている。ここはいつだって優しくてまろやかな空気だ」
「……光栄です」
ふっと顔が緩んだ。
『相沢くんがいて、瀬戸内くんがいて』
そう表してくれた意味がわかるので。
「ごゆっくり」
常連相手とはいえ、あまり居座るのも悪い。游太は小さくお辞儀をしてキッチンへ戻った。
キッチンでは弘樹がコーヒーを淹れたあとの、後片付けをしはじめてくれていた。几帳面な面が出る以外にも、使ったものは手の空いているほうがすぐに片付けたほうが効率的だ。
「さんきゅ」
声をかけて交代する。自分の持ち場なので。弘樹もあっさり游太に仕事をチェンジしてくれた。
「ほんと、鋭いよな。喧嘩でもしてりゃ、一発で見抜かれる」
話題にしたのは彼のこと。さっきのやりとり。
「それはお前が態度に出るからだろ」
「んなことねぇよ。ホールではちゃんとしてる」
「それでも知り合いには伝わるだろうさ」
そう言われてしまえば言い返せない。自分がわかりやすい以外にも、そういうものだろう。ヒトというものは。
「でも、見守ってくれる人がいるってのは、いいものだ」
弘樹は視線をあげてホールの彼に目をやった。彼は再び新聞を広げながら、じっくりコーヒーを愉しんでいる。
「……そうだな」
游太もつられるようにそちらに視線を向ける。こういうのはちょっとくすぐったいけれど。
SNSを気にしてくれる以外にも。
新メニューを知りたいと思ってくれる以外にも。
自分たちの優しい『結びつき』を理解してくれて、見守ってくれる人がいるというのは、とても幸せなこと。
游太はメニューを出しながら訊いた。しかしいつもの気に入りの席に着いた彼は、それを見ることなく「二月のブレンド、もう飲めるかい」と聞いてきた。
游太はちょっと驚いてしまう。二月のブレンドは、まだ告知していない。看板にも明日あたり出そうと思っていたくらいだ。どこから知ったというのか。
游太の反応を見て、彼は自慢げに笑った。
「えすえぬえす、というやつにレニティフの情報が載ってる、ってさ。孫が教えてくれたんだよ。それで色々見せてもらってね」
情報が早いだろう、とくつくつ笑う。游太もつられるように笑ってしまった。
確かに昨日、SNSに二月のメニューの情報を最速で載せたのだった。先日試作を重ねたパンケーキの写真と一緒に。
ほら、これだろう。
ポケットから取り出したスマホを、やはりぎこちない手つきでいくつかタッチして、店のページを出してくれる。
游太はそれを覗き込みながらまた笑んでしまう。こんなところで探すまでに、店のことを、ひいては自分たちのことを気にかけてくれるのだ。そういう存在がとても嬉しい。
「メニューに載せるのはまだなんですけど、じゃ、味見も兼ねて飲んでくださいます?」
常連さんにはこのくらいのサービス、朝飯前だ。豆の準備はもうできているし。
「光栄だね。頼むよ」
彼は満足そうに言って、スマホを暗転させてポケットに戻した。
「新しいパンケーキも美味しそうだったじゃないか。相沢くんが作るんだね?」
「はい、俺は作れませんから」
游太の返事に彼はまた笑う。
「そうだった。食べたいけれど、俺にはちょっと重そうだから今度、孫を連れてくるよ。そしたらひとくちもらえるってわけだ」
「それはいいですね。是非いらしてください」
それでやりとりは一旦おしまいになった。キッチンへ行って、特にオーダーがなかったので皿やグラスを拭いていた弘樹の隣に立つ。
「美森さんだったよ」
「ああ、声が聞こえたから。今日もオシャレだね」
話をしながらフィルターをセットする。その間に弘樹がやかんに水を入れて火をつけてくれた。
「SNS見てくれたってさ。お孫さんに見せてもらったって」
「そうなのか。あー、でもちょっと前に『孫にスマホを教授してもらった』って言ってたな。お孫さん大好きだからね」
彼の孫はまだ学生だ。中学生の男の子。一緒に暮らしてはいないのだが、近所に住んでるからよく遊びに来てくれるんだよ、と以前話してくれたことがある。店にも幾度か来てくれたことがあるが、彼に似た穏やかで優しそうな顔をしている子だった。
「それでフライングってわけか」
游太が手にしたのが、二月のために用意した豆だと見て取って弘樹が言ってきた。本当に良く見ている。
「そう。昨日の更新見てくれたっていうんだからすげーよな」
準備をしながらホールのほうを見ると、彼は新聞を広げていた。カフェに置いてある備品だ。とっている新聞を毎朝回収して、雑誌やなんかが置いてあるコーナーに置いておくのだ。自由に閲覧可能。むしろ読んでもらうために新聞を取っているのだから、客が手にしてくれるほうが嬉しい。
やがて抽出しているコーヒーの良い香りが立ち込めて、店の中に広がっていく。この香りが好きだから、大切な空間を良い香りで満たせるから、この店をやっているようなもの。何度淹れても游太は穏やかで優しい気持ちになることができるのだった。気分がくさくさしていても、この香りを嗅げば落ちついていく。魔法のような香り。
「お待たせしました」
淹れたコーヒーをトレイに乗せて、游太はホールへ入る。彼の前に、ことりと置いた。彼は新聞を読むときにかけていた眼鏡越しに游太を見る。
「ありがとう」
新聞を畳んで横に置いて、眼鏡を外してそれも横に置いて、置かれたコーヒーに取りかかった。
彼の飲むのはいつもブラック。コーヒー通の彼は「ホットコーヒーが一番香りや味がわかるんだよ」と、真夏でもホットコーヒーをオーダーするのだ。
「マイルドな味だね。酸味が少ない」
ひとくち飲んで、口の中で転がして、味や香りを楽しんでいただろう彼の感想はそんなもの。それは游太のこのブレンドの目的通りだったので流石である。
「はい。パンケーキがチョコレートなのでそれに合わせてます」
「なるほど」
それも彼に伝わったようだ。目を細めて、もうひとくち。
「この店みたいな味がするよ」
ぽつりと彼が言ったことの意味が、游太にはすぐわからなかった。褒められているのはわかるけれど、どのあたりがだろうか。
「相沢くんがいて、瀬戸内くんがいて、コーヒーの香りが満ちている。ここはいつだって優しくてまろやかな空気だ」
「……光栄です」
ふっと顔が緩んだ。
『相沢くんがいて、瀬戸内くんがいて』
そう表してくれた意味がわかるので。
「ごゆっくり」
常連相手とはいえ、あまり居座るのも悪い。游太は小さくお辞儀をしてキッチンへ戻った。
キッチンでは弘樹がコーヒーを淹れたあとの、後片付けをしはじめてくれていた。几帳面な面が出る以外にも、使ったものは手の空いているほうがすぐに片付けたほうが効率的だ。
「さんきゅ」
声をかけて交代する。自分の持ち場なので。弘樹もあっさり游太に仕事をチェンジしてくれた。
「ほんと、鋭いよな。喧嘩でもしてりゃ、一発で見抜かれる」
話題にしたのは彼のこと。さっきのやりとり。
「それはお前が態度に出るからだろ」
「んなことねぇよ。ホールではちゃんとしてる」
「それでも知り合いには伝わるだろうさ」
そう言われてしまえば言い返せない。自分がわかりやすい以外にも、そういうものだろう。ヒトというものは。
「でも、見守ってくれる人がいるってのは、いいものだ」
弘樹は視線をあげてホールの彼に目をやった。彼は再び新聞を広げながら、じっくりコーヒーを愉しんでいる。
「……そうだな」
游太もつられるようにそちらに視線を向ける。こういうのはちょっとくすぐったいけれど。
SNSを気にしてくれる以外にも。
新メニューを知りたいと思ってくれる以外にも。
自分たちの優しい『結びつき』を理解してくれて、見守ってくれる人がいるというのは、とても幸せなこと。
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