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秋のディトはすぺしゃるな④
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麓乎に連れていかれた先は、洋風の食事をする店だった。
珠子に連れていかれたところとは別のところである。洋食を出すらしい。
『Restaurant』と看板に書いてあったが、金香には読めなかった。
看板を見上げた金香に気付いたようで、麓乎は「『れすとらん』と書いてあるそうだ。『食事処』という意味だね」と教えてくれた。
それはまったくいつもどおりだったので、犬の件はもう気にしていないらしい。
笑ってしまって悪いと思っていたところだったので、ちょっとほっとした。
昼前に出たのでちょうど昼時でお腹も減っていた。まずは昼食を食べにきたというわけだ。
麓乎がドアを開けると、ちりん、と鈴のような音がした。
給仕をするらしい男性がすぐにやってきて麓乎と何事かやりとりをする。
どうやら予約をしていた、という話をしているようだ。
わざわざ予約までしてくださって。
金香はそこで既に嬉しくなってしまった。
聞き耳を立てるのも無粋だと思い、れすとらんの中を見る。じろじろと見ないように気を付けながら。
木でできていて、てーぶると椅子がある。基本的に住まいは文机かちゃぶ台に正座などをして座るので椅子は慣れない。
寺子屋の教師の集まる部屋はこのようにてーぶると椅子があるが勿論ここにあるものほど立派ではなかった。とても豪華なのだろう。
「さぁ、こちらだ」
麓乎が示してくれて金香はついていった。
給仕に案内された先は庭の見える席。
椅子に近付く前に給仕が椅子を引いてくれた。意味がよくわからずに彼を見ると、にこりと笑って「どうぞ腰掛けてください」と言われる。
なるほど、座りやすいように引いてくださったのね。
洋風のれすとらんというのはこんなに丁寧なところなのかと感心しながら、金香は言われた通りに腰かけた。
歩いてきた距離はそれほどないというのに、歩き慣れない靴であったからか、少し足がくたびれたような気がする。座ることができてほっとした。
「疲れたかい」
「あ、……えっと」
訊かれてどう言おうか迷った。
まだ屋敷を出て、歩いて町中へきただけだ。それなのにくたびれたなど。
しかし麓乎はわかってくれていたようだ。
「靴は疲れるものだね。私も草履のほうが楽だ」
言われてほっとした。麓乎も同じだったのだ。慣れない履物は疲れても仕方がない。
「さて、ご飯はなににしようか」
言いながら開かれたのは、てーぶるに立ててあった品書きだ。
色々書かれているが金香にはそれがどんなものなのかよくわからなかった。
なにしろ名前しか知らない料理が並んでいる。
おむれつ、だの、かれー、だの。
美味しいと聞いたことはあるのだが、実際にどんなものかは知らない。
洋物に明るい珠子に聞いて、「今度食べに行きましょうよ」という話が出ていたところだったのだ。
「私もあまり食べたことがないのだけど、一番人気はおむれつだそうだよ。卵を柔らかく焼いたものだそうだ」
麓乎がいくつか示してくれて、結局その『おむれつ』を頼むことになった。選べと言われたら困ってしまったと思うので、金香はむしろほっとした。
そして出てきたおむれつは、卵を半分にしたような形にこんもりと盛られていて、卵の黄色の上には赤いものがかかっていた。
とまとだそうだ。
とまとは食べたことがある。あまり出回ってはいないのだが、ときたま町の外から野菜売りが売りに来るのだ。
麓乎が言い、金香も続けて言った。
「いただきます」
「いただきます」
一緒に食事をとることは屋敷でも洋式なので違和感がなかった。
おむれつの前に置いてあったのは『すぷーん』というもので匙(さじ)であった。金属でできていて銀色でぴかぴかしている。
すぷーんを取り上げてそっとおむれつを割る。ふんわりと湯気が立ち上った。
卵の良い香りが食欲をそそる。
少しだけすくって口に入れた。まるでとろけるようにやわらかかった。
卵のまろやかな味。そこにかけられたとまとの酸味が良く合っている。
「美味しいね」
金香の反応を良いものだとわかってくれたらしく、麓乎は笑った。
「はい。とても」
普段、食事中はあまり会話をしないものだが、西洋では食事をしながら会話をするのも楽しみなのだという。
だがすぐに適応できない。よって、ぽつぽつと短い会話だけになる。
おむれつのほかには平たい皿に白いご飯が盛られていたほか、生の野菜が色々入っている『さらだ』などがあった。
野菜も、れたすやぴーまんなど、とまとと同じ、食べたことはあるもののそう頻繁に食べるものではない野菜が多かった。
どれもとても美味しく、食事は愉しかった。
すべて食べ終えて、最後に紅茶が出てきた。
飲むと、ほっと息が出る。お腹が満たされた満足に。
右手のほうに視線をやると緑の茂る庭が目に入った。
庭に見える、あれは薔薇。紅くて鮮やかだった。
自分も麓乎も洋装で、てーぶると椅子に腰かけて、庭には薔薇。
まるで西洋に来たよう。
金香はつい見入ってしまった。
「綺麗だね」
「はい。薔薇は育てるのが難しいと聞きましたが、お手入れが素晴らしいのでしょうね」
「ああ。専門の庭師がいるそうだ」
紅茶を飲みながら食休みをして、れすとらんをあとにした。
お支払いは麓乎がしてくれた。弟子であるので食事をご馳走されたことは何度もあるのだが、今回のお店はお高かったはずだ。
お支払いをする麓乎を離れた場所で待ちながらちょっと申し訳なくなりつつも聞いたことを思い出した。
西洋では『ディト』のお金はすべて男性が出すのだと。
それにのっとって、今日はすべてお金を出していただかれてしまうのかしら。
一緒に貰っていた小さな鞄にがま口は入れてきたものの、なんだか申し訳なくなる。
かといって断ることもできないので、甘えることにしたのだった。
珠子に連れていかれたところとは別のところである。洋食を出すらしい。
『Restaurant』と看板に書いてあったが、金香には読めなかった。
看板を見上げた金香に気付いたようで、麓乎は「『れすとらん』と書いてあるそうだ。『食事処』という意味だね」と教えてくれた。
それはまったくいつもどおりだったので、犬の件はもう気にしていないらしい。
笑ってしまって悪いと思っていたところだったので、ちょっとほっとした。
昼前に出たのでちょうど昼時でお腹も減っていた。まずは昼食を食べにきたというわけだ。
麓乎がドアを開けると、ちりん、と鈴のような音がした。
給仕をするらしい男性がすぐにやってきて麓乎と何事かやりとりをする。
どうやら予約をしていた、という話をしているようだ。
わざわざ予約までしてくださって。
金香はそこで既に嬉しくなってしまった。
聞き耳を立てるのも無粋だと思い、れすとらんの中を見る。じろじろと見ないように気を付けながら。
木でできていて、てーぶると椅子がある。基本的に住まいは文机かちゃぶ台に正座などをして座るので椅子は慣れない。
寺子屋の教師の集まる部屋はこのようにてーぶると椅子があるが勿論ここにあるものほど立派ではなかった。とても豪華なのだろう。
「さぁ、こちらだ」
麓乎が示してくれて金香はついていった。
給仕に案内された先は庭の見える席。
椅子に近付く前に給仕が椅子を引いてくれた。意味がよくわからずに彼を見ると、にこりと笑って「どうぞ腰掛けてください」と言われる。
なるほど、座りやすいように引いてくださったのね。
洋風のれすとらんというのはこんなに丁寧なところなのかと感心しながら、金香は言われた通りに腰かけた。
歩いてきた距離はそれほどないというのに、歩き慣れない靴であったからか、少し足がくたびれたような気がする。座ることができてほっとした。
「疲れたかい」
「あ、……えっと」
訊かれてどう言おうか迷った。
まだ屋敷を出て、歩いて町中へきただけだ。それなのにくたびれたなど。
しかし麓乎はわかってくれていたようだ。
「靴は疲れるものだね。私も草履のほうが楽だ」
言われてほっとした。麓乎も同じだったのだ。慣れない履物は疲れても仕方がない。
「さて、ご飯はなににしようか」
言いながら開かれたのは、てーぶるに立ててあった品書きだ。
色々書かれているが金香にはそれがどんなものなのかよくわからなかった。
なにしろ名前しか知らない料理が並んでいる。
おむれつ、だの、かれー、だの。
美味しいと聞いたことはあるのだが、実際にどんなものかは知らない。
洋物に明るい珠子に聞いて、「今度食べに行きましょうよ」という話が出ていたところだったのだ。
「私もあまり食べたことがないのだけど、一番人気はおむれつだそうだよ。卵を柔らかく焼いたものだそうだ」
麓乎がいくつか示してくれて、結局その『おむれつ』を頼むことになった。選べと言われたら困ってしまったと思うので、金香はむしろほっとした。
そして出てきたおむれつは、卵を半分にしたような形にこんもりと盛られていて、卵の黄色の上には赤いものがかかっていた。
とまとだそうだ。
とまとは食べたことがある。あまり出回ってはいないのだが、ときたま町の外から野菜売りが売りに来るのだ。
麓乎が言い、金香も続けて言った。
「いただきます」
「いただきます」
一緒に食事をとることは屋敷でも洋式なので違和感がなかった。
おむれつの前に置いてあったのは『すぷーん』というもので匙(さじ)であった。金属でできていて銀色でぴかぴかしている。
すぷーんを取り上げてそっとおむれつを割る。ふんわりと湯気が立ち上った。
卵の良い香りが食欲をそそる。
少しだけすくって口に入れた。まるでとろけるようにやわらかかった。
卵のまろやかな味。そこにかけられたとまとの酸味が良く合っている。
「美味しいね」
金香の反応を良いものだとわかってくれたらしく、麓乎は笑った。
「はい。とても」
普段、食事中はあまり会話をしないものだが、西洋では食事をしながら会話をするのも楽しみなのだという。
だがすぐに適応できない。よって、ぽつぽつと短い会話だけになる。
おむれつのほかには平たい皿に白いご飯が盛られていたほか、生の野菜が色々入っている『さらだ』などがあった。
野菜も、れたすやぴーまんなど、とまとと同じ、食べたことはあるもののそう頻繁に食べるものではない野菜が多かった。
どれもとても美味しく、食事は愉しかった。
すべて食べ終えて、最後に紅茶が出てきた。
飲むと、ほっと息が出る。お腹が満たされた満足に。
右手のほうに視線をやると緑の茂る庭が目に入った。
庭に見える、あれは薔薇。紅くて鮮やかだった。
自分も麓乎も洋装で、てーぶると椅子に腰かけて、庭には薔薇。
まるで西洋に来たよう。
金香はつい見入ってしまった。
「綺麗だね」
「はい。薔薇は育てるのが難しいと聞きましたが、お手入れが素晴らしいのでしょうね」
「ああ。専門の庭師がいるそうだ」
紅茶を飲みながら食休みをして、れすとらんをあとにした。
お支払いは麓乎がしてくれた。弟子であるので食事をご馳走されたことは何度もあるのだが、今回のお店はお高かったはずだ。
お支払いをする麓乎を離れた場所で待ちながらちょっと申し訳なくなりつつも聞いたことを思い出した。
西洋では『ディト』のお金はすべて男性が出すのだと。
それにのっとって、今日はすべてお金を出していただかれてしまうのかしら。
一緒に貰っていた小さな鞄にがま口は入れてきたものの、なんだか申し訳なくなる。
かといって断ることもできないので、甘えることにしたのだった。
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