96 / 125
新たな関係はあたたかく⑤
しおりを挟む
「おや、そうだったのかい」
珠子に『内弟子に取る意味』を教えられた、ということを麓乎に話したところ、麓乎には目を細められた。
勿論、言うつもりはなかった。
言うつもりはなかったのだが、言わされた、というか。
ある夜、麓乎の部屋で話をしているうちに「先日は愉しかったかい」という話になり、「珠子さんとどんな話をしたのかな」と質問された流れで、話がそちらへ行ってしまったのだ。それを言い繕えないくらいには、金香は不器用だったといえる。
珠子に話をすることを相談したのは少し前のことだった。
誰かにそろそろ言おうか、と思うようになったときに金香は訊いた。
勿論『交際を公にしても良いのでしょうか』ということである。
「例えば、珠子さんにとか」という質問に麓乎は当たり前のように頷いた。
「もう随分親しくなったものね。存分に話すといいよ」
「ぞ、存分に」
なにを話せと。
顔を赤くした金香の頭をそのとき麓乎は撫でてくれて、言われた言葉に金香はまた顔を熱くするしかなかったのである。
「むしろ、ひとに話したいと思うくらいに私を想ってくれることを嬉しく思うしね」
そのときのことを思い出してしまった。
「がっかりしたかい。そんな下心で内弟子に誘ったことを」
お茶をひとくち飲んで麓乎は気軽な口調で言ってきた。勿論気軽であろうわけはないが。
「そんなわけはありません! むしろ」
その気持ちはわかったのですぐに金香はそれを否定した。
そして少し躊躇った。これを言って良いものか。
でも、『むしろ』に続く言葉はこれしかないのである。
「私などを気にしてくださったことが、嬉しいです」
しかし金香の言葉には麓乎は目を細めたのだった。
それは『愛しさ』であるときもあるのだったが今のものは違う。嫌なことを想像しているだとかそういうときの眼だ。
「きみは少し自己評価が低いところがあるね」
手にしていた湯呑みを置いて麓乎は金香をまっすぐに見つめて言った。
金香は詰まってしまう。
そのとおり、だ。
そして今だけでない。そのように言われてしまうようなこと、今までに何回も言ってしまったことがある。
それを思い出して胸に包丁を突きさされたような気持ちであった。
自分を卑下するようなことばかり言って、麓乎を不快にしてしまっただろうか?
謝ろうかと思った。
けれどそれも卑屈すぎるのだろうか?
思ってしまって返事ができずにいた金香に掛けられた次の言葉は、意外にも優しいものだった。
「自分が愛されるべき存在だと、もっと自覚して良いのだよ」
麓乎の眼も優しいものになっている。
愛される。
言われると非常にくすぐったい言葉だ。
「それは私にだけでなく、周りのひとたちにも同じだ」
周りのひとたちと思い浮かべて金香は、はたとした。
『自己評価が低い』と言われてしまった原因に思い至ったのだ。
「あまりご家族に恵まれなかったのだよね。そのせいかもしれないけども」
麓乎が言ったのもそのとおりのことだった。
母は早くに亡くなった。
育ててくれた祖母も、亡くなって随分経つ。
親戚ともあまり親しくない。
おまけに同居していた父親ですら、家を空けている日のほうが多いくらいで。
そのさみしさからだろうか。
自分を肯定してくれる存在が居なかったからだろうか。
それはなんだかとても悲しいことのような気がして、そんな気持ちが膨れてきて、思わず下を向くと、ぽたっと雫が落ちた。
金香は自分で驚いてしまう。涙が出る自覚は無かったもので。
金香だけでなく、麓乎も驚いたようだ。
「すまない、言い方がきつかったかな」
このひとはどこまでも優しいのだ。
そんなこと、欠片も無いというのに。
むしろ言い方としてはやわらかすぎるくらいであっただろうに。
「そんなことはないです。でも、何故か」
金香の次の言葉は続かなかった。
数秒沈黙が落ち、次に起こったのは言葉ではなかった。ふっと空気が動く。
このようなことは勿論初めてではない、というかもう何回か起こっているのでわかってはいたのだが、金香はとっさに身を硬くしてしまった。
まだ慣れないのだ。腕を伸ばした麓乎に抱き取られること。
それでももう恐怖心は覚えない。安堵できるまでにはなっていないのだが。
心臓は煩く騒ぐし呼吸は浅くなってしまうのだが、拒むつもりは毛頭ないし嬉しいことだと思える。
香の良い香りにか、深く触れている麓乎のあたたかさにか、また涙がぽろっと零れてしまった。
それともこのように触れられて『愛して貰えている』と感じられたことにかもしれない。
過去の家族のことはともかく、今はとても幸せだ。
いや、家族のこととはまた別なのだと思う。
けれどそれは確かに『愛』なのであり、『幸せ』だ。
そのような存在ができたのはきっと幸運なのだと思う。
恵まれなかったのは、もう過去のこと。
有り余るほどに恵まれている。
だからそのことにもっと自信を持たなければいけない。
あたたかな麓乎の胸に抱かれながら、金香はそっと目を閉じた。
珠子に『内弟子に取る意味』を教えられた、ということを麓乎に話したところ、麓乎には目を細められた。
勿論、言うつもりはなかった。
言うつもりはなかったのだが、言わされた、というか。
ある夜、麓乎の部屋で話をしているうちに「先日は愉しかったかい」という話になり、「珠子さんとどんな話をしたのかな」と質問された流れで、話がそちらへ行ってしまったのだ。それを言い繕えないくらいには、金香は不器用だったといえる。
珠子に話をすることを相談したのは少し前のことだった。
誰かにそろそろ言おうか、と思うようになったときに金香は訊いた。
勿論『交際を公にしても良いのでしょうか』ということである。
「例えば、珠子さんにとか」という質問に麓乎は当たり前のように頷いた。
「もう随分親しくなったものね。存分に話すといいよ」
「ぞ、存分に」
なにを話せと。
顔を赤くした金香の頭をそのとき麓乎は撫でてくれて、言われた言葉に金香はまた顔を熱くするしかなかったのである。
「むしろ、ひとに話したいと思うくらいに私を想ってくれることを嬉しく思うしね」
そのときのことを思い出してしまった。
「がっかりしたかい。そんな下心で内弟子に誘ったことを」
お茶をひとくち飲んで麓乎は気軽な口調で言ってきた。勿論気軽であろうわけはないが。
「そんなわけはありません! むしろ」
その気持ちはわかったのですぐに金香はそれを否定した。
そして少し躊躇った。これを言って良いものか。
でも、『むしろ』に続く言葉はこれしかないのである。
「私などを気にしてくださったことが、嬉しいです」
しかし金香の言葉には麓乎は目を細めたのだった。
それは『愛しさ』であるときもあるのだったが今のものは違う。嫌なことを想像しているだとかそういうときの眼だ。
「きみは少し自己評価が低いところがあるね」
手にしていた湯呑みを置いて麓乎は金香をまっすぐに見つめて言った。
金香は詰まってしまう。
そのとおり、だ。
そして今だけでない。そのように言われてしまうようなこと、今までに何回も言ってしまったことがある。
それを思い出して胸に包丁を突きさされたような気持ちであった。
自分を卑下するようなことばかり言って、麓乎を不快にしてしまっただろうか?
謝ろうかと思った。
けれどそれも卑屈すぎるのだろうか?
思ってしまって返事ができずにいた金香に掛けられた次の言葉は、意外にも優しいものだった。
「自分が愛されるべき存在だと、もっと自覚して良いのだよ」
麓乎の眼も優しいものになっている。
愛される。
言われると非常にくすぐったい言葉だ。
「それは私にだけでなく、周りのひとたちにも同じだ」
周りのひとたちと思い浮かべて金香は、はたとした。
『自己評価が低い』と言われてしまった原因に思い至ったのだ。
「あまりご家族に恵まれなかったのだよね。そのせいかもしれないけども」
麓乎が言ったのもそのとおりのことだった。
母は早くに亡くなった。
育ててくれた祖母も、亡くなって随分経つ。
親戚ともあまり親しくない。
おまけに同居していた父親ですら、家を空けている日のほうが多いくらいで。
そのさみしさからだろうか。
自分を肯定してくれる存在が居なかったからだろうか。
それはなんだかとても悲しいことのような気がして、そんな気持ちが膨れてきて、思わず下を向くと、ぽたっと雫が落ちた。
金香は自分で驚いてしまう。涙が出る自覚は無かったもので。
金香だけでなく、麓乎も驚いたようだ。
「すまない、言い方がきつかったかな」
このひとはどこまでも優しいのだ。
そんなこと、欠片も無いというのに。
むしろ言い方としてはやわらかすぎるくらいであっただろうに。
「そんなことはないです。でも、何故か」
金香の次の言葉は続かなかった。
数秒沈黙が落ち、次に起こったのは言葉ではなかった。ふっと空気が動く。
このようなことは勿論初めてではない、というかもう何回か起こっているのでわかってはいたのだが、金香はとっさに身を硬くしてしまった。
まだ慣れないのだ。腕を伸ばした麓乎に抱き取られること。
それでももう恐怖心は覚えない。安堵できるまでにはなっていないのだが。
心臓は煩く騒ぐし呼吸は浅くなってしまうのだが、拒むつもりは毛頭ないし嬉しいことだと思える。
香の良い香りにか、深く触れている麓乎のあたたかさにか、また涙がぽろっと零れてしまった。
それともこのように触れられて『愛して貰えている』と感じられたことにかもしれない。
過去の家族のことはともかく、今はとても幸せだ。
いや、家族のこととはまた別なのだと思う。
けれどそれは確かに『愛』なのであり、『幸せ』だ。
そのような存在ができたのはきっと幸運なのだと思う。
恵まれなかったのは、もう過去のこと。
有り余るほどに恵まれている。
だからそのことにもっと自信を持たなければいけない。
あたたかな麓乎の胸に抱かれながら、金香はそっと目を閉じた。
0
お気に入りに追加
21
あなたにおすすめの小説

【完結】お姉様の婚約者
七瀬菜々
恋愛
姉が失踪した。それは結婚式当日の朝のことだった。
残された私は家族のため、ひいては祖国のため、姉の婚約者と結婚した。
サイズの合わない純白のドレスを身に纏い、すまないと啜り泣く父に手を引かれ、困惑と同情と侮蔑の視線が交差するバージンロードを歩き、彼の手を取る。
誰が見ても哀れで、惨めで、不幸な結婚。
けれど私の心は晴れやかだった。
だって、ずっと片思いを続けていた人の隣に立てるのだから。
ーーーーーそう、だから私は、誰がなんと言おうと、シアワセだ。
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

旦那様は離縁をお望みでしょうか
村上かおり
恋愛
ルーベンス子爵家の三女、バーバラはアルトワイス伯爵家の次男であるリカルドと22歳の時に結婚した。
けれど最初の顔合わせの時から、リカルドは不機嫌丸出しで、王都に来てもバーバラを家に一人残して帰ってくる事もなかった。
バーバラは行き遅れと言われていた自分との政略結婚が気に入らないだろうと思いつつも、いずれはリカルドともいい関係を築けるのではないかと待ち続けていたが。

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜
川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。
前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。
恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。
だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。
そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。
「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」
レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。
実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。
女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。
過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。
二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。

忙しい男
菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。
「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」
「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」
すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。
※ハッピーエンドです
かなりやきもきさせてしまうと思います。
どうか温かい目でみてやってくださいね。
※本編完結しました(2019/07/15)
スピンオフ &番外編
【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19)
改稿 (2020/01/01)
本編のみカクヨムさんでも公開しました。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
君は妾の子だから、次男がちょうどいい
月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる