86 / 125
大きな愛に包まれて④
しおりを挟む
「……ふ、」
恐怖にぽろぽろと涙が零れ落ちる。体もその気持ちのままに固まっていた。
今日は泣きたくなどなかったのに。
幸せを覚えるところなのに。
また困らせてしまうのに。
しかしこのような状況になっては平静でいられない。どうしても恐怖感は覚えてしまうし、しかもされていることは昨夜以上である。
しかし今度は先生のほうが違ったようだ。かけられた声が平静だったので。今度は戸惑っていない。
「大丈夫だよ。力を抜いてご覧」
しかしそれは金香には難しいことだった。とっさにかぶりを振る。
恐怖感に凍り付いてしまっていて力の抜き方などわからない。
それをすべて知っているかのように、先生の手は落ち着いた様子で金香の背を撫でていく。
「ゆっくり息をして。……そう、私に合わせてご覧」
まるで子供をあやすようだった。
事実そうなのだろう。想う人に抱かれているのに凍り付くしかできない自分を不甲斐なく思うというのに、今の先生の優しさは金香にとって救いだった。
は、と浅く呼吸をして、できる限り深く吸おうとする。
鼻で息を吸い込むと、鼻腔に先生のまとう香の香りが届いて、金香の頭をくらくらと酔わせた。
そこで初めて、恐怖感ではない感覚を味わえたのかもしれない。
先生の香の、良い香り。
息を吸うのも伝わってしまうほどに近く触れ合っている体。
そして背中を優しく撫でられる。
すぅ、はぁ、とまるで初めて陸上で呼吸(いき)をする生き物のように集中している間に、金香の心は呆気ないほどにするするとほどけていった。
あたたかい。
最初にそう感じた。
触れ合った身に伝わる体温。
気持ちいい。
次に感じた。
体を受けとめてくれる大きな存在と、背中を撫でてくれる優しい手が。
そしてその存在が、手が、先生が。……愛しい。
自分の胸の中の感情に気がついた瞬間、胸の中でまたなにかが破裂した。
ただし今回のものはとても熱い。胸が火傷をしてしまいそうなほどの熱を持っていた。
すべてが溶け出し、金香は我を忘れて動いていた。
身を包まれている存在にしがみつく。抱き寄せられたまま凍り付いてしまっていたというのに。
拘束が一気に溶けて、また喉奥まで涙がこみ上げて耐える間もなく零れたけれど、今度のものはまったく意味が違っていた。
「先生、……せん、せい……っ」
苦しい息の下で呼ぶ。
しがみつくなどという無礼を働いてしまったというのに、受けとめてくれる胸も腕も、そして声も落ち着いていた。
「うん」
なにもかもわかっている、という声に受けとめられて、やっと出てくる。
胸の奥にあった、今まで恐怖感に阻まれて出てこられなかった気持ちが、今度こそ声になって。
「お慕いしております……!」
言ってしまえばもうとまらなかった。
小さな声で、しかし何度も繰り返す。
そのすべてに先生は応えてくれた。
「嬉しいよ」
「有難う」
そして、「私もきみを想っているよ」。
そう言われたときには。
そこまでたどり着いたときには。
やっと顔を上げて先生の、いや、今は師ではない、……麓乎のやわらかく細められた瞳を見つめることができていた。
恐怖にぽろぽろと涙が零れ落ちる。体もその気持ちのままに固まっていた。
今日は泣きたくなどなかったのに。
幸せを覚えるところなのに。
また困らせてしまうのに。
しかしこのような状況になっては平静でいられない。どうしても恐怖感は覚えてしまうし、しかもされていることは昨夜以上である。
しかし今度は先生のほうが違ったようだ。かけられた声が平静だったので。今度は戸惑っていない。
「大丈夫だよ。力を抜いてご覧」
しかしそれは金香には難しいことだった。とっさにかぶりを振る。
恐怖感に凍り付いてしまっていて力の抜き方などわからない。
それをすべて知っているかのように、先生の手は落ち着いた様子で金香の背を撫でていく。
「ゆっくり息をして。……そう、私に合わせてご覧」
まるで子供をあやすようだった。
事実そうなのだろう。想う人に抱かれているのに凍り付くしかできない自分を不甲斐なく思うというのに、今の先生の優しさは金香にとって救いだった。
は、と浅く呼吸をして、できる限り深く吸おうとする。
鼻で息を吸い込むと、鼻腔に先生のまとう香の香りが届いて、金香の頭をくらくらと酔わせた。
そこで初めて、恐怖感ではない感覚を味わえたのかもしれない。
先生の香の、良い香り。
息を吸うのも伝わってしまうほどに近く触れ合っている体。
そして背中を優しく撫でられる。
すぅ、はぁ、とまるで初めて陸上で呼吸(いき)をする生き物のように集中している間に、金香の心は呆気ないほどにするするとほどけていった。
あたたかい。
最初にそう感じた。
触れ合った身に伝わる体温。
気持ちいい。
次に感じた。
体を受けとめてくれる大きな存在と、背中を撫でてくれる優しい手が。
そしてその存在が、手が、先生が。……愛しい。
自分の胸の中の感情に気がついた瞬間、胸の中でまたなにかが破裂した。
ただし今回のものはとても熱い。胸が火傷をしてしまいそうなほどの熱を持っていた。
すべてが溶け出し、金香は我を忘れて動いていた。
身を包まれている存在にしがみつく。抱き寄せられたまま凍り付いてしまっていたというのに。
拘束が一気に溶けて、また喉奥まで涙がこみ上げて耐える間もなく零れたけれど、今度のものはまったく意味が違っていた。
「先生、……せん、せい……っ」
苦しい息の下で呼ぶ。
しがみつくなどという無礼を働いてしまったというのに、受けとめてくれる胸も腕も、そして声も落ち着いていた。
「うん」
なにもかもわかっている、という声に受けとめられて、やっと出てくる。
胸の奥にあった、今まで恐怖感に阻まれて出てこられなかった気持ちが、今度こそ声になって。
「お慕いしております……!」
言ってしまえばもうとまらなかった。
小さな声で、しかし何度も繰り返す。
そのすべてに先生は応えてくれた。
「嬉しいよ」
「有難う」
そして、「私もきみを想っているよ」。
そう言われたときには。
そこまでたどり着いたときには。
やっと顔を上げて先生の、いや、今は師ではない、……麓乎のやわらかく細められた瞳を見つめることができていた。
0
お気に入りに追加
21
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
【完結】私たち白い結婚だったので、離婚してください
楠結衣
恋愛
田舎の薬屋に生まれたエリサは、薬草が大好き。薬草を摘みに出掛けると、怪我をした一匹の子犬を助ける。子犬だと思っていたら、領主の息子の狼獣人ヒューゴだった。
ヒューゴとエリサは、一緒に薬草採取に出掛ける日々を送る。そんなある日、魔王復活の知らせが世界を駆け抜け、神託によりヒューゴが勇者に選ばれることに。
ヒューゴが出立の日、エリサは自身の恋心に気づいてヒューゴに告白したところ二人は即結婚することに……!
「エリサを泣かせるなんて、絶対許さない」
「エリサ、愛してる!」
ちょっぴり鈍感で薬草を愛するヒロインが、一途で愛が重たい変態風味な勇者に溺愛されるお話です。
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
君は妾の子だから、次男がちょうどいい
月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

父の大事な家族は、再婚相手と異母妹のみで、私は元より家族ではなかったようです
珠宮さくら
恋愛
フィロマという国で、母の病を治そうとした1人の少女がいた。母のみならず、その病に苦しむ者は、年々増えていたが、治せる薬はなく、進行を遅らせる薬しかなかった。
その病を色んな本を読んで調べあげた彼女の名前は、ヴァリャ・チャンダ。だが、それで病に効く特効薬が出来上がることになったが、母を救うことは叶わなかった。
そんな彼女が、楽しみにしていたのは隣国のラジェスへの留学だったのだが、そのために必死に貯めていた資金も父に取り上げられ、義母と異母妹の散財のために金を稼げとまで言われてしまう。
そこにヴァリャにとって救世主のように現れた令嬢がいたことで、彼女の人生は一変していくのだが、彼女らしさが消えることはなかった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる