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朝顔の悩み③

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 結局その日、金香は部屋で過ごしてしまった。
 「寝ておいで」と言われたものの、体の具合が悪いわけではないので眠たくはない。
 が、外に出る勇気もない。休んで良いと言われたのを良いことに甘えてしまうわけだが、部屋で過ごす。
 ぼんやりしていてもなにも変わらないので文机についたもののなにも書けるわけがないではないか。今まで自分の書いたものをぱらぱらと読み返して、ふう、とためいきをつく。
 自分でも気にいる作、気に入らない作、色々ある。
 そして自分で気に入っても先生には「これはあまり良くない」と言われたり、逆にあまりうまく書けなかったかもしれない、と思っても「ここが良いね」と意外な点を褒められたりするのだった。
 こうしてまた先生のことを考えてしまってためいきしか出てこなかった。
 先生にお逢いしなければならない。
 今日、先生は高等学校へ行かれているはずなので不在なのを知っていた。なので今、真昼間に屋敷にはいらっしゃらない。
 それでも夜は帰ってらっしゃるのだから、そのときこそ必ず。
 とは思うのだが。
 それまでに勇気を出す……というか、心を決めないといけないというのは、やはり怖気づいてしまう事態であった。
 書いたものを見返しているうちに、ふと思った。
 自分が得意なことは文を書くこと。
 言えないのであれば文で書いてみたらどうだろう。
 そしてそれをお渡しして伝えるのだ。
 思いつけばそれは良い考えのような気がした。
 勿論恥ずかしいけれど直接言葉に出すよりはずっとできるような気がする。
 向き合ったらやはり声など出てこないだろう。それなら今、文字にする恥ずかしさに少し耐えて手紙にしてみる。
 少し悩んだものの、とりあえずやってみようと思った。
 文机の前に正座して背筋を伸ばす。なんと書こうか考えた。下書きの半紙を前に。
 考えただけで頭は沸騰してしまったけれどやるしかない。
 まずは昨日のことを謝罪して、次に自分の気持ちをお伝えする。
 それだけのことがとても難しい。
 鉛筆を持つ手は震えた。文字に起こすということは自分の気持ちを視覚化するということなので。
『昨夜は大変失礼いたしました』
 冒頭はあたりさわりがなかった。
『先生のお気持ち、大変嬉しく思います』
 書いてから気付いた。
 『大変』を二度使ってしまった。
 『とても』を表すのにも、同じ表現が並ぶのは理想的でない。
 早速削ることになってしまったこの手紙は前途多難であった。
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