遅咲き鬱金香(チューリップ)の花咲く日

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!

文字の大きさ
上 下
70 / 125

姉妹弟子③

しおりを挟む
 彼女に連れていかれたのは浪漫の香りがする喫茶店であった。
 茶屋ではない。西洋の建築に近く作られているのだろう。暮らし慣れた建物とは随分雰囲気が違った。
 毎回洋装で訪ねてくる彼女なので、なんとなくこのような店が似合うだろうと想像していたが、そのとおりになったというわけだ。
「素敵なお店ですね」
「お気に入りなのよ」
 町中を歩くときに前を通りかかったことはあるものの、入るのは初めてであった金香は、ついきょろきょろと中を見回してしまった。
 一通り見てから、はっとする。子供ではあるまいし失礼だっただろう。
「す、すみません、このようなお店に入るのは初めてで」
「いいえ。見とれてしまうくらい素敵でしょう? たとえば私はそこの絵画が好きなのよ」
 慌てて謝った金香を助けてくれるように、ふんわりと微笑んで彼女は壁にある花の絵を示した。
 なんという花なのか名前はわからなかった。西洋にだけ咲く花なのかもしれないが、とても美しいことに変わりはなかった。
「紅茶でよろしいかしら?」
「あ、はい! よくわからないので……お任せします」
 一任してしまったが彼女は単に頷き、給仕を呼んでなにごとか注文してくれた。
 きっと彼女はこの店では馴染みなのだろう。給仕も「いつものものですね」と微笑んで去っていった。さて、準備はすべて整った。あとはなんとでも音葉さんとお話ができる。
 しかし実際にこのような状況に置かれればやはり緊張してしまって、どう切り出したものか悩んでしまった金香に、音葉さんのほうが先に口火を切ってくれた。
「今日はお誘いくださってありがとう。良い機会だったわ」
「いえ! あの……ずっと、お話してみたいと思っておりましたので」
 躊躇ったものの、正直に言うことにする。流石に下を向いてしまったが、それでも言った。彼女が微笑んだ気配がする。
「本当に? 嬉しいわ」
 そのようなやりとりのあと、彼女が言ってくれた。
「巴さんはもともと寺子屋の先生だったと伺っております。とても良い先生だと」
 どきりとして金香は慌てて手を振った。
「いえ! 先生などとだいそれたものではなく、ただのお手伝いで」
 源清先生ったら一体どのようなことをご説明されたのかしら。
 私には勿体ない表現のような気がするわ。
 心中で言い、正式な教師ではないと言ったのだが彼女は褒めてくれた。
「それでもお子さんにお勉強を教えていたのでしょう? 誰にでもできることではないわ」
「あ、ありがとうございます……」
 褒められればくすぐったい。子供たちに勉強を教えているというのは事実であったので。
 そのあとは音葉さんのことについて教えてくれた。
 彼女の家は名のある商家だそうだ。西洋からの輸入品を扱っているらしい。
 金香はそれで納得した。
 洋装なのもそれが良く似合っているのも、家が西洋と関わり合いがあるからだと思えばむしろ自然である。
 音葉さんは現在、お父上のお店の店番やお母上のお手伝いなどをして過ごしているそうだ。それは商家に生まれた女子にはよくあることであったが、洋風の家はまた少し違った事情があるのかもしれない。
 お母上は近所の方々を集めて談話会のようなことをされているそうだ。そのお手伝いをしているのなら、内弟子に出る余裕はないうえに執筆にかかりきりになることもできないのだろう。彼女の話から金香はそのように推察した。
 音葉さんの家の話の次は、金香に質問がきた。
「巴さんのご家族は?」
「父がおります。荷運びをしていて、あまり家には居ないのですけど」
 それだけで彼女は『金香に既に母が亡い』と察したのだろう。「そうなのですね」とだけ言った。
 ついでに『家族と縁が薄いので内弟子に入った』ということも察されたのかもしれない。「どうして内弟子に?」とは訊かれなかった。
 賢い女性だ、と金香に思わせるにはじゅうぶんな対応である。
 家族の話はそれだけでおしまいになり、次は書きものの話になった。
 ここはなにも気兼ねすることがない。むしろ物を書くことについて女性と話す機会はこれまでほぼなかったために、金香はつい興奮して話してしまった。
 それは音葉さんも同様だったようで、意外なまでに無邪気にころころと笑い、おまけに今日持ってきた『課題の半紙』まで見せてくれた。
 そして話は好きな雑誌や小説、作家のことへ移っていく。
 あら、これはいわゆる『文学談義』だわ。
 話しながら金香はおかしくなった。
 男性がするようなことを。まるで自分まで時代の最先端まで連れていかれたような気がする。
 運ばれてきたかぐわしい香りの紅茶のためもあり。文学談義もひと段落した頃には、窓の外もだいぶ橙に傾いてきていた。
 ここまで愉しく会話してしまったが金香は、はっとした。肝心なことが聞けていない。
 つまり『先生との仲』だ。
 急に腰が引けてしまう。
 訊けやしない。
 「先生と恋仲なのですか」などと。
 しかしそろそろ解散して帰らなければだろう。
 どうしよう、勇気を振り絞るか、それとも。
 そこで彼女が不意に言った。
「巴さんは、好い人はいらっしゃるの?」
 訊かれて金香の心臓が跳ねあがった。
 好い人。
 そんな人はいないけれど。
 それは本当だけれど。
 まさか「先生のことをお慕いしております」などとは言えない。
 恥ずかしいのも勿論あるが音葉さんが先生と恋仲であるのならば、失礼とお邪魔にしかならないだろう。
「お、おりません」
 本当のことを言うのがやっとだった。おまけに彼女の顔も見られない。
「そうなの……不躾にすみません」
「いえ!」
 本当ならここで訊き返すべきだった。
 「音葉さんはいらっしゃるのですか?」と。
 絶好のタイミングであったのに。
 しかしその質問は金香の口から出てこなかった。喉の奥につっかえてしまったように。
 臆病が先に立ってしまったのだ。
 「源清先生とお付き合いしているの」などと言われてしまったら、と。
 いっそはっきり知ってしまえば諦められるなどと思ったことは吹っ飛んでいた。
 知りたくない、恐ろしい、そしてそんなことは厭。
 そのような思考でいっぱいになってしまい、結局そのことについては訊けずにそのまま音葉さんと喫茶店を出て、別れてしまう。
 帰り際、音葉さんは言ってくれた。
「またお逢いしましょうね。私も時たま源清先生のお屋敷をお訪ねしますし、巴さんから訪ねてきてくださってもかまわないわ」
 それを素直に「ありがとうございます」と受けて、そして、帰っていく彼女の後姿を少しだけ見て金香は自分も帰路についた。
 道すがら、自分の臆病さに嫌気がさしてしまった。
 肝心なことも訊けずに、これではお会いした意味がまるで無……くはないけれど。
 考えかけたところで自分の思考を否定する。
 お互いのことを知れたのも良かったし、文学談義も愉しかったし、意外と良い姉妹弟子になれそうなこともわかった。
 気分転換になったのは確かだったので、とりあえず初めてきちんとお話しできただけでも上出来だと思わないと。
 金香はそう思っておくことにして、ここでやっと屋敷での夕餉の支度の時間が迫っていることに気付いて慌てて小走りで帰ったのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

彼の愛した花嫁

恋愛
かつて自分から逃げた彼女を捕まえた俺は… 今度こそ離さないと誓った 陽葵(人)×絃(金色の九尾) 強引ですが完結させました 話がおかしい場面があると思いますが ご了承下さい

【完結】番である私の旦那様

桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族! 黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。 バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。 オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。 気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。 でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!) 大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです! 神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。 前半は転移する前の私生活から始まります。

忘れられたら苦労しない

菅井群青
恋愛
結婚を考えていた彼氏に突然振られ、二年間引きずる女と同じく過去の恋に囚われている男が出会う。 似ている、私たち…… でもそれは全然違った……私なんかより彼の方が心を囚われたままだ。 別れた恋人を忘れられない女と、運命によって引き裂かれ突然亡くなった彼女の思い出の中で生きる男の物語 「……まだいいよ──会えたら……」 「え?」 あなたには忘れらない人が、いますか?──

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

人質王女の恋

小ろく
恋愛
先の戦争で傷を負った王女ミシェルは顔に大きな痣が残ってしまい、ベールで隠し人目から隠れて過ごしていた。 数年後、隣国の裏切りで亡国の危機が訪れる。 それを救ったのは、今まで国交のなかった強大国ヒューブレイン。 両国の国交正常化まで、ミシェルを人質としてヒューブレインで預かることになる。 聡明で清楚なミシェルに、国王アスランは惹かれていく。ミシェルも誠実で美しいアスランに惹かれていくが、顔の痣がアスランへの想いを止める。 傷を持つ王女と一途な国王の恋の話。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

【完結】勤労令嬢、街へ行く〜令嬢なのに下働きさせられていた私を養女にしてくれた侯爵様が溺愛してくれるので、国いちばんのレディを目指します〜

鈴木 桜
恋愛
貧乏男爵の妾の子である8歳のジリアンは、使用人ゼロの家で勤労の日々を送っていた。 誰よりも早く起きて畑を耕し、家族の食事を準備し、屋敷を隅々まで掃除し……。 幸いジリアンは【魔法】が使えたので、一人でも仕事をこなすことができていた。 ある夏の日、彼女の運命を大きく変える出来事が起こる。 一人の客人をもてなしたのだ。 その客人は戦争の英雄クリフォード・マクリーン侯爵の使いであり、ジリアンが【魔法の天才】であることに気づくのだった。 【魔法】が『武器』ではなく『生活』のために使われるようになる時代の転換期に、ジリアンは戦争の英雄の養女として迎えられることになる。 彼女は「働かせてください」と訴え続けた。そうしなければ、追い出されると思ったから。 そんな彼女に、周囲の大人たちは目一杯の愛情を注ぎ続けた。 そして、ジリアンは少しずつ子供らしさを取り戻していく。 やがてジリアンは17歳に成長し、新しく設立された王立魔法学院に入学することに。 ところが、マクリーン侯爵は渋い顔で、 「男子生徒と目を合わせるな。微笑みかけるな」と言うのだった。 学院には幼馴染の謎の少年アレンや、かつてジリアンをこき使っていた腹違いの姉もいて──。 ☆第2部完結しました☆

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

処理中です...