上 下
32 / 125

先生のご自宅へ⑥

しおりを挟む
「少し待っていておくれ」
 金香の差し出した半紙が十枚以上あったからだろう、読むのに時間が欲しいという意味らしきことを言われた。
 ご自分の文机なのだろう、使い込まれているそれに半紙を置き、めくっていく。
 金香は「はい」と言ったきり静かにしていた。
 目の前で自分の書いたものを読まれるのはやはりくすぐったい。が、源清先生の視線が自分の書いたもの……つまり自分の一部をまじまじと見てくださっていることに幸せを覚えてしまうのだった。
 待つ間、下女がお茶のおかわりを持ってきてくれた。
 それはきっと金香が喉を渇かせてここへきたことを察されたからだろう。
 言いつけられていたのか下女本人の気遣いなのかはわからない。それでも有難かったのでお茶をいただく。やはりかぐわしい香りがした。
 十分ほどが経っただろうか。源清先生がやっと半紙から顔をあげて金香を見た。
 その表情に金香はどきりとしてしまう。先生の浮かべていた表情が嬉しそうであったので。
「随分愉しい話に出来上がったね。つい読みふけってしまったよ」
 楽しんでいただけた!? 金香は心臓をひとつ高鳴らせるほどに驚いた。
「先日拝見したものは断片であったのに、随分はっきりと小説になっている。あれから組み立てなおすだけでなく、そのあとのことまで書かれていて驚いたよ」
 源清先生のお言葉は以前に言ったように『お世辞ではない』のだろう。それがはっきりわかるほど彼は愉しそうであった。そのような様子を見せられてはだいぶくすぐったい。
「こ、光栄です……」
「教材のものは、半紙二枚であったろう。それがここまで膨らむとはね」
 源清先生は感嘆したという調子で言ってくださり、そのあとは添削となったのだが。
「こちらへおいで。そこからでは見えないだろう」
 招かれてもうひとつ金香の心臓が跳ねた。
 当たり前だ、離れていては添削の様子を拝見することができない。が、これ以上近付こうなどと。
 それは『苦手としている男性へ近づくことの不安』と『尊敬する方へ近づくことの緊張』と、『未だ自覚されていない彼への想い』などがごちゃごちゃに交じり合ったものであるが、ひとことでいうなら、非常にどきどきしてしまうものであった。だが仕方がないだろう。
「し、失礼……します……」
 勇気を出して金香はそろそろと膝を進めた。おそるおそると、なんとか文机の上の半紙が見えるところまで近付く。
 少し悩んだ。しかしこれ以上は緊張と恐れ多さで無理だった。
 源清先生ももう少し近くへ来てほしかったのだろう。そのほうがよく見えるのだから。
 きっとそのような思いであろう視線で金香をちらりと見たが、金香が年頃の女性であることは良く知っているのだ。無理強いすることはなかった。
 これ以上招かれなかったことに、ほっとする。
しおりを挟む

処理中です...