11 / 125
添削の時間②
しおりを挟む
「失礼します」と、ノックをして引き戸を開ける。
「ああ、……巴さん」
足を踏み入れる前に金香はどきりとしてしまった。
やわらかなその声で名前を呼ばれてしまったので。
子供たちの勉強を見ていたときと少し違う色を帯びているように感じた。それはとても優し気な。
いえいえ、そんなのは勘ぐりだから。元々優しいお声でいらしたじゃない。
金香は自分に言い聞かせ、少し躊躇ったものの先生の文机に近付いた。
「もうすぐ終わるよ。皆、よく書けている」
先生の前には半紙がたくさん散らばっていた。子供たちの書いた作文。
赤で書き込みがたくさん。これほどしっかり見てくださっている。
勉強が終わり、子供たちが帰り支度をして解散してからそれほど時間は経っていないのに、なんと筆がお早いことか。
「お、お邪魔してもよろしいですか」
「はい、勿論」
隣に腰を下ろしても良いか。
またしても躊躇ったものの、立ったままのほうが失礼だろう。金香は思い切って問う。
源清先生は当たり前のように答えてくれた。
「普段は巴さんが見ているのかな」
一枚の半紙にさらさらと赤鉛筆を走らせながら源清先生に問われる。
訊きながらも書けるとは。
複数のことを同時におこなえることに感心しながら金香は頷く。
「はい。未熟ではありますが」
「そのようなことはないよ。少なくとも、本日拝見した限りでは」
「勿体ないお言葉です」
ぽつぽつとやりとりをしながら源清先生は赤鉛筆を動かしていった。
金香はその様子をじっと見つめる。
自分もそこから勉強させていただくつもりだった。
源清先生の文字は非常に整っていた。
字はしっかり力を持っていて、男性的である。しかし雑なところはなく、とても読みやすい。
そして漢字をあまり使っていなかった。
子供にも読みやすいようにかしら。
思った金香だったが、半紙が取り換えられていくうちに、そうではないことに気が付いた。
先生は、使い分けているのだ。半紙に書かれている文の、熟成具合で。
幼い、まだ漢字もあまり知らぬ子の半紙には平仮名で。
逆にだいぶ漢字を覚えてきた子の半紙には少し難しい漢字も入れて。
一読しただけでそれに合わせておられる。感嘆した。
自分とて合わせることはできるだろう。
しかしそれは一読しただけではできない、と思う。毎日子供たちと接しているからできることだ。
この子は幾つくらいだからこのくらいの漢字を知っているとか。
この子は文を書くのが苦手だから難しい漢字はあまり使わないようにするとか。
日々の経験からきているものなのである。
源清先生はそれがほぼ無いというのに金香以上に的確な使い分けであった。金香は見事な添削の様子に見入ってしまう。
「さて。これですべてだ。明日は勉強があるのかな」
「あ、は、はい!」
最後の半紙を積んだ紙の上に置いて。
源清先生は金香を振り向いた。
見入っていた金香は、急に視線を向けられて驚いてしまう。
「……はい。文の時間もあります。そのときに子供たちに配って、もう一度繰り返してみようと思います」
「それが良いね。書き込みを読むだけではあまり進歩にならないから。自分の手で、もう一度書いてみるのが良いと思うよ」
自分の指導方針を述べた金香に、源清先生はにこりと笑ってくれた。
肯定されたことで金香はほっとした。小説家の先生に、指導を『良い』と言われたことに嬉しくなる。
そして思った。
この人は他人の言うことを否定しない。
どんなことでも一度受け止めてくれる。
自分の意見を言うのはそのあとだ。
それはとても容量の大きいことだ、と金香は感じた。
「先生にまた見ていただければ、どんなに子供たちの勉強が進むでしょう」
「そう言っていただけると嬉しいな」
「ああ、……巴さん」
足を踏み入れる前に金香はどきりとしてしまった。
やわらかなその声で名前を呼ばれてしまったので。
子供たちの勉強を見ていたときと少し違う色を帯びているように感じた。それはとても優し気な。
いえいえ、そんなのは勘ぐりだから。元々優しいお声でいらしたじゃない。
金香は自分に言い聞かせ、少し躊躇ったものの先生の文机に近付いた。
「もうすぐ終わるよ。皆、よく書けている」
先生の前には半紙がたくさん散らばっていた。子供たちの書いた作文。
赤で書き込みがたくさん。これほどしっかり見てくださっている。
勉強が終わり、子供たちが帰り支度をして解散してからそれほど時間は経っていないのに、なんと筆がお早いことか。
「お、お邪魔してもよろしいですか」
「はい、勿論」
隣に腰を下ろしても良いか。
またしても躊躇ったものの、立ったままのほうが失礼だろう。金香は思い切って問う。
源清先生は当たり前のように答えてくれた。
「普段は巴さんが見ているのかな」
一枚の半紙にさらさらと赤鉛筆を走らせながら源清先生に問われる。
訊きながらも書けるとは。
複数のことを同時におこなえることに感心しながら金香は頷く。
「はい。未熟ではありますが」
「そのようなことはないよ。少なくとも、本日拝見した限りでは」
「勿体ないお言葉です」
ぽつぽつとやりとりをしながら源清先生は赤鉛筆を動かしていった。
金香はその様子をじっと見つめる。
自分もそこから勉強させていただくつもりだった。
源清先生の文字は非常に整っていた。
字はしっかり力を持っていて、男性的である。しかし雑なところはなく、とても読みやすい。
そして漢字をあまり使っていなかった。
子供にも読みやすいようにかしら。
思った金香だったが、半紙が取り換えられていくうちに、そうではないことに気が付いた。
先生は、使い分けているのだ。半紙に書かれている文の、熟成具合で。
幼い、まだ漢字もあまり知らぬ子の半紙には平仮名で。
逆にだいぶ漢字を覚えてきた子の半紙には少し難しい漢字も入れて。
一読しただけでそれに合わせておられる。感嘆した。
自分とて合わせることはできるだろう。
しかしそれは一読しただけではできない、と思う。毎日子供たちと接しているからできることだ。
この子は幾つくらいだからこのくらいの漢字を知っているとか。
この子は文を書くのが苦手だから難しい漢字はあまり使わないようにするとか。
日々の経験からきているものなのである。
源清先生はそれがほぼ無いというのに金香以上に的確な使い分けであった。金香は見事な添削の様子に見入ってしまう。
「さて。これですべてだ。明日は勉強があるのかな」
「あ、は、はい!」
最後の半紙を積んだ紙の上に置いて。
源清先生は金香を振り向いた。
見入っていた金香は、急に視線を向けられて驚いてしまう。
「……はい。文の時間もあります。そのときに子供たちに配って、もう一度繰り返してみようと思います」
「それが良いね。書き込みを読むだけではあまり進歩にならないから。自分の手で、もう一度書いてみるのが良いと思うよ」
自分の指導方針を述べた金香に、源清先生はにこりと笑ってくれた。
肯定されたことで金香はほっとした。小説家の先生に、指導を『良い』と言われたことに嬉しくなる。
そして思った。
この人は他人の言うことを否定しない。
どんなことでも一度受け止めてくれる。
自分の意見を言うのはそのあとだ。
それはとても容量の大きいことだ、と金香は感じた。
「先生にまた見ていただければ、どんなに子供たちの勉強が進むでしょう」
「そう言っていただけると嬉しいな」
0
お気に入りに追加
21
あなたにおすすめの小説

【完結】番である私の旦那様
桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族!
黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。
バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。
オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。
気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。
でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!)
大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです!
神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。
前半は転移する前の私生活から始まります。

忘れられたら苦労しない
菅井群青
恋愛
結婚を考えていた彼氏に突然振られ、二年間引きずる女と同じく過去の恋に囚われている男が出会う。
似ている、私たち……
でもそれは全然違った……私なんかより彼の方が心を囚われたままだ。
別れた恋人を忘れられない女と、運命によって引き裂かれ突然亡くなった彼女の思い出の中で生きる男の物語
「……まだいいよ──会えたら……」
「え?」
あなたには忘れらない人が、いますか?──
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

人質王女の恋
小ろく
恋愛
先の戦争で傷を負った王女ミシェルは顔に大きな痣が残ってしまい、ベールで隠し人目から隠れて過ごしていた。
数年後、隣国の裏切りで亡国の危機が訪れる。
それを救ったのは、今まで国交のなかった強大国ヒューブレイン。
両国の国交正常化まで、ミシェルを人質としてヒューブレインで預かることになる。
聡明で清楚なミシェルに、国王アスランは惹かれていく。ミシェルも誠実で美しいアスランに惹かれていくが、顔の痣がアスランへの想いを止める。
傷を持つ王女と一途な国王の恋の話。

好きだった人 〜二度目の恋は本物か〜
ぐう
恋愛
アンジェラ編
幼い頃から大好だった。彼も優しく会いに来てくれていたけれど…
彼が選んだのは噂の王女様だった。
初恋とさよならしたアンジェラ、失恋したはずがいつのまにか…
ミラ編
婚約者とその恋人に陥れられて婚約破棄されたミラ。冤罪で全て捨てたはずのミラ。意外なところからいつのまにか…
ミラ編の方がアンジェラ編より過去から始まります。登場人物はリンクしています。
小説家になろうに投稿していたミラ編の分岐部分を改稿したものを投稿します。

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される
風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。
しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。
そんな時、隣国から王太子がやって来た。
王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。
すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。
アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。
そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。
アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。
そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる