ばらがき辰の祓い道

さよならのキスを

⑤

「じゃ、行くか」

　長く続いたようなキスを解いて、辰之助は少し寂しそうな表情と声になったけれど、私の手を取ってくれた。

「はい。……ありがとうございました」

　私はその手を借りて、桟に足をかける。

　今はもう靴だった。ここにやってきたときの、あの世界での服に戻っていたのだ。
　着慣れた服。それも元の世界へ連れていってくれる気がして。

　数秒、私は桟に立っていた。辰之助の手のあたたかさを刻みつけるように。

　そうしてから、横を見る。
　見下ろす形になった。
　辰之助はもう、なにも言わなかった。
　ただ、優しい微笑だけが私を見守っている。
　その瞳に勇気づけられるように、私も笑みが浮かんでいた。
　たっ、と桟を蹴って、宙に浮く。辰之助の手が離れた。
　浮遊感が私を包んだけれど、それは一瞬だった。

　ふわり。

　あたたかな感覚が私を包む。
　私ははっきり知った。

　このまま帰れるのだ。元の世界へ。
　ずっと帰りたかったと思う場所へ。
　私が本来、いるべき場所へ。

　その場所にたどり着くべく、私は目を閉じる。
　その中で思った。
　私の居場所は、あの世界ではなく、現代日本だけれど。


　きっとこの世界での体験は、私が元の世界と生活に戻っても、私の中で大切な想い出として残るだろう。