ケモノグルイ【改稿版】

風炉の丘

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ヘビアシ

1 闇ノ庭園(ヤミのテイエン)

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 夜明け前……
 何百もの骸が横たわる、血塗られた庭園で……
 ザックもまた、その身体を血の海に沈め、息絶えようとしていた。

 へへ…… まいったね……
 身も心もボロボロだ… もはや立ち上がる気力もない……
 いや……それでも…… 原形を留めているだけマシか…
 アンティおじちゃんに… 殴り殺された時よりは… はるかに…な…
 くそ…… まぶたが重い…… 

 管理者は…… 寿命だったらしい… 戦いの中… 喜んで死んでいった……
 ベル妖精は… 無事だと良いが…… 途中ではぐれちまった……
 オレももうじきか…… 誰が迎えに来てくれるだろうな……
 楽しみだ……ぜ……
 ……………
 ………
 …




「オハジキさん!」

 突然… 声がした…
 叫び声…… 子供の声…… 多分…少年……
 必死にまぶたを開けるが… 周囲はまだ暗い……
 何故……子供が…… こんな時間…… に?……
 屋敷の近くに… 人家はない…
 宿無しの浮浪者でも…… 迷い込んだか…… ?…

 いや…… 子供だけじゃない……
 若い女も…… いる…… 二人で何か…… 口論している……
 母子か… 姉弟か… なんであれ……

 明らかに、おかしい!

 何者…… だ?……
 敵か?… オーガか?…
 排除…… せねば……

 朦朧としていたザックの意識が、危機感によって覚醒していく。
 だが、体が自由に動かない。血を流しすぎたのだ。
 得物はある。コートに仕込んだ予備も残っている。
 しかし攻撃は、出来ても一撃か二撃が限界だ。
 どうする?
 待ち伏せるか? 偶然にも都合良く近づいてくれる事に期待して? 無理だな。
 だったら、うめき声の一つでもあげて、おびき寄せた方がいい。
 油断して近づいてきたところを、不意打ちの一撃で……
 成功しても倒せるのはせいぜい1人。もう1人に反撃されてお終いだ。
 せめて分断できれば勝機もあるが……

 すると…… 何たる幸運か!
 天がザックの望みを叶えたかのように、2人は別行動を取り始める。
 1人は屋敷へと向かい、もう1人は庭園に留まったのだ。
 絶好のチャンスだった。
 ザックはタイミングを見計らい、なるべく自然な感じで、うめき声を上げる。
 静寂が支配する暗闇で、その声は予想以上に響いた。
 途端に足音が迫ってくる。おびき寄せは成功だ。
 程なくして、ザックの視界に入ってきたのは、若い娘だった。
 周囲を見回す彼女を、ザックは観察する。
 長身で白い肌のうら若き眼鏡美人。安物のドレスを着ているが、キッチリとした身なりで、スカートは足首が隠れるほど長い。
 この娘、ただ者ではない。ザックの暗殺者としての感が、そう訴える。
 だが、場違いだ。その装備が、その服装が、実戦に不向きなのは明らかだった。
 どちらかと言えば、町に潜り込んで調略に勤しむスパイと言った方が……
 スパイ?
 そういえば、あの子のために“野薔薇ノ王国”から、少数精鋭の救出部隊が来ているという話だった。
 この娘がそうなのだろうか?
 娘はキョロキョロと見回し、屍を一つ一つ確かめて回り、やがて……


 ザ ッ ク と 目 が あ っ た


 驚愕の顔。
      長い沈黙。
           激しい憎悪に輝く瞳。
                     そして口元が美しく歪む。

「あら♪ あら♪♪ あら♪♪♪ まあ♪ まあ♪♪ まあ♪♪♪」
 娘は恍惚な笑みを浮かべ、感嘆の声を上げた。
「どなたかと思えば、ワタクシ達のスーパーアイドル、“ザック・ザ・リッパー”じゃございませんか♪」
 どうやら娘はザックを知っているようだが、ザックは彼女を知らなかった。
 こんな鋭い目をした眼鏡美人なら、人目見れば忘れない。
「こんな所でお会いできるなんて、感激ですわ♪ 我が祖先、海の女神ネレイデスに感謝いたします♪」
 だが、名前はどうだ? さっき、子供が彼女の名前を呼んでいたような……。確か、オハジキサンだったか……
 オハジキサン…… オハジキ…… ハジキ……
「本当に、本当に、感激ですわ♪ 貴方に復讐できるなんてっ♪」
 そう言うが否や、娘は長いスカートをたくし上げ、ヒールでザックの足を踏みつけた。
「ぐっ! うぅ…」
 ピンポイントに傷口を狙われ、激痛が走る。流石のザックもうめき声を漏らしてしまう。
「そう♪ そうですわザック様♪ もっと貴方様の声を聞かせてくださいまし♪ ここはワタクシと貴方様の二人きり♪ もっとお声を出して鳴いてくださいまし♪」
 発情したかのように顔を紅く染め、喜び勇んで傷口を攻め立てる。とんでもないドS嬢である。
 加虐的な快楽に溺れる彼女は隙だらけで、不意打ちにはまたとないチャンスだった。
 だが……、ザックは絶好の機会に得物を手放した。その代わりに……
「あんたハジキか。“野薔薇ノ王国”のエージェント…だろ?」
  眼鏡美人の動きが止まった。
「風の噂に聞いたことがある。お人好しだらけの王国公安部の中に、1人だけ、目的のためなら命もいとわない鉄砲玉みたいな娘がいるってな。その名もエージェント・ハジキ。名前通りのヤバイヤツだと」
 傷口責めを止め、足を下ろしてスカートを整えると、彼女はプイとそっぽを向く。
「まったく……お坊ちゃまが大声で叫ぶから……。しょうのない子ですわね」
 ザックは確信した。彼女こそが救出部隊だ。
 ならばもうオレは用無しだ。無理に生き残る必要は無い。あの子の幸せを信じ、このまま朽ち果てよう。
 あるいは、エージェント・ハジキに殺されても良い。彼女は復讐を望んでいる。オレは殺し屋。恨まれて当然の人生だ。オレを殺して無念を晴らせるものが1人でもいるなら、オレには十分に殺される価値がある。

「先生!! 見つけたよっ!!!」

 突然、遠くから子供の声が聞こえた。もう一人の片割れか。どうやらあの子を見つけたようだ。
「あら、残念♪ もう少しザック様とはもう少し、二人きりでオトナの時間を過ごしていたかったのですけれど……、ここでお別れですわね♪」
 エージェント・ハジキは、手提げカバンからペンを取り出すと、ザックに向ける。
 彼女はスパイ。見た目はペンでもスパイグッズの可能性は高い。きっと別の用途が隠されているのだろう。例えば暗殺用とか。
 覚悟を決めたザックは、目を閉じた。途端に体に異変が生じ、意識が遠のいてゆく。

「ご き げ ん よ う ♪」

 最後に彼女の言葉が脳裏に響いて……
 ザックは何も分か…なく……
 ………
 …
 
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