ケモノグルイ【改稿版】

風炉の丘

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【4】アトシマツ

4-2 兄貴と一緒に

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「本気……なんですか、ザック坊や」
 アンティは不安げに声をかけるが、ザックに返事はない。紫に変色した手を眺めるばかりだ。
 もう一度声をかけると、苦笑いを浮かべながら振り返った。
「なあ、アンティおじちゃんよ。懐かしむのは分かるんだけど、そろそろ坊や扱いは勘弁してくれないかね。こちとら、40代後半のおっさんだぜ?」
「何千年と生きている私からすれば、たったの40年で大人扱いは出来ません。せめて百年は生きていただかないと」
「って事は、百歳越えのジジイになっても坊や扱いかい。ははっ♪ まいったねこりゃ」
「それよりザック坊や。本当にやり合うつもりなんですか?」
「そのつもりだが。………何か不味いかな?」
「当たり前です! 不味いに決まっているでしょう! 相手は千人ですよ! 多勢に無勢です! 言葉の意味、知っていますよね?」
「いやぁ、オレは兄貴と違って馬鹿だからなぁ♪ さ~っぱり分からねぇ♪」
 目を逸らし、とぼけた声で答えるザック。その顔に危機感は無い。
「坊やは最高の殺し屋です! 有象無象が相手なら千人斬りとて容易いでしょう! しかし、腕に覚えがあるのは坊やだけではありません!
 今、屋敷を囲んでいるのは、"オーガ"の手先か、富豪に雇われた裏の仕事のスペシャリストです。表社会を追われ、弱肉強食の裏社会で、実力のみを頼りに生き延びてきた猛者ばかり。それが千人も集まっているのですよ!」
「つまり、帝国の害虫共が餌に釣られて集まってるって事だろ? 結構なことじゃないか。心を傷めず殺せるからな♪」
「倫理的な問題ではありません! 坊や独りで迎え撃つのが無謀だと言っているのです! 私はボスを説得できなかった。養子になったモナカちゃんに使役する計画は失敗しました。今の私は、坊やに助太刀出来ないのですよ」
「気にする必要なんて無いさ。妖魔の事情なんざ知ったこっちゃ無いし、もとより期待なんかしちゃいない。それよりよおじちゃんよ、1つだけ間違ってるぜ。オレは独りで戦うんじゃない。ジェイクの兄貴と一緒なんだぜ♪」
「え……いや、でも、ジェイクさんは……」
 思いがけない言葉に、アンティは動揺する。
 ジェイクは間違いなく死んだのだ。目の前で死んでゆく様を見届けたのだから…

 ジェイクとキュベリが最下の大広間で対峙したあの時、アンティは姿と気配を消して、そっと様子を見ていた。
 モナカちゃんを救い、ザック坊やに味方し、そしてフランツを立ち直らせる手伝いをしてくれる“共犯者”が欲しかったからだ。
 モナカちゃんに“魅了”された二人なら、力を貸してくれるかもしれない。そんな期待があった。
 だが、アンティが姿を現そうとしたその刹那、二人は言葉を交わすことなく殺し合い、相打ちで倒れた。説得する間もなかった。
 蘇生すればまだ間に合う。しかし、この時のアンティに救える命は一人だけだった。
 ジェイクとキュベリ、どちらを救うべきか……

 キュベリは駄目だ。問題外だ。モナカちゃんの暴走する“魅了”に完全に支配され、愛の狂気に囚われてしまった。
 モナカちゃんを独占するために、大切にしていた部下を全員爆殺した。アンティも妖魔でなければ、巻き添えを食らった時に死んでいただろう。回復薬もこの時全て失った。そして何より、親友カンタァを殺された恨みがあった……。
 もはや百害あって一利なし。だからアンティはキュベリを見捨てた。

 しかしジェイクは違う。モナカちゃんの"魅了"に支配されながらも、理性的だった。彼ならモナカちゃんとザック坊やの助けになるに違いない。しかし回復薬が失われた以上、ジェイクを救うには"奥の手"を使う他なかった。
 ザック坊やの命も救った"奥の手"。これで対象の魂を掴めば、冥府に連れ去られず、魂を現世に止め置く事が出来る。あとは肉体を修復し、魂を戻せばジェイクは蘇る。本来は命ある者を支配し配下とする、魔王ならではの技であった。
 死んだ直後なら、まだ魂は肉体の側にいる。アンティはジェイクのもとへと駆け寄った。ところが、思いがけないことが起こる。
アンティの目の前にあどけなさを残した少女が現れ、両手を広げてアンティを制したのだ。
 今にも泣き出しそうな顔をアンティに向け、ジェイクをかばうように立つ12~3歳の少女。死神にしては可愛らしすぎるが、彼女の目的がジェイクの魂であることは明らかだった。
「どいてください死神さん。私達にはまだ、ジェイクさんが必要なんです」
 しかし死神少女は必死に首を振り、アンティに訴える。その言葉は声にならなかったが、脳内に直接響いた。
(ジェイクは必死に戦ってきたの! ずっとずっと独りで戦ってきたの! だからもう楽にしてあげて! ザックもあの子も大丈夫だから!)
 その姿、その声、その言動。アンティは死神の正体をやっと思い出す。
 ジェイクの大切な人、ウェンディだった。
 40年前に死んだ恋人が、死神の代わりに迎えに来たのだ。
 これ以上、生と死で2人を別つ事が出来ようか。アンティは黙って2人を見送った。せめて冥府で幸せになるよう祈りながら……

 アンティは"千里眼"でザックの背後を見る。
 しかし、守護霊らしき影の中にジェイクの霊はいなかった。
 当然だ。今、ジェイクの魂はウェンディと共に冥府にある。アンティ自ら見送ったのだから間違いない。
 では、どういう意味なのだ?
「兄貴と一緒に」とは一体……
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