ケモノグルイ【改稿版】

風炉の丘

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【4】アトシマツ

4-1 待ち人

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 はて、"騒々しい"の対義語はなんだったか。"静々しい"? そんな言葉あったっけ。
 ドアを閉めて間もなく、アンティは屋敷の違和感に気付く。静かすぎるのだ。
 さっきまでいたファミリーの手下達はどうした? 眠っているのか?
 アンティは"千里眼"で屋敷をサーチする。しかし、フランツを除けば地下倉庫のモナカちゃんしか見あたらない。
 ……いや、一人いる。正面玄関のドアの外。壁にすがって正門の方角を眺める男がいる。リラックスしている感じから、待ち伏せしているようには感じられない。そこで誰かを、もしくは何かを、待っているようだ。
 正面玄関に辿り着いたアンティは、ゆっくりとドアを開ける。そして振り返った男にニッコリと微笑みかけた。
「お待たせ……しましたか?」

 待っていた男はヨレヨレで血まみれだった。返り血なのか、コートからは血が滴り落ちている。
 帽子を深く被っているせいで顔は見えない。一体何者なのか。もしかして……

「なに、オレも今来たところさ。で? 首尾は?」
「残念ながら、モナカちゃんを養子に迎えてはくれませんでした」
「そっか。ま、しょうがないわな。"名誉なんざクソ喰らえ"がボスのモットーだしな」
「それよりも、どんな魔法を使ったんです? あんなに沢山いた手下達はどこへ消えたんです?」
「コイツは意外だね。自慢の"千里眼"で確かめられないのかい?」
「残念ながら、全てが見渡せるわけではないんですよ。想定外のものは結構見落としてしまうんです」
「ハッハッハッ♪ そりゃいいや。じゃあ、オレが黙っていれば謎は解けないって事かい♪」
「イジワルしないで教えてくださいよ」
「よっし、じゃあ種明かしといこうか。この屋敷にゃ、秘密の地下道があるのさ。本来は抜け荷用のものだったんだが、もしもの時の脱出経路として隠してたんだ。幹部以上の者しか知らされてなかったから、みんな驚いてたぜ」
「なんと! 秘密の地下道!? それは盲点でした」
 アンティは改めて"千里眼"を使って地下道を探す。すると確かに、地下を遠ざかる人々の列が確認出来た。
「出口で待ち伏せでもされてない限り、あいつらは無事に逃げおおせるだろうよ」
「よかった。これで犠牲は最小限で済みますね」
「ああ。あいつらも大概な悪党だが、まだ若い。それに、ファミリーが"オーガ"の下部組織だなんてまったく知らないからな。ここで無駄死にする必要なんて無いさ」
「流石は情に厚いお人だ。貴方に説得を頼んで正解でした♪」
 男は大きなため息をつくと、アンティに悪態をつく。
「勘弁してくれよ! ボスにしろ、お前さんにしろ、何で今夜に限ってオレなんかに説得を頼むんだ? 殺し屋のオレによ?」
「それはですね……」
 アンティは優しい笑顔で、血まみれの男の問いに答える。
「貴方に人望があるからですよ。ザック坊や♪」

 間違い無かった。彼は殺し屋ザックだ。
 我らが“ザック・ザ・リッパー”は、今なお健在だったのだ。
 あの時、ザックに何があったのだろう?

「だから、今さら坊やは勘弁してくれって言っただろ。アンティおじちゃんよ」
「貴方だって私をマンモス坊やと呼んでたじゃないですか。おあいこです♪」
「へいへい」
「それにしても、短時間でよくぞ部下達を説得できましたね。正直驚きましたよ」
「『オーガの奴らが群れを成して攻めてくる』『ジェイクの兄貴もキュベリとそのチームもみんな殺られちまった』ってのを、血まみれのオレが言えば、否が応でも説得力が出るってもんさ。気を読めるヤツなら屋敷を取り囲む殺意にも気付くしな」
 アンティは"千里眼"で屋敷の周囲を見渡す。
「どれくらい集まってる?」
「ざっと見て、千人くらいでしょうか」
「はははっ♪ そいつはいい。あいつらを逃がして正解だったぜ。そんな数を相手にしたんじゃ、肉楯にすらなりゃしねぇ」
 ザックは楽しそうに笑う。
「ボスと違って貴方は慕われている。部下の中には、残ろうとした者もいたのでは?」
「そう言う輩は片っ端からぶん殴って言ってやったよ。『足手まといだ』ってな。ま、事実だしな。これを気に、足を洗ってまっとうに生きてくれりゃいいんだが」
「どこまでもお優しいお人だ。ご立派に育ちましたね」
「ご立派ねぇ。まあ確かに、辺り構わず殺しまくるサイコパスボーイが、分別ある殺し屋になったわけだから、ずいぶんマシではあるけどな。何もかもアンティおじちゃんのおかげさ。それはそれとして……だ。オレは今、モーレツに腹を立てているんだぜ」
「え? 私にですか? 一体なんです?」
「これだよこれ!」

 ザックは帽子を脱ぎ、自分の頭をアンティに見せる。
 彼の頭は半分が陥没していた。それは明らかに致命傷である。
 ザックは間違いなく死んでいたのだ。

「何でオレは、殺されなきゃならなかったんだ!? マジで死ぬほど痛かったんだが!!」
「だって、モナカちゃんを殺そうとしたでしょう。幼気な少女の命を奪うなんて、許されるわけ無いじゃないですか。死んで当然です」
「あのときゃ、他に方法が無かったんだからしょうがないだろ! そもそもだ! おじちゃんがとっとと正体を明かしてたら、余計な苦悩なんてしなくて済んだんだよ! …ってコラ! 目を逸らすんじゃない!!」
「ははは♪ 申し訳ありません。白状しますと、モナカちゃんとは関係なく、ザック坊やには死んでもらわないといけなかったんです」
「そりゃまた、なんでよ」
「ボスとは長い付き合いですからね、私が嘘をつくとすぐに気付かれてしまうんです。だからボスを説得するには、貴方を本当に殺すしかありませんでした。仕方なかったんです」
「そんな理由かよ。ま、いいけどな」
「え!? いいんですか?」
「終わったことだ。それより今の方がよっぽど大事だしな。それで教えて欲しいんだが、今のオレって生きてるのか? それとも死んでるのか?」
「心臓は止まっていますし、痛みも感じないでしょう? したがって生物としては死んだ状態です。しかし魂は肉体に留まっている。私の能力で死神に奪われないよう保護していますからね。冥府に連れ去られていない以上、魂は生きていると言えます」
「つまり、生きる屍ってことか」
「ですが、貴方の肉体は修復を続けています。修復さえ完了すれば、ちゃんと人間として生き返りますよ。そうですね……あと5分くらいで完了します」
「そうかい。そりゃ良かった。じゃあオレは、ゾンビとしてじゃなく、一人の人間として"オーガ"共と戦えるって訳だ。嬉しくなるね」

 紫に変色した自身の手を眺めながら、ザックはニヤリと笑う。
 生きていた時のザックは、目が死んでいた。
 だけど今、死んでいるはずのザックは、その瞳を燃えるように激しく輝かせていた。
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