ケモノグルイ【改稿版】

風炉の丘

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【3】アイ、エニシ、ワカレ

3-8 アンティ、動く

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「さあさあアンティ♪ お前も一緒に飲んでくれ。祝いの酒だ♪」
 ボスはとっておきの酒を開け、グラスに注いで渡す。そこで初めて、アンティの沈んだ顔に気がついた。
「おい、どうした? 浮かない顔だな。……そういやぁ、ザックのヤツはどうした? 帰っちまったのか?」
「ザックさんは……。いえ、ザック坊やは……。殺しました……」
「殺した? お前が? マジで?」
「はい…・」
 確かにボスは、ついでにザックも死んでくれればと期待はしていた。
 まさかアンティが自ら手を汚すとは、思いもよらなかった。
「一体何があったんだ?」
「裏切りです。ジェイクさんがケモノビトの子を奪うことで反旗を翻したように、ザック坊やはケモノビトの子を殺すことで、反旗を翻そうとしました」
「そりゃ……確かに殺すしか無いわな。だがしかし、何でそんな事になっちまったんだ?」
「ジェイクさんの計略が成功して、ザック坊やの本来の記憶が戻ってしまったんです。"オーガ"への恨みを思い出したザック坊やは復讐を考え、ケモノビトの子を殺すことが一番の嫌がらせだと結論付けたようです」
「流石は殺し屋だな。とんでもねぇ事を考えやがるぜ」
 確かに"商品"を亡き者にすれば、秘密結社"オーガ"が何より大事にする儀式を台無しにできる。兄貴と慕うジェイクの敵討ちにもなるし、ボスも無事では済まないだろう。最高に最悪の嫌がらせとなるだろう。確かに間違いではない。間違いではないが……。その為に、何の罪もない無垢な少女を、救うのではなく、殺すとは……。アンティがザックを殺すのも納得だ。
 だが、しかし……
 ボスは考える。いつもの悪巧みが脳裏を横切る。
 これは、またとないチャンスなのではないか?
 アンティを今しばらく使役し続ける、またとないチャンスなのではないか?

 ボスが"アンティ"と名付けたその妖魔は、ボスではなく、ボスの一族に使役する妖魔だ。先祖代々受け継がれ、そのバトンはボスの子供へと受け継がれるはずだった。ところが、だ。
 40年前、ボスの一人息子は、"アンティ"が受け継がれる前に、突然自然死してしまう。息子を溺愛していた妻も後を追い、首を吊った。何もかも失い、独り残され、失意のどん底にいたボスの前に現れたのが、"マダムオーガ"だった。
 妖艶な彼女は「"オーガ"には貴方が必要です」と甘く囁き、空虚となったボスの心の隙間に入り込む。そして"アンティ"を支配し続ける方法をアドバイスした。
「簡単な事ですよ♪ お世継ぎ作りを引き延ばせばよいのです♪ その間、妖魔はずっと貴方のしもべですよ♪」
 もちろん限度もある。実際、いつまでも子作りをしないボスに、アンティは素直に苛立ちを見せていた。
「貴方に子供が出来ないなら、養子でも構いません! それも嫌だと言うのでしたら、使役もこれまでです! ご先祖の勇者との約束は破棄して、私は魔王に戻ります!」
 そんなアンティを必死になだめ、なんとか40年従えさせてきた。流石に限界だ。ボスも70歳。頑張ればまだ子作りは可能かもしれないが、腹上死の危険もある。だから、アンティをなだめるために約束を交わしたのだ。
「分かった。この任務が無事完了すれば、ワシも養子を取ろう。お前が望む通り、ザックをワシの息子にする」と。
 しかしザックは死んだ。しかも殺したのは、よりによってアンティだ。これなら文句は言うまい。
 ボスは表向き悲しみに暮れ、アンティに同情するが、心の奥底では高笑いが止まらなかった。
 新たな養子候補が決まるまで使役させよう。今しばらく役に立ってもらうぞ、アンティ!

 必死に笑いをこらえるボスを眺めながら、アンティは40年前に思いを馳せる。
 あの頃、アンティは失意のどん底だった。やっと生まれたボスの子が、突然死んでしまったのだ。
 自分が側にいれば護れたのにと心底悔やんだ。その不自然な自然死を疑う余裕すら無くすほどに、アンティは落ち込んだ。
 そんなある日だ。ボスが子供を連れてきた。
 死んだ目の中に狂気をはらみ、ただならぬ気配を漂わせる幼き男の子。ザック坊やだった。
 本来なら乳母を雇って世話させるべきだが、大の大人でも怖じ気づくほど凶暴で、兄貴と慕うジェイク以外の言うことを聞こうとしない。
 その凶暴さは殺し屋として期待できたが、敵味方関係なく噛みつくような狂犬では使い物にならないし、今のままではジェイクの手駒でしかない。
 そこでボスは、ザック坊やの世話と教育を、子供好きのアンティに任せることにした。
 どんなに凶暴な怪物でも、子供は等しく愛おしい。アンティは喜んで引き受けた。
 それから約一年。アンティはザックを連れて山小屋に篭もると、ザックが人間社会に溶け込めるよう、根気よく教育した。
 何度も刺された。寝首をかかれたことも一度や二度では無い。人間だったら百回以上は死んでいただろう。
 その度にアンティは、ザックを叱り、たしなめる。
「安易に刃物を出してはいけない。安易に人を刺してはいけない。安易に殺してはいけないよ」
 ザック坊やは問う。「どうしていけないの?」
「坊やの刃は素晴らしい芸術だからさ。お金をもらえるくらい美しい。特別なものは安易に見せてはいけないんだ。ただで見せるなんて勿体ないからね」
 ザック坊やはアンティの言葉をいたく気に入り、それ以降、無闇な殺生をしなくなった。
 山小屋での一年が過ぎ、別れる前の最後の日。二人は遊園地に行った。
 それはザック坊やが、人間社会に溶け込めるかを試す最終テストであり、想い出作りでもあった。
 無邪気に笑うザック坊やは普通の子供だった。ただ、死んだ目に輝きが戻ることだけは、とうとう最後の日まで無かった。

 それから40年。アンティは影ながらザックを見守っていた。ずっとずっと見守っていた。
 ボスの子を護れなかった無念が、アンティを突き動かしていた。あの子の二の舞だけは避けねばならない。もしもの時は全力で助けよう。そう考えていた。
 "マンモス"として同行し言葉を交わしたのは、本当に偶然だった。立派な殺し屋として成長したザックを間近で見ながら言葉を交わせて、感激ひとしおだった。だがしかし……
 アンティは、自らザックに手をかけてしまった。
 仕方なかった。そうするしかなかった。
 ボスの命令で“商品”は回収しなくてはいけなかったし、何よりケモノビトの少女が殺される様を、黙って見てはいられなかったから……

 そうだ。もうこれ以上、黙って見ているわけにはいかない。

「ボス。…………いえ、フランツ! お願いがあります」
 それは使役妖魔のアンティだけが知っている、ボスの本当の名前だった。
「や、藪から棒になんだよ!」
「唐突で申し訳ありませんが、今すぐ跡継ぎを決めてください!」
 突然のアンティにボスは困惑する。
「え? いや。いきなり言われても…、ザックは……ザックはお前が殺しちまったんだろ?」
「はい。殺しました。だから別の子を養子にしていただきたいのです。ただちに!」
「おいおいおい、無茶言わねぇでくれよ。今すぐになんて決められるわけ無いだろう。これからワシが頑張って子作りに励むからよ。それまで待ってくれよ。な?」
「いいえ。待ちません。貴方の言葉を信じて40年待ちました。40年もです! ファミリーのボスとしての権力を活かせば、娘をはべらせて子作りに励むことだって出来たでしょう。 なのに実子は一人もおらず、養子候補がザック坊やしかいない? 何故ですか! 悪いのはフランツ貴方ですか? それとも私ですか?
 ………そうですね。やはり悪いのは私です。貴方が可愛くて、長年貴方を甘やかし続けてしまった。その結果、平気で約束を反故にする、駄目な大人にしてしまった。全ては私のせいです。だからこそ、私は心を鬼にします。
 フランツ、今すぐ養子が決めてください! それができないならここまでです! 私は貴方の一族を見限り、魔王へ戻ります!」

 流石のボスも、アンティが本気だと分かる。本気で怒っているのだと。
 だが、それはあまりにも理不尽な無茶振りだった。

 アンティを使役する後継者の条件は2つある。
 1つ目は、ボスの一族の子であること。実子が理想だが、止む負えぬ場合は養子でも構わない。
 2つ目は、未成年の段階でアンティと生活していること。止む負えぬ場合は一瞬でも接触していれば良い。

 現在のザックは40代だが、幼少時にアンティと1年間生活していたことから、唯一の養子候補だった。だが、もう死んだ。
 ファミリーにいる若輩者と言えば、精々17か18歳。オトギワルドでは成人だ。到底候補にはならない。
 今からどこぞのウマの骨を連れてくるにしても、屋敷の周囲には広大な荒れ地が広がっており、人家は1つも無い。
 街に出て奴隷の子供を買うか? だが本気のアンティを見るに、時間稼ぎをするにしてもせいぜい1時間……。ダメだ。間に合わない。
 どうすればいい? どうすればいい!
 何か無いか? 何か無いか!
 考えろ! 考えろ!! 考えろ!!!

「考えるまでもありませんよ、フランツ。養子候補ならちゃんといるじゃないですか」

 アンティは優しく微笑みながらそう言った。
 ボスは何のことだか分からない。
「数時間以内に屋敷に連れてこれて、私と面識のある、未成年の子ですよ。いるじゃないですか。条件の揃った子が…。いるじゃないですか。可愛い子が」
「おま…、おまっ、ま、ま、まさか………お前!!!」
 ボスが青ざめる。文字通り真っ青になる。だが、アンティは躊躇しなかった。
 ボスを真っ直ぐ見つめながら、頭を下げ、恐ろしい言葉を投げかける。
 それはボスにとって、破滅を意味する言葉だった。

「フランツ。どうかお願いします。モナカちゃんを養子に迎えてください!」
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