ケモノグルイ【改稿版】

風炉の丘

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【3】アイ、エニシ、ワカレ

3-7 ただのゲーム

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 顔が真っ青になったボスに、"マダムオーガ"は微笑む。
「ふふふ♪ 驚くことはありません。これはゲーム。ただのゲームなのですよ♪」
 彼女は捕らえたジェイクに選択肢を、運命の二択を迫った。

 三人仲良く死を選ぶか。

 "オーガ"に忠誠を誓い、"オーガ"の一員となるか。

 そこでジェイクは、"オーガ"の一員となることを選んだというのだ。
 にわかには信じがたかった。
 "オーガ"の一員になるには、儀式を経なければならない。
 儀式とはすなわち………
 大切な身内を生け贄に捧げ、食べるという事。
 こいつ……。食べたのか。あの少女を……

 初めてジェイクを見たのは、彼がゴホンツノと戦っていた時だった。
 清らかで、真っ直ぐで、正義に燃える淀みなき瞳をしていた。
 ボスはそんなジェイクの目が大嫌いだった。青臭く正義を信じていた、かつての自分を思い起こすからだ。
 まるでかつての自分に、悪落ちした現状を見られているようで、惨めな気持ちにさせられた。
 だからジェイクの目も腐らせてやりたかった。自分と同じようにしてやりたかった。
 ボスの歪んだ望みは叶った。望んだ通り、ジェイクの瞳に清らかな輝きは無くなった。代わりにギラギラしたどす黒い輝きが瞳に宿っていた。とてつもなく危険な輝きだった。
 ボスは戦慄した。このガキ……正義を捨てることで、とんでもない怪物に生まれ変わったのではないか?
 コイツは殺さねばならない! 一刻も早く殺さねば、自分どころか"オーガ"ごと潰される!

「ダメですよ♪ 確たる証拠も無しにジェイク君を殺そうとすれば、ザックちゃんが貴方を裏切り者として始末しますよ♪」
 殺意を見せるボスを"マダムオーガ"は微笑みながら制した。見ると、攻撃態勢に入った幼い少年が、輝きのない目でボスをジッと見つめていた。ボスの顔に冷たい汗が流れ落ちる。
「可愛いザックちゃんは、"オーガ"の裏切り者を問答無用で始末するよう、アサシンとして調整しました。あくまでジェイク君が裏切った時のための保険ですけれど、貴方が"オーガ"に仇なすような動きを見せれば、切っ先は貴方に向かいますよ。お気をつけなさい♪」
「な、なぜワシにまで!?」
「実はワタクシ、ちょっぴり怒ってますのよ。貴方ならじゃじゃ馬慣らしが出来ると信じて"ゴホンツノ"を託しましたのに、よりによって全滅させてしまうんですもの。これはそのささやかな罰。ちょっとしたイジワルですの♪
 そんなに心配することはありませんよ。これまで通り"オーガ"に忠誠を誓い、優秀なジェイク君や、可愛いザックちゃんと力を合わせてファミリーを盛り上げていけば良いのです。今度こそ、仲良くね♪」
 彼女の言葉でボスは確信した。
 ジェイクやザックだけじゃない。
 自分自身もゲームの駒に過ぎなかったのだと。
 
 それが何だというのだ! ゲームだから何だというのだ!
 負ければ終わる。それは人生とて同じこと。何も変わりはしない。
 要は勝てばいいのだ。勝ち続ければいいのだ。
 だが、勝利条件とはなんだ? 表向きちっぽけなマフィアのファミリーを、この若造と運営することか? お手々つないで仲良しこよしでもしてろと言うのか?
 刃を交えて命のやりとりをした"ゴホンツノ"の5人ならば、ジェイクとの間に奇妙な友情ってやつが芽生えていたかもしれない。
 しかし、謀略で勝利したボスにそんな発想はない。迂闊に信用すれば寝首をかかれるに決まってる。勝つためには、生き延びるためには、ジェイクを殺さねば!

「ダメですよ♪ 確たる証拠も無しにジェイク君を殺そうとすれば、ザックちゃんが貴方を裏切り者として始末しますよ♪」

 “マダムオーガ”の言葉を思い出し、ボスは我に返る。
 そうだった。表だって動けば、たとえジェイクを殺せても、ボス自身が裏切り者として始末される。
 ならば、方法はただひとつだ。ジェイクに達成不可能な任務やノルマを課し、失敗を理由に始末するのだ。
 一歩間違えば自分に火の粉が降りかかる諸刃の剣だが、やってやる!
 それ以来、ボスは“マダムオーガ”から高難易度の仕事を受けては、ジェイクに無茶振りを始めるようになる。
 ところが、だ。
 ジェイクは無茶振りをものともせず、次々と高難易度ミッションをこなしていくのだ。
 その結果、ジェイクだけでなく、何もしていないボスや、ファミリーの評価までが“オーガ”の中で高まっていく。
 ボスは戦慄した。そして動揺するあまり、ヘマをしてしまった。致命的なヘマだ。上に報告されればボスは確実に失脚しただろう。
 ところがジェイクは、その大失態を隠蔽した。ボスをかばったのだ。
 一体何故だ? 何故ジェイクは憎んでいるはずのボスをかばったのだ? ジェイクは静かに答える。

「貴方を憎んで何になります? 全て無意味です。ボスも私も、所詮は使い走りじゃないですか」 

 それはジェイクが漏らした初めての本音。復讐すべきは"オーガ"そのものだと宣言した瞬間だった。
 しかし、ボスはまったく別の解釈をした。
 ちっぽけな自尊心が、ジェイクの言葉を「お前は復讐する価値も無いクズ」と脳内変換してしまったのだ。
 ボスの心に芽生えていたジェイクへの恐怖心は、その瞬間から激しい憎悪へと変わった。
 殺す! 絶対殺す! このガキだけは必ず殺す! ぶっ殺してやる!!
 憤怒に捕らわれたボスは、更なる難題をふっかけるが、ジェイクは如何なる困難も乗り越えていった。
 それは難題に頭を抱える"オーガ"によっても、復讐のため"オーガ"の信頼を得ようとするジェイクにとっても、この状況を作り出した"マダムオーガ"にとっても都合の良い状況だった。
 しかし、ボスがただ独り、焦り、憤り、地団駄を踏み、血圧を上げていた。

 ボスは感慨深げに椅子へ体を沈める。
 あれから40年……。長かった。本当に長かった。
 結局、決め手となったのは"マダムオーガ"が用意した状況だった。だが、長年の因縁に決着を付けたのはワシの意思。つまり、ワシの勝利であり、ワシこそが勝者なのだ!
 満足げに微笑むボスに、アンティは何も言わない。ただ見つめるのみである。
 優しく寂しげで、悲しみに満ちた、その瞳で……
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