ケモノグルイ【改稿版】

風炉の丘

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【3】アイ、エニシ、ワカレ

3-3 絶望の果てに

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「待てよ! 待ってくれ! そんな…… なんて……こったい……」
 やっとの思いで辿り着いた最下の大広間で、親しき二人は屍へと変わり果てていた。
 絶望に打ちひしがれながらも、ザックは状況を把握すべく現場検証を始める。

 二人とも離れたまま相対し、そのまま倒れている。どうやらキュベリが差しの勝負を挑み、相打ちとなったようだ。
 扉の近くに横たわるキュベリには、頭が無かった。大熊をも瞬殺するジェイクの一撃を食らい、斬り飛ばされたようだ。辺りを見回すと少し離れたところに首が転がっている。その顔は、勝利を確信したかのように、ニヤリと笑っていた。
「慢心しやがって……この、馬鹿野郎が……」
 あり得ない。慎重で用心深いはずのキュベリが、何故ここまで慢心し、無茶な行動を取ったのか?
 いや……オレのせい……か?
 ザックには心当たりがあった。
 恐らくはキュベリもここに来るまでに見たであろう、首を切断された大熊の屍体。ジェイクの芸術的なナイフ術によって生まれた恐怖のオプジェだ。これを見ればジェイクが今なお凄腕のリッパーであると分かるはずだった。だが……
 キュベリとの定時連絡の際、ザックはほんの気まぐれで、マンモスをかばってしまったのだ。
「悪りぃキュベリ、オレのせいだ。ちょうど大熊と出くわしてな。倒すのに手こずっちまって、連絡どころじゃなかったんだ」
 あの報告を聞けば、大熊を倒したのはザックだと、誰もが思っただろう。
 キュベリが「怖いのはザックだけ。ナンバー2など恐るるに足らず」と考えたとしても不思議はない。
 そして食堂での不意打ちだ。
 ザックは直前に記憶を取り戻し、呪いが解けていた。その為に不覚にもキュベリのダーツを腕に喰らってしまった。
 キュベリにしてみれば、最も恐ろしい殺し屋を、自らの手で始末できたのだ。慢心しないはずがない。
「キュベリ……この、馬鹿野郎が……」
 ザックは外れ落ちていた眼鏡を拾い、キュベリの生首にかけてやる。それが今のザックに出来る、せめてもの情けだった。

 大広間の奧で横たわるジェイクは、左目にキュベリのダーツが突き刺さり、虚を突かれたような顔で絶命していた。ダーツに塗られた毒は恐らく、ザックが喰らったものとは違うのだろう。肌が紫に変色していた。
「兄貴……ジェイクのアニキ……。思い出したよ。やっと思い出したんだよ。なのに……なんで死んじまうんだよ。なんでオレを……オイラを……独りぼっちにしちまうんだ。ひでぇよ…ひでぇよアニキ」
 気がつけば、ザックの瞳から涙が溢れ出していた。枯れ果てていたはずの涙は、拭っても拭っても止まらない。気がつけばザックは泣いていた。子供のようにその場に座り込み、むせび泣いていた。

「なあ…アニキ……。オレはどうすればいい?」
 ザックはジェイクの横に座り、話しかける。もちろん返事など返ってこない。
 ウェンディ母さんはあの時、「お願い。生きて」と訴えながら、ナイフを己の胸に突き立てた。
 ジェイクは別れ際、ザックに「抗え」と言い、それが最後の言葉となった。
 そして、かつての"ロストボーイ"の生き残りはザックだけ…。もう誰も頼れない。
 自分で考え、行動しなくてはならない。
 記憶が戻った以上、"オーガ"は敵だ。みんなの仇だ。復讐はしたい。だが、ザックはただの殺し屋だ。巨大闇組織にどう抗う? 想像も付かない。
 ファミリーは唯一の居場所だったが、"オーガ"の下部組織と判明した。真実を知った以上、元には戻れない。
 何もかも忘れ、何もかも捨てて逃げ出せば、恐らく生き残れるだろう。だが、守るべきものが何も無いザックに、心を殺してまで生きる意味は無い。
 ザックはふと、大広間の奧の壁を見つめる。そこには秘密の部屋へと続く隠し扉があった。
 ザックの予想が間違いなければ、そこにケモノビトの娘が匿われているはずだ。
「あの子を……どうする? どうすりゃいいんだよ、兄貴」
 ジェイクの話によると、あの子を"オーガ"から奪うだけでも、十分に復讐が果たせると言う。
 だからジェイクは、あの子を連れて逃亡した。"脱獄王ジャン"になろうとした。だが、ザックにその道は選べない。
 選べるとするなら、ナタリーという名の娘を助けた"殺し屋ジャン"の道だ。
 ジェイクの話によると、"殺し屋ジャン"は自分の命と引き替えに、敵を皆殺しにしてナタリーを守ったという。
 皆殺しか。そりゃあいい。誰が構成員かも分からない"オーガ"を皆殺しか…。出来るわけがない!
 ならばジェイクのように、ケモノビトを連れて逃げるか? 一体どこへ? 何処ならオーガの追撃から逃れられる? ジェイクはあの子を何処へ逃がすつもりだったんだ? 分からない…。
 殺し屋として出来る復讐とはなんだ? 人を殺す以外に無い。じゃあ、誰を殺せばいい?

 ああ……そうか……

 やっと分かった……

 あの子を殺せばいいんだ……

 あの子は"オーガ"に捕まればディナーにされる。そしてあの子を連れて逃げるのは不可能。
 となれば、あの子を殺し、ディナーにされないよう焼いてしまえばいい。
 それがザックに出来る唯一の"オーガ"への復讐であり、あの子を救済する無二の方法だ。
 もしこの場にナイフしか無かったら、その考えには至らなかったかもしれない。呪いの解けたザックは、もはやサイコパスではない。大人相手でも躊躇するのだ。幼い子供を切り刻むなんて真似は絶対に出来ない。
 しかし、懐にはキュベリのダーツがあった。ザックの腕に刺さっていたダーツだ。
 針先にはまだ、子供を殺すのに十分な量の毒が残っている。これなら、あの子が痛い思いをするのは最初だけだ。
 心地良く眠り、安らかに死んでいける。身を持って体験したのだ。

 ザックは考えた。何度も何度も考えた。しかし、他の方法が思いつかない。これがザックの限界だった。
 意を決したザックは、ダーツを懐から取り出すと、いつでも刺せるよう握りしめて拳に隠した。
 済まねぇ兄貴…… 済まねぇケモノビトの子……
 隠し扉の鍵を外すし、壁を押すと、扉がゆっくりと開いてゆく。

 そこに……あの子がいた……

 眠っているのだろうか。床に座り、膝に顔を埋めてじっとしていた。
 ザックの気配に気付くと、少女はゆっくりと顔を上げる。
 愛らしい美少女がそこにいた。
 ザックを見つめる幼き瞳は、ただ怯えていた。
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