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エンドラシア 編

第16話 Farewell(離別)

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 朝陽がまだ昇りきらないとき、ヘイゲンの屋敷を出て、メリアは振り返る。

「世話になったな。あんたとは最悪の出会いだったけど、今は出会えて良かったと思ってるよ」

 ヘイゲンは真っ直ぐメリアを見詰みつめて答える。

「帝国は間違っていた。私は、あの時お前を殺さなくて良かったと、今は心底思っておる。マレル様に感謝しないとな」

 笑顔で握手をして、メリアはそれきり振り返らずに歩いた。

 結局、帝国のみやこの中を自由に回ることはできなかったが、アシェバラド大陸から戻れたらその時は街を探索しようと思いながら、街並みを通り過ぎ、北の平原に出た。
 匂いに気付いた怪狼フェンリルのナビ=デイルが駆けて来る。

『メリア、今度はどこに行くんだい』
「飛空挺の準備が出来たらしいから、北の領地へ行くんだけど、ナビは森へ帰らなくていいのか?」
『えっ。僕は何とかって大陸についてくつもりなんだけど』

 メリアは驚く。
 そこまで壮大な旅をするつもりだったのか。

「ナビの親たちにはその気持ち、伝わってないと思うぞ。ずっと戻らないと心配しないか」
『人の子の周期は、僕たちにとってはとんでもなく短いからね。僕たちの種族は随分と気が長いから大丈夫だよ』
「そうは見えなかったけど……ナビがいってんなら、まあ、いいかな。じゃあ、もうしばらくの間よろしくな」

 ダマクスとマレルを客車に乗せて、御者台ぎょしゃだいにベルウンフが乗った馬車が後ろからやって来た。
 メリアはどちらに乗るべきか少し迷ったが、長い付き合いになりそうなナビの背中に乗って行くことにした。

 平原を北に伸びる道に沿って、ナビと馬車は走り出した。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 幾夜を過ぎただろうか。やはりナビの背中の乗り心地は悪く、道中何度か馬車の方に乗り換えて運ばれることになった。メリアが疲労ひろう困憊こんぱいした頃に、ようやく北の領地ビルラグリムに到着した。

 魔物を街に入れるのは難しそうで、ダマクスにナビを任せ、メリアたちは宿を取って旅の疲れを癒すことにした。マレルは別の部屋への分かれ際、彼女に伝えた。

「明日の朝、飛空挺に吊られた船に乗って出発するよ。結構揺れるらしいから、なるべくしっかり寝ておいた方がいと思う」
「言われなくても多分、今からぐっすりだよ」

 メリアは寝台の上に敷かれた白く分厚い布に寝そべると、間もなく目を閉じて眠りに就いた。

 ……そして、夢を見た。

 人の子の女が、見下ろして何度も謝りながら森に置き去りにして去って行った。
 そのあとしばらくして魔物が視界に映り、拾い上げられ運ばれていく。
 狡鬼コボルドの……ミケ=エルスだ。
 森の中の斜めに傾いた塔が見えてきた。
 さっきまで視界に映っていたミケが消え、代わりに男が現れた。
 ……じいちゃん……。まだ少しだけ若く見える。
 何か言っているみたいだが、言葉が理解できない。
 いや、これは、魔物の言葉か。

『この子はおれの孫として育てる』

 メリアは目を覚ました。部屋の中は涼しいが、背中にぐっしょりと汗をかいていた。服を着替え、木窓を開け放つ。
 部屋の中に、果物の香り、海の匂い、肉を焼いて出た煙などがごちゃ混ぜになって入って来た。宿の二階からの景色を見廻みまわすと、屋台や商店の立ち並ぶ向こう側に、あおと、白みがかった空の色を隔てる水平線が見えた。

 長く黒い髪が風になびく。夢で聞いた言葉を反芻はんすうしながら、木枠に肘をつき、両手であごを支えて海を眺めていると、扉が2回叩かれた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 三隻の飛空艇を見上げ、メリアは目を輝かせた。

「格好良いなぁ。これで船を運ぶのか」

 ダマクスが隣で同じように見上げながら答える。

「そうだ。こんな大きな物が幾つも一緒に飛ぶんだから、巨竜ドラゴンたちの目を引くに違いないだろう」
「確かに。ガルドがあんたのことを賢明だって褒めてたよ」
「それは光栄だな。古き英知を持った存在に良く思ってもらえて嬉しいよ」

 飛空艇に風の魔導師アークメイジが乗り込む。大陸の中では、風の精霊の力を借りて浮かせることが出来るということだった。海は水の精霊の管轄だから、陸を離れて航行することは不可能だ。だから、西の海岸まで三隻の飛空艇で船を吊るして運び、あとはその交易船で西の航路を辿たどるという計画だ。

 ダマクスの指示で交易船に物資が積まれていく。少なくとも幾月はかかることを想定して、乾いた肉や果物、滋養に良いとされる野草や、釣りの道具、樽に入った日持ちする酒など、主に食糧がたくさん積まれる。街の人々から色とりどりの服や、何かと使える大小様々な布も差し入れられた。

「他にも各自、必要なものはまとめて積んでおいてくれ」

 マレルは大きな布の袋を右肩に担いで船に乗り込む。一方、メリアもベルウンフも、着替えくらいしか船に載せる物がなく、なんだか申し訳ないような気持ちで階段を使って船に上がった。
 初めて観る甲板からの景色は爽快で、もうすぐ旅が始まるんだというわくわくする気持ちを引き立ててくれた。

 ダマクスが怪狼フェンリルのナビ=デイルを連れて来ると、にわかに群集が騒がしくなった。
 魔物がおとなしく人の子に連れられ、船に乗り込むのを、みなが不思議そうな、あるいは恐怖の表情で見詰みつめていた。

『たくさんの人の子に指をさされて、なんだか変な感じだよ』

 甲板の上でメリアの隣に立ち、ナビは恥ずかしそうにうなる。

「こんな近くで大きな魔物を見るのは初めての奴が多いんだろ。気にしなくてもいいよ。どうせ明日には誰も話しちゃいないさ」
『そんなものなのか。人の子は忘れっぽいんだね』
「そうだね。昔の事も昨日の飯の事も、忘れていくのさ……」

 メリアの頭に、今朝の夢で聞いたじいちゃんの言葉がよみがえる。
 あれはやはり幼い頃の記憶なのだろうか……。

 ダマクスは西の海岸まではついて行くと言い、そのまま船の上で指示を出し続ける。
 そして、出発の時が来た。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 雲のすぐ下を、三隻の飛空艇が空を滑るように進む。
 それぞれの船体の下から伸びる、土の魔術で強度を高めた鎖の先には、メリアたちを乗せた交易船が浮かんでいた。

 甲板から船縁ふなべりに寄り、下を眺めると、森林や山岳が後方に流れていく様子が見えた。

「速いなぁ。これなら一夜過ぎたら西の海岸じゃないか」

 強い風で髪をなびかせながら笑顔で言うメリアに、マレルが答える。

「何もなければ、ね。……あれは?」

 彼が指差す先、雲の切れ間から、巨竜ドラゴンが飛来した。
 ダマクスは旗を持った腕を横に伸ばし、みなに攻撃しないよう指示を出した。

「ガルド!」

 メリアが船首に走り、翼を細かく羽ばたかせ船と並んで飛ぶ巨竜ドラゴンのガルド=ザインに話し掛ける。

「見送りに来てくれたのか」
『俺がついていれば、この大陸の空を飛ぶ生き物は手出し出来ないだろう。西まで守ってやるよ。その代わり……』
「その代わり?」
『アシェバラドから戻ったら、の大陸の話を聞かせてくれ』

 ガルドは分厚いまぶたを細めて言った。メリアは笑顔で答える。

「もちろん。アタイは必ず帰るよ。約束だ」

 夜の間も、雲間から射す月と星々の淡い光の中を飛び続け、朝の陽の光が景色をだいだい色に照らし出す頃には、西の海とその先の水平線がうっすらと見え始めた。

 ガルドが軽く咆哮ほうこうを上げると、うつらうつらしていた人の子たちは驚いて立ち上がり、景色を眺め出した。
 メリアは欠伸をしながら、ガルドの飛ぶ姿を見遣みやる。

「おはようガルド。ずっと見張っててくれたのか」
『そろそろ俺は戻るよ。地母神様から離れ過ぎたからな』
「ちゃんと役目ってのがあるんだな。悪かったね、気をつかわせて」
『俺はこの大陸から出られないからな。出来ることをしたまでだ』

 ガルドはそう言って、火山の方向へ飛び去った。メリアはその姿を、手を振って見送った。

 飛空艇は徐々に高度を下げ、西の海岸に近付いて行く。
 海岸には、木を組み合わせて大きな桟橋が造られていた。

「ダマクス! あそこに船を降ろせるか?」

 メリアの声で、彼は大きな旗を振り、桟橋の方に向ける。三隻の飛空艇は同じ動きで、桟橋の近くに船を降ろすべく高度を下げていく。

 交易船の船底は、少しの衝撃と共に海へ落ちた。
 ベルウンフとメリアとダマクスは、それぞれ飛空艇と繋がった鎖を外していった。そして、ダマクスは大きく左右に旗を振る。飛空艇は高度を上げて、また北の領地へ戻り始めた。
 その光景を眺めていたメリアは首をかしげて問う。

「あんたはアレで戻らないのか?」
「私は帝国に戻って陛下に報告せねばならないんだ。本当は来たかっただろうな、父さんも」
「じゃあ、とっても感謝してたって伝えておいてくれ。あと、必ず帰って来るって」
「メリア、私からもお願いだ。生きて帰って来てくれ。あと、マレルのことをどうか守ってやってくれ」

 メリアとベルウンフと握手を交わしたあと、マレルの背中を軽く叩き、ダマクスは柔らかい表情で、縄梯子を使い船を降りて行った。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 桟橋に魔物たちが集まって来た。珍しいもの見たさに、ナビが船縁ふなべりから身を乗り出して魔物たちを眺めている。
 一時いっときの別れの挨拶をするために、メリアは一度、船を降りた。

 飛龍ワイバーンのヴィル=ナラが、桟橋を見据みすえながら言う。

『火山に棲むフォリが、お前のことを教えてくれたんだ。船をここに運んで来るつもりだとな。それですぐ、小鬼ゴブリンたちに船着場を作らせた。しばらくそのままにしておくから、戻ったらまたここに船を停めるといい』
「うん。アタイはフォリに命を助けられた。よろしく言っておいてよ」

 賢い狡鬼コボルドのミケ=エルスは、たくさんの薬と、治療のための清潔な布をメリアに渡した。

「ミケ、何となく分かってたんだけど、アタイはじいちゃんの本当の孫じゃないんだよね」
『ルキはお前を本当の孫のように想っていた。それで十分じゃないだろうか。人の子はその関係以上に血の繋がりを大事にするものなのか』
「いや、いいんだ。ちょっと気になっただけだから。アシェバラドに行く前にはっきり分かって良かったよ」
『あっちの大陸はどうなっているんだろうな。もっと若かったらな……そういえば、さっきからラピの姿が見えない。また不貞腐ふてくされてどこかで眠っているのか』
「まだ怒ってるのかなぁ。挨拶くらいしたかったけど……」
『メリア!』

 小人のラピ=エルダが走って来た。革で出来た、身体と比べて随分大きなかばんを背負っている。

「ラピ。その格好、まさか……」
『僕も連れてってくれ! メリアを守りたいんだ!』
「でも、どんだけかかるか分からないんだぞ。船に酔ったって、嫌になったって、途中で戻れないんだぞ。それに……」

 ラピが大粒の涙を流す。

『メリアがいない時にずっと考えてたんだ。僕はメリアのために生きたい。死ぬ時は、メリアのために死にたいんだ。メリアのいない生なんて、無いのと同じなんだ!』
「ラピ……」

 ミケがメリアに近寄り、ささやく。

巨躯きょくを操る小人は人の子よりもずっと短命だ。彼に良き生を与えてやってくれないか』

 メリアはうつむいて考える。
 確かに、ラピの一族の命の長さを考えると、ここで別れたらもう二度と会えないかも知れない。けど、連れて行ったら最期の姿をこの目で見ることになるかも……。

「ラピ、知らない場所で死んでもいいのか? アタイには魔導珠まどうじゅを持ち帰ることくらいしか出来ないぞ」
『いいよ。僕はもう決めたんだ。最後にメリアの顔を見ながら消えたい』

 メリアは船の上のマレルを見遣みやる。彼は心配そうにこちらを眺めている。

「……分かった。他のみんなとも仲良く出来るか?」

 ラピを見ると、今度は満面の笑みを浮かべていた。

『出来る! 僕、頑張るよ!』

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 ベルウンフが舵に手を掛ける。メリアは指示された通り、縄紐ロープを引っ張り帆を張る。マレルも右腕だけで手伝う。
 小鬼ゴブリンたちが、船を係留するために桟橋と繋いでいた縄を外し、その縄をナビとラピが引っ張り上げた。

 船が桟橋を離れ始める。
 その時、遠くから二頭の風馬ペガサスが走って来るのが見えた。

「あれ、なんだろう」

 マレルとメリアは目を細めて、風馬ペガサスの上の人影を見る。
 メリアが、あっと驚き声を上げる。

「アシュだ。あと、キヴリもいる」
「メリアを襲ったって奴か。こんな時にまた戦いに来たのか?」

 船と並んで風馬ペガサスを走らせながら、アシュが叫んだ。

「あたしたちも連れてってよ!」

 メリアは大声で返す。

「何言ってんだ! あんたたちは何も用事ないだろ!」
「あるのよ、この男にはね!」

 メリアはキヴリを見る。彼は真剣な表情で叫ぶ。

「おれの最初の記憶はこの場所だ! 戦神ルキと同じ、この場所なんだ!」

 マレルがメリアの肩に手を置く。

「どういうことだろう。あいつは本当にルキと関係あるってこと?」
「分かんない。分かんないけど……」

 アシュが笑顔でもう一度叫ぶ。

「風の魔道士メイジとめちゃくちゃ強い戦士、役に立つわよ!」

 メリアは縄梯子を投げる。風で揺れながら、梯子の先が桟橋に落ちる。

「登ってこれたら、連れてってやるよ!」

 アシュとキヴリは目を合わせうなずくと、風馬ペガサスから梯子に飛び移る。船は桟橋から離れ、縄梯子の先は海に落ちる。
 梯子にしがみつきながら、ふたりは腕に力を込めて一段ずつ上がって来る。船縁ふなべりに手を掛け、アシュは甲板に転がり落ちた。続いて、キヴリは豪快に頭から甲板に落ちた。

「何やってんだよ、まったく」

 メリアがあきれ顔で、倒れたふたりを見下ろす。
 アシュとキヴリはゆっくりと身体を起こし、船を見廻みまわす。

「えへへ、結構広くて良かったよ。これならあたしたちがいても邪魔じゃなさそうだ」

 アシュの言葉に、ベルウンフが大声を出す。

「おい、君たちにもしっかり働いてもらうぞ。ちょうど人手が足りないと思ってたんだ」

 メリアが悪戯いたずらな笑みを浮かべる。

「だってさ。キヴリ、指図されても怒るなよ」
「……おれは命令されるのは嫌いじゃない」
「なんだよ、それ。気持ち悪いな」

 メリアとキヴリは目を合わせ、笑った。

 様子を眺めていたマレルとナビ、ラピが三人に近付く。
 なんだかよく分からない一団となってしまったが、とにかく船は出航した。メリアとラピは桟橋の魔物たちに手を振る。

 遠く離れていくエンドラシア大陸を眺めながら、メリアは誓う。

「別れなんかじゃない。絶対、ここに戻ってくるんだ」

 船は潮風に乗り、航路を進む。
 彼女の鼓動は大きくなる。
 この先に、全ての答えがあるはず。
 水平線の彼方をにらみ、メリアは右手を突き出した。

「待ってろよ、アシェバラド!!」
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