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エンドラシア 編
第6話 Paradox(矛盾)
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マレルは、ベルウンフと名乗る痩せっぽちの男を凝視する。
「その名……あの本で読んだ。確か、千年よりも前の戦いの登場人物として、吟遊詩人が伝えた名の一人だったはず」
「千年? 何の話だ。俺は船員たちに裏切られて、帆を切られて全ての物資を奪われて流されたんだ。……その後はずっと漂流していた。もう動けなくなって甲板で倒れて、霧に包まれて……気付けばここにいた」
メリアは彼らの会話を翻訳してミケ=エルスに伝える。ミケは、目を閉じて聴いていたが、何かを思い出したように目を開けた。
『千年よりも前と言えば、我々の祖先にあたる魔物が生まれた頃だ。アシェバラドの東、海洋神の神殿から魔物は生まれた。当時の事を詳しく知る魔物は、もうこの大陸にはおらぬだろうがな』
「あいつは何なんだろう。千年もの間、漂流してたってのか?」
『分からんな。だが、海洋神は生命を司っている。人の子を死なぬようにすることはできるやも知れぬ』
メリアは、マレルに冗談ぽく声を掛ける。
「なあマレル。アタイまた頭が痛くなってきたよ。ベルウンフが回復したら続きを聞かないか」
マレルは興味津々の様子だったが、一方のベルウンフは、その言葉に表情を緩めた。
「そうしてくれると助かる。……すまないが、何か食べ物をくれないか」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
二夜を超え、朝陽が山の端から出る刻、メリアは修復の終わった塔の屋上から西の海を眺めていた。
後ろからゆっくりと足音が二つ近付いて来る。敵意は感じない。
「中に入っても、やっぱり傾いてるな。よくここで暮らせるね」
マレルの声に、メリアは微笑む。
「小さい頃から住んでるんだ。これが当たり前なんだよ」
彼に肩を預けたまま、ベルウンフも西の海を見渡す。視界に自分の船が映った。帆が無い船は、まるで全ての希望を失ったあの日の自分のようにも見えた。
メリアは、ベルウンフが震わせながらも自分の足で立っていることに驚く。
「もう歩けるのか。千年も倒れてたのに?」
「そんなに長い間、眠っていたとは思えないが……それに、あの船だって千年分の傷み方ではないようだからな」
マレルはベルウンフを大きな石に腰掛けさせて、大きく伸びをする。
「この海の遥か先に、アシェバラドがあるんだ。英雄ルキの伝説もそこにある。行ってみたいな」
その言葉に、メリアの胸が高鳴る。強く吹いてきた潮風が、長い黒髪を揺らした。
ベルウンフは、森の先、東の方を向いて問う。
「この大陸に、交易船はあるのか?」
「あるよ。帝国は北の島や、南の大陸とは交易しているんだ。西の海は……」
そこまで言って、彼はメリアを見る。彼女は視線に気付き、笑顔で話の続きを引き取る。
「アタイらが守ってるんだ。ルキじいちゃんの遺言だからな」
「ルキ……聞いたことないな。そいつは何者なんだ」
「じいちゃんも、若い頃にあの西の海岸に打ち上げられたらしい。この大陸で、じいちゃんに傷を付けられる戦士はいなかった。だから戦神って呼ばれてたんだ。今はアタイがその呼び名を引き継いでるけどね」
「メリア、と言ったか。君はあの人の子でない者たちと話せるみたいだが、それは何かの力なのか」
「魔物のこと? アタイは小さい頃、人の子に捨てられたんだ。ずっと魔物と暮らしてるから、言葉が分かるのさ。じいちゃんは時々アタイに会いにきてくれたし、最期はこの塔の中で遺言を残して逝ったんだ」
話を聴いていたマレルが驚く。
「戦神ルキはここで亡くなったのか。帝国では、火山に身を投げて自死したとされているのに」
「じいちゃんがそんな間抜けなわけないだろ。あんたじゃあるまいし」
ベルウンフが大笑いする。笑った後で咳き込んで、相好を崩す。
「君たちは面白いな。だが、西の航路を守りながら、一方では西の大陸に想いを馳せている。それも可笑しなことだ」
メリアは痛いところを突かれて言葉を失う。マレルが腕組みをして何やら思案を始めた様子に、少し嫌な予感がした。
やがて彼は、ぱあっと光明を見出したような顔つきをした。つかつかとメリアに歩み寄り、肩を掴む。彼女は突然のことに鼓動が速くなり、動けなくなる。
「一緒に帝国へ行こう! ベルウンフも連れて!」
メリアの背筋に冷たい感覚が走る。馬鹿過ぎる言葉を放った彼を見ながら、気を失いそうになるのを堪える。
「あんた、アタイがどれだけの帝国の兵を殺したか知らないのか? そもそもあんたはアタイを助けちまったんだ。帝国に戻ったら死罪だろ」
「そんなことどうでもいいよ! 帝国の船を借りて、アシェバラドへ行こう。戦神ルキがなぜ西の航路を守る必要があったのか、確かめるんだ。ここに伝説の船乗りがいる。戦神がいる。僕は……まあ、ただの人の子だけど」
メリアは吹き出す。目の前の馬鹿者の馬鹿な提案は、意味が分からないが、物凄く面白そうだ。
「あんた独りで帝国に帰すわけにもいかないからなぁ。ベルウンフ、あんたはどう思う?」
ベルウンフは目を細め、少し考えた後、微笑んで答えた。
「一度は死を経験した身だが、俺もアシェバラドに戻りたい。戻って、俺を裏切った連中の話を聞きたいかな」
「復讐したいってこと?」
「いや……彼らも欲に目が眩んだだけだろう。俺も彼らを酷使し過ぎていたかも知れない。だから、もう一度、話をしたいんだ」
マレルには、伝説の船乗りである彼が立派な人物に見えた。しかし、あの本には、海洋神が魔物を生み出す原因となったのは彼だと記されていた。どちらが本当の事なんだろう。
メリアは西の海を睨みつけ、考える。このままじいちゃんの遺言を守り続けても、どうしてアシェバラドへの航路を守れと言ったのかは分からないだろう。アシェバラドへ行けば、良くも悪くも理由を知ることができる可能性はある。
「あいつらを説得できるかなぁ」
彼女の頭には、ヴィル=ナラや、ラピ=エルダの反対する姿が浮かんでいた。人の子に諭されたって詰られそうだ。
「僕だって、父親……陛下を説得しに行くんだ。親しい間柄だからって簡単じゃないのは分かってる。それでも、この胸のワクワクは西へ向かえって言ってるんだよ」
三人の身体を、西から吹く強い潮風が揺らした。メリアの心の中で何かが弾けた。彼女はその胸に手を当て、海を見る。呼び声が聞こえた気がした。何があるのか分からない。でも、何があるのか見てみたい。
「マレル、行こう。アタイたちの旅を始めよう」
「その名……あの本で読んだ。確か、千年よりも前の戦いの登場人物として、吟遊詩人が伝えた名の一人だったはず」
「千年? 何の話だ。俺は船員たちに裏切られて、帆を切られて全ての物資を奪われて流されたんだ。……その後はずっと漂流していた。もう動けなくなって甲板で倒れて、霧に包まれて……気付けばここにいた」
メリアは彼らの会話を翻訳してミケ=エルスに伝える。ミケは、目を閉じて聴いていたが、何かを思い出したように目を開けた。
『千年よりも前と言えば、我々の祖先にあたる魔物が生まれた頃だ。アシェバラドの東、海洋神の神殿から魔物は生まれた。当時の事を詳しく知る魔物は、もうこの大陸にはおらぬだろうがな』
「あいつは何なんだろう。千年もの間、漂流してたってのか?」
『分からんな。だが、海洋神は生命を司っている。人の子を死なぬようにすることはできるやも知れぬ』
メリアは、マレルに冗談ぽく声を掛ける。
「なあマレル。アタイまた頭が痛くなってきたよ。ベルウンフが回復したら続きを聞かないか」
マレルは興味津々の様子だったが、一方のベルウンフは、その言葉に表情を緩めた。
「そうしてくれると助かる。……すまないが、何か食べ物をくれないか」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
二夜を超え、朝陽が山の端から出る刻、メリアは修復の終わった塔の屋上から西の海を眺めていた。
後ろからゆっくりと足音が二つ近付いて来る。敵意は感じない。
「中に入っても、やっぱり傾いてるな。よくここで暮らせるね」
マレルの声に、メリアは微笑む。
「小さい頃から住んでるんだ。これが当たり前なんだよ」
彼に肩を預けたまま、ベルウンフも西の海を見渡す。視界に自分の船が映った。帆が無い船は、まるで全ての希望を失ったあの日の自分のようにも見えた。
メリアは、ベルウンフが震わせながらも自分の足で立っていることに驚く。
「もう歩けるのか。千年も倒れてたのに?」
「そんなに長い間、眠っていたとは思えないが……それに、あの船だって千年分の傷み方ではないようだからな」
マレルはベルウンフを大きな石に腰掛けさせて、大きく伸びをする。
「この海の遥か先に、アシェバラドがあるんだ。英雄ルキの伝説もそこにある。行ってみたいな」
その言葉に、メリアの胸が高鳴る。強く吹いてきた潮風が、長い黒髪を揺らした。
ベルウンフは、森の先、東の方を向いて問う。
「この大陸に、交易船はあるのか?」
「あるよ。帝国は北の島や、南の大陸とは交易しているんだ。西の海は……」
そこまで言って、彼はメリアを見る。彼女は視線に気付き、笑顔で話の続きを引き取る。
「アタイらが守ってるんだ。ルキじいちゃんの遺言だからな」
「ルキ……聞いたことないな。そいつは何者なんだ」
「じいちゃんも、若い頃にあの西の海岸に打ち上げられたらしい。この大陸で、じいちゃんに傷を付けられる戦士はいなかった。だから戦神って呼ばれてたんだ。今はアタイがその呼び名を引き継いでるけどね」
「メリア、と言ったか。君はあの人の子でない者たちと話せるみたいだが、それは何かの力なのか」
「魔物のこと? アタイは小さい頃、人の子に捨てられたんだ。ずっと魔物と暮らしてるから、言葉が分かるのさ。じいちゃんは時々アタイに会いにきてくれたし、最期はこの塔の中で遺言を残して逝ったんだ」
話を聴いていたマレルが驚く。
「戦神ルキはここで亡くなったのか。帝国では、火山に身を投げて自死したとされているのに」
「じいちゃんがそんな間抜けなわけないだろ。あんたじゃあるまいし」
ベルウンフが大笑いする。笑った後で咳き込んで、相好を崩す。
「君たちは面白いな。だが、西の航路を守りながら、一方では西の大陸に想いを馳せている。それも可笑しなことだ」
メリアは痛いところを突かれて言葉を失う。マレルが腕組みをして何やら思案を始めた様子に、少し嫌な予感がした。
やがて彼は、ぱあっと光明を見出したような顔つきをした。つかつかとメリアに歩み寄り、肩を掴む。彼女は突然のことに鼓動が速くなり、動けなくなる。
「一緒に帝国へ行こう! ベルウンフも連れて!」
メリアの背筋に冷たい感覚が走る。馬鹿過ぎる言葉を放った彼を見ながら、気を失いそうになるのを堪える。
「あんた、アタイがどれだけの帝国の兵を殺したか知らないのか? そもそもあんたはアタイを助けちまったんだ。帝国に戻ったら死罪だろ」
「そんなことどうでもいいよ! 帝国の船を借りて、アシェバラドへ行こう。戦神ルキがなぜ西の航路を守る必要があったのか、確かめるんだ。ここに伝説の船乗りがいる。戦神がいる。僕は……まあ、ただの人の子だけど」
メリアは吹き出す。目の前の馬鹿者の馬鹿な提案は、意味が分からないが、物凄く面白そうだ。
「あんた独りで帝国に帰すわけにもいかないからなぁ。ベルウンフ、あんたはどう思う?」
ベルウンフは目を細め、少し考えた後、微笑んで答えた。
「一度は死を経験した身だが、俺もアシェバラドに戻りたい。戻って、俺を裏切った連中の話を聞きたいかな」
「復讐したいってこと?」
「いや……彼らも欲に目が眩んだだけだろう。俺も彼らを酷使し過ぎていたかも知れない。だから、もう一度、話をしたいんだ」
マレルには、伝説の船乗りである彼が立派な人物に見えた。しかし、あの本には、海洋神が魔物を生み出す原因となったのは彼だと記されていた。どちらが本当の事なんだろう。
メリアは西の海を睨みつけ、考える。このままじいちゃんの遺言を守り続けても、どうしてアシェバラドへの航路を守れと言ったのかは分からないだろう。アシェバラドへ行けば、良くも悪くも理由を知ることができる可能性はある。
「あいつらを説得できるかなぁ」
彼女の頭には、ヴィル=ナラや、ラピ=エルダの反対する姿が浮かんでいた。人の子に諭されたって詰られそうだ。
「僕だって、父親……陛下を説得しに行くんだ。親しい間柄だからって簡単じゃないのは分かってる。それでも、この胸のワクワクは西へ向かえって言ってるんだよ」
三人の身体を、西から吹く強い潮風が揺らした。メリアの心の中で何かが弾けた。彼女はその胸に手を当て、海を見る。呼び声が聞こえた気がした。何があるのか分からない。でも、何があるのか見てみたい。
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