上 下
6 / 26
エンドラシア 編

第6話 Paradox(矛盾)

しおりを挟む
 マレルは、ベルウンフと名乗る痩せっぽちの男を凝視する。

「その名……あの本で読んだ。確か、千年よりも前の戦いの登場人物として、吟遊詩人が伝えた名の一人だったはず」
「千年? 何の話だ。俺は船員たちに裏切られて、帆を切られて全ての物資を奪われて流されたんだ。……そのあとはずっと漂流していた。もう動けなくなって甲板で倒れて、霧に包まれて……気付けばここにいた」

 メリアは彼らの会話を翻訳してミケ=エルスに伝える。ミケは、目を閉じて聴いていたが、何かを思い出したように目を開けた。

『千年よりも前と言えば、我々の祖先にあたる魔物が生まれた頃だ。アシェバラドの東、海洋神の神殿から魔物は生まれた。当時の事を詳しく知る魔物は、もうこの大陸にはおらぬだろうがな』
「あいつは何なんだろう。千年もの間、漂流してたってのか?」
『分からんな。だが、海洋神は生命をつかさどっている。人の子を死なぬようにすることはできるやも知れぬ』

 メリアは、マレルに冗談ぽく声を掛ける。

「なあマレル。アタイまた頭が痛くなってきたよ。ベルウンフが回復したら続きを聞かないか」

 マレルは興味津々の様子だったが、一方のベルウンフは、その言葉に表情をゆるめた。

「そうしてくれると助かる。……すまないが、何か食べ物をくれないか」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 二夜を超え、朝陽が山のからいずとき、メリアは修復の終わった塔の屋上から西の海を眺めていた。

 後ろからゆっくりと足音が二つ近付いて来る。敵意は感じない。

「中に入っても、やっぱり傾いてるな。よくここで暮らせるね」

 マレルの声に、メリアは微笑む。

「小さい頃から住んでるんだ。これが当たり前なんだよ」

 彼に肩を預けたまま、ベルウンフも西の海を見渡す。視界に自分の船が映った。帆が無い船は、まるで全ての希望を失ったあの日の自分のようにも見えた。
 メリアは、ベルウンフが震わせながらも自分の足で立っていることに驚く。

「もう歩けるのか。千年も倒れてたのに?」
「そんなに長い間、眠っていたとは思えないが……それに、あの船だって千年分の傷み方ではないようだからな」

 マレルはベルウンフを大きな石に腰掛けさせて、大きく伸びをする。

「この海の遥か先に、アシェバラドがあるんだ。英雄ルキの伝説もそこにある。行ってみたいな」

 その言葉に、メリアの胸が高鳴る。強く吹いてきた潮風が、長い黒髪を揺らした。
 ベルウンフは、森の先、東の方を向いて問う。

「この大陸に、交易船はあるのか?」
「あるよ。帝国は北の島や、南の大陸とは交易しているんだ。西の海は……」

 そこまで言って、彼はメリアを見る。彼女は視線に気付き、笑顔で話の続きを引き取る。

「アタイらが守ってるんだ。ルキじいちゃんの遺言いいつけだからな」
「ルキ……聞いたことないな。そいつは何者なんだ」
「じいちゃんも、若い頃にあの西の海岸に打ち上げられたらしい。この大陸で、じいちゃんに傷を付けられる戦士はいなかった。だから戦神って呼ばれてたんだ。今はアタイがその呼び名を引き継いでるけどね」
「メリア、と言ったか。君はあの人の子でない者たちと話せるみたいだが、それは何かの力なのか」
「魔物のこと? アタイは小さい頃、人の子に捨てられたんだ。ずっと魔物と暮らしてるから、言葉が分かるのさ。じいちゃんは時々アタイに会いにきてくれたし、最期はこの塔の中で遺言いいつけを残してったんだ」

 話を聴いていたマレルが驚く。

「戦神ルキはここで亡くなったのか。帝国では、火山に身を投げて自死したとされているのに」
「じいちゃんがそんな間抜けなわけないだろ。あんたじゃあるまいし」

 ベルウンフが大笑いする。笑った後で咳き込んで、相好そうごうを崩す。

「君たちは面白いな。だが、西の航路を守りながら、一方では西の大陸に想いをせている。それも可笑おかしなことだ」

 メリアは痛いところを突かれて言葉を失う。マレルが腕組みをして何やら思案を始めた様子に、少し嫌な予感がした。

 やがて彼は、ぱあっと光明を見出したような顔つきをした。つかつかとメリアに歩み寄り、肩をつかむ。彼女は突然のことに鼓動が速くなり、動けなくなる。

「一緒に帝国へ行こう! ベルウンフも連れて!」

 メリアの背筋に冷たい感覚が走る。馬鹿過ぎる言葉を放った彼を見ながら、気を失いそうになるのをこらえる。

「あんた、アタイがどれだけの帝国の兵を殺したか知らないのか? そもそもあんたはアタイを助けちまったんだ。帝国に戻ったら死罪だろ」
「そんなことどうでもいいよ! 帝国の船を借りて、アシェバラドへ行こう。戦神ルキがなぜ西の航路を守る必要があったのか、確かめるんだ。ここに伝説の船乗りがいる。戦神がいる。僕は……まあ、ただの人の子だけど」

 メリアは吹き出す。目の前の馬鹿者の馬鹿な提案は、意味が分からないが、物凄く面白そうだ。

「あんた独りで帝国に帰すわけにもいかないからなぁ。ベルウンフ、あんたはどう思う?」

 ベルウンフは目を細め、少し考えたあと、微笑んで答えた。

「一度は死を経験した身だが、俺もアシェバラドに戻りたい。戻って、俺を裏切った連中の話を聞きたいかな」
「復讐したいってこと?」
「いや……彼らも欲に目がくらんだだけだろう。俺も彼らを酷使し過ぎていたかも知れない。だから、もう一度、話をしたいんだ」

 マレルには、伝説の船乗りである彼が立派な人物に見えた。しかし、あの本には、海洋神が魔物を生み出す原因となったのは彼だと記されていた。どちらが本当の事なんだろう。

 メリアは西の海をにらみつけ、考える。このままじいちゃんの遺言いいつけを守り続けても、どうしてアシェバラドへの航路を守れと言ったのかは分からないだろう。アシェバラドへ行けば、良くも悪くも理由を知ることができる可能性はある。

「あいつらを説得できるかなぁ」

 彼女の頭には、ヴィル=ナラや、ラピ=エルダの反対する姿が浮かんでいた。人の子にさとされたってなじられそうだ。

「僕だって、父親……陛下を説得しに行くんだ。ちかしい間柄だからって簡単じゃないのは分かってる。それでも、この胸のワクワクは西へ向かえって言ってるんだよ」

 三人の身体を、西から吹く強い潮風が揺らした。メリアの心の中で何かが弾けた。彼女はその胸に手を当て、海を見る。呼び声が聞こえた気がした。何があるのか分からない。でも、何があるのか見てみたい。

「マレル、行こう。アタイたちの旅を始めよう」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる

農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」 そんな言葉から始まった異世界召喚。 呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!? そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう! このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。 勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定 私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。 ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。 他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。 なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

パンツを拾わされた男の子の災難?

ミクリ21
恋愛
パンツを拾わされた男の子の話。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...