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ヒューマンドラマ
Cigarette 前編
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美咲は幅の広い県道脇の歩道をツカツカと歩く。グレーのツーピース、パンツスーツはすっきりしたシルエット。ブロンドの長髪をゆるくお団子にしてまとめている。
真夏の陽射しに熱された道路から、むあっとアスファルトの匂いが立ち昇ってくる。ビル窓の照り返しから目を守るために、美咲はサングラスを装着した。ダークブルーの肩掛け鞄から古臭いシンプルな鍵を取り出し、キーホルダーのリングに人差し指を引っかけクルクル回す。
豪奢な白いビルを目印に曲がり、そのビルのせいで陽射しの途切れた道を進む。びっしりと蔦に覆われた3階建ての小さな、壁にたくさんヒビが入った古めかしいビルの入り口手前から2階の窓を見上げた。
窓が閉まっていることを確認して、これまたガラスにヒビが入った扉のノブを回して開けビルの中へ。入ってすぐ右側、郵便受けの中身をごそっと取り出すと、左手でその塊を掴んだまま階段を上がって行く。
2階の一番奥の部屋の扉には「数寄探偵事務所」なるプレートが掲げられている。プレートの汚れを軽く払い、鍵を挿そうとして気が付く。……鍵がかかっていない。
そっとノブに手を掛けて回し、静かに扉を開ける。ゆっくりでもキィー……と嫌な音が鳴ってしまう。美咲は溜息を吐いた。
申し訳程度に玄関はあるものの土足で踏み込んでも問題ない。そろりそろりと音を立てぬよう、ローファーを滑らすようにして歩き、珍しく閉ざされているもう一枚の意味ない扉も静かに開けた。
10畳程度の部屋を覗くと、ソファーに上半身裸の男が横たわりイビキをかいている。
美咲は左手の郵便物を全て床に落とし、急いで窓に近寄る。
「くっさ! 何この臭い!」
美咲はすぐに窓を全開にして、天井の大きなシーリングファンのスイッチを入れた。外からは車の排気ガスや周りの料理店から出る煙の混じった空気が入ってくるが、この部屋の悪臭よりは幾分かマシである。
床には10本ほどのビールの空き缶が転がっている。テーブルの上の灰皿は満タンで、そこから溢れ出た吸い殻も床に散乱していた。
男が右腕を天井に向けて上げ、弱々しい声で囁く。
「みさきぃ……。み、水……」
美咲は灰皿に盛られた吸い殻の山を大きなごみ箱へ捨てながら、キッと男を睨む。
「ミミズなんて持ってないよ。これ、アンタひとりの仕業?」
「違う……。達夫と飲んでた。あいつ仕事で嫌な事があったらしくてさ。ずっと愚痴を聞いてやってたんだ」
「ふーん。何でも屋の愚痴を聞く何でも屋ねぇ。それはお金になる……わけないわね。ところで今、何時か分かる?」
男はソファーに寝転んだまま、顔だけ美咲に向けてニヤつく。
「お前の左腕に付いてる時計は飾りかな」
美咲は握っていた空の灰皿をフリスビーのようにして男へと投げつけた。男はひょいっと体を起こし灰皿の急襲を免れた。
「おいおい、朝っぱらからご機嫌斜めじゃないか」
「だ・れ・の、せいだと思ってんの。わたしとの約束、しかも仕事の約束をすっぽかしといて、どういうつもりよ」
「約束……?」
無精髭をたくわえた顎に手を添えて、彼は首を捻り目を細める。まったく思い出せない様子だ。
美咲はさらに投げる物を探す。ふと視界に入った30センチ高の陶器の招き猫を掴む。
「わっ! それは勘弁してくれ。……約束、思い出したよ! 今日の午前10時に待ち合わせ。マルタイが使う喫茶店で待機だったよな」
「思い出してくれたようね……。ところで今がその10時なんだけど、アンタは何をしているのかしら?」
男は立ち上がり、わざとらしく手をおでこに当てて敬礼のポーズを取り、真面目顔で声を上げる。
「はいっ! 不肖、峰塚叶人は仕事前に集中力を高めるため、瞑想をしておりましたッ!」
美咲は陶器の招き猫を思い切り投げつけた。少し逸れて、招き猫はまっすぐ壁へ向かっていく。叶人は飛び付いてそれをキャッチすると、埃まみれの床の上をゴロゴロと転がった。
「……ナイスキャッチ」
「ど、どうも……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あら、叶人ちゃん。またお店に来てね」
「お、叶人。今度、犬の世話頼むよ」
10歩進む度、道行く人たちに声をかけられる。叶人は笑顔で手を振り応える。
「どんだけ顔が広いの……。アンタがこの街に来て1年しか経ってないのに」
「何でも屋だから顔の広さが収入に直結するんだよな。まあ、大した稼ぎじゃないけど」
「そうね、いいかげん自分で家賃払って欲しいわ」
「……美咲、いつもありがとうな」
叶人はそう言って逃げ出す。特大の溜息を吐いて美咲も駆け出し奴を追いかける。
ゼェゼェ息を切らしながら、ふたりは目的の喫茶店に辿り着いた。
「こ……ここがマルタイの喫茶店?」
「ハァ……、ハァ。あのね、大きい声でマルタイって言わないの。とにかく入るよ。変なこと言わないでね」
美咲が入り口の扉を引くと、ちょうど白いパーカーの男が出てきた。体が当たりそうになり、舌打ちされる。
「なによアイツ。失礼ね」
「まあ、まあ。とりあえず座ろうぜ。喉がカラカラだ」
店に入り見回すと、窓際の一角に4人組の女子がいた。高校の制服を着ている。平日の午前中なのに、なぜ喫茶店にいるのか。
少し離れた席に座ると、叶人が小さな声で訊ねる。
「あの軍団の中にマ……その子がいるのか?」
「窓寄りの右側の子。スマホを触ってる。多分、パパ活の相手と連絡を取ってるんでしょうね」
長い髪の綺麗な女の子だ。家出をして友達の家に転がりこみ、パパ活をしているらしい。ほとんど学校にも行かず、毎日この喫茶店で友達と時間を潰している。
美咲は雇われ探偵で、マルタイの親から身辺調査を依頼された。もし、いかがわしいことに手を染めるようなら、無理矢理にでも家に連れ戻して欲しいと言われている。
「なあ、美咲。真剣な話なんだけど」
「何? 改まって」
叶人はメニューを指差す。
「この期間限定、メロンソースのパンケーキと、小豆入りアイスコーヒーでお願いします。財布持ってくるの忘れた」
「はいはい。これは経費で落ちるから大丈夫よ。わたしは何にしようかしらね」
悩んだ末に、美咲は普通のパンケーキとミックスジュースを注文した。すぐにコーヒーとジュースがテーブルに用意される。小皿の上にナッツ入りの小袋が置かれた。
叶人は美咲から盗聴器を受け取ると、わざとらしく大きな声で「トイレ」と言って席を立った。
トイレへ行くには少し遠回りをして、女子の軍団の横を通り過ぎざま、革製のソファーの側面に盗聴器を仕掛けた。橙色のソファーにオレンジ色で1センチ四方の盗聴器だ。ほぼ同化しており、素人では仕掛けられたことに気付かないだろう。
美咲はスマホで盗聴器の音声を拾う。軍団からは見えない右の耳に無線型イヤホンを着け、会話を盗み聴きする。
『……の先公がさ、エロい目で見てくるわけ。キモくない? こっちはお前みたいなハゲに用なんて無いっての』
「アハハ! どうせ家じゃ誰にも相手にされてないんだよ。ストレスを学校で発散してるんじゃない。髪の毛も発散してるけど」
ギャハハと品の無い笑い声が聴こえてくる。くだらない会話。自分たちは学校をサボっておきながら、人の悪口ばかりだ。美咲は今日何度目か分からない溜息を吐いた。仕事とはいえ、この低レベルな会話を聴き続けるのはしんどい。
叶人がトイレから戻って来る頃には、それぞれの注文したパンケーキがテーブルの上に置かれていた。
「おっ、美味そう。いただきやーす」
「あの子は無言でずっとスマホを触ってるわ。本当はここに居たくないんじゃない?」
「ひとりだけ化粧っ気がなくてカワイイもんな。まあ確かに、浮いてるっちゃ浮いてるか、な」
美咲は対象の女の子をチラリと見やる。時折窓の外を眺めて、物想いに耽っている様子だ。
そして視線を戻すと、叶人の姿が忽然と消えていた。
驚き周囲を見渡す。窓の外、走って行く彼の姿を見つけた。
「アイツ……、何してんのよ!」
美咲は勢い良く立ち上がり、店員に「すぐ戻って来ます!」と言い残し、店の外へと飛び出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
喫茶店を出ると、外に人集りができていた。
皆口々にひったくりがあった、誰かが追いかけて行ったと言いながら道の先を指差している。
美咲はその方角へ走り出す。ローファーの踵は平坦で、全力疾走でもない限り足運びの邪魔はしない。
一方、叶人は全力疾走でひったくりの犯人を追いかけていた。
喫茶店の窓の外の犯行現場を目撃してしまい思わず店を飛び出してしまったけれど、頭の中では美咲に怒られる時のイメージトレーニングを進めていた。
「……っていうか、さっさと止まれよ! もう限界だろ!」
常に5メートル先を走る犯人の男に向かって叫ぶ。もちろんそんなことで止まるはずもなく、男は狭い路地に入って行く。この先は民家だらけで、身を隠すにはもってこいな立地のはずだ。一度でも姿を見失ったら終わりだろう。
だが、犯人のスピードが緩む。その先を見ると、美咲が仁王立ちして待ち構えていた。土地勘を活かして先回りしたらしい。
犯人の男は、やぶれかぶれで突っ込む。その姿を見た叶人が笑みを零した。
「アイツ、馬鹿だな」
男が美咲を突き飛ばそうと腕を伸ばした瞬間、美咲の体が微妙に揺れ、その勢いのまま男は前のめりに一回転して仰向けに倒れた。
ウッと呻き声を上げそのまま動けなくなった男に近寄り、叶人は貴重な情報を伝える。
「この女はな、合気道四段なんだ。触ろうとしただけで吹き飛ばされんだよ」
「女って言わないでよ。可憐な乙女なの」
犯人と叶人が同時に否定の表情で首を横に振った。
それはさておき、盗んだトートバッグを取り上げていると、後ろから被害者カップルがやって来た。
「ありがとうございます。100万円入ってたから逃げられたら大変でした」
「ひゃ、ひゃくまん?! 何に使うつも……」
美咲は驚く叶人の腕を取り、引っ張って行く。
「アンタは仕事があるでしょ。早く戻るわよ!」
「でもさ、ひゃくまんだぜ?」
「いいの! こっちの仕事だって同じくらいのお金が動いてるんだから」
「そ、そうなの?」
「ああもう五月蝿い! 早く喫茶店に戻らないと、そのお金だって御破算になっちゃうんだから!」
超絶ファンタスティックイライラモードの美咲に強制連行され、叶人は引き摺られるようにして歩いて行った。
<後編へ続く>
真夏の陽射しに熱された道路から、むあっとアスファルトの匂いが立ち昇ってくる。ビル窓の照り返しから目を守るために、美咲はサングラスを装着した。ダークブルーの肩掛け鞄から古臭いシンプルな鍵を取り出し、キーホルダーのリングに人差し指を引っかけクルクル回す。
豪奢な白いビルを目印に曲がり、そのビルのせいで陽射しの途切れた道を進む。びっしりと蔦に覆われた3階建ての小さな、壁にたくさんヒビが入った古めかしいビルの入り口手前から2階の窓を見上げた。
窓が閉まっていることを確認して、これまたガラスにヒビが入った扉のノブを回して開けビルの中へ。入ってすぐ右側、郵便受けの中身をごそっと取り出すと、左手でその塊を掴んだまま階段を上がって行く。
2階の一番奥の部屋の扉には「数寄探偵事務所」なるプレートが掲げられている。プレートの汚れを軽く払い、鍵を挿そうとして気が付く。……鍵がかかっていない。
そっとノブに手を掛けて回し、静かに扉を開ける。ゆっくりでもキィー……と嫌な音が鳴ってしまう。美咲は溜息を吐いた。
申し訳程度に玄関はあるものの土足で踏み込んでも問題ない。そろりそろりと音を立てぬよう、ローファーを滑らすようにして歩き、珍しく閉ざされているもう一枚の意味ない扉も静かに開けた。
10畳程度の部屋を覗くと、ソファーに上半身裸の男が横たわりイビキをかいている。
美咲は左手の郵便物を全て床に落とし、急いで窓に近寄る。
「くっさ! 何この臭い!」
美咲はすぐに窓を全開にして、天井の大きなシーリングファンのスイッチを入れた。外からは車の排気ガスや周りの料理店から出る煙の混じった空気が入ってくるが、この部屋の悪臭よりは幾分かマシである。
床には10本ほどのビールの空き缶が転がっている。テーブルの上の灰皿は満タンで、そこから溢れ出た吸い殻も床に散乱していた。
男が右腕を天井に向けて上げ、弱々しい声で囁く。
「みさきぃ……。み、水……」
美咲は灰皿に盛られた吸い殻の山を大きなごみ箱へ捨てながら、キッと男を睨む。
「ミミズなんて持ってないよ。これ、アンタひとりの仕業?」
「違う……。達夫と飲んでた。あいつ仕事で嫌な事があったらしくてさ。ずっと愚痴を聞いてやってたんだ」
「ふーん。何でも屋の愚痴を聞く何でも屋ねぇ。それはお金になる……わけないわね。ところで今、何時か分かる?」
男はソファーに寝転んだまま、顔だけ美咲に向けてニヤつく。
「お前の左腕に付いてる時計は飾りかな」
美咲は握っていた空の灰皿をフリスビーのようにして男へと投げつけた。男はひょいっと体を起こし灰皿の急襲を免れた。
「おいおい、朝っぱらからご機嫌斜めじゃないか」
「だ・れ・の、せいだと思ってんの。わたしとの約束、しかも仕事の約束をすっぽかしといて、どういうつもりよ」
「約束……?」
無精髭をたくわえた顎に手を添えて、彼は首を捻り目を細める。まったく思い出せない様子だ。
美咲はさらに投げる物を探す。ふと視界に入った30センチ高の陶器の招き猫を掴む。
「わっ! それは勘弁してくれ。……約束、思い出したよ! 今日の午前10時に待ち合わせ。マルタイが使う喫茶店で待機だったよな」
「思い出してくれたようね……。ところで今がその10時なんだけど、アンタは何をしているのかしら?」
男は立ち上がり、わざとらしく手をおでこに当てて敬礼のポーズを取り、真面目顔で声を上げる。
「はいっ! 不肖、峰塚叶人は仕事前に集中力を高めるため、瞑想をしておりましたッ!」
美咲は陶器の招き猫を思い切り投げつけた。少し逸れて、招き猫はまっすぐ壁へ向かっていく。叶人は飛び付いてそれをキャッチすると、埃まみれの床の上をゴロゴロと転がった。
「……ナイスキャッチ」
「ど、どうも……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あら、叶人ちゃん。またお店に来てね」
「お、叶人。今度、犬の世話頼むよ」
10歩進む度、道行く人たちに声をかけられる。叶人は笑顔で手を振り応える。
「どんだけ顔が広いの……。アンタがこの街に来て1年しか経ってないのに」
「何でも屋だから顔の広さが収入に直結するんだよな。まあ、大した稼ぎじゃないけど」
「そうね、いいかげん自分で家賃払って欲しいわ」
「……美咲、いつもありがとうな」
叶人はそう言って逃げ出す。特大の溜息を吐いて美咲も駆け出し奴を追いかける。
ゼェゼェ息を切らしながら、ふたりは目的の喫茶店に辿り着いた。
「こ……ここがマルタイの喫茶店?」
「ハァ……、ハァ。あのね、大きい声でマルタイって言わないの。とにかく入るよ。変なこと言わないでね」
美咲が入り口の扉を引くと、ちょうど白いパーカーの男が出てきた。体が当たりそうになり、舌打ちされる。
「なによアイツ。失礼ね」
「まあ、まあ。とりあえず座ろうぜ。喉がカラカラだ」
店に入り見回すと、窓際の一角に4人組の女子がいた。高校の制服を着ている。平日の午前中なのに、なぜ喫茶店にいるのか。
少し離れた席に座ると、叶人が小さな声で訊ねる。
「あの軍団の中にマ……その子がいるのか?」
「窓寄りの右側の子。スマホを触ってる。多分、パパ活の相手と連絡を取ってるんでしょうね」
長い髪の綺麗な女の子だ。家出をして友達の家に転がりこみ、パパ活をしているらしい。ほとんど学校にも行かず、毎日この喫茶店で友達と時間を潰している。
美咲は雇われ探偵で、マルタイの親から身辺調査を依頼された。もし、いかがわしいことに手を染めるようなら、無理矢理にでも家に連れ戻して欲しいと言われている。
「なあ、美咲。真剣な話なんだけど」
「何? 改まって」
叶人はメニューを指差す。
「この期間限定、メロンソースのパンケーキと、小豆入りアイスコーヒーでお願いします。財布持ってくるの忘れた」
「はいはい。これは経費で落ちるから大丈夫よ。わたしは何にしようかしらね」
悩んだ末に、美咲は普通のパンケーキとミックスジュースを注文した。すぐにコーヒーとジュースがテーブルに用意される。小皿の上にナッツ入りの小袋が置かれた。
叶人は美咲から盗聴器を受け取ると、わざとらしく大きな声で「トイレ」と言って席を立った。
トイレへ行くには少し遠回りをして、女子の軍団の横を通り過ぎざま、革製のソファーの側面に盗聴器を仕掛けた。橙色のソファーにオレンジ色で1センチ四方の盗聴器だ。ほぼ同化しており、素人では仕掛けられたことに気付かないだろう。
美咲はスマホで盗聴器の音声を拾う。軍団からは見えない右の耳に無線型イヤホンを着け、会話を盗み聴きする。
『……の先公がさ、エロい目で見てくるわけ。キモくない? こっちはお前みたいなハゲに用なんて無いっての』
「アハハ! どうせ家じゃ誰にも相手にされてないんだよ。ストレスを学校で発散してるんじゃない。髪の毛も発散してるけど」
ギャハハと品の無い笑い声が聴こえてくる。くだらない会話。自分たちは学校をサボっておきながら、人の悪口ばかりだ。美咲は今日何度目か分からない溜息を吐いた。仕事とはいえ、この低レベルな会話を聴き続けるのはしんどい。
叶人がトイレから戻って来る頃には、それぞれの注文したパンケーキがテーブルの上に置かれていた。
「おっ、美味そう。いただきやーす」
「あの子は無言でずっとスマホを触ってるわ。本当はここに居たくないんじゃない?」
「ひとりだけ化粧っ気がなくてカワイイもんな。まあ確かに、浮いてるっちゃ浮いてるか、な」
美咲は対象の女の子をチラリと見やる。時折窓の外を眺めて、物想いに耽っている様子だ。
そして視線を戻すと、叶人の姿が忽然と消えていた。
驚き周囲を見渡す。窓の外、走って行く彼の姿を見つけた。
「アイツ……、何してんのよ!」
美咲は勢い良く立ち上がり、店員に「すぐ戻って来ます!」と言い残し、店の外へと飛び出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
喫茶店を出ると、外に人集りができていた。
皆口々にひったくりがあった、誰かが追いかけて行ったと言いながら道の先を指差している。
美咲はその方角へ走り出す。ローファーの踵は平坦で、全力疾走でもない限り足運びの邪魔はしない。
一方、叶人は全力疾走でひったくりの犯人を追いかけていた。
喫茶店の窓の外の犯行現場を目撃してしまい思わず店を飛び出してしまったけれど、頭の中では美咲に怒られる時のイメージトレーニングを進めていた。
「……っていうか、さっさと止まれよ! もう限界だろ!」
常に5メートル先を走る犯人の男に向かって叫ぶ。もちろんそんなことで止まるはずもなく、男は狭い路地に入って行く。この先は民家だらけで、身を隠すにはもってこいな立地のはずだ。一度でも姿を見失ったら終わりだろう。
だが、犯人のスピードが緩む。その先を見ると、美咲が仁王立ちして待ち構えていた。土地勘を活かして先回りしたらしい。
犯人の男は、やぶれかぶれで突っ込む。その姿を見た叶人が笑みを零した。
「アイツ、馬鹿だな」
男が美咲を突き飛ばそうと腕を伸ばした瞬間、美咲の体が微妙に揺れ、その勢いのまま男は前のめりに一回転して仰向けに倒れた。
ウッと呻き声を上げそのまま動けなくなった男に近寄り、叶人は貴重な情報を伝える。
「この女はな、合気道四段なんだ。触ろうとしただけで吹き飛ばされんだよ」
「女って言わないでよ。可憐な乙女なの」
犯人と叶人が同時に否定の表情で首を横に振った。
それはさておき、盗んだトートバッグを取り上げていると、後ろから被害者カップルがやって来た。
「ありがとうございます。100万円入ってたから逃げられたら大変でした」
「ひゃ、ひゃくまん?! 何に使うつも……」
美咲は驚く叶人の腕を取り、引っ張って行く。
「アンタは仕事があるでしょ。早く戻るわよ!」
「でもさ、ひゃくまんだぜ?」
「いいの! こっちの仕事だって同じくらいのお金が動いてるんだから」
「そ、そうなの?」
「ああもう五月蝿い! 早く喫茶店に戻らないと、そのお金だって御破算になっちゃうんだから!」
超絶ファンタスティックイライラモードの美咲に強制連行され、叶人は引き摺られるようにして歩いて行った。
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