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おくむらなをし

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第2章 クロエ・グティエレス 編

第14話 Cooper(クーパー)

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 あれから何夜、歩いたのだろう。
 確か、3回くらい陽が昇って、暗くなって……。
 今、わたしはどこにいるのか。針葉樹が立ち並ぶ森の中を彷徨さまよい歩き、川の水を飲み、赤くて酸っぱい痩せ細った何かの実を食べ、花も食べてみたりした。

 空腹が極まったのか、それとも変な物を食べてしまったのか、胃のあたりがチクチクと痛む。
 腹をさすりながら足を引きるように草を踏み進んでいると、後ろに何かの気配がした。

「動くな!」

 若い女の人の声だ。ぞくだとしても、もう逃げるちからは残っていない。諦め顔で振り返り、ゆっくりと震える手を挙げる。
 ぼやけた視界の先で、カウボーイハットをかぶった金髪の女が、ショットガンの銃口をこちらに向けている。

 わたしは名乗るために口を開こうとした瞬間、銃を向けられたことによる緊張のせいか、人に会えた安心からなのか、全身のちからを失い前のめりに倒れた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 辺りは夜闇に包まれ、木々の葉の隙間から漏れる月光だけが、わたしたちの視界にぼんやりと風景を映していた。
 ベロニカと名乗る女性に手渡てわたされたレーションの袋から、エナジーバーを取り出してかぶりつく。

「急にたくさん食べると、胃に負担がかかるよ」

 そう言って、わたしの隣に座ったベロニカが笑う。
 カウボーイハットを脇に置いて、金色の長髪を後ろで縛りながら、彼女はわたしを上から下までじっくりと眺める。

「……何?」
「本当に西から歩いてきたなら、ゾンビを見たはず。あなたはなぜ、そうなっていないのか、と思ってね」
「わたしの家族は奴らに殺された。恋人も、わたしを守るために奴らと戦って、おそらく死んだわ。わたし自身は何も変わらない。ただ、失っただけ」

 ベロニカが真面目な顔になり、辺りを見廻みまわした。

「人間が歩いて来られたなら、ゾンビもいずれここまで来る。夜が明けたら一度、施設に戻りましょう」
「施設って、助かった人たちがいるの?」
「最初に粉塵を浴びなかった人は、問題ないみたい。軍が安易に爆弾を使わなければ、もっと被害は少なかっただろうね。施設ってのはちょっとした研究所で、まあ、色々と手広くやってるかな」

 地下室で見たあの明るい光は、爆弾だったのか。あれのせいで、わたしの家族がやられてしまったというのなら、絶対に許せない話だ。
 わたしは座ったままで、地面を叩く。まだ身体にカロリーがいき渡っていないのか、小さな情けない音がしただけだった。
 ベロニカは、わたしの肩を抱いて引き寄せた。

「とにかく、あなたは無事だった。施設でシャワーを浴びて、気持ちを切り替えなさい」

 彼女の温もりを感じながら、わたしは目を閉じた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 ベロニカに連れられて、四方を壁に囲まれた施設の、大仰おおぎょうな門扉をくぐる。

「守衛がいない……おかしいな」

 彼女はそう言って、背中のショットガンを両手で持ち、構えた。
 静かに、ゆっくりと足を運び、入り口の扉の脇のガラスから中をのぞく。瞬間、彼女がわたしの手を取った。

「逃げるよ」

 きびすを返して走り出した途端、後ろで扉が勢いよく開く音が聞こえた。さらに、数体のうなり声が飛び出しこちらへ向かってきた。
 振り返ることなく走り、気持ちの悪い低い声を遠ざけていく。
 わたしたちはもう一度、森の中でもかなり入り組んだ場所に逃げ込み、奴らの追跡を逃れた。

「ゾンビは攻撃的だが頭は良くない。所詮しょせんむしだから、あの図体ずうたいで複雑な地形を進むことはできないはずだ」
むし? ……あの場所のみんなは、ゾンビになってしまったの?」
「中で徘徊していたのは、私の仲間だ。生きている者がいるとすれば、すでに建物から出ているだろう」

 ベロニカは少し古めかしいスマートフォンを取り出した。小さなキーボードがついていて、画面は小さい。キーボードを触り、メッセージを確認していく。途中で、スクロールを止めた。

「少し前に、誰かが冷凍してあった菌を蘇らせたようだ。研究者たちがゾンビに変わったから、施設を離れるとさ。1分前の投稿だ」

 施設のあった方から、白い光が飛び込んでくると同時に、大きな爆発音が森の空気を震わせた。太い木の根の間からそちらを見遣みやると、オレンジ色の炎と黒煙が上がっていた。建物ごと爆破したのか。

「施設が使えなくなった時の避難場所があるの。歩きだと少しかかるけど、ひとまずはそこを目指しましょう」
「少しって、どのくらい歩くの?」
「多分、3日くらいね」

 わたしは、がっくりと項垂うなだれた。どこかのみずうみか川で身体を洗わないと、自分の臭いで窒息して死にそうだ。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 レーションの残りを頬張りながら、とぼとぼと歩いていると、ベロニカが立ち止まった。

「私は自己紹介したけど、まだあなたの名前をいてなかった」
「クロエ。……グティエレス」
「ベロニカ・オーエンスよ。クロエ、もうすぐ大きな川があるから、ゾンビがいなかったら、身体と服を洗いましょうか。」

 しばらく歩くと、30フィートほどの幅の浅い川が見えた。大きな岩場に登り、ベロニカが周囲を観察する。

「今のところは、誰もいないね。ここで見張ってるから、近くで身体を洗ったらいい」
「ベロニカはいいの?」
「私はこういう状況の訓練をしてきたからな。問題ない」

 わたしはベロニカから少しだけ見える場所で、服を全て脱いで裸になり、清流にかりながら身体と服を洗う。
 水の冷たさよりも、汚れが落ちていく喜びがまさり、嬉しさについつい顔がほころんでしまう。

 服の汚れを洗い流してふと気付く。着る物が無い。

「ちゃんと予備の服はあるよ。そこの岩に落としておいたから着なさい。下着は無いけどね」

 迷彩柄のシャツを着て、茶色のブカブカなズボンをく。かなり余るすそは折りたたんで、ボタンで止めることができた。濡れた髪を手で絞ったあと、少し汚れたハンドタオルで拭く。もう、まとわりついていた汗と泥の臭いは無くなっていた。

「さあて、また歩き……」

 ベロニカが話し始めると同時に、わたしたちの近くで大きな足音が響く。ズン、ズンと低い音が近付いてくる。

 身構えて様子をうかがっていると、高くそびえる木々を超えるほどの巨躯きょくが姿を見せた。まるで、図鑑で見たことのあるトリケラトプスのような体つき。四肢でしっかりと立ち、太い体から大きな頭が生えていて、2つの角を持つ。

 それが、わたしとクーパーの出会いだった。
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