上 下
17 / 21

(SS)歩実:今日の雨音

しおりを挟む
 教室の窓際の席から、歩実あゆみは黒い雲に覆われた空を眺めていた。
 さゆりが恨めしそうに窓の外をにらんで言う。

「降るのかなぁ……。カッパ着て自転車で帰るの面倒くさいから、帰るまでこのままがいな」

 歩実は、さゆりに微笑みかける。

「私は雨、好きなんだよね。雨の匂いも、傘に当たる音もね」
「えぇー? 歩実、変な子。どうしてそんな風になっちゃったの?」
「人を変態みたいに言わないでよ。ちゃんと理由はあるよ。言わないけどね」

 そう、雨は好きだ。

 小学校の入学式も、雨が降っていた。
 お父さんとお母さんと一緒に、入学式の後、外食をした。雨がしとしと降る中、私はお父さんに抱っこされて、同じ傘に入っていた。その時の雨の匂いと、耳の近くで鳴り続けていた雨が傘に当たる音を、今でも覚えている。

 お父さんは、そのあとすぐにお母さんと離婚していなくなってしまった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 授業が終わり、今日は部活のない日だから、帰り支度をする。
 さゆりが歩実の肩をポンと叩く。

「ねぇ、ちょっと寄っていこうよ」
「いいよ。宿題ないし」

 歩実は徒歩通学だが、さゆりは自転車通学だ。
 駐輪場でさゆりが自分の自転車を出していると、遂に雨がポツポツと降り出した。

「お店までは、押してくよ」

 さゆりは自転車を押して、歩道を行く。歩実は肩にカバンを掛けて、左右の手にそれぞれ傘を持って歩く。

 行きつけのファストフード店に入り、ポテトとシェイクを注文する。ふたりとも帰ったら多分即、夕飯だから。

「歩実、もう進路希望、出した?」
「まだだよ。今日、お母さんと相談……ケンカかも知れないけど、するつもり」
「調理専門学校にいきたいんだっけ。お父さんが料理人だったんだよね」
「そう。今はもう料理人じゃなくて、パン屋やってるらしいんだけどね」
「……全然会ってないの?」
「私が小学校に入った頃にいなくなって、それから一回も会ってないよ。……刑務所に入ってたらしいから、私に気をつかってるんだろうね。それか、私が嫌ってると思ってるのかも。ほとんど覚えてないから、好きも嫌いもないんだけど」

 そう言いながら、歩実は大きな窓の外の、激しくなってきた雨を見る。雨の線は太く、窓に大粒のしずくが当たり、重力に負けてガラスの表層を流れていく。

「でも、やっぱり雨の日に、思い出しちゃうんだよね。家族で行ったレストランのこと」
「いいな、歩実は。わたしは物心つく前にお父さんが亡くなったから、写真でしか見たことないんだ。前にも言ったかも知れないけど」
「……なんだか、ポテトとコーラのつまみに話す内容じゃないね」

 ふたりは、アンマッチな取り合わせに笑った。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 小降りになるのを待って、家に帰った。
 アパートの2階に上がると、玄関ドアの横の閉まった窓から光が漏れていた。珍しく定時で帰れたのだろうか。ドアを開けて「ただいま」とつぶやく。

「おかえり。部活ない日だよね。遅かったじゃない」

 歩実の母、実佳みかが少し疲れた顔で歩実を向いて言った。

「ポテト食べながら豪雨を凌いでたの。そのまま帰ってきたらびしょ濡れになるところだったよ」
「ハンバーガー食べてこなくてよかったわね。今日はハンバーグよ」

 既に食卓には夕飯の準備が出来ていた。

「今日は早く上がれたんだね」
「繁忙期が終わったからね。しばらくは定時上がりかな」
「前もそんなこと言って、次の日から遅かったじゃない」
「今は人が足りてるから大丈夫。あの時は大変だったわねぇ」

 歩実は自室でジャージに着替えて、食卓に着く。実佳は海外雑貨やら、店舗の什器やらの輸入販売の会社の課長だ。父と別れたあとに入った会社で、最初は営業から初めて、今は総務課に所属している。

 夕食の間に、チラチラと視線を感じて、実佳がいぶかしげな表情でく。

「何か言いたそうな顔ね。しかも言いにくそうなカンジ」
「あのね、進路希望を出さないといけないんだけど」

 歩実は一度、うつむいて、実佳の目を見る。

「調理専門学校に行って、調理師免許を取りたいの」
「……取って、どうするの?」
「レストランで働きたい。お父さんと最後に行ったような、ちゃんとしたレストランで働きたいの」

 実佳はフォークを皿の上に置いて、リビングのサイドボードの上の写真立てを見やる。小学校の入学式に小雨の中で撮った写真。歩実が、これだけはとっておいてと捨てさせなかった。

「あなたはナポリタンを食べてたわね。口の周りに色がついて、あの人が何回も笑いながらナプキンで拭いてた」
「そうなんだ、あんまり細かくは覚えてないけど」

 実佳は溜息をいた。

「……お父さんね、料理がとても上手だったわ。あなたがその才能を引き継いでるかは分からないけど。今は普通の大学に行ったからって、大企業に入ったからって、それで安泰っていう時代でもないからね。あなたがその道に進みたいなら、止めはしないわ」
「ホント? じゃあ……」
「でもね、外食産業は大変よ。新人が仕事を覚えるのもそうだけど、お店自体が続かないの。開店しても、数年後には無くなってる店舗がたくさん。忙しいわりに報われないことの多い仕事だってこと、分かってるよね」

 歩実は、真面目顔で答える。

「それでも、やってみたい。誰かの思い出に残るような料理を、私も作りたいの」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 あれから3日間、雨は降り続いている。

 土曜日の午後、歩実とさゆりは、カフェで一緒に宿題をしていた。
 歩実が窓に当たる細かい雨粒を眺めているのを見て、さゆりが微笑む。

「お父さんのこと、思い出してるの?」
「進路を決めたら、お父さんのこと考えなくなるかと思ってたけど、そんなことなかったみたい。やっぱり思い出しちゃうなぁ」
「……ねぇ、会いに行ってみたら?」

 さゆりの提案に、歩実は驚いた顔をする。

「だって歩実、お父さんの居場所知ってるんでしょ。だったら会いに行って、私も料理人になるって伝えればいいじゃない。お父さん、喜ぶかも知れないよ」
「今更、私の顔も覚えてないでしょ。もう10年も会ってないんだよ」

 さゆりは、歩実の右手を両手で握る。

「わたしは、会いたくても、もう会えないの。わたしも一緒に行くよ。だから、行こうよ」
「さゆり……」

 怖い。お父さんに会って、昔のあの思い出が壊れるのが怖い。もし誰かと再婚して幸せそうにしてたら? 昔みたいなカッコいお父さんじゃなくなってたら? いまさら勝手に来るなって嫌がられたら?

 それで歩実は気付いた。
 あの時の父の姿のまま、ずっと自分の頭の中に冷凍保存しておきたかったのだ。解凍して、他の姿になるのを恐れていた。10年で変わらないわけがない。その変化を自分の中で理解できる自信もないし、進路への決意も揺らいでしまうかも知れない。

 歩実の眉をひそめた複雑な表情をのぞいて、さゆりは続ける。

「じゃあさ、まずわたしだけで見てくるよ。ここでしょ、歩実のお父さんのパン屋さん」

 スマホの地図アプリに、歩実の父のパン屋の外観が映る。

「そこだけど、えっ、さゆりが行くの?」
「うん。ちょっと見てくるよ。ついでにこのレビューに書いてある超美味いっていうクロワッサン買ってきてあげる」

 善は急げとばかりに、さゆりは傘を持ってカフェを出て行く。
 すぐに歩実も、傘を持って店を出る。傘をさして小走りで駆けていくさゆりを追いかけながら、大声を上げる。

「さゆり! なんで急にこんなことするの?!」
「青春、青春! 雨なんか、わたしたちの元気で吹き飛ばしちゃおうよ!」
「意味分かんない! 私、全然、心の準備出来てないよ!」

 さゆりが小走りのまま、満面の笑顔で叫ぶ。

「10年も準備してきたじゃない! 今日のためにさ!」

 その時、雨が本降りになった。ふたりは近くのバス停に避難する。
 バス停の屋根に当たる雨の音は大きく、道に勢い良く落ちてはねて来た水滴が靴を濡らす。

「着いたらずぶ濡れだよ。恥ずかしいよ」
「今日会えないなら、もう一生会えないかもよ。それでも諦める?」

 さゆりの問いに、歩実は真っ直ぐ前を見つめる。

「ううん。私は会いたい。本当は、ずっと会いたかった」
「じゃあ、行こうよ」

 さゆりは手を差し出す。
 歩実は少し戸惑って、さゆりの手を取った。

 ふたりはうなずき、大粒の雨が降りしきる中、もう一度歩き出した。

 <歩実 今日の雨音:終>
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ゲーム内最強の五人が異世界転生

ただのしかばね
ファンタジー
科学の進歩が激的に増加の一途を辿った2070年。あるゲームが日本で話題となった。 それは、2065年に開発された仮想空間へのダイブを可能としたバーチャルオンラインシステム機、通称VOS機を専用としたゲーム、『ファンタジスター・ナイト・マジック・オンライン』—— FNMO。 それこそがゲーム業界、歴代のゲームの中でも断トツのプレイ者数、売上数を記録したゲームであった。 だが、そんな今も人気急上昇中のFNMOで、『英雄』と呼ばれた最強の五人がある事から現実世界とゲーム世界、二つの世界から姿を消すことになる。 それが、今までの人生という名のプロローグを終えた五人の、物語の始まりだった。

可愛くてピュアなBL短編集✩.*˚

立坂雪花
BL
今まで書いた 可愛くてピュアなBL短編集を まとめたい。 ☆。.:*・゜

私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。

木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるアルティリアは、婚約者からある日突然婚約破棄を告げられた。 彼はアルティリアが上から目線だと批判して、自らの妻として相応しくないと判断したのだ。 それに対して不満を述べたアルティリアだったが、婚約者の意思は固かった。こうして彼女は、理不尽に婚約を破棄されてしまったのである。 そのことに関して、アルティリアは実の父親から責められることになった。 公にはなっていないが、彼女は妾の子であり、家での扱いも悪かったのだ。 そのような環境で父親から責められたアルティリアの我慢は限界であった。伯爵家に必要ない。そう言われたアルティリアは父親に告げた。 「私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。私はそれで構いません」 こうしてアルティリアは、新たなる人生を送ることになった。 彼女は伯爵家のしがらみから解放されて、自由な人生を送ることになったのである。 同時に彼女を虐げていた者達は、その報いを受けることになった。彼らはアルティリアだけではなく様々な人から恨みを買っており、その立場というものは盤石なものではなかったのだ。

余りモノ異世界人の自由生活~勇者じゃないので勝手にやらせてもらいます~

藤森フクロウ
ファンタジー
 相良真一(サガラシンイチ)は社畜ブラックの企業戦士だった。  悪夢のような連勤を乗り越え、漸く帰れるとバスに乗り込んだらまさかの異世界転移。  そこには土下座する幼女女神がいた。 『ごめんなさあああい!!!』  最初っからギャン泣きクライマックス。  社畜が呼び出した国からサクッと逃げ出し、自由を求めて旅立ちます。  真一からシンに名前を改め、別の国に移り住みスローライフ……と思ったら馬鹿王子の世話をする羽目になったり、狩りや採取に精を出したり、馬鹿王子に暴言を吐いたり、冒険者ランクを上げたり、女神の愚痴を聞いたり、馬鹿王子を躾けたり、社会貢献したり……  そんなまったり異世界生活がはじまる――かも?    ブックマーク30000件突破ありがとうございます!!   第13回ファンタジー小説大賞にて、特別賞を頂き書籍化しております。  ♦お知らせ♦  余りモノ異世界人の自由生活、コミックス3巻が発売しました!  漫画は村松麻由先生が担当してくださっています。  よかったらお手に取っていただければ幸いです。    書籍のイラストは万冬しま先生が担当してくださっています。  7巻は6月17日に発送です。地域によって異なりますが、早ければ当日夕方、遅くても2~3日後に書店にお届けになるかと思います。  今回は夏休み帰郷編、ちょっとバトル入りです。  コミカライズの連載は毎月第二水曜に更新となります。  漫画は村松麻由先生が担当してくださいます。  ※基本予約投稿が多いです。  たまに失敗してトチ狂ったことになっています。  原稿作業中は、不規則になったり更新が遅れる可能性があります。  現在原稿作業と、私生活のいろいろで感想にはお返事しておりません。  

アラサー未亡人!

あやは
エッセイ・ノンフィクション
28歳で夫を亡くしたアヤ。 夫はアヤと娘を守るために自ら命を絶った。夫の遺したお金を使うことに罪悪感が生まれたアヤは、自暴自棄になりアダルトなメールレディーとして稼ぐことにする。 そこで出会った年下男ノジにマネージャーになってもらい二人三脚で収入を増やす?!しかし気付かされるほんとに大事なものとは、、?

ありのままのわたしを愛して

彩華(あやはな)
恋愛
私、ノエルは左目に傷があった。 そのため学園では悪意に晒されている。婚約者であるマルス様は庇ってくれないので、図書館に逃げていた。そんな時、外交官である兄が国外視察から帰ってきたことで、王立大図書館に行けることに。そこで、一人の青年に会うー。  私は好きなことをしてはいけないの?傷があってはいけないの?  自分が自分らしくあるために私は動き出すー。ありのままでいいよね?

自称ヒロインに「あなたはモブよ!」と言われましたが、私はモブで構いません!!

ゆずこしょう
恋愛
ティアナ・ノヴァ(15)には1人の変わった友人がいる。 ニーナ・ルルー同じ年で小さい頃からわたしの後ろばかり追ってくる、少しめんどくさい赤毛の少女だ。 そしていつも去り際に一言。 「私はヒロインなの!あなたはモブよ!」 ティアナは思う。 別に物語じゃないのだし、モブでいいのではないだろうか… そんな一言を言われるのにも飽きてきたので私は学院生活の3年間ニーナから隠れ切ることに決めた。

茶番には付き合っていられません

わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。 婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。 これではまるで私の方が邪魔者だ。 苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。 どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。 彼が何をしたいのかさっぱり分からない。 もうこんな茶番に付き合っていられない。 そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。

処理中です...