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第10話 ペペロンチーノ
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「久美、エプロンつけておけ。オイルが跳ねるだろ」
遼一がエプロンを渡すと、久美は笑顔で言う。
「ありがとう、遼一さん。いつも優しくしてくれて」
「毎回、感想を言わなくてもいいよ。当たり前のことしてるだけなんだから」
「それが……ううん、なんでもないです」
園崎が調理の様子を見守る。久美は沸騰したパスタ鍋に塩を入れて、スパゲティを投入する。フライパンにオイルを流し入れ、温めながら、まな板でにんにくをみじん切りにする。
遼一は、暇そうにしている和樹に水を出した。
「料理の後でコーヒーを持って来ますけど、ブラックで良いですか?」
「カフェ・オレがありがたいです。ブラックはなんだか胃にくる気がするので」
「かしこまりました。パスタはそれほど時間、かからないと思うので……」
「あの、えっと……柳本さん、久美がいつもこの店にお邪魔しているようで、申し訳ありません。でも、なんで久美に良くしてくれるんですか」
なんて答えるべきか、難しい質問だ。
遼一に下心はみじん切りにした玉ねぎの一片ほども無いし、明日、久美が来なくなったとしても、仕事は変わることなく続いていくだろう。なら確かに、なんでわざわざ久美のために園崎を呼ぶなんてことをしているのだろうか。
腕を組んで唸りながら考える遼一を見て、和樹は微笑んだ。
「いや、それで大体分かりました。仕事柄、色んな人と話しますので、その態度であなたが誠実な方とお見受けしました。取り繕った言葉が出てこなかったことが何よりの証拠です」
答えるまでもなく見透かされたみたいになってしまい、遼一はすごすごと厨房に戻った。
厨房では、傍らで園崎が引き続き見守り、久美は温めたオイルに、薄くスライスしたにんにくと、みじん切りにしたにんにくを投入していた。
にんにくの色が少しずつ焼けて変わっていくと、強い香りが鼻に入ってきた。そこで種を取り除いて輪切りにした鷹の爪と、これまたみじん切りにしたイタリアンパセリを加える。
久美はパスタ鍋の茹で汁をお玉で掬い、フライパンに入れる。少しの間フライパンを揺すりながら待って火を止め、茹で時間早めに切り上げたスパゲティの水気をしっかり切って、トングを使いフライパンに入れる。
もう一度火にかけ、トングでささっと混ぜ合わせたら、塩とコショウで味付けする、2、3本取って味を確かめる。
「おれにも味見させてもらえるかな」
園崎も数本取って、口に入れる。何かを考えるようにしながら、しっかりと咀嚼して、頷いた。
火を止め、トングと菜箸で皿に盛り、数枚のイタリアンパセリを乗せて完成だ。
厨房内には、お腹が減りそうな良い香りが漂っている。遼一は、今日は自分もパスタを作ろうと決めた。
久美は大きめのトレイに、皿とフォークとおしぼり、ナブキンを乗せて、和樹の待つイートインコーナーのテーブルへ持って行った。
皿とおしぼりをテーブルに置き、ナプキンの上にフォークを置いた。
「どうぞ。ペペロンチーノです」
久美の声に、和樹は胸の前で手を合わせて、フォークを持ちくるくるとスパゲティを絡めて口に持っていく。
ゆっくりと味わいながら咀嚼して、何度か頷いた。
「……全部食べていいんだよな」
「もちろん!」
なぜか仁王立ちの久美に、和樹は微笑みながら、また食べ始める。
園崎が、久美に指示を出す。
「じゃあ、食べていただいてる間に片付けをしようか。料理の合間の片付けも大事な仕事だからね」
「分かりました! 片付けします」
久美は、フライパンやパスタ鍋、使用した器具を洗う。様子が気になるのか、時々、和樹の方を見やる。
あらかた片付けが終わった頃、イートインコーナーから和樹の声がした。
「ごちそうさま。にんにくが効いてて美味しかったよ」
久美がトコトコと駆けて行き、和樹に頭を下げる。
「お父さん、今日は私の我儘に付き合ってくれてありがとう。……私の本気、伝わった?」
和樹は腕を組んで、俯く。少し考えた後、園崎を向いて尋ねる。
「この子はイタリアで働けると思いますか?」
「おれがイタリアで修行し始めた時は、イタリア語もほとんど喋れず、料理なんてインスタントにお湯を入れるくらいでした。それでも、1年間で基礎中の基礎みたいなことを日々繰り返して、今、お客さんに美味しいって言ってもらえるくらいになれました。彼女は、今の時点でこれだけやれるんですから、後は多少現地でのコミュニケーションが出来れば大丈夫だと思いますよ。あとは、本人のやる気次第ですかね」
「そうですか……」
遼一は久美を見る。彼女は、胸に手を当てて、真剣な表情で和樹を睨んでいる。
和樹が、ゆっくりと久美の方を見て告げる。
「大学を卒業してからでは、せっかくの新卒のカードを失うことになる。1年休学して、修行に行ってみたら良い。途中で投げ出したり、クビになったら、ちゃんと普通の企業に就職しなさい」
久美の顔が綻ぶ。
「いいの?! 私、修行して来ていいの?」
「そう言ってるじゃないか。柳本さん、どこか紹介していただけるようなことを聞きましたが」
「橋口という男が、イタリアとフランスで店を経営しているオーナーとの繋がりを持っています。俺から、紹介してもらえるように連絡しておきますよ」
「なにからなにまで申し訳ありません。よろしくお願いします」
こうして、久美のイタリア修行への道が開かれたのであった。
遼一は厨房で食後のコーヒーを淹れながら、ふと考える。
久美がイタリアへ旅立ったら、もう毎日のように訪れていた、あの笑顔は見られなくなる。
どうやら、ぶつ切りにしたニンジンのひと欠片くらいの感情は、久美に対して持っていたようだ。だが、今日はそのことは考えないようにしよう。
4人分のコーヒーをトレイに乗せ、イートインコーナーへ向かう。その足取りは、なんだか少し重かった。
遼一がエプロンを渡すと、久美は笑顔で言う。
「ありがとう、遼一さん。いつも優しくしてくれて」
「毎回、感想を言わなくてもいいよ。当たり前のことしてるだけなんだから」
「それが……ううん、なんでもないです」
園崎が調理の様子を見守る。久美は沸騰したパスタ鍋に塩を入れて、スパゲティを投入する。フライパンにオイルを流し入れ、温めながら、まな板でにんにくをみじん切りにする。
遼一は、暇そうにしている和樹に水を出した。
「料理の後でコーヒーを持って来ますけど、ブラックで良いですか?」
「カフェ・オレがありがたいです。ブラックはなんだか胃にくる気がするので」
「かしこまりました。パスタはそれほど時間、かからないと思うので……」
「あの、えっと……柳本さん、久美がいつもこの店にお邪魔しているようで、申し訳ありません。でも、なんで久美に良くしてくれるんですか」
なんて答えるべきか、難しい質問だ。
遼一に下心はみじん切りにした玉ねぎの一片ほども無いし、明日、久美が来なくなったとしても、仕事は変わることなく続いていくだろう。なら確かに、なんでわざわざ久美のために園崎を呼ぶなんてことをしているのだろうか。
腕を組んで唸りながら考える遼一を見て、和樹は微笑んだ。
「いや、それで大体分かりました。仕事柄、色んな人と話しますので、その態度であなたが誠実な方とお見受けしました。取り繕った言葉が出てこなかったことが何よりの証拠です」
答えるまでもなく見透かされたみたいになってしまい、遼一はすごすごと厨房に戻った。
厨房では、傍らで園崎が引き続き見守り、久美は温めたオイルに、薄くスライスしたにんにくと、みじん切りにしたにんにくを投入していた。
にんにくの色が少しずつ焼けて変わっていくと、強い香りが鼻に入ってきた。そこで種を取り除いて輪切りにした鷹の爪と、これまたみじん切りにしたイタリアンパセリを加える。
久美はパスタ鍋の茹で汁をお玉で掬い、フライパンに入れる。少しの間フライパンを揺すりながら待って火を止め、茹で時間早めに切り上げたスパゲティの水気をしっかり切って、トングを使いフライパンに入れる。
もう一度火にかけ、トングでささっと混ぜ合わせたら、塩とコショウで味付けする、2、3本取って味を確かめる。
「おれにも味見させてもらえるかな」
園崎も数本取って、口に入れる。何かを考えるようにしながら、しっかりと咀嚼して、頷いた。
火を止め、トングと菜箸で皿に盛り、数枚のイタリアンパセリを乗せて完成だ。
厨房内には、お腹が減りそうな良い香りが漂っている。遼一は、今日は自分もパスタを作ろうと決めた。
久美は大きめのトレイに、皿とフォークとおしぼり、ナブキンを乗せて、和樹の待つイートインコーナーのテーブルへ持って行った。
皿とおしぼりをテーブルに置き、ナプキンの上にフォークを置いた。
「どうぞ。ペペロンチーノです」
久美の声に、和樹は胸の前で手を合わせて、フォークを持ちくるくるとスパゲティを絡めて口に持っていく。
ゆっくりと味わいながら咀嚼して、何度か頷いた。
「……全部食べていいんだよな」
「もちろん!」
なぜか仁王立ちの久美に、和樹は微笑みながら、また食べ始める。
園崎が、久美に指示を出す。
「じゃあ、食べていただいてる間に片付けをしようか。料理の合間の片付けも大事な仕事だからね」
「分かりました! 片付けします」
久美は、フライパンやパスタ鍋、使用した器具を洗う。様子が気になるのか、時々、和樹の方を見やる。
あらかた片付けが終わった頃、イートインコーナーから和樹の声がした。
「ごちそうさま。にんにくが効いてて美味しかったよ」
久美がトコトコと駆けて行き、和樹に頭を下げる。
「お父さん、今日は私の我儘に付き合ってくれてありがとう。……私の本気、伝わった?」
和樹は腕を組んで、俯く。少し考えた後、園崎を向いて尋ねる。
「この子はイタリアで働けると思いますか?」
「おれがイタリアで修行し始めた時は、イタリア語もほとんど喋れず、料理なんてインスタントにお湯を入れるくらいでした。それでも、1年間で基礎中の基礎みたいなことを日々繰り返して、今、お客さんに美味しいって言ってもらえるくらいになれました。彼女は、今の時点でこれだけやれるんですから、後は多少現地でのコミュニケーションが出来れば大丈夫だと思いますよ。あとは、本人のやる気次第ですかね」
「そうですか……」
遼一は久美を見る。彼女は、胸に手を当てて、真剣な表情で和樹を睨んでいる。
和樹が、ゆっくりと久美の方を見て告げる。
「大学を卒業してからでは、せっかくの新卒のカードを失うことになる。1年休学して、修行に行ってみたら良い。途中で投げ出したり、クビになったら、ちゃんと普通の企業に就職しなさい」
久美の顔が綻ぶ。
「いいの?! 私、修行して来ていいの?」
「そう言ってるじゃないか。柳本さん、どこか紹介していただけるようなことを聞きましたが」
「橋口という男が、イタリアとフランスで店を経営しているオーナーとの繋がりを持っています。俺から、紹介してもらえるように連絡しておきますよ」
「なにからなにまで申し訳ありません。よろしくお願いします」
こうして、久美のイタリア修行への道が開かれたのであった。
遼一は厨房で食後のコーヒーを淹れながら、ふと考える。
久美がイタリアへ旅立ったら、もう毎日のように訪れていた、あの笑顔は見られなくなる。
どうやら、ぶつ切りにしたニンジンのひと欠片くらいの感情は、久美に対して持っていたようだ。だが、今日はそのことは考えないようにしよう。
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