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第2章 Fluttering

第13話 傷口

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 アルゴリズムによる配列の範囲外指定でエラーが発生した。そのエラーが可視化され、傷口のようなグラフィックとして表示される。

 傷口からは出血みたいにコードや数字があふれてきている。もうバグが勝手に動き回ることはないけど、代わりに傷口はやたらとリアルな表現になっている。多分、これも社長の趣味なんだろうな。

 私はレーザー型のモデファイ・ガンを構え、修復のコードを詠唱し、レーザーの光を傷口に当てる。エラーの原因さえ分かれば、あとはAIがソースコードを修正してくれるのだ。だから私達はキーボードを叩く必要がない。

 傷口は修復作業が進むにつれ徐々に塞がっていく。完全に塞がったら消えるものと思っていたが、薄い傷痕きずあととして残った。

「完治してもあとが残る仕様なの?」
「相変わらずエラー周りの資料はほとんど無いからな。分からん」
「適当だなぁ。そのうち傷痕きずあとが消えるか、って今度は生き物みたい」

 さとしは仕様変更された部分の資料を出すよう会議で再三伝えているが、開発部からは、なしのつぶてらしい。

「私がハッキングしましょうか」
「知ってると思うけど、ここでの会話もログが残るからな」
「音声データの保存場所は知ってるから、なんなら消しちゃいますよ」

 スーパーハッカーの希璃きりは本来の能力を発揮できず、手持ち無沙汰の様子だ。おとなしくセキュリティ部にいればよかったのに。
 希璃は私と一緒に働きたいと言ってこのチームに入ってきた。だが、地味な作業の積み重ねであるデバッグ作業は、彼女を辟易へきえきさせているのだろう。

 私達は、コンサートホールをした建物の検証作業に入っている。

 AIが動かす30名ほどの吹奏楽団がクラシックを奏でる中、跳ね上げ式の椅子の上に立ったり、スピーカーを叩いてみたり、演奏中の楽団員の邪魔をしてみたり、なんだか酔っ払いが悪行を働くような行動をして、チェック項目を埋めていく。

 長縄くんは、壁に向かって歩き続けるという苦行を買って出た。ホールのあちこちの壁にぶつかって行く勇姿を見て、私は色んな意味で泣きそうになった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 作業を終えて、ゴーグルとイヤフォン、手袋を外す。
 隣の席には希璃がいる。そういえばここはオフィスだったなと思い出した。乾燥対策のためにマスクまで着けていると、視覚、聴覚、触覚、嗅覚にいたるまで、味覚以外の感覚を奪われてしまうため、作業中は自分がどこにいたのか忘れてしまう。

 私と希璃はコンビニ弁当を持って休憩室へ向かう。私はタルタルチキン南蛮、希璃はオムカレーだ。

 廊下を歩いていると、モリワキ社長とすれ違う。ブロンドヘアのポニーテールでスタイルの良い女性が、社長の横に付いて歩いている。
 その女性と一瞬、目が合った。すぐにあちらが目をらした。
 間抜けなプロの人だ。

 希璃は、その女性の後ろ姿をじっとにらんでいた。

「何あれ、女をはべらせて。セリトらしくないよ」
「綺麗な人だったね。あんな美人じゃ隠密行動が下手なわけだ」
「隠密行動?」

 それは置いておいて、まずは腹ごしらえだ。
 もう午後3時なので閑散としている休憩室に入る。コンビニ弁当をレンジで温めて、食べながら話の続きをする。

「私が遠藤教授と会ってる時に、コソコソ見張ってた人だと思う」
「遠藤さんと何の話をしてたの?」
「社長がアメリカの警備会社と取引してたって。何か良くないことをしようとしてるかも、って教えてくれた。あと、周りに気をつけるようにって」
「なら、あの女はセリトの護衛ってことか。にしても、目立ちすぎでしょ」

 希璃にも、社長が何を企んでいるのかは分からないようだ。ただ、フラクタル・グラウンドは日本のみベータ版が配信されている段階だが、別会社が製作している基幹マスターAIは、すでにアメリカ、中国、インドで別のソフトウェアやサービスのベースとして動いているらしい。

「あのエラー処理用のAIは廃棄かなぁ」
「あっちの方が動作が速くてセキュリティも強かった。私が基幹マスターAIにやったみたいなシステム設定の書き換えなんてできなかったんだけど、商用には適さなかったってことでしょうね」

 間違いなく、何かが裏で動いている。でも、何が狙いか、何をしたいのかが全く見えてこない。

「私達が悪事の片棒を担いでるってことはないよね」
「直接は、ないと思う。さやかさんの言ってる意味も分かるし、あの女のことも気になるから、私も調べてみるよ」
「モリワキ社長のことは触れない方がいいと思う。希璃にも警告がいくだろうから」
「私が探知されるようなヘマ、するわけないじゃない」

 胸に握り拳を当て、えっへんと偉そうな顔をする。頼れるスーパーハッカーだ。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 オフィスの中、自分のチームの島に戻ると、智と長縄くんが難しそうな顔をしながら、動画を見ていた。私は野次馬で覗き込む。ずいぶん前に、広瀬チームがレベルAのバグに壊滅させられた時の映像だった。

「また見てるの? もうバグは襲ってこないじゃない」
「一番最初の、エラーが発生した時さ。明らかに不自然な出方をしてるんだ。まるで……」
「爪で引っ掻いたみたいに見えます」

 長縄くんが楽しそうに智に被せる。

「解像度が低いので、画像処理ソフトにかけてみたんです。ここを見てください」

 そう言って、彼は再生ボタンをクリックする。
 何もない空間に、少しひずみが現れる。一度止まって、しばらくすると一気に歪は下に向かって広がる。

「なんか、チャックを開けるみたいに広がってるね」
「そうなんです。いったん少しだけ開いてみて、その後はどこまで開けられるかを試しているようにも見えます」

 人為的なものか、AIの暴走か。それとも。

「希璃はこれに関係してないんだよね」
「私がやるなら、もっとカッコ良くやる。演習の邪魔した時だってヒーローみたいだったでしょ。セキュリティ部でもこのレベルAの件を調査したけど、外部からのアクセスはなかったって結論が出てる」
「内部からは?」
「内部? ……その可能性は最初から排除されてたかもね。ログが残るから」

 希璃ですら、AIのシステム設定を変更した記録を消すことはできず、あっという間にマスターAIに検知されていた。
 おそらくこの社内に希璃以上のスキルを持った人物はいない。つまり、操作ログで引っ掛かってこない場合、内部犯の可能性は限りなく低いと言える。

「ねえ、希璃。エラー処理用のAIがどうなったか調べてほしいんだけど」
「さやか。朝宮。それはやめておけ」
「どうしてよ。希璃なら跡を残さずに調べられるよ」

 智は私と希璃を交互に見てから、険しい表情で言う。

「広瀬先輩の行方が分からなくなった」
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