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第15話 それが、ファン!

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 ミカがぱったりとサトルの部屋に遊びに来なくなった。

 元々、いつも一緒に試合を観ようと約束していたわけではない。金曜の夜や、土日にチャイムが鳴れば、サトルの部屋で観戦していただけだ。

 隣にいるんだからということで、メッセージアプリのIDも交換していなかったので、サトルから声をかけるにはミカの部屋のチャイムを押すしかない。
 いつからか、ベランダでタバコを吸うこともなくなっていて、アパートの駐輪場でたまたま出くわすこともなかった。

 そうして、3週間が過ぎた。
 ギガントパンサーズは相変わらずで、連勝はしないけれどあっさり連敗はしてしまう有り様。遂には、コツコツと借金20を積み重ね、監督の去就が注目される事態となっていた。

 あの、アカネを背負いながらミカを目撃した夜をさかいに、ミカの姿を見ていない。
 サトルは考えた。ミカに、心境の変化があったのかも。もしくは、あの男が何らかの影響を与えている、というかアレは誰なんだろう。もしくは、サトルのことが急に嫌いになったとか、あれやらこれやら、本当に色々と考えた。
 考え過ぎて、帰りに降りる駅を間違えたりもした。

 それでも、どうしてもミカの部屋のチャイムを押すことは出来ず、悶々とした日々は過ぎていった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 華の金曜日。明日は休み。
 仕事を終えたサトルは、いつものネパール人の店のインドカレーをテイクアウトした。スーパーでは黒ラベルの缶ビールを買った。
 このふたつは、以前にギガントパンサーズの勝利を呼び込んだと思われるゲン担ぎ。最近は全く効果が無いのだけれども、今日はきっと、今日はきっとという想いで続けている。

 アパートの駐輪場を通りがかると、ちょうど、ミカが原付で帰ってきたところだった。
 サトルは一瞬、通り過ぎようとしたけれど、きびすを返すと、意を決して震えるような声を出した。

「こ、こんばんは」
「あっ、サトルくん。なんだか久しぶりな気がするね」
「さ、3週間くらい、ですかね。元気ですか?」
「元気は……ないかな。最近は土日も、昔の馴染みのバーでバイトしてるし。欲しい音楽の機材が高いんだよねぇ」
「ああ、そういうことでしたか。ずっとウチに来なかったから、嫌われたのかと思いました」

 サトルはなかば冗談で言ったつもりだったが、その言葉に対して彼女の反応は無かった。

「ま、とにかく、しばらくは一緒に試合を観るのは無理だと思うから、ギガントパンサーズのことはサトルくんに任せるよ」

 ミカはそう言って、さっさと階段を上がって行ってしまった。取り残されたサトルは、呆気に取られたような表情でそれを見送った。

「やっぱり、嫌われたのかなぁ」

 ひとりつぶやき、肩を落としながら階段をゆっくりと上がる。

 廊下の先に、自分の部屋の玄関ドアにもたれて、ミカが立っていた。

「なんかやっぱり、ちゃんと話しとくべきかなって思ってさ。サトルくんの部屋、入ってもいいかな」
「金曜日だから、ちょっと散らかってますけど」
「じゃあ、着替えて行くから、片付けといて」

 そう言って、彼女は自分の部屋に入った。
 サトルは急いで部屋に入り、床に適当に置いたからの弁当やら菓子の袋やら、ペットボトルを集めてとりあえず大きなビニール袋に詰める。部屋干ししていた服も片付けて、ベランダのガラス窓を開けて外気を取り込む。
 掃除機を軽くかけて、リビングテーブルを拭いた。とりあえず、まっとうな人間の棲家すみかには見えるようになった気がする。

 ディスプレイにギガントパンサーズの試合を映す。3回だが、すでに5対0で負けている。今日もこのまま負けてしまうのかなとがっかりしていると、チャイムが鳴った。

「どうぞ」
「……お邪魔します」

 よそよそしい雰囲気で、ミカが部屋に入って来た。

「あちゃー。また負けてるよ。こりゃ監督、休養しちゃうかな」
「どうですかね。ベンチがどうこうというよりも、投打が全体的にダメだから、今年は新人の練習みたいな感じにするんじゃないですか」
「って、そんなこと話しに来たわけじゃないの。とりあえず座りましょ」

 ミカの表情は明るくなく、まるで別れ話でもするような深刻な顔をしている。サトルは大きくなる鼓動を抑えるように、胸を数回叩いた。

 リビングテーブルを挟んで向かい合う。実況の声だけが部屋の中に響く。
 しばらくの沈黙のあと、ミカがサトルを真っ直ぐに見て喋り始めた。

「あのさ、サトルくん。私って、女の魅力、無いのかな」
「えっ?!」

 突然の問いかけに、サトルは言葉が出ない。普通は「あります」と即答するところなのだろうが、それでいのかすら分からない。

「いきなり変なき方してゴメン。……もっと変なこと言うんだけど、サトルくんって、もしかして……男の人のほうが好きだったりする?」

 サトルは、あまりの質問に口が震える。困惑である。彼女は一体、何の話をしているんだろうか。

「あ、あの……。なんで、そう……思ったんですか……?」

 若干、目に涙が溜まってきた。好きな女性からそんなことを言われて傷付かない男がいるだろうか、いや、いないはずだ。

「何週間か前にさ、兄貴と歩いてたら、サトルくんがアカネちゃんをおんぶしてるの見ちゃったんだよね。で、ウチの兄貴が、いわゆるバイセクシャルなんだけど。サトルくんのことを話したら、もしかすると女よりも男が好きなんじゃないかって言って。それで、なんかここに来るの、敬遠しちゃったんだよね」

 サトルは首をかしげる。

「……そんな男好きみたいなエピソードありましたっけ? 随分と前に、僕はミカさんのことが好きだって言いましたよ」
「そうなんだけど、何回ここに来ても、手を出さなかったじゃない。前にスタジアムに行った時も、テツヤくんとばっかり話してたし。それに、アカネちゃんをおぶってたのも。女の子とあんな風にくっついて何にも思わないっていうのも変だと思ったの。まるで、女には興味が無い、みたいな?」

 サトルは大きく息を吐いた。少し考えをまとめる。

「えっと、まず、アカネを背負うのは大学の頃にしょっちゅうしてました。あいつはソフトボール部のマネージャーだったんですけど、貧血持ちで、しかもすぐに熱中症になってたりしたので。その頃は、今と違って痩せてたし、僕は仲が良かったので、おんぶ係だったんです」
「そうなんだ……今はふっくら、してるね」
「はい。で、スタジアムでテツヤくんと話をしてたのは、アカネと仲直りさせるためです。僕だって、もっとミカさんと喋りたかったですよ。でも、やっぱりあのふたりが付き合い始めた頃から知ってる身としては、放っておけないじゃないですか」

 ミカが、うなずきながら、少し目をうるませる。泣きたいのはこっちなのだが。

「で、ミカさんに手を出さなかったのは……」

 この先の言葉は、人生を動かす言葉だ。よく考えろ。本当に今、言うべきか? いや、もうここで言うしかない!

「一緒に暮らしませんか。もう少し広い部屋を借りて。ミカさんとずっと一緒に過ごしたいです。それまで、手は出さないようにって思ってたんです」

 ミカがうつむく。表情が分からないので、サトルは喉を鳴らして彼女の反応を待つ。

「……私さ、サトルくんが嫌がるかなって、タバコ、やめたんだよ」
「そうだったんですか……ありがとうございます」
「ここに遊びに来る時さ、ちゃんと身体洗ってから来てたんだよ。一応ね」
「……はい。すいませんでした」

 ミカがサトルを見る。目からは涙がこぼれていた。

「私も、サトルくんのことが好き。ずっと一緒にいたい。一緒にギガントパンサーズ応援して、楽しく過ごしたい」

 サトルに抱きついて、肩に顔を埋め、ミカが泣きじゃくる。
 ゆっくりと背中に腕を回して、サトルは彼女を抱きしめた。

『伊月、豪快な一発! 反撃の口火を切る満塁ホームランです!』

 大歓声と大きな実況の声が部屋の空気を満たす。

「満塁ホームランだって。でも、まだ1点差だよね」
「僕たちのお祝いに、ホームラン打ってくれたんじゃないですか?」

 泣きながら、ふたりは笑った。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 半年後。

「ただいまー。寒かったぁ」

 玄関のドアを開けると、パタパタとミカがやって来た。

「おかえり。ねえ、見てよコレ」
「……えっ! 伊月選手のサインじゃん。すごいね!」
「いつも行くパン屋さんに、たまたま来てたんだよ。店主と知り合いなんだって」
「家宝にしなきゃなぁ。どこに飾ろうか」

 サトルは、サイドボードの上に置いたり、出窓に置いたりして、最適な場所を探し始める。

「それと、今日は産婦人科も行ってきたけど、順調だったよ」
「早く一緒にギガントパンサーズの試合、観たいなぁ。野球も教えたいし」
「まだ男の子か女の子か分からないよ」
「女の子ならソフトボールを教えるから大丈夫だよ」

 ミカが、お腹をさすりながらつぶやく。

「アンタ、大変ねぇ。生まれたらすぐに野球漬けにされるみたいだよ」

 ギガントパンサーズは90敗してシーズンを終えた。なかなかの記録である。結局、監督は続投。シーズン中に育てた若手を中心に、来シーズンに向けてキャンプを頑張るとかなんとか。去年も同じこと聞いた気がする。

「来年は、この子も連れてスタジアムに行こうよ」
「まだ無理よ。それに物心つく前に行っても覚えてないでしょ」

 サトルはにやりと笑う。

「もしかすると、この子を連れてくと勝てるかも知れないだろ」

 まだまだ、サトルのゲン担ぎは続くようだ。

 〈了〉
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