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第三章
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目覚めてみると、娘と一緒に病室で寝転がっていた。猫の爪で引っ掛かれたような傷跡が全身にあって、少し空気に触れるだけでも痛い。
「莉子は、莉子はどこにいるの?」
繋がれている点滴の管が邪魔になって、起き上がれなかった。その代わりに見えたのは、擦り傷にまみれた呪術師だった。
呪術用の服の上にトレンチコートを纏っている。静かに、と言うように口の前で人差し指を立てている。今度は他の患者さんの迷惑にならないように、小さな声で話す。
「ここは? 何で病院に?」
呪術師は誰も聞いていないことを確認すると、冷静に語りだした。
「落ち着いて。あなたは事故に遭って病院に運ばれたことになっています。莉子ちゃんは、あなたの隣にいるので、症状が治まったら会いに行けますよ」
「生きてるなら、良かった」
よく見てみると点滴以外にも、脚に包帯が巻かれている。そういえば、あのとき、負傷しちゃったんだっけ。てことは、夢じゃなかったんだ。
混乱しつつも、状況を受け入れていた。呪術師は大きなため息をついて、いつもの砕けたモードに変わった。伸びをして、みかんを食べながらだらけ始めたのだ。
「ほんと大変だったぁ。秋月さんに悪霊が乗り憑いて『死体がない……死体がない……死体がない……』と、つぶやきながら部屋の中を徘徊し始めたんだからね。あのときの莉子ちゃんと同じように」
話によると、ずっと呪術師が浄化をしてくれていたそうだ。おかげで生きてこれたし、足の骨折だけで済んだみたい。
「本当にありがとうございました。何とお礼を言ったらいいのか」
「まじで、今回の呪いはしんどかったよ」
「お金をお支払いしますので」
「既に貰ってるよん」
ひらひらとお札を見せつけてきた。どう見ても、三枚はある。三万円か、三千円か、どっちだよ。
「あ、ちょっと待ってください」
「じゃあ、もう会わないことを願ってるわ。じゃーねー」
確認するために引き留めようとしたけれど、颯爽と帰られてしまった。あとでカバンの中身を見ると、財布から三万円が取られていた。でも、まあいっか。莉子と一緒に生きて帰って来られただけでも十分だ。
*
すっかり元の日常に戻った。わたしは資料館で松葉杖をつきながら、事務作業をしている。書類の整理はできないから、柳さんと小河原さんにお任せしている。
この数か月の流れが速すぎて、現実味がなくボーっとしている。傷跡は残っているから、たしかに現実に起こったようだ。まだ、確認したいことがあった。
「すみません。秋月莉子の母です。延長保育をお願いします」
「はい、分かりました」
電話をかけて、立ち入り禁止と書かれているドアの前で待ち構えていた。やってきたのは、申し訳なさそうにしている小河原さんだった。
「やっぱり、あなただったんですね。どうして、予言書の切れ端を置いたりしたんですか?」
咳ばらいをして、必死に話し出した。
「ちょっと待って。それには深い訳があるの」
「どんな?」
わたしは、わざと呪いをかけるようなことをする人じゃないと分かっている。事情は知っておきたかった。わたしは、無表情を崩さずに、問い詰めた。
「実は、古道具屋さんに行ったときに手に入れたもの。で、家に置き始めてから怖い夢を見るようになってね。恐ろしくなって、バレないように会社に置いちゃったんだよね」
スラスラと話し始めるではないか。まあ、でも、本当のことが知れたから良かったのかな。ひとまずは、小河原さんを許すことにした。
「……そういうことでしたか」
「でも、ほんとにごめんなさい! ここまでの被害になるとは思ってなくて」
青ざめた顔で、言い訳がましく話し続けている。
「もう分かりましたから。大丈夫です」
そう言って、わたしは保育園に向かっていた。
呪いがなくなると、上田さんも元通りに出社してきた。しかし、パワハラをするたびに右腕が耐えられないほどの激痛に襲われるとのこと。おかげで言い方が少しだけ優しくなった。
娘の笑顔も取り戻した。念願の遊園地にも一緒に行った。元旦那は連れ出せなかったけれど、娘と二人で行くのは楽しかった。
寝る前にワンちゃんの絵本を読むように娘に頼まれて、見てみたら狗神がいた村の物語だった。呪いのかけ方まで載っている。
娘に連れていかれて庭を見に行ってみると、犬が埋まっていた。
「ここにやってみたの」
「莉子、何これ? どうしたの?」
「呪いをかけたんだよ」
「誰に? ひとりでやったの?」
頭が混乱して、訳が分からなかった。狗神の呪いをかけていたのは、娘だったというのか。
「絵本に書いてあったの。そしたら、お母さんを助けられると思って」
「わたしのためにやってくれたのね」
冷静になって犬を触ってみると、冷たくなっていた。普通にしていたら、娘だけでこんな風にできるものだろうか。到底、ひとりでやったとは考えられなかった。
というか、信じたくない。身近にあったことも、娘が狗神の呪いをかけていたことも、苦しみの元凶だったことも。文字通り頭を抱えていた。
「これで、お母さんは莉子と遊んでくれる?」
「ほんとうにごめんね。こんなことさせてしまって」
涙が止まらなかった。
徳島県まで娘を連れて車を飛ばした。犬見神社が見えると、近くに女子高生の呪術師が立っていた。駐車場に停めて、息を切らしながら近づいて問い詰めた。抱え込まれた娘はきょとんとしている。
「ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「お待ちしておりました」
表情を一切変えずに、落ち着いた様子で答えている。まるで、最初からこうなると知っていたかのように。以前と同じ場所に通された。
ふすまを開けて、ていねいに緑茶を出してくれた。一気に飲み干すと、呪術師はケラケラと笑っていた。
「家に犬の死体があって、それって狗神の呪いを庭で誰かがかけたってことですよね」
「そうですねぇ」
呪いと聞いた瞬間に、相手の目がキラキラと輝きだして満面の笑みを浮かべている。何がそんなに楽しいことなんだろう。こっちは真剣に聞いているのに。
だんだんと腹の底から怒りが込み上げてきた。このまま伝えるわけにはいかない。頭の中で整理しなきゃ。考えていると、呪術師が口を開いた。
「ちなみに、莉子さんは何をやっているか理解しているし、それほどまでにあなたを助けたかっただけだよ。救う方法がちょっとおかしいだけでね」
「呪いが返ってきたってことですか?」
「いいえ、それはわたしがやったもの。信条として良くないことをしてる人にだけね」
「じゃあ、わたしが何か禁忌に触れるようなことをしたんですか?」
「違うよ。ほかの人にかけ直す以外の方法がない。それが、今回は偶然、上田さんとか秋月さんだったんだよ」
「莉子は、莉子はどこにいるの?」
繋がれている点滴の管が邪魔になって、起き上がれなかった。その代わりに見えたのは、擦り傷にまみれた呪術師だった。
呪術用の服の上にトレンチコートを纏っている。静かに、と言うように口の前で人差し指を立てている。今度は他の患者さんの迷惑にならないように、小さな声で話す。
「ここは? 何で病院に?」
呪術師は誰も聞いていないことを確認すると、冷静に語りだした。
「落ち着いて。あなたは事故に遭って病院に運ばれたことになっています。莉子ちゃんは、あなたの隣にいるので、症状が治まったら会いに行けますよ」
「生きてるなら、良かった」
よく見てみると点滴以外にも、脚に包帯が巻かれている。そういえば、あのとき、負傷しちゃったんだっけ。てことは、夢じゃなかったんだ。
混乱しつつも、状況を受け入れていた。呪術師は大きなため息をついて、いつもの砕けたモードに変わった。伸びをして、みかんを食べながらだらけ始めたのだ。
「ほんと大変だったぁ。秋月さんに悪霊が乗り憑いて『死体がない……死体がない……死体がない……』と、つぶやきながら部屋の中を徘徊し始めたんだからね。あのときの莉子ちゃんと同じように」
話によると、ずっと呪術師が浄化をしてくれていたそうだ。おかげで生きてこれたし、足の骨折だけで済んだみたい。
「本当にありがとうございました。何とお礼を言ったらいいのか」
「まじで、今回の呪いはしんどかったよ」
「お金をお支払いしますので」
「既に貰ってるよん」
ひらひらとお札を見せつけてきた。どう見ても、三枚はある。三万円か、三千円か、どっちだよ。
「あ、ちょっと待ってください」
「じゃあ、もう会わないことを願ってるわ。じゃーねー」
確認するために引き留めようとしたけれど、颯爽と帰られてしまった。あとでカバンの中身を見ると、財布から三万円が取られていた。でも、まあいっか。莉子と一緒に生きて帰って来られただけでも十分だ。
*
すっかり元の日常に戻った。わたしは資料館で松葉杖をつきながら、事務作業をしている。書類の整理はできないから、柳さんと小河原さんにお任せしている。
この数か月の流れが速すぎて、現実味がなくボーっとしている。傷跡は残っているから、たしかに現実に起こったようだ。まだ、確認したいことがあった。
「すみません。秋月莉子の母です。延長保育をお願いします」
「はい、分かりました」
電話をかけて、立ち入り禁止と書かれているドアの前で待ち構えていた。やってきたのは、申し訳なさそうにしている小河原さんだった。
「やっぱり、あなただったんですね。どうして、予言書の切れ端を置いたりしたんですか?」
咳ばらいをして、必死に話し出した。
「ちょっと待って。それには深い訳があるの」
「どんな?」
わたしは、わざと呪いをかけるようなことをする人じゃないと分かっている。事情は知っておきたかった。わたしは、無表情を崩さずに、問い詰めた。
「実は、古道具屋さんに行ったときに手に入れたもの。で、家に置き始めてから怖い夢を見るようになってね。恐ろしくなって、バレないように会社に置いちゃったんだよね」
スラスラと話し始めるではないか。まあ、でも、本当のことが知れたから良かったのかな。ひとまずは、小河原さんを許すことにした。
「……そういうことでしたか」
「でも、ほんとにごめんなさい! ここまでの被害になるとは思ってなくて」
青ざめた顔で、言い訳がましく話し続けている。
「もう分かりましたから。大丈夫です」
そう言って、わたしは保育園に向かっていた。
呪いがなくなると、上田さんも元通りに出社してきた。しかし、パワハラをするたびに右腕が耐えられないほどの激痛に襲われるとのこと。おかげで言い方が少しだけ優しくなった。
娘の笑顔も取り戻した。念願の遊園地にも一緒に行った。元旦那は連れ出せなかったけれど、娘と二人で行くのは楽しかった。
寝る前にワンちゃんの絵本を読むように娘に頼まれて、見てみたら狗神がいた村の物語だった。呪いのかけ方まで載っている。
娘に連れていかれて庭を見に行ってみると、犬が埋まっていた。
「ここにやってみたの」
「莉子、何これ? どうしたの?」
「呪いをかけたんだよ」
「誰に? ひとりでやったの?」
頭が混乱して、訳が分からなかった。狗神の呪いをかけていたのは、娘だったというのか。
「絵本に書いてあったの。そしたら、お母さんを助けられると思って」
「わたしのためにやってくれたのね」
冷静になって犬を触ってみると、冷たくなっていた。普通にしていたら、娘だけでこんな風にできるものだろうか。到底、ひとりでやったとは考えられなかった。
というか、信じたくない。身近にあったことも、娘が狗神の呪いをかけていたことも、苦しみの元凶だったことも。文字通り頭を抱えていた。
「これで、お母さんは莉子と遊んでくれる?」
「ほんとうにごめんね。こんなことさせてしまって」
涙が止まらなかった。
徳島県まで娘を連れて車を飛ばした。犬見神社が見えると、近くに女子高生の呪術師が立っていた。駐車場に停めて、息を切らしながら近づいて問い詰めた。抱え込まれた娘はきょとんとしている。
「ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「お待ちしておりました」
表情を一切変えずに、落ち着いた様子で答えている。まるで、最初からこうなると知っていたかのように。以前と同じ場所に通された。
ふすまを開けて、ていねいに緑茶を出してくれた。一気に飲み干すと、呪術師はケラケラと笑っていた。
「家に犬の死体があって、それって狗神の呪いを庭で誰かがかけたってことですよね」
「そうですねぇ」
呪いと聞いた瞬間に、相手の目がキラキラと輝きだして満面の笑みを浮かべている。何がそんなに楽しいことなんだろう。こっちは真剣に聞いているのに。
だんだんと腹の底から怒りが込み上げてきた。このまま伝えるわけにはいかない。頭の中で整理しなきゃ。考えていると、呪術師が口を開いた。
「ちなみに、莉子さんは何をやっているか理解しているし、それほどまでにあなたを助けたかっただけだよ。救う方法がちょっとおかしいだけでね」
「呪いが返ってきたってことですか?」
「いいえ、それはわたしがやったもの。信条として良くないことをしてる人にだけね」
「じゃあ、わたしが何か禁忌に触れるようなことをしたんですか?」
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