狗神村

夜舞しずく

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第一章

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倉庫を探してみると、古文書の切れ端が転がっていた。真っ黒に近いほど使い古されていて、ボロボロになっている。何を書いているかさっぱり分からない。

研究者の探しているものかはわからないけれど、連絡だけはしなきゃね。

歴史の研究者に見つかったことを報告しに、電話をかけ直してみた。ワンコールで研究者が受話器に出た。

さっきの人とは違って、しわがれた年配の男性が出てきたようだ。聞いてみると、即座に返答が来る。

「そのような研究者は所属しておりませんが」

明確な口調で言われたものだから、困惑の色が隠せない。メモも残っているし、折り返しで電話したから記録は残っているはず。腰が引けるものの、自分の知っていることを話す。

「でも、たしかに電話はかかってきたんです」

「その時間帯は、わたしも研究室で作業をしていました。誰も電話している者は見かけていません」

向こうも譲らない。淡々と事実を元に述べてくる。事務所には誰もいなかったから、証明してくれる人もいない。

「そんなはずは」

「とにかく、何かと間違えていると思います。お時間もないので、失礼します」

何も言えずに黙っていると、電話を一方的にガチャ切りされてしまった。ツー、ツー、と不通音だけが頭の中に鳴り響いている。何が起こっていたのか。

わたしの聞き間違いだったのかな。受話器を持ったまま、さっき起こった出来事の真相を考え込んでしまっていた。

「秋月さん、どうしたの? 秋月さんってば」

誰かに呼ばれているのに気付いて、ハッと我に戻った。

「すみません。ボーっとしてました」

「ほんと、大丈夫? そろそろ莉子ちゃんを迎えに行く時間じゃないの?」

「そうでした」

他部署から課長が部屋に入ってきた。帰る準備をしなきゃいけないのに、わざと上田さんが仕事を押し付けてきた。

「新しい企画が決まったんだけどさ、秋月さん、今日中に資料まとめといてよ。簡単でいいから」

「でも、わたしはそろそろ退勤しないといけなくて」

「そんなの、延長保育でも何でもできるでしょ。ほかの人は忙しく働いてるんだしさ、これも断るぐらいだったら俺みたいな正社員になれないよ」

どう断ろうか考えていた。しかし、何も言い返す言葉が思いつかない。しばらく黙ったのち、周りからの視線に耐えられない。

「はい、分かりました」

「じゃ、よろしくね」

確認すると、既にメールが送られて来ていた。どうしよう。莉子が待っているのに、毎回、延長保育にしないと間に合わない。ただでさえ、保育所には長めにあずけているのに。

「どうしよう」

しょうがなく、添付ファイルを開いていると、小河原さんが近くにやってきた。

「課長の言うことなんか聞かなくていいから。それ、わたしがやっとく。秋月さんは帰っていいよ」

「ありがとうございます」

感激していると、その間に小河原さんは同じ部署の人たちに仕事を振り分けていた。凄まじいスピードで、タイピングし始めた。何かお礼をしなきゃ。

わたしもそうできたらいいけれど、なかなか頼めない。パートの立場では、言うことを聞くぐらいしかできないよね。

「小河原さん、お疲れさまです。さっきは本当にありがとうございました。お先に失礼します」

「いいのよ。こういうのは、お互いさまだから」

申し訳なく思いながら、荷物を抱えて挨拶をした。小河原さんは、キーボードを打ち込みながら、首だけをこちらに向けて返事をしていた。

「ほんとすみません」

外に出ると、顔が蒸されるように熱くなっていた。まだ夏本番を迎えていないのに。顔全体をハンカチで拭きながら、アルファルトの上を歩いている。

前と違って、保育園のお迎えや仕事にも支障が出なくなっていた。十五時には速やかに帰れるし、事情を考慮して出勤時間を遅らせてくれた。

そんな日常を本当なら喜ばなきゃいけないのかな。仕事と育児を両立させたいというわたしの思いは、贅沢な悩みなのだろうか。

ぼんやりと考えながら信号待ちをしていたら季節外れの服装をしたおばあさんが、近くにやってきた。こんな暑い時期なのに、茶色のコートとマフラーを着込んでいる。

なるべく関わらないように遠ざけていると、肩を叩かれてしまった。後ろから回り込んできていたのか。

「すみません、船はどこにありますか?」

「船? 向こうにあると思いますけど」

振り向いて、少し距離を開けつつ、受け答えをしていた。変な人だなと思ったけれど、有名な漁船所があったから指をさして教えた。顔をよく見てみると、ものすごくうろたえている。

「船、船に、早う!」

殺気が迫った顔をして、耳が張り裂けるぐらいの大声で発狂しだした。その声は常軌を逸していて、まるで病気か認知症で幻聴でも見ているようだった。

ひとしきり叫び続けている。辺りを見渡しても、おかしなことは何もない。おばあさん以外は、静まり返っている。

(変な人に関わってしまったのかもしれない)

わたしはそう思って、逃げるように立ち去った。

角を曲がると保育園が見えてきたので、何事もなかったかのように駆け込んだ。保育士さんたちに挨拶をして門をくぐると、おばあさんの声は聞こえなくなっていた。

園児たちが砂場やブランコで遊んでいる、明るい笑い声だけが聞こえる。

「莉子ちゃん、お母さんが迎えに来てくれたよ」

「おかーさん、今日もね、絵本を読んでたの」

担任の保育士さんが、園内で絵本を読んでいる娘を呼んでくれている。お行儀よく返事をして、わたしの近くにやってきた。

「どんな絵本?」

「えっとねぇ」

「莉子ちゃんは最近、ワンちゃんの絵本にハマってるんだよねぇ」

絵本の話題を聞いた途端、娘の顔がぱあっと明るくなった。娘が上を向いて考えている。保育士さんは、莉子に柔らかい口調で話しかけていた。

それを聞いて安心した。わたしが仕事で忙しいながらも、周りが協力してくれるから、何とかやっていける。

「そうなんですか。最近どうですか?」

「いつもお行儀よく過ごしてくれるので、わたしたちも助かっていますよ」

「離婚をしてパートを始めてから、あまりかまってやれないんです。ちょっと不安に思ってたんですが、それならよかったです」

保育士さんは子供に話しかけるモードから、仕事モードに切り替わった。真剣な顔をしている。

「あのねー、ワンちゃんが悪い人をやっつけるのー」

「そっかそっか。すごいねぇ」

莉子が足にくっついてきて、室内から犬の絵本を持って見せてくれた。ちょうど、犬が悪者を退治している場面を開いている。

こういう絵本ってイラストは優しいのに、やってることは結構、残酷なんだよな。わたしが褒めていると、莉子が嬉しそうに笑っている。

「じゃあ、莉子ちゃん。そろそろ、お家に帰ろっか」

「ありがとうございました。またよろしくお願いします」

速やかに莉子の手から絵本を回収していた。保育士さんに促されるように、娘の手をつないで離さないように歩き始めた。

最近はハマっていること、保育園で楽しかったことをひたすら話してくれていた。莉子と話す時間を設けるほど、仕事を頑張る意味が見いだせる。
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