晴れたらいいね

川上風花

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成長編

嵐の気配

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 ベストセラー作家゛夢美乃碧羽先生゛こと、羽柴 桜花はしば おうかさんとの初対面から数日後。


「成瀬が倒れた」───その連絡を絢音は、あとちょっとでチェックメイト、という最高潮に盛り上がった夜伽のクライマックス直前、つまりホテルの一室、で受けた。


 その男とは初対面。
 マッチングアプリで知り合った、互いに名も知らぬ仲。


 どうせ2人ともセッ*スだけが目的なので、顔が人並みで・程々に常識をわきまえており・セッ*スが上手ければ、それで良かった。 

 なかなか鳴り止まぬスマホを睨んで、どうして電源を切っておかなかったのか、せめてどうして着メロを変えておかなかったのかと決まり悪そうにそれを睨み、一瞬通話ボタンを押すのをためらった。

 ともあれ、勤務時間外は滅多に電話など寄越さない会社からの連絡を知らせる着メロ(因みに゛笑点のテーマ゛)がチャンチャチャチャラララ ―― と鳴り響くのを、無視するわけにもいかず、苦笑いする男の逞しい腕からすりぬけて、通話ボタンを押して不機嫌な声で、もしもし、と言った。

 しかし、聞こえてきたのは、成瀬の秘書・清水の悲痛な声で、『社長が心筋梗塞で今しがた倒れた』というショッキングな知らせだった。

 絢音は慌てて通話を切り、事情を聞いて酷く心配してくれた名も知らぬ男に、和泉家の玄関まで車で送ってもらい、通用口を転ぶように駆けくぐった。 


***  ***  ***


 無駄にだだっ広い中庭横切り、軒先から中へ入り、家族以外立ち入り禁止の、書庫兼成瀬の私室へ向かう。


「あっ、絢音さん……」


 絢音を見つけた数人の腹心幹部達が、異口同音で絢音を囲む。


「お父さんはっ?!」

「あの、そ、それが……」


 気まずそうに目を見交わし、誰も要領を得ない。

 嫌な予感がして、長い廊下の突き当たりを小走りに進む。
 と、目の先で、成瀬絢治の私室の障子戸が突然がらりと開いて、中から秘書の清水が出てきた。


「清水さん! 父の容体は!? 大丈夫なんですか?!」

「あ、絢音さん ……あ、あの、社長は……」


 いつも冷静で、流暢に話す清水まで、酷く言い淀んだ。

 ますます嫌な予感がした。 

 
 ── そんなに、お父さんの容体は悪いのだろうか?!

 
 事情の全てを聞くより前に、開いたままの戸から絢音が転がるように部屋に入った途端。

 
「騒々しいぞっ、廊下は走るなといっただろ、絢音っ」

 
 ぴしり、と聞きなれた歯切れのよい叱咤を浴びせられ。


「おとう、さん……」


 絢音は茫然と目の前にきりりと立つ、年配の男性を見つめた。


「どうしたんだ? 幽霊でも見るような目で」

「だって……お父さんが」


 緊張の糸が切れたからなのか、その時になって始めて、ぶわっと瞳に涙が盛り上がった。

 
 厳しいけれど大好きな、父がいなくなったら、絢音は翼をもがれた鳥も同じだ。

 どうしよう ―― 父にもしもの事があったら……。

 車の中でずっとそう考えて、心配で心細くて、運転しながら、度々、手を握ってくれるあの名も知らぬ男の存在をありがたく思いながらも、無理にでも笑う余裕すらなかった。

 なのに。

 どうして、その「心筋梗塞で倒れた」父が、いつものように、すっきりキリリと大島紬の着流しを着こなし、いつものように自分を叱咤してるのか。

 絢音は涙目のまま、茫然とその場に立ち竦んでしまった。


「……はは~ぁ、清水くんだな、お前に知らせたのは」

「うん。お父さん、心筋梗塞って ……いつから心臓悪かったの??」


 最愛の人を突然失って以来、かなり気が弱くなった絢音は、名実業家らしい成瀬にいつも気押されがちだ。

 でもこの時ばかりは、絢音はまっすぐに成瀬を見て責めるように聞いた。
    

「ちっとも知らなかった。ずっと悪かったって清水さんは言ってたけど。いつからなの? 私ずっと知らなくて、どうして」

「大した事じゃなかったからだ。今日もお前にわざわざ言う程でもないのに、清水くんが勝手に知らせちゃったみたいだな……そんな顔して心配するんじゃない、そうでなくてもお前は何か心配事があると眠れない食欲がないとかいって、落ち込むんだから。まったく、その歳になって、いつまでたったも子供だなぁ」


 大丈夫、といわれて反論しようとしたが、確かに成瀬はぴんしゃんと着物を着てちゃんと元気に立っているし、それほど心配することはないのだろうか、と絢音は少し安心した。

 安堵が顔に出たのか、それを見て満足そうに成瀬は笑った。


「俺が仮病でもゆっくり休んでいられるぐらい、社員達がしっかりしてくれたら助かるんだがなぁ。まぁ、こればっかりは、あと10年はむりだろ? それまではたとえお迎えが来てもそう易々とあの世にいけるわけもなし、余計な事は心配しないで、もちょっとピシッとしな。……じゃ、清水くん、俺は予定通り組合の会合に行くよ。駅前の”来々軒”だったね」

「えっ、社長っ」


 清水はあわてて成瀬を追おうとしたが、その足取りに追いつくより、その場で立ち止まってしまった。

 絢音が振り返ると、廊下の向こうに、幹部達の取りまとめ役・専務の安東が、「あぁ、支援先回り、ご苦労様」と労われているのが目に入った。

 清水に視線を移すと、彼はサラリーマンにしておくには勿体ないくらい整った面を絢音に向けてくしゃっと歪めた。

 自嘲とも苦笑ともとれるその笑いに、どう答えてよいかわからず、絢音は首を傾げた。

 すらりとした長身に見合う長い腕を、絢音の肩に回した清水は、再び室内に絢音を戻らせると、ぴしゃりと障子戸を閉めた。


「し、清水さん?」

「絢音さん少しお時間頂けますか」


 促されて、座卓を囲んで座った。


「何でしょう? 清水さん」

「実は社長、前にも2度ほど倒れられていて、その度に円谷クリニックの院長先生に検査入院するよう言われてるに頑として譲らなかったんです。今回倒れた時、先生に内緒で私がお知らせしたのはその、いつもより発作が酷くなっている気がしまして、社長は絢音さんには知らせるなと言ったんですが。すみませんでした、ご心配をおかけしました」

「とんでもない! 今日、知らせて頂かなければ私はこんな一大事を知らないままでした。多分父は、私に余計な気苦労をかけたくなかったんだと思います」


 そう、絢音が言うと、清水も深く相槌を打った。


「そんな気遣いこそいらないのに。出来れば、もっと早く知らせて欲しかったです……もう、大事な人に黙って往かれるのは嫌なんです」


 そういえば今までに、風呂上りだの夜勤明けだのに、いつになく気分の悪そうな成瀬を何度も見かけたという事を今更ながら思い出して、己の呑気さに臍をかんだ。


 成瀬には絢音と異母姉妹の茉莉花がいるが、今は芸能関係の仕事で手一杯な状況のようだし、如何せん彼女には絢音ほど会社勤めに向いている質ではない。 
 

 (こうゆう時こそ私ら身内や社員がダッグを組んで、しっかりしなきゃい
  けなかったのに。お父さん……年の割りには若く見えるって言っても、
  来年はもう還暦で……皆んなが守ってあげなきゃいけないのに)


 考え込んだ絢音の顔を、清水が怪訝そうに覗き込む。


「絢音さん、大丈夫ですか?」


 絢音は居住まいを正した。


「――茉莉花はこっちの仕事には無関心で、私にも学校の勉強と仕事があって、お手伝い出来る事といえばあまりありませんが、これからも成瀬と会社の事、宜しくお願いします」

「はい。誠心誠意、微力ながら務めさせて頂きます。この機会に成瀬社長へ
御恩返しが少しでも出来ればと思っています」


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