2 / 27
会員制高級旅館殺人事件
1 巻き込まれた社畜(1)
しおりを挟む商品開発部は、他の部署とは違う作りになっている。部屋に入るとまず、十畳ほどの事務スペースがあり、そこから、ほぼワンフロアを使った広い研究室と、事務スペースと同じくらいの巧専用のスペースへ通じるようになっているのだ。
巧は、多くの機密情報を保持しているので、巧専用の個室と研究室も与えられていた。これは、巧が、鳴滝グループの会長の息子というだけではなく、彼の開発した商品は、国内だけではなく、海外でも評価が高く、鳴滝グループの資金作りの一角を担っている重要な人物であるからだ。そのことは、巧と一度でも一緒に仕事をした者ならば、誰もがわかることだった。あまりにも巧が優秀なので、一部では、巧のためにこの会社が作れたという噂まであるほどだ。普段は変人だが、偶に見ることができる巧の才能に触れる度に、伊月も密かに『噂は本当かもしれない』と思っていた。
そんな巧の個室は、非常に整理整頓されており、ソファーのような物はなく、大きめの事務机と、作りつけの鍵付きの書類棚。そして、シンプルなテーブルと椅子が4脚置いてあるだけだった。このシンプルに見える椅子や机も人間工学に基づいたお高い物のようだが、伊月には家具の価値は、わからない。ただ、座っていて疲れないということだけは理解できた。
「伊月さ~~ん、これ飲みながら、ちょっと待っててね~~~」
巧は、伊月を自分の個室に招くと、自社製品であるアンチエイジングを売りにしている350ミリのペットボトルの『時間、戻っ茶う~~』というお茶を段ボールから無造作に取り出した。そして、伊月が、ここに来ると、いつも座るテーブルの場所に置いた。ちなみにこのお茶は、巧が商品化した物で、350ミリなのに、ワンコインでは買えない、かなり高額なお茶だ。巧は、このお茶を社割を使って、自費で箱買いしている。なぜ、そんなことを伊月が知っているかと言うと、巧に財布を預けられ、毎月のように販売部に出向いて、購入しているのは、他ならぬ伊月だからだ。
一度、巧に『販売部に電話して届けて貰えばいいじゃないか』と言ったのだが、販売部の女性たちが、巧目当てに、誰がお茶を届けるかで、壮絶なバトルになったらしく、それ以来、巧は開発サポート部を通して、お茶を購入しているらしい。
伊月はいつもの位置に座ると、遠慮なくお茶を手に取った。
「……頂きます」
伊月は、もちろん、このお茶の価値を知っているので、始めはこれほど高級なお茶を貰うことに戸惑っていた。だが、ここに来ると当たり前のように渡されるので、もう感覚が麻痺してしまった。
伊月は、さっそく巧に貰ったお茶の蓋を開け、ゴクリと飲み込んだ。これだけ、たくさんの成分が入っているのに、スッキリとして飲みやすい。
(ああ、旨いな……)
伊月は、無意識に目を閉じた。お茶が、残業続きで疲れた身体に、じんわりと沁み込んでいくような感覚になったのだ。正直に言うと、伊月は、アンチエイジングと言われてもあまり実感はないが、このお茶には、身体をふわりと軽くする癒し効果はあるように感じている。
伊月がしばらくして、ゆっくりと目を開けると、目の前にニヤニヤと笑う巧の顔があって、慌てて声を上げた。
「わっ!! ちょっと、巧さん。いるなら声かけて下さいよ……突然、音もなく目の前に座っていたら、驚きます」
伊月の言葉を聞いた巧は、頬を緩ませながら、目を細めて、頬杖を付き嬉しそうに言った。
「ん~~? 俺、そんな顔が見たくて、このお茶作ったんだし。目の前で、想定通りの反応をされたら、そりゃ~嬉しくて見るでしょ?」
「……想定通りの反応……」
「そっ! いい顔だったな~~」
伊月は思わず、巧の言葉を繰り返してしまった。巧の想定する反応とは、自分は一体どんな顔をしていたのだろうか? 恥ずかしいので、今すぐ記憶から消し去って欲しい。だが、そんなことを言っても、無駄なので、伊月は話を逸らすことにした。
「……それで、お話とは?」
伊月が尋ねると、巧が、テーブルに置かれた、古びているが、質のいい蒔絵の書かれた箱の蓋を持ちながら言った。
「伊月さん、これ……見てくれる?」
巧は、箱を開けると、中から古びた和紙の束のような書物を取り出し、テーブルに置いた。伊月はこぼしたりしないように、お茶を素早く、テーブルから下ろすと、自分の膝の上に置いて、左手で持った。
「……これは?」
明らかに歴史を感じる書物に、自分が触れて、破いてしまったり落としてしまうと怖くて、伊月は差し出されたが、書物には触れずに尋ねた。すると、巧は、ゆっくりと話を始めた。
「実は、江戸時代に、いつまでも容姿が変わらずに、他の人々から化け物扱いされた一族がいたんだけど……」
江戸時代、化け物扱い?
いつものように必要な物を取り寄せる仕事の依頼だと思っていたので、伊月は、巧が突然、昔話のような話を始めたことに戸惑ってしまった。だが、巧は真剣な顔をしていたので、伊月も、膝の上に乗せているペットボトルを握り締めながら、黙って話を聞くことにした。
「その人たちは、他の村人から化け物扱いされることに耐えられず、人里離れた場所にこっそりと隠れて住んでいたんだけど……最近、その人たちの末裔だという人物の住んでいた蔵の中から、非常に興味深い記録が見つかってね。父がその人物から、この書物を買い上げたんだ」
巧は、非常にあっけらかんとした様子で話をしているが、そんな貴重な情報を入手したというだけでも凄いのに、さらにその貴重な書物まで入手してしまうなど、鳴滝グループの会長は一体、どんな情報網と力を持っているのだろうか? 考えただけで、眩暈がする。
そんな伊月の様子など、構うこともなく、巧は、嬉しそうに和紙のページをめくると、ある場所に指を置いた。
「ほらここ」
巧は、嬉しそうに指を差しているが、伊月には、波線が引いてあるようにしか見えない。筆で書かれた昔の人の達筆すぎる文字を伊月が理解できるはずもなく、首を傾けながら尋ねた。
「何が書いてあるのですか?」
すると、巧が笑いながら答えた。
「簡単に言うと、『人の時を止める秘薬、戻時草』っていう薬草について書いてあるんだ」
伊月は、素早く顔を上げながら尋ねた。
「『人の時を止める』って……それって、不老不死の薬ってことですか?」
伊月の問いかけに、巧はペラリと和紙をめくり、ある場所を差しながら言った。
「ここには『人の老いを止めることは出来たが、寿命を伸ばすことは出来なかった』と言うようなことが書かれている」
(人の老いは止められるけど、寿命は伸ばせない?? 人は老いるから死ぬと思っていたが、違うのだろうか?)
伊月が、さらに首を傾けていると、巧が冷静に言った。
「ここに書いてある、薬草の効果を見ると、恐らく、強力な解毒効果により、肉体の免疫力を高め、人の修復能力を極限まで高める効果のある薬草なんじゃないかって思っているんだけど……」
伊月は、「へぇ~」話を聞きながら、背中に汗を流していた。
なぜこんな話を自分にするのか?
そんなの、理由なんて、一つしかない。
伊月は、チラリと自分の腕時計を見た。
すでに就業時間は終わった。だが、どうやら、まだ帰れないようだ。今日も残業なることが決定した瞬間だった。
(ああ、ビールとお弁当……食べたかった……)
伊月は、心の中で涙を流しながら、話の続きを聞いたのだった。
31
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
RoomNunmber「000」
誠奈
ミステリー
ある日突然届いた一通のメール。
そこには、報酬を与える代わりに、ある人物を誘拐するよう書かれていて……
丁度金に困っていた翔真は、訝しみつつも依頼を受け入れ、幼馴染の智樹を誘い、実行に移す……が、そこである事件に巻き込まれてしまう。
二人は密室となった部屋から出ることは出来るのだろうか?
※この作品は、以前別サイトにて公開していた物を、作者名及び、登場人物の名称等加筆修正を加えた上で公開しております。
※BL要素かなり薄いですが、匂わせ程度にはありますのでご注意を。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
有栖と奉日本『幸福のブラックキャット』
ぴえ
ミステリー
警察と相対する治安維持組織『ユースティティア』に所属する有栖。
彼女は謹慎中に先輩から猫探しの依頼を受ける。
そのことを表と裏社会に通じるカフェ&バーを経営する奉日本に相談するが、猫探しは想定外の展開に繋がって行く――
表紙・キャラクター制作:studio‐lid様(twitter:@studio_lid)
消された過去と消えた宝石
志波 連
ミステリー
大富豪斎藤雅也のコレクション、ピンクダイヤモンドのペンダント『女神の涙』が消えた。
刑事伊藤大吉と藤田建造は、現場検証を行うが手掛かりは出てこなかった。
後妻の小夜子は、心臓病により車椅子生活となった当主をよく支え、二人の仲は良い。
宝石コレクションの隠し場所は使用人たちも知らず、知っているのは当主と妻の小夜子だけ。
しかし夫の体を慮った妻は、この一年一度も外出をしていない事は確認できている。
しかも事件当日の朝、日課だったコレクションの確認を行った雅也によって、宝石はあったと証言されている。
最後の確認から盗難までの間に人の出入りは無く、使用人たちも徹底的に調べられたが何も出てこない。
消えた宝石はどこに?
手掛かりを掴めないまま街を彷徨っていた伊藤刑事は、偶然立ち寄った画廊で衝撃的な事実を発見し、斬新な仮説を立てる。
他サイトにも掲載しています。
R15は保険です。
表紙は写真ACの作品を使用しています。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる