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第一章

2  現代の忍び異世界へ(2)

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 目的の建物に着くと、俺は堂々と建物内を歩いた。映っても問題ない防犯カメラにはあえて映って、映っては問題がある防犯カメラの前には死角から移動して、偽の映像を取った映像を流す。これが現代の隠形の術だ。フェイスマスクで顔認証をクリアして、本人の声を録音していたデータで声紋をクリア。後はオフィスに入って、情報を引き出して、その場を去る。下調べは数日かかったが、作戦自体は数分で終了した。そしてダニエルの姿のままカフェに戻り、トイレで藤池蓮の姿に戻る。
 全てが終わって俺は鏡を見ながら小さく息を吐いた。

(……任務完了)

 カフェのトイレを抜け出して、依頼者が待つ公園に向かった。すでに会社や学校が始まる時間であるからか、人はまばらだ。異国情緒漂う公園を俺はあえてゆっくりと歩いた。小さな公園だがしっかりと整備されていた。依頼者の男性はすでに公園のベンチに座って待っていた。約束の時間まではまだ時間がある。外国人相手なので、てっきり時間に遅れて来るだろうと思っていた俺は、少しだけ足早に依頼者の元に向かった。どうやらドイツ人は時間を守ってくれるようだ。

『早かったな』

 茶色の髪をきっちりとセットして、あたたかそうなダウンに身を包んだ依頼者にドイツ語で話しかけられて、俺は翻訳機のスイッチを入れながら会話を返した。

『そちらこそ』

 俺はドイツ語は話せないので、とあるルートで手に入れた電波に頼らないアナログな翻訳機を使って依頼者と会話をしている。電波が介入すると忍びにとっては色々と厄介なので俺は今時、スマホさえ持ち歩いてはいない。俺は依頼者の隣に座ると、首から下げた袋から特殊なデータチップを取り出して依頼者の目の前に差し出した。

『これです。確認してください』

 周囲に人の気配がないことを確認して、ポケットの中からデータチップ専用のモニターに中身を映し出して依頼者に内容を確認してもらった。小型ゲーム機くらいの大きさのモニターは身体の大きな依頼者が持つととても小さく見えて、そのミスマッチな様子はどこかほのぼのとした印象を与えた。
 
『完璧だ……』
『そうですか。ではどうぞ』

 俺はモニターごと依頼者に渡した。すると依頼者は自分が持っていた鞄から封筒を取り出すと、俺に手渡した。封筒とチラリとみると、約束の報酬が入っているようだった。俺が服の内ポケットに分厚い封筒を入れると、依頼者がほっとしたように目を細めた。

『……助かったよ……これで奪われた全てを取り戻せ……皆を守れる……。助かった。日本語では……「恩に着る」だったか?』

 依頼主の男が「恩に着る」という言葉をドイツ訛りの日本語で言った。その言葉だけを俺は翻訳機ではなく依頼者の肉声で理解することが出来た。

『日本にいても、そんな最高の言葉を貰えることはないですけどね。……「どういたしまして」』

 俺は「どういたしまして」だけを日本語で告げて、依頼者に笑顔を見せてベンチから立ち上がった。そして、振り向くこともなく公園を出たのだった。

 室町の世から忍びは権力者の影として、暗躍した。――時に命をかけて……それは今でも変わらない。だが、一人の主に仕えるという主従関係を結ぶ忍びは現代ではかなり少ない。現代では忍びを必要としている人が、忍びを統括している家に依頼してその依頼を遂行できそうな忍びに話が来て、任務を遂行する方式になっている。お金や権力者との繋がりが欲しくて忍びとして動く者もいる、忍びが天職だという者もいる。だが、俺は――忍びから足を洗うために忍びとして任務をこなしている。

 俺は予め調べておいた小さな通りにある老舗の宝石店に入った。海外での仕事の場合、報酬は外国の紙幣で持っているより、金などの貴金属や宝石に変えて日本に持ち帰った方が効率がいいのだ。俺は、貰った報酬で宝石や希少な金属を含むアクセサリーを購入すると、アクセサリーをリュックに入れた。そして、宝石店を出ると、大きく伸びをした。

(ああ、やっと日本に戻れるな)

 ドイツの歴史ある街並みも趣があっていいのだが、日本の雑多な繁華街が懐かしく思える。観光気分で街を歩いていると、人通りのほとんどない道で背後からよく知っている人物の気配を感じて振り向いた。

「蓮、今回も見事だったな」

 そこには、ロングコートに身を包んだ長身で彫りの深い顔の男が、俺を真っすぐに見つめながら話しかけて来た。金色の髪に緑色の瞳を持つ男性から流暢な日本語で話かけられるのは、初めは違和感を感じていたが、もう慣れてしまった。そのくらい俺はこの男と顔を合わせている。ちなみにこの男は、今回の仕事のきっかけになったヴァルラムという男だ。以前、この男の依頼を完璧にこなしてしまったために、俺はこの男に定期的に仕事を押し付けられていた。
 まだ学生なので本当は、あまり遠出はしたくないが俺を名指しで依頼を貰ってしまえば、一族の手前断れない。

「ヴァルラム……俺を買ってくれるのは嬉しいけどさ、こんな遠くまで呼びつけないでくれない? それに今回の件、わざわざ高額な依頼料と交通費まで払って、俺に依頼する内容でもないと思うけど……?」
 
 正直に言うと、今回の任務は準備さえしっかりとすれば獣使役持ちの俺が動くほどの内容ではなかった。まだ学生とはいえ、上忍の技を受け継ぐ俺の依頼料は一族の中でもトップクラスなのだ。するとヴァルラムは美しく笑って見せた。

「今回は、君をこの地に呼ぶために依頼したんだ」
「……俺を呼ぶため、だと?」

 もしかして、罠を仕掛けられたのだろうか?
 瞬時に周囲を警戒したが、俺に対する殺気は感じられなかった。

「君たち忍びは鋭いからね、ここに君を導くのは大変だったよ……。だが、ようやくこの時が来た。悪いが、これから蓮には真の依頼を受けて貰う」
「真の依頼? ……俺をまだ働かせるわけ?」

 俺は、冗談っぽく振る舞いながらもいつでも逃げれるような体勢を取った。様々な任務を受けていると、同じ人物から追加の依頼を受けることがないわけでない。だが、大抵追加される案件は、一族の者が断るようなヤバい案件が多い。ヴァルラムはヨーロッパの裏社会の人間と繋がりがあるようなので、日本を離れる依頼は警戒していたのだが、この男は忍びの存在が世間に知られないための隠れ蓑となる繋がりを提供してくれているので、義を重んじて依頼を受けたのだ。
 だが……危険があるなら、話は変わって来る。俺たち忍びは、主と決めた相手以外に服従はしない。

(この男を殺してでも逃げる)

 ドイツの小さな通り、ほとんど人は通らない。だが、殺しとなるとリスクは高い。出来れば殺さずに逃げたいが、この場所でヨーロッパの裏社会と繋がりのある人物を生かして逃げ切れる保障もない。どうするのが最良の選択なのか……迷いながらも刃物に手をかけようとした瞬間、ヴァルラムはいつもの飄々とした表情を崩すと、すがりつくような切羽詰まった表情で俺を見ていた。その顔はこれまでヴァルラムとは全く違った人間のように見えた。

「蓮、頼む……あの方を救ってくれ……君しか――いないんだ」
「え……?」

 思わずヴァルラムを見ていると視界がぐにゃりと曲がった。

「な、なんだ?」

 そして次の瞬間、砂嵐のような視界に飲まれて方向感覚を失いそうになった。足元から落ちて行くような浮遊感に耐えながら俺は、意識を保つことだけを考えていたのだった。

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