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第八章 開花する才能
71 初仕事の終わりに
しおりを挟む「凄いわ……」
私は信じられない気持ちで、思わず呟いた。
なんと、午後からのたった半日で、3分の1ほどの鑑定が、終わってしまったのだ。
いつもなら、この鑑定の作業には、3日から5日はかかる。
だが、このペースで行けば、2日もあれば終わりそうだ。
私は鑑定が終わった宝石を見ながら思わず呟いた。
「鑑定士が3人もいると……早いわ」
私が呟くと、ゲオルグが悔しそうに言った。
「結局、お茶の時間を確保することができなかったがな」
するとエイドも肩を落としながら言った。
「本当に……次は、頑張ります」
「そうだな。コツは掴んだからな」
ゲオルグは、エイドの言葉に頷きなら言ったが、私は慌てて口を開いた。
「2人とも落ち込まないで!!
私の方こそ、つい、いつものくせで、状況も確認せずに宝石の鑑定に集中してしまっていたわ。
これまで、宝石の鑑定中に、休んだことなかったから……。
3人も鑑定士がいると、こんなにも早いのね。知らなかったわ……。
私としては、今日は書類の選別が終われば充分だと思っていたの」
ふと以前、ハンスが『宝石の鑑定士を育てて、仕分けを任せて負担を減らす』と言っていたのを思い出した。
前ホフマン伯爵は、『この鑑定の工程に間違いがあれば、国の信頼だけではなく賠償問題になる』と言って、全て自分で鑑定していた。私が二級鑑定士になってからは、6等級と5等級の宝石の鑑定を任せてくれたが、私が、一級鑑定士になるまでは、絶対に4等級以上の鑑定は任せてもらえなかった。
もしかして、ハンスはこの工程を楽にするために鑑定士に仕分けを任せると言ったのだろうか?
現に、私は今、私以外2人の鑑定士と一緒に仕事をして、とても負担が減っている。
ただ問題は、宝石の鑑定士は育ちにくいというところだ。
幼い頃から私と一緒に勉強してきたエイドでさえ、実務経験が足りないのだ。
他の鑑定士も先祖代々鑑定士、という人たちが多い。宝石が身近な環境で学び、ようやく取得することができる。
つまりゲオルグは例外中の例外なのだ。
ちなみにこの資格は国際的な資格なので、他国から試験官が来て審査するので、貴族であるとか平民であるなど身分は一切関係なく、どの国でもコネの通用しない完全な実力の世界なのだ。
前ホフマン伯爵も何度か他国に試験官として出向いたと言っていた。
(鑑定士を増やせれば確かに楽だけど……問題は、きっかけやチャンスがないというところなのよね)
貴族はそれぞれ、自分の家の家業があるし、平民はそもそも宝石を学ぶ機会がない。
それに例え貴族といえども、ゲオルグのように、屋敷に宝物庫のあるような貴族は少ないので、エイドのように知識はあっても実務経験が足りないという結果になるのだ。
(ハンスはその辺り、何か考えがあったのかしら?)
私がそんなことを考えていると、ゲオルグが話しかけてきた。
「そうか、助けになったのなら良かった。ところで、明日は、学院に行くのだろう?」
「ええ、そのつもりよ」
私は、意識をゲオルグとの会話に向けた。
今日は予想以上に進んだので、明日は、学院に行ってハワード様の講義を受けることができそうで安心した。すると、私とゲオルグの会話を聞いていたエイドが口を開いた。
「では私は明日、鑑定書を作っておきます。本当は鑑定を進めたいですが、シャルロッテ様不在での鑑定は問題があるかもしれませんので、鑑定書の準備をしておきます」
エイドの言う鑑定書というのは、3等級以上の宝石につける一級鑑定士が見たという証明書としての鑑定書だ。ミーヌ侯爵領から届けられる宝石には、一級鑑定士の鑑定書がついてくるのだが、現在、ホフマン伯爵領には一級鑑定士がいないので、こちらで別に鑑定書をつけるのだ。
正確にはハンスは一級鑑定士なので、いないという言い方は語弊があるのかもしれないが……。実務に携わっている中で、という意味だ。
この鑑定書は書き方が決まっているので、フォーマット通り書類を作っていれば、後は宝石ごとに、必要な個所を記入して、サインをすればいいので楽だが……そのフォーマット通りの書類は手書きなのだ。
私も、時間があるとよく、鑑定書用の書類を手書きで作っている。エイドとエマは、この鑑定書のフォーマットを作る手伝いをしてくれていた。
「ふむ~~どこかの国で、活字印刷機なる物が作られたと聞いた……。明日、ハワード殿にでも聞いてみるか」
ゲオルグが顎に手を当てながら口を開いた。
「活字印刷機? ごめんなさい、ゲオルグ。それはどんなものなのか、さっぱりわからないわ」
「ああ、私も詳しくはわからないが、なんでも手書きではなく印のように、同じ文章を量産できる代物らしい。
まぁ、今はないからな、手書きする必要があるがな」
なるほど、それは確かに便利かもしれないが、まだ手元にないのならこれまで通り文章を書くしかない。
「ごめんね、エイド、頼んでもいいかしら?」
「もちろんです。では、紙を持って帰りますね。でも……印のように同じ文章を量産か……。確かにそれは楽ですね」
「そうだな……」
エイドとゲオルグは何やら考え込んでしまった。
私は、そんな2人を見つめなら目を細めた。
ゲオルグもエイドも初日だというのに、まるで仕分け経験者のような流れるような動きだった。
それに、2人の息もぴったりで、私はとても嬉しくなった。
「シャルロッテ様、なんだか嬉しそうですね」
「ああ、何かあったのか?」
エイドとゲオルグに微笑まれ、笑顔で答えた。
「ええ、そうね、2人がとても頼りになるからかしら。2人とも、本当にありがとう、これからもよろしくね」
「もちろんです」
「当然だ」
こうして、私たちは一日の仕事を終えたのだった。
☆==☆==
「では、シャルロッテ。また明日な」
「ええ。明日ね」
ゲオルグに見送られてランゲ侯爵邸を後にした。
ピエールが「今日は、仕分けだと聞いていたのですが、早く終わられたのですね!! ゆっくり休めそうで、よかったですね」と喜んでくれた。
馬車に乗りながら、先ほどのピエールの言葉を思い出した。
確かに、今は仕分けの最中だというのに、夕焼けの中を帰れることが不思議だった。
赤く染まった大地に風が流れて行く。
鳴きなら飛んでいる鳥も、それぞれのねぐらに帰るのだろう。
私がぼんやりと夕日を見ていると、エイドが、クスっと笑って、席を立った。
そして私の隣に座ると、私の頭を、自分の肩に置いた。
「眠いんでしょ? 少し寝て下さい。着いたら起こします」
エイドの肩はあたたかくて心地いい。
規則的な馬車の揺れと、赤い夕焼け、そしてエイドの体温。
私は、段々と重くなるまぶたを閉じながら呟いた。
「ありがとう……エイド。エイドの隣は、気持ちいい……」
すると、エイドが小さな声で呟くように言った。
「ありがとうございます」
「そういえば、エイドと2人で、こんな風に馬車に乗るは、初めてよね?」
私がエイドの肩に頭を乗せたままエイドを見ると、エイドもこちらを見ていたようで目が合った。
その優しい瞳に思わず見とれてしまった。
「そういえば、そうですね。いつもシャルロッテ様と一緒の時は、御者席でしたしね」
「……ええ、エイドはいつも御者をしてくれていたから、こんな風にエイドとゆっくりと馬車に乗ったことはなかったわ」
私はなんだか、恥ずかしくてエイドから視線をそらした。
「眠いのでしょう? 旦那様の言葉をお忘れですか?」
「ふふふ、いえ。『休める時に休むのが、何事も長く続ける秘訣だ』でしょ?」
「そうです。ということで、休みましょうね~~」
すると、フワリと頭を優しく撫でるエイドの手の感触を感じた。
「あ~~エイド。それ、ダメ、ズルい。気持ちよくて……絶対……眠くなるわ」
エイドに頭を撫でられると気持ちが良くて、全ての思考が止まってしまった。
私は、もうあたたかなエイドの手の感触しか感じることができない。
「今日もお疲れ様でした」
エイドの優しくて、落ち着いた声は、まるで催眠術かのように眠気を誘う。
「エイド…の手……気持ちいい……ふぁ~~」
優しくて、あたたかいエイドの手。幸せでこのまま眠りに落ちてしまいそうな時。
「お休みなさい、お嬢」
私は疲れていたこともあり、エイドのその声と共に眠りに落ちたのだった。
☆==☆==
エイドは夕暮れの中、シャルロッテの頭を優しく撫でながら呟いた。
「……お嬢は、随分といい男を作り出しちまいましたね……」
エイドは幼い頃から、ゲオルグを知っていたつもりだった。
だが、正直に言うとゲオルグが、ここまでシャルロッテのために努力するようになるとは思わなかった。
ふと自分の隣で無防備に眠るシャルロッテの顔を見た。
自分は、後どのくらい、この愛しい人の隣にいることが、できるのだろうか?
――ずっと一緒にいたい。
そう一度は、完全に凍らせたはずの想いが、ハンスとの婚約破棄なんて想像もしていなかった事態で、溶けてしまった。
だが、エイドには自分の持つ感情がどういう感情なのか、名前を付けられずにいた。
きっと自分は一生この感情に名前をつけられることなどないだろう。
――『エマ、エイド、愛しています。
どうか、幸せに生きて下さい。
貴族様、どうか、この子たちにご慈悲を』
それが、エイドとエマがウェーバー子爵家の前に捨てられた時に、唯一持っていた手紙だった。
愛していたなら、なぜ自分たちは捨てられたのか?
簡単に捨てられることが愛ならば、俺はそんなものは――いらない。
エイドは思わずシャルロッテの頭に自分の頬を付けて、肩を抱き寄せた。
もし、これがシャルロッテを簡単に捨てたハンスの口にしていた『好き』だという感情ならば、簡単に失ってしまう。
もし、これが自分たちを捨てた親からの手紙に書かれていた『愛している』という感情ならば、いずれ失ってしまう。
エイドは抑えられない感情を持て余して、シャルロッテの頭に唇を寄せ、苦し気に眉を寄せて呟いた。
「………手放したく……ねぇな……」
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