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第四章 崩れ行く天秤
32 知識と想いの伝承
しおりを挟む「ホフマン伯爵、今回買い付けた宝石の書類は、私が準備してもよろしいでしょうか?」
今日は、学院は休みだった。
私は昨日まで、ホフマン伯爵と買い付けに言った宝石の整理をするために、ホフマン伯爵家を訪れていた。
「ああ、頼む。ハンスはまた、騎士団の演習に呼ばれたようじゃな……」
「はい」
「宝石のことは、大丈夫だとしても、学院の勉強は大丈夫なのか? 貴族学院の卒業時の成績は、一生貴族の肩にのしかかるというのに……」
伯爵は溜息をつきながら言ったが、実は私もそれを心配していた。
ハンスは最近、騎士団の稽古に参加したり、訓練に明け暮れている。剣の大会や乗馬の大会が近いのかもしれないが、それにしても、不安になるほどの練習量だった。
私が、宝石を見ながら、書類を作るための準備をしていると、激しく咳き込む音が聞こえた。
「ゴホッ!! ガハッ!!」
「伯爵?!」
私は、よろけた伯爵に近づいて伯爵の身体を支えると、思わず固まってしまった。
伯爵は、口から鮮血を流しながら、眉を歪め、汗をかいていた。私は、伯爵をソファーに座らせると、急いでベルを鳴らした。
「誰か~~!! 誰か来て!!」
私が声を上げると、執事や侍女が大勢やってきた。それからは、ベットに伯爵をお運びしたり、お医者様が見えたり、大変な騒ぎになった。
私は、伯爵のそばを離れることが出来なくて、伯爵のベットの脇に座って、震えながら、伯爵が目を覚ますのを待っていた。
夕方になり、陽が傾いて来た頃、ホフマン伯爵が目を開けた。
「伯爵!! お加減はいかがですか? お医者様をお呼び致しましょうか?」
私が伯爵に声をかけ、立ち上がろうとすると、伯爵が私の手を取った。
「シャルロッテ……嬢。待ってくれ」
私は振り向いて伯爵の手を取った。
「はい」
ホフマン伯爵は小さく笑うと、目を細めて私を見た。
「シャルロッテ嬢……私は君にあやまらないといけない…」
「え?」
私はゆらゆらと揺れる、ホフマン伯爵の瞳を見つめながら話を聞いた。
「私はずっと持病があってな……息子夫婦への宝石の教育が遅すぎて、息子夫婦に宝石の知識を伝えることができなかった。だから、孫のハンスと、その伴侶となる令嬢には、伝えたいと焦っていた。
息子夫婦にも、周りにも幼いシャルロッテ嬢に、宝石の勉強を強いることは難色を示された。
だが……私は後悔していない。現にシャルロッテ嬢は、私の宝石の知識をすでに習得してくれた。
ただ……私の都合に巻き込んでしまったシャルロッテ嬢には申し訳なく思っている」
私は、少しだけ手に力を入れて、伯爵を見つめた。
「ホフマン伯爵。私は、伯爵に心から感謝しております。伯爵が私の領の治水工事に手を差し伸べて下さったおかげで、我がウェーバー子爵領は、今年初の黒字となりました。おかげで、弟は家庭教師の先生をお迎え出来そうですし、貴族学院にも問題なく通えそうです」
そうなのだ。ホフマン伯爵の援助してくれた多額の資金のおかげで、貧乏領だった、我がウェーバー子爵領は、裕福な領の転換しつつあった。もちろん、私のおじい様たちが、洪水が来たとしても、大丈夫なように、作物の品種改良をしたり、住民に読み書き計算を教えて、働ける環境を用意したりと、自領での努力もあったが、やはりホフマン伯爵の援助が大きい。
私は感謝を込めて、伯爵を見ると、伯爵が小さく笑った。
「シャルロッテ嬢……君の知識は……君の物だ」
「え?」
私は一瞬、何を言われたのわからなかった。なぜなら、私が宝石のことを学ぶのは、すべてがハフマン伯爵領を継ぐ、ハンスを助けるためだったからだ。
「君たちに宝石のことを教え始めた当初。私はホフマン伯爵家のためだけに、君たちに全てを伝えようとした……だが……ここ数年はそうではなかった。ただ、君たちの未来のために伝えていたように思う。……私は、生の終わりにようやく、自分になれたように思う。君のおかげだ」
ホフマン伯爵は伝統を重んじる王国貴族の代表のような方だ。伝統をずっと変わらず守ることを信条に掲げる伯爵がこんなことを言うことが信じられなかった。
「シャルロッテ嬢。私は、君を自分の孫のように思っている。……どうか……幸せになってほしい。心から君の幸せを願える。そんな素敵なお嬢さんに出会えた私の生は僥倖だ……」
ホフマン伯爵は、微笑むとゆっくりと瞳を閉じた。
「伯爵!! 伯爵!! 起きて下さい!! 伯爵!!」
私の声を聞きつけた屋敷の者が集まって来ていたが、私はホフマン伯爵の手を握って、大声で泣き叫んでいたのだった。
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