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タイムリミットまであと【2日】
しおりを挟む卒業式まであと2日という朝。
アルベルト殿下から、私宛てに卒業舞踏会で着るドレスが届いた。真っ赤なバラを思わせるとても趣味のいい上品なドレスだった。
このドレス……絶対にアルベルト殿下が選んだんじゃない。
これは、絶対にアルベルト殿下が選んだ物ではないということだけは確かだった。もし、アルベルト殿下が婚約者に贈るというのなら、似合うとか似合わないではなく、自分の瞳の色のエメラルドを贈るはずだ。彼はそれを自分の色だと思っているからだ。きっと気を遣った執事か、側近が私に似合いそうなドレスを用意したのだろう。
そして、このドレスは――ゲームで断罪された時にロゼッタが着ていたドレスだった。
「ロゼッタ様、ドレスを一度着てみて下さい。コルセットの位置などを調整いたしますわ」
侍女が嬉しそうに声をかけてくれたが、私は困ったように笑いながら言った。
「いえ、ドレスはそのまま箱に入れて置いて頂戴」
「え……それでは、皺に……」
「そのままでいいのよ……別のドレスを着るわ。今日中に何着か用意しておいて。お母様たちが用意してくれた物の中から選ぶわ」
「え、あ、か、かしこまりました」
侍女はわけがわからないというように、首を傾けた。
事情を知らない彼女にとって婚約者から送られたこんな素敵なドレスを着ないというのは意味がわからないのだろう。だが、私はこのドレスを城に返そうと思っているのだ。
「ロゼッタ様、それでは本日は陛下への謁見ですので、お召し替えを」
「ええ」
私は、アルベルト殿下から贈られたドレスを箱にしまったまま城に向かう準備をしたのだった。
☆==☆==☆==
「さすが、ロゼッタ嬢。これから陛下とお会いになるというのに落ち着いていらっしゃいますね」
謁見の間の近くまでくると、私をエスコートしてくれていたレオンが感心したように言った。
「王妃教育で散々、陛下や他国の王族の方々への立ち振る舞いを教えて頂いたからですわ。感謝しています」
「王妃教育は大変だと聞きます。そのように言えるロゼッタ嬢は素晴らしいですね」
そりゃ~~王妃教育は大変という言葉では生易しいほど、苦しかった。何度も泣いて、何度も絶望して、何度も辞めたいと思った。でも、終わってしまえば、色んな有益な知識と生涯貴族令嬢として困ることのない経験が自分の物になったのだ。喉元過ぎれば熱さを忘れるというのは、まさにこのことだ。
「ふふ、褒め過ぎですわ」
「そんなことはありません。それでは、行きましょうか?」
「ええ」
私は、レオンにエスコートされて、謁見の間に入った。
謁見の間に入ると、陛下だけではなく、私の父と、宰相とエディ、騎士団長がいた。
皆の手には何やら書類のような物が握られていた。
私は、陛下に向かって何度も何度も練習して身体にしみ込んだあいさつをした。
「ロゼッタ嬢……まずは、我が愚息の恥ずべき行いを、かの者の父として詫びよう。すまなかった」
「陛下、おやめください」
私は慌てて声を上げた。陛下が私のような者に謝罪などあってはならない。すると陛下が申し訳なさそうに言った。
「愚息が手配していたというゲッシュロッセン修道院に関することは全てこちらで白紙にした。いくら好いた者と結ばれるためとはいえ、このような非道な事を考えているとは全く嘆かわしい」
陛下の言葉の後に、宰相も口を開いた。
「息子のエディを殿下のお目付け役として側に置いていたのに……気付けないどころか、息子までたぶらかさせてしまうとは……。すまなかった、ロゼッタ嬢」
「宰相閣下。頭を上げて下さい」
宰相が深く頭を下げた。私は、もう何が何だかわからない。宰相は顔を上げると眉を寄せながら言った。
「殿下が随分と可愛がっている者がいるということは耳に入っていたが、その令嬢は卒業したら、息子のエディと結婚すると聞いてたのでな。深くは調べなかったのだ。罪滅ぼしではないが、今後のこの件の後処理はエディが責任を持って処理する」
「ロゼッタ嬢。後は、お任せ下さい」
エディは昨日とは打って変わって別人のように凛々しい顔で頷いた。彼なりに前に進もうと思っているのかもしれない。
「それはクイールとて同じことだ。殿下を止めることも出来ずに、自らが深みにハマるなど……息子のクイールは卒業式を待たずに、国境付近の砦に向かわせた。あと3年は王都には戻さぬ。すまなかった」
今度は騎士団長が、頭を下げた。
「顔を上げてください、騎士団長様」
皆に謝罪をされて、どうしたらいいのかわからない。困惑していると、陛下が口を開いた。
「ロゼッタ嬢。婚約破棄についてだが、アルベルトも成人しているのでな。私がそなたとアルベルトの婚約を勝手に破棄することは出来ぬ。アルベルトを呼び出そうとしたのだが、どうやら別件で手が離せぬようでな。今後のことはレオンとエディに全て伝えてある」
私はすぐ隣に立っているレオンを見た。レオンは私を見て微笑んだ後に、陛下を見ながら言った。
「彼女には私からご説明致します」
レオンが返事をすると、陛下が深い溜息をついた。
「任せたぞ、レオン。エディ。しかし……ロゼッタ嬢が気付いてくれて本当によかった。もし、気付かず、そなたをゲッシュロッセン修道院になど行かせていたら、私は……妃と、リゼッタに刺されていたかも知れぬ」
リゼッタとは私の母だ。母の家系は語学が得意な家系で、結婚しても王妃様と一緒に外交について行っている。外交官みたいなものだ。私が小さい時はずっと家にいてくれたが、私が今の学園に入ってから学生時代から仲がよかった王妃様に頼まれて、仕事を再開したのだ。
ちなみにお妃様と母は、ほとんど同時期に妊娠して、同時期に出産した。それぞれに男の子と女の子が生まれて『これは結婚させるしかない』と王妃様の強い要望で婚約者になったのだ。
なので私は、王妃様には溺愛されている。小さい頃殿下は、お妃様が私に色々なドレスを着せて喜ぶので、嫉妬して『お母様は、私よりロゼッタの方が好きなのだ』と言ってしまうくらいだった。
「侯爵とリオンが素早く動いてくれてよかった」
「え?」
私は、陛下の言葉を聞いて、父を見た。
「念の為に調べただけだ。如何なる可能性も確認する必要があるからな。それに実際に動いてくれたのはレオン殿だ」
父はそっぽを向いていたが、耳が赤くなっていた。
『馬鹿』だの『恥じを知れ』だの散々酷いことを言っていたので、てっきり無視されていると思ったが、……本当に素直じゃない。全くこの父という生き物は、娘に素直になったら死ぬ病にでもかかっているのだろうか?
私は、父とレオンを見てお礼を言った。
「ありがとうございました。レオン様、父上」
「ロゼッタ。応接室を準備してもらっている。レオン殿から説明を聞きなさい」
「かしこました」
私が頭を下げると、レオンが私の手を取ってエスコートする体勢になった。
「それでは、失礼致します」
「ああ」
私は、陛下と騎士団長にも丁寧にあいさつをして、レオンとエディと一緒に謁見の間を出たのだった。
残った陛下や父たちはまだ何か話合うことがあるようだった。
謁見の間を出て、私はレオンにこれからのことを聞くために、レオンとエディと共に城にある応接室に向かっていた。
謁見の間に向かう途中に窓から一般に公開されている王家の庭園が見えた。卒業舞踏会が近いからか、仲睦まじい様子の男女の姿を多く見かけた。王家の庭は美しい花が咲き乱れて、こんなところで恋人や婚約者とのデートは、さぞ楽しいだろうな、と思った。
「ああ、そうか。卒業舞踏会の前だからか……皆、楽しそうですね」
レオンが楽しそうに明るい声で言った。
「……そうですね」
「……そうですね」
婚約者を奪われた私と、結婚の約束をしていた人に裏切られたエディは、虚空を見つめるように力なく答えた。
「ロゼッタ嬢。明日、お時間を頂けませんか?」
レオンは笑顔で尋ねた。
「明日ですか?」
明日は、卒業式の前日だ。卒業式の前日は、卒業式の準備のために学園は休みになるのだ。
「はい……気晴らしに出掛けませんか?」
今、私は優しいレオンに気を遣わせている!!
きっと、落ち込んだ私を慰めるために誘ってくれたに違いない。それしか有り得ない。
「え? そんなに気を遣って頂かなくても……レオン様もお忙しいですし」
今の私に同情はいらない!!
レオンは好きな人がいるのに、勘違いしそうになる!!
私が断ると、レオンがとても悲しそうな顔をした。すると、エディが困ったように笑いながら口を開いた。
「ロゼッタ嬢。兄はあなたにかまいたくて仕方ないのです。どうか構われてください。それに、気分転換もいいものですよ」
きっと、エディも私に負い目があるのかもしれない。気分転換を勧めてくれた。私はここは2人の好意を受け取ることにした。
「わかりました。それでは、明日、よろしくお願いいたします」
「はい、楽しみしてて下さいね」
レオンがとても嬉しそうに微笑んでくれた。それだけで、私の心も明るくなった。
心の中がぽかぽかとあたたかい。
あたたかくなった胸を無意識に押さえていると、私たちが来た方向とは逆の廊下から声が聞こえた。
「ロゼッタ様~~~!! ロゼッタ様~~~!! 侯爵家に早馬を出したらこちらにいらっしゃるとお聞きして、待っておりました」
走ってきたのは、いつも私と殿下の公務の担当をしてくれている文官のドランだった。
「どうしたの? ドラン」
私は、驚きながらドランに尋ねた。ドランは息を切らしながら言った。
「大変です。先日のシリアール国との協定の内容に相手の使者が『話が違う』とご立腹されております。お早く」
「待って、ドラン。私、シリアール国との協定の話なんて聞いていないわ」
卒業式の前は忙しくなるからと、アルベルト殿下と私に振られていた仕事は、先週全て終わらせたはずだ。
それに私は、シリアール国との協定の話なんて聞いたこともない。
私の問いかけに混乱しているのむしろドランの方だった。
「え? ですが……あれ? アルベルト殿下が、この件に関しては、すでにロゼッタ様も確認されておられるとおっしゃって、そのままお渡しして……知らないのですか?」
「ええ。聞いていないわ」
ドランは「そんな~」と頭を抱えているが、私も意味がわからなかった。すると、エディが眉をしかめながら言った。
「……実はアルベルト殿下は、最近、ロゼッタ嬢に頼らずとも公務をこなせるとおっしゃっておられて……てっきりカルラにご自分を良く見せるための言葉だけのことだろうと思っていたのですが……」
「え?」
私が声を上げるとドランが泣きそうになりながら言った。
「とにかく、アルベルト殿下だけではわからないことが多く……ロゼッタ様、お早くおいで下さい」
私は、ぐっと拳を握るとドランを見ながら答えた。
「そうですか……わかりました。向かいます。ドラン、案内して頂戴? でも少し待って」
「はい!!」
私がレオンとエディに謝ろうとすると、レオンが真っ先に口を開いた。
「助けるのですか? あなたを修道院に入れようとまでして裏切った殿下を!!」
そう思われても仕方ない。
確かに殿下は私に酷いことをしようとしかもしれない。
だが、私はまだアルベルト殿下の婚約者だ。
アルベルト殿下と私に来た仕事だというのなら、私にはやり遂げる義務がある。
これは、アルベルト殿下を助けるためじゃない。
侯爵令嬢としての私の矜持だ。
「……あの方のためではありません。私はまだ、王太子殿下婚約者です。侯爵令嬢としての責任を果たします。これが最後の仕事になるかもしれませんし……」
私が、レオンを真っすぐに見ながら言うと、レオンがとても美しい顔で微笑んだ。
「本当に、あなたは美しい。私もお手伝いいたします」
するとエディがぼんやりと呟いた。
「本当に……素敵ですね。私も手伝います」
「ありがとうございます。では行きましょう」
「はい」
「はい」
こうして、私は使者とアルベルト殿下が交渉をしているという場所に向かったのだった。
「お待たせ致しました」
「ロゼッタ?! 来てくれたのか……」
アルベルト殿下が、ガタリと音を立てて椅子から立ち上がった。
私は、すぐにアルベルト殿下の隣に座った。
「アルベルト殿下、お話は後で、私が皆様に内容をお伺い致します」
「あ、ああ……頼む」
アルベルト殿下は、再び椅子に座りながら頷いた。
「かしこまりました」
私は、用意されている資料を見て、使者にシリアール国の言葉で声をかけた。
『皆様、遅れて申し訳ございません』
『おお、あなたがロゼッタ嬢ですね。お美しいし、言葉も完璧だ』
『ありがとうございます。こちらの技術協力についてですね』
『ええ、先日お話した技術協力の件で、我々の要求とこの契約書は相違があります』
私は、ペンを持ちながら言った。
『お伺いしたします』
『では……』
それから、私たちは内容を確認していったのだった。
確認が終わり、私は内容を見つめた。関係各所に確認するべきところが多すぎる。だが、これ以上使者の滞在は伸ばせない……!!!
これ……ちょっと大変だわ……。
困っているとレオンが近づいて来た。
「失礼します。ロゼッタ嬢、この辺りは私が。大丈夫。あなたの実現したい期限をおっしゃって下さい。必ず叶えます」
今度はエディが声を上げた。
「ええ。ここは、私が動きましょう」
私たちは互いに顔を見合わせて頷くと、使者の顔を見た。
『明日までには、新しい内容をまとめますわ』
『ああ、それはこちらも助かります。それでは明日』
そうして、使者を見送った後に、私はほとんどシリアール国の言葉で全く内容をわかっていないアルベルト殿下に説明した。
「アルベルト殿下、明日までに、今日の内容をまとめ直すことになりました」
するとアルベルト殿下が大きな声を上げた。
「明日までだと?! この内容を? なぜ、そんな無謀なことを!! 期限を延ばせばいいだろう?」
私は真っすぐにアルベルト殿下を見つめながら言った。
「アルベルト殿下、すでに十分に時間はありました。それに、あちらの方々が帰国されるのは、明後日の朝です。それまでに内容をまとめて、調印まで済ませなければ、無駄骨ということになります。そうなれば、我が国の信用に関わります」
「うっ……だが……この内容を明日までに? 難しいだろう」
私は、少し厳しい口調で彼に伝えることにした。
婚約破棄は2日後なのだ。私が彼に伝えられることは……限られている。
そう――これが最後かもしれないのだ。
「アルベルト殿下、『だが』『難しい』ではありません。やる必要があることはやるしかないのです。大丈夫です。アルベルト殿下、お一人で、ここまでされたのでしょう? みんなでやれば終わります」
「殿下、お手伝い致します」
「私も」
レオンと、エディも手伝いを申し出てくれた。
「わかった。ではすぐに取り掛かろう」
こうして、私たちは仕事に取りかかったのだった。
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