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第四章 現在工事中です。ご迷惑おかけしております

177 傾く天秤(3)《今どこ?マップあり》

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 ハイマ国フィルガルドの執務室では、フィルガルドがクリスフォードに円卓会議の内容を伝えたところだった。
 フィルガルドは最近忙しくて、家族とゆっくりと過ごす時間のないクリスフォードにさらに危険を伴うイドレ国行きを伝えるのは申し訳ないと思っていた。だから、もしクリスフォードが望めば、休みを与えようと思っていた。レナン公爵に『ブラッドを必ず同行者にするように』と念を押された。ブラッドがいれば、クリスフォードは少しゆっくりと休んでくれても構わないと思っていたのだ。
 
 だがクリスフォードは、表情一つ変えずいつもと同じように『かしこまりました』とだけ答えた。フィルガルドは、クリスフォードのいつもと変らない態度に少し動揺しながらも、クリスフォードに向かって言った。

「クリスフォード、イドレ国行きは危険かもしれない。加えて最近家族とゆっくりと過ごしていないだろう? この機会に休みを取ってくれて構わない。私は先程も言ったがブラッドと共に行動することになる」

 フィルガルドのクリスフォードを気遣った言葉に、クリスフォードは動きを止めて信じられないと言う顔でフィルガルドを見上げた。

「何を……おっしゃっておられるのですか?」
「……クリスフォード?」

 クリスフォードのこれまで見たこともないような傷ついた顔にフィルガルドも思わず固まってしまった。

「フィルガルド殿下が危険な敵国に向かうのに、側近の私に休みを与える?」

 クリスフォードは、自分の執務机から立ち上がり、震えながらフィルガルドを見据えて言い放った。

「私はこれまでどんな時でも、どんな状況でも……殿下のお側で、誠心誠意尽くしてきたつもりです。それなのに、この状況で私を手放すなど……フィルガルド殿下、それは……残酷です」

 残酷。
 これまでフィルガルドは、その言葉を何度も耳にしてきた。

 ――なるほど、昨日あなたはクローディア殿にそんな風に言ったのか……随分と残酷なことをする。

 いつかブラッドに残酷だと言われたことを思い出す。
 そしてその時のブラッドは、何かを我慢するかのように苦しそうに目を細めていた。
 フィルガルドとしては、クローディアのことを思った行動だった。それなのにブラッドにはその行動が残酷だと言われた。
 さらにブラッドはこうも言った。

 ――あなたはまたしても、彼女を中途半端に甘やかし、挙句の果ては自分の手に負えなくなって切り捨てるのだろう? 

 フィルガルドは思わず、クリスフォードを見つめた。

「私の気遣いは中途半端だったのか?」

 クリスフォードは、困った顔をした後にフィルガルドの前に跪いて、真剣な顔でフィルガルドを見つめながら言った。

「フィルガルド殿下……どうか、私に頼って下さい。危険も困難も承知の上です。私はあなたの側近になった時、あなたを補佐すると覚悟を決めました。妻も私の意思を尊重してくれています。フィルガルド殿下が、イドレ国に行くのならば私も当然行きます。それが私の願いでもあります」

 クリスフォードのその決意ある顔が、いつかのクローディアの顔と重なった。

 ――フィルガルド殿下、お慕いしておりました!!

 フィルガルドはクローディアの顔を思い出して、ようやく過去の自分の愚かさに向き合った。
 
 クローディアは会うたびに、『心を寄せている』と口でも態度でも全身で伝えてくれていた。……だが当時のフィルガルドは、その愛情表現にどう答えるべきなのか全くわからなかった。
 父は国王、母は王妃。両親は常々フィルガルドに対して王子として厳しく接した。乳母も執事も侍女も皆、自分を王子というまるで腫れものにさわるように扱った。

 クローディアだけだったのだ。
 彼女だけが、自分を真っすぐに見てくれた。だからこそ、クローディアから注がれるその眼差しを失うことが怖かった。だから弱い部分や悪い部分をクローディアに見せたくなかった。

 クローディアと出会ったばかりのまだ幼いフィルガルドは、剣の稽古を始めたばかりで力もなく、帝王学も学び始めたばかりで何も知らず、ヴァイオリンの演奏も皆が耳を塞ぐほどの腕前だった。それなのに、皆にはフィルガルドは素晴らしいと伝わって、真実とは違う自分の評価が独り歩きしていた。

 そんなフィルガルドは、クローディアに抱きつかれると支え切れずに二人してソファーに倒れ込むこともあったし、語学が堪能でダラパイス国などに行ったこともあり国際感覚に優れたクローディアと話をしても、この国を出たことのないフィルガルドには何もわからなかった。さらにピアノの得意なクローディアに一緒に弾こうと言われた楽譜はどれも難しくて全く弾けなかった。

 だからフィルガルドは、自分の本当の姿を知られてクローディアの愛を失うことを恐れて、隠れて努力した。皆の噂する『幻想の王子フィルガルド』という人物に自分を近づけるために……。

 どんな時でもクローディアを支えられるように、ドラン国の剣聖と呼ばれた人物の教え子を師に招き、ブラッドと共に剣の修行に明け暮れた。さらに国内のことはどんなことでも答えらえるように帝王学は歴代最速で学び終えたし、諸外国のことを知るために、外国からの客人には積極的に会い様々な話を聞いた。そして、どんな曲でも弾けるようにヴァイオリンも練習した。フィルガルドとしてはクローディアが楽譜を持ってきた時はいつも弾きたいと思っていたのだが、クローディアが持ってくる楽譜は難しくてすぐには弾けなかった。ようやくクローディアが持ってきた楽譜が弾けるようになった頃、クローディアがまた新しい楽譜を持ってくる。そしてその楽譜は難しくて弾けない。初めの数年は努力していたフィルガルドもいつしか公務が忙しくなり、ヴァイオリンの練習にそれほど時間を取れなくなってしまうと、ヴァイオリンを共に弾くのを避けるようになった。

 クローディアから愛を失うのが怖くて、弱い部分を隠し続け、常にクローディアの前で完璧であり続けたフィルガルドは、いつしかクローディアを不安にさせ暴走させてしまったのだ。そして、今度はそのクローディアの暴走に困り果てて、聡明で口の堅いエリスには弱みを見せても支障がないと判断して、クローディアのことを相談したのだ。そして今度は、クローディアのことを親身になって相談に乗ってくれる同士となっていたエリスを手放すことが恐怖になった。

 フィルガルドの脳裏に再びブラッドの言葉が浮かび上がった。

 ――また同じことを繰り返したいのか?

 ブラッドは、本当によく見ている。
 まさにフィルガルドは、クローディアにしたことと同じことをクリスフォードにしようとしていた。クリスフォードが離れて行くのが怖くて、自分から彼を遠ざけようとした……。

 一つの恐怖におびえて真実を隠すと、隠したものを守るために次の恐怖を生み出すことになる。
 そしていつしか、恐怖におびえて作り上げた自分の世界の中で身動きが取れなくなってしまった。

 クリスフォードがイドレ国に行きたくないと、自分の元を去るのではないかと恐怖を感じて、ブラッドを言い訳にし、弱さを隠して物分かりのいい振りをして、クリスフォードに休暇を与えるという逃げ道を作った。それがクリスフォードの側近としての矜持を傷つけるとも思わずに……。
 フィルガルドは、両手の爪が手のひらに食い込むほど強く握りしめながら言った。

「すまない……クリスフォードがイドレ国に行きたくと、私の元を去るのが怖ったのだ。本当は……一緒に来てほしい」
 
 クリスフォードは、跪いたまま嬉しそうに微笑みながら答えた。

「そのお言葉を待っておりました。私も行きます! 当然です」

 フィルガルドは、クリスフォードの言葉を聞いて嬉しそうに笑ったのだった。





 フィルガルドがクリスフォードにイドレ国行きを伝えていた頃。
 
「クローディア様のお手紙が無事にレオン陛下とアンドリュー王子に届くといいですね」

 リリアが窓の外を見ていた私に声をかけた。

 ダラパイス国王都到着4日目。
 今日は本来なゆっくりと過ごす予定だったが、朝からブラッドたちと一日戦略会議をしていたのでかなり疲れていた。
 今日の戦略会議で、私たちはどうしてもレオンとベルンの次期王のアンドリューに連絡を取る必要があったのだ。そして私たちはサフィールに頼み大公家の早馬に手紙を託したのだ。
 私はリリアやアドラー、ラウルの顔を見ながら答えた。

「そうね……明日にはアンドリュー王子に届いて……明後日にはレオンに届くって言ってたわよね?」

 私の問いかけにアドラーが頷いた。

「はい。……クローディア様のお考えはいつも私の想像を超えておられます。アンドリュー殿下への内容はともかく……レオン陛下が納得して下さるといいのですが……」

 アドラーの言葉にラウルも頷きながら言った。

「それは私も危惧しております。お恥ずかしいですが……私は未だにクローディア様の策を完全に理解したわけではありません……ですが、ご安心下さい。今度の自分のするべき動きはしっかりと理解していますので、その点は問題ありません」

 私はラウルを見ながら微笑んだ。

「それで充分よ」

 レオンのことを知らなければ今回の策は立てなかった。でも、レオンなら絶対に乗ってくるとの確信があったのだ。

「クローディア様、そろそろお休みになられた方がいいのではありませんか? サフィール閣下が……かなり燃えていたようですから、明日もお忙しいかもしれませんよ」

 リリアの言葉で、私は昼間のサフィールを思い出した。

 ――いささか不安はあるが……ディアの頼みだ!! 私に任せておけ!!

 確かにサフィールは燃えていた。すると、ラウルが困ったように言った。

「燃えていたのはサフィール閣下だけではありませんでしたよ……ディノフィールズ殿も『面白い……最高な策だ。これがベルンを救った人物の策か……こんな歴史的瞬間に立ち会えるなんて……絶対に実現させる』と呟いておいででした」

 ラウルの言葉を聞いてそういえば、サフィールだけではなく、ディノもとてもご機嫌だったのを思い出した。

 ディノ、そんなことを言っていたんだ……。

 私はリリアとアドラーとラウルと顔を見合わせて微笑んだ後に言った。

「ふふ、それもそうね。そろそろ休みましょう」

 そして私は眠りについたのだった。









――――――――――――



 
次回更新は4月11日(木)です♪


追記
地図は完成まで時間がかかりそうなので、取り急ぎこちらを……。
(´ 。•ω•。)っ旦~




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