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第三章 チームお飾りの王太子妃、隣国奪還
150 真の味方(2)
しおりを挟むフィルガルドの思考は完全に停止してしまっていた。
しばらくして、意識を戻したフィルガルドは、普段の凛々しい王族として姿はなく、感情をむき出しにする一人の青年だった。
「なんだって?! クローディアがベルン国救済に関わっているだと?! なぜ、そんな危険なことを!! ブラッドは側にいて、止めなかったのか?! 彼女に……クローディアに何かあったらどうするつもりだ!! 彼女を守ると……私に約束したはずなのに!!」
怒りを隠しもせずに叫ぶフィルガルドに向かって、騎士団の団長カイルは、冷静に伝えた。
「なぜ……ですか……。部下の話では、クローディア様は『バイオレットアッシュを守るため』とおっしゃって、自らが望みベルン国奪還に手を貸したそうですよ」
クローディアがベルン国を奪還すると皆に説明した時、あの場にはロニがいた。ロニは奪還された直後にハイマ国に戻り、騎士団長のカイルに経緯を報告したのだ。
フィルガルドから一瞬で怒りが消えた。そして、唖然としながらカイルを見つめた。
「え? バイオレットアッシュを守る……ため? クローディアが……そんなことを?」
呆然とするフィルガルドに向かって、カイルがゆっくりと頷いた。
「はい。実はベルン国奪還には、我々もブラッド殿との事前の話で、秘密裏に協力するつもりでおりました。ですが……クローディア様が、わが軍を動かさずともベルン国を奪還する脅威の策を講じて下さいました」
フィルガルドは、「え? そのような……策を……クローディアが?」と口にしたままカイルを見つめた。
「正直に申しますと、何度もハイマ国へのイドレ国からの侵入者を許しているのは、北の砦の守る兵が疲弊しているからです。イドレ国という脅威にさらされて常に厳戒態勢で警備に望み、多くの兵を派遣している。それなのに、国からの騎士への待遇は変わらない。すでに一部の騎士たちには不満を持っています。私は彼らの負担を減らすためにも、ブラッド様からの出陣命令を待っていたのですが……無用な戦をせずに済むのならこんなに有難いことはない。クローディア様には感謝しかありません」
フィルガルドは、少し震えたように口を開いた。
「先程、内密にと言ったな……今回のクローディアの功績……父に……国王、いや皆には伝えないのか?」
フィルガルドの言葉を聞いたカイルは、少し迷いながらも真っすぐにフィルガルドを見ながら答えた。
「ブラッド殿はこのことを黙すおつもりです。ですが……現在の状況を考えると、私もブラッド殿の対応には賛成いたしております。……ですが、皆にベルン奪還を呼び掛けて、ご尽力されていたフィルガルド殿下は……知っておくべきだと思いました」
国王エルガルドは、多忙を極めて疲弊している。
今後ベルン国奪還について、大きな問題でも起こらない限り、密偵のもたらした情報以外を精査するなどということはしないだろう。
そうでなくとも、円卓の間に座することを許された高位貴族は、国王の顔色を見て自分と深く関わっていないことには意見も言わず、自分からは動かない。そしてロウエル元公爵のように歪みを不正で埋めようとしている。だがブラッドや、王家の密偵、そして騎士団の団長。実務的なことを日々こなしている彼らは、独自に動き出している。
何かが確実に変わり始めている。フィルガルドはそう思った。
フィルガルドはどこか地に足がつかない様子で「そうか、わかった。邪魔して悪かった」と言ってカイルの執務室を出て行った。
カイルはそんなフィルガルドの背中を見送ったのだった。
◆
「フィルガルド殿下!!」
フィルガルドが、自分の執務室に戻ると、苦しそうな顔のクリスフォードが出迎えてくれた。だが、今のフィルガルドにはクリスフォードの顔も見る余裕もなかった。
フィルガルドはふらつきながらソファーに座り込んだ。
「殿下、いかがされたのですか?」
心配するクリスフォードに向かって、フィルガルドが呟くように言った。
「クリスフォード。……ベルン国が復活したそうだ……」
クリスフォードは、フィルガルドの言葉を聞いて、目を丸くしながら言った。
「……え? それは、本当ですか?」
フィルガルドは、ソファーに沈みこむと自分の顔を両手で覆いながら言った。
「ああ」
クリスフォードは、彼らしくない大きな声を上げながら言った。
「殿下!! よかったですね!!」
喜ぶクリスフォードの横で、フィルガルドは呆然としていた。
――この国の重鎮と呼ばれる貴族は皆、見ない振りをしたのに……クローディアたちだけが……私に手を貸してくれた……私を……そして、この国を……助けてくれた。
フィルガルドの瞳からはとめどもなく涙が溢れて来た。
ベルン国奪還など、そんな大変なことを……。
バイオレットアッシュを守るため……という理由で動いてくれた。
この国を、民を守るために、フィルガルドは絶対に、ベルン国奪還するべきだと思った。
同盟国にも呼びかけるべきだと思った。
だが、結局自分は、この国の人間さえも説得することは出来なかった。
それなのに……クローディアたちだけが……国のために、自分よりも早く動いてくれた。
フィルガルドは、クローディアをすぐにこの手に抱きしめたいと思った。
感謝と、この体中から溢れて止まらない想いを伝えたいと思った。
――なぜ、私は……今、彼女の側にいないのだろう……彼女に……会いたい……。
今回のベルン国奪還を彼女の近くで支えたのは、ブラッドだ。
ブラッドは、今回彼女の意思と彼女を守ったのだ。
そして、彼はいつでも彼女を助け、抱きしめることの出来る距離にいる。
フィルガルドは、クローディアを守り寄り添った者が自分ではなくブラッドだったことを思うと、胸の中に黒いインクをこぼしたような闇が広がる気がした。これまで感じたこともなく重く荒んだ感情に吐き気がした。
国のため、民のため。
――それが王族として生まれた自分の使命……。
フィルガルドは、これまでの全てのことを王族としての自分として決断してきた。
良き王であるため、良き国にするため。
ふと脳裏にいつかの、ブラッド言葉が思い出された。
――伯爵令嬢を妻にしたいと言い出したのは他ならぬ殿下だ。
私は、王太子だ。自国に不利益をもたらし、他の者を排除して調和を取ろうともしない女性を伴侶になど選べない。
――殿下の選ばれた方は大変優秀です! 素晴らしい王妃になられます。
そうだ。私は、王太子として理想の女性を見つけた。
――私は、王族としていつでも理想的な決断をしているはずだ。
それなのに……なぜこんなにも、胸が痛いのだろうか? なぜ胸の中に黒く荒んだものが広がって行くのだろうか?
苦しい……!!
――『フィルガルド殿下!! 一緒に演奏しませんか?』
フィルガルドが黒い感情に支配されそうになった時。ふと、まだ学院に入る前にクローディアが目を輝かせながら自分のピアノとヴァイオリンの演奏をしようと誘ってきた時の瞳を思い出した。
だがフィルガルドはいつも『すまない、今、忙しいのだ。今度時間を作ろう』と言ってクローディアの誘いを断っていた。学業に公務に王族としての学びに、剣やマナーなどの習得……。フィルガルドは良き王になることしか考えていなかった。ヴァイオリンも教養の一つで義務で学んだに過ぎない。
フィルガルドは、急に顔を上げた。
……そういえば……。
――私は未だに、彼女と共に演奏するという約束を果たしていない。
フィルガルドは、クローディアとの約束を未だに果たしていないことを思い出した。
いつしか、一緒に演奏しようとは言わなくなっていたので、彼女にとっては、些細なことだったのかもれないが……。
フィルガルドは、クリスフォードに尋ねた。
「クリスフォード。クローディアが、一緒に演奏しようと置いていった楽譜はどこにある?」
クリスフォードが、困ったような顔をしながら言った。
「楽譜? そうですね……最後に貰った楽譜は3年くらい前ですよね……確かこちらに……」
クリスフォードの言葉にフィルガルドは驚きながら答えた。
「そんなに前なのか?」
クリスフォードは「はい」と言って、書棚の奥から楽譜の束を取り出した。
「……こんなに?」
フィルガルドの前には大量の楽譜の山が出来た。
一体何曲あるのだろうか?
私はこれほどまで楽譜を渡されるほど……彼女との約束を先延ばしにしてきたのか……。
唖然とするフィルガルドに向かって、クリスフォードが口を開いた。
「ええ。数ケ月に一回、クローディア様は楽譜を持っていらっしゃっておられたので」
お茶をしたいとこの部屋に押し掛ける時、彼女は楽譜を持って来ることがあった。
――『フィルガルド殿下、一緒に演奏しましょう!! ああ。そうだ。最近お元気がないようなので、元気になる曲などどうですか? これや……。これも……。私はどの曲でもすぐにご一緒できますわ!! ですから……殿下のお好きな曲構いませんので……』
クローディアはいつもそんなことを言っていた。
私は楽譜を手に取りながら言った。
「そういえば、私の好きな曲を選んでほしいと言っていたな……」
私はクローディアの言う『好きな曲を選べ』という問いにずっと答えられなかった。
楽譜を見るフィルガルドに向かって、クリスフォードが尋ねた。
「そうでしたね……ところで、フィルガルド殿下はどのような曲が好きなのですか?」
私は、楽譜を見ながら答えた。
「好きか……。これまで私は一度も、好きな物という物を……考えたことも、選んだこともないな……生まれたときから私の周りに足りない物などなかったし、何か選ぶ時も、必要な物を選んできたからな……」
そう言いながら、フィルガルドはクローディアの残していった楽譜を手に取りながら呟いた。
「好きか……好きな曲など……わからないな……」
その言葉はクリスフォードにも聞こえずに部屋に溶けていったのだった。
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