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第二章 お飾りの王太子妃、国内にて

87 海辺の街との別れ(3)

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 シーズルス領の夜は更け、クローディアが眠りについた頃。ラウルは、同室のアドラーに声をかけた。

「アドラー、そろそろ抜けてもいいだろうか?」

 ラウルはブラッドとアドラーに今日の夜に少しだけ自由な時間が欲しいと頼んでいたのだ。
 風呂上りのアドラーはキッチリと服を着ているが、髪はまだ濡れており、濡れた髪をふっくらとした布で拭きながら答えた。

「ああ。そうだったな。外で待機している見張りの騎士にも伝えて出てくれ」

 アドラーは頭を拭いていた布を首から下げると、眼鏡をかけ剣を腰に下げた。

「わかった」

 ラウルは、アドラーが剣を持ったのを確認して部屋を出ると見張りの騎士に少し離れることを告げて、同じ建物内のラウルの兄のライナスの執務室に向かった。

「夜分に失礼致します」

 ラウルがライナスの執務室に入ると、ライナスは満面の笑みでラウルを迎えてくれた。

「おお、ラウル!! 待っていたぞ。クローディア様の護衛は大丈夫なのか?」

 ラウルはライナスを見ながら言った。

「はい。ブラッド殿の許可は頂いております。今は見張りを多くして対応しています、どうしても直接お伝えしたくてお時間を頂きました。兄上。この十年、本当にお疲れ様でした。素晴らしい船が完成しましたね。私は感激いたしました」

 ラウルはそう言うと、深く頭を下げた。本当はもっと早くに兄に船のことを伝えたかったが、ラウルは今回、クローディアの護衛としてこのシーズルス領邸を訪れていたので、なかなかライナスとゆっくり話をする時間が取れなかったのだ。
 
「ああ、ありがとう。ラウル。長かった……本当に長い十年だった……」

 ライナスの目には涙が光っていた。
 エルガルドが国王として即位したおよそ十年前。エルガルドの即位を記念して王妃イザベラの名前を冠した『クイーンイザベラ号』の造船計画が持ち上がった。
 その頃、このシーズルス領を治めていたのはラウルやライナスの父だった。だが、造船計画が持ち上がってすぐに、ラウルたちの父は病に倒れた。
 この領を引き継いだライナスは慣れない領主業務と、造船の監督で息をつく時もないほど忙しい日々を過ごしたのだった。

「兄上……」

 一つのことをやり遂げた達成感と安堵を感じる兄の姿に思わずラウルが呟くと、ライナスが泣きそうな顔で言った。

「本当に無事に出港してくれてよかった。もし、クローディア様が『クイーンイザベラ号』を守って下さらなかったら……船に関わった多くの者が失意のうちに……命を絶っていたかもしれない。それほど私たちは、あの船の完成に全てを費やしたのだ。私は、もう何度、あの方をこの地に使わして下さった神に感謝しただろうか……」

 この十年、造船に関わる全ての者たちは、大袈裟ではなく全てをクイーンイザベラ号に捧げて生きていたのだ。つらいことがあっても、いつの日か自らが関わったこの船が大海原に出て行くことを願って……。

 クローディアが守った物は、船や街だけではない。
 造船に関わった者やその家族の希望や尊厳さえも守っていたのだ。

「それは私も強く思います。もう何度もクローディア様がこの地に訪れて下さった奇跡に感謝しました」

 ラウルが真っすぐにライナスを見ながら言った。そんなラウルを見てライナスは顔を曇らせた。

「私としては……港にクローディア様の像を建てて後世に残したいと思うほど感謝しているのだ。だが、レナン公爵子息殿には強く反対されただけではなく、今回の功績については、口止めするように厳命を受けた。恩人功績を黙すというのは……つらいものだ。一体、レナン公爵子息殿はなぜそれほどまでに警戒しているのだ?」

 どうやら、ブラッドは口止めの理由を詳しく説明していないようだった。もしかしたら、王族が狙われているというのは貴族全体には公表していないのだろうか? ラウルは、騎士団副団長なので深く事情を知っているが、ブラッドがシーズルス領主の兄に詳しい話をしていないのなら、自分が伝えるわけにはいかない。ラウルは唇を噛んだ後に言った。

「それは……いくら兄上と言えどもお答えすることはできません。ですが、いつの日か私は今回のことを公にしたいと思っています」

 ラウルの真っすぐな瞳を見て、ライナスも真剣な顔で頷いた。

「わかった。その日が来ることを願っている」
「はい」

 ラウルが返事をした後に、ライナスは深刻そうに口を開いた。

「実は先ほどレナン公爵子息殿にご報告してきたのだが……お披露目式の日に『クイーンイザベラ号』に近付いた不審船について気になることがあった」

 ラウルが眉を寄せながら言った。

「気になることですか?」
「ああ。通常なら港に入る船は、この先の岬の灯台で見張られている。だから不審な船が通ったら必ず港に連絡が入る。船の見張り台を隠したのは、港には灯台の監視者がいると思ったからだ。ところがあの日。岬の灯台から連絡は入らなかった。私たちはレナン公爵子息に言われて、すぐに灯台に連絡を取ったが、灯台の監視者は『不審船は通らなかった』と言ったのだ」

 不審船は小舟ではなく、比較的大きな二隻の船団だった。
 いくら波が荒れていたとはいえ、灯台の監視者が見逃すわけがない。

「そんな……あの船が、灯台の監視に気付かずに港に入ることなど不可能だ」

 ラウルの言葉に、ライナスも大きく頷いた後に、怖いほど真剣な瞳をラウルに向けながら言った。

「私も不思議に思って、今日再び灯台の監視者に話を聞きに行ったのだ。よくよく聞いて見ると、どうやら一時的に意識を失っていた可能性がある」
「意識を失っていた?! 本人たちは気付かなかったのですか?」

 ラウルが身体を前のめりにして尋ねた。

「あの時灯台には3人の監視がいたが、皆自分が眠っていたという意識はなかった。ただ甘いに匂いがして少しぼんやりとした気がしたが、気のせいだと思ったようだった」

 甘い匂いがしたという言葉に、ラウルは違和感を感じた。

「兄上。その灯台の監視者の性別は?」

 ライナスは、ラウルの問いかけに驚きながら答えた。

「実は、その質問はレナン公爵子息殿にもされたのだが……三人とも、男性だ」
「男性?」

 シーズルス領に来た初日。ヒューゴから媚薬の説明があった。
 その説明では、眠くなったり、意識が失われる媚薬は女性にしか効かないという話だった。
 一体どういうことだろうか?
 媚薬ではなく、別の何かだろうか?
 だが甘い香り、一時的にぼんやりする、などかなりヒューゴの説明していた媚薬に特徴が類似している。
 ライナスの話を聞いたラウルが考え込んでいると、ライナスが心配そうに言った。

「騎士団の副団長だという立場のお前に、私がしてやれることがないのが歯がゆいが……ラウル。どうか、無事で……元気でな。何かあったら、いつでも頼ってくれ」

 ラウルは、兄のライナスを見ながら力強く言った。

「ありがとうございます。兄上もどうかお元気で。それでは失礼いたします」

 ラウルは返事をすると、ライナスに頭を下げて部屋に戻ったのだった。








 次の日。私はゆっくりと起きて準備を済ませると、王都に戻る時間になった。
 私たちがエントランスに行くと、ライナスや、ライナスのご家族だけではなく、屋敷中の人が見送りに来てくれた。

「皆様、本当にお世話になりました。ありがとうございました」

 私がエントランスでお礼を言うと、ライナスの子供たちが近付いて来て何かを手渡してくれた。

「クローディア様、どうぞこれをお持ちくださいませ」

 私は受け取った物を見て思わず頬を緩ませた。

「これは『祈りの紐』ね? ありがとう……じゃあ……」

 旅の無事を祈るという意味だろう。
 私が嬉しくなって紐の端を子供たちに渡そうとすると、ライナス様のお子様の確か……ライド君が、私の手に手を添えて紐を引き出すの止めた。

「クローディア様。どうぞ、そちらは記念にお持ちください」
「船のように紐の端をお互いに持つのではないの?」

 私が訪ねると、今度はラウルが説明してくれた。

「クローディア様、祈りの紐に使われる海藻は本来は薄い緑色で、白くするのはとても手間がかかります。そのため白い紐は貴重で、そのまま渡す物なのです」

 私は急いで、子供たちを見ながら言った。

「そうなのね。貴重な物をありがとう」

 私は5人の子供たちとそれぞれ目線を合わせて、握手をしながらお礼を言った。子供たちはみんな笑顔で「またいらして下さい、お待ちしています」と言ってくれた。

 みんなに手を振って馬車に乗った。

 ようやく長いようで短かったシーズルス領でのお披露目式が終わった。
 私はほっとしながら手元の『祈りの紐』を見つめた。
 色々なことがあった三日間だった。

「クローディア様。お疲れ様でした。とても素敵なところでしたね」

 リリアが私を見ながら言った。私もリリアの顔を見ながら答えた。

「ええ!! また行きたいわね」

 私がそう言うと、ブラッドが口の端を上げて私の顔を見ていた。

「ちょっとブラッド、何、その不敵な笑い?!」
 
 ブラッドは今度は眉を寄せながら言った。

「不敵? 相変わらず失礼だな……あなたは……」

 ブラッドが少し不機嫌に言うと、ジーニアスが口を開いた。

「ブラッド様、そんな顔をされずに。城に帰るまでが視察ですからね! 実は……シーズルス領邸のシェフからシーズルス領特産のお茶やお菓子の準備をしてもらいましたので、帰り道もシーズルス領を味わいましょうね」
「ありがとう~~ジーニアス!! そうね、帰るまでが視察よね」

 こうして、思いの外賑やかに私たちは今回の旅を終えたのだった。



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