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第二章 お飾りの王太子妃、国内にて
85 海辺の街との別れ(1)
しおりを挟む『クイーンイザベラ号』のお披露目式から一夜明けた早朝。空にはまだ星が輝いている日の出前。
フィルガルドとクリスフォードは、今日の午後に王都で公務が入っているので、まだ早い時間にシーズルス領邸を出る必要があった。
フィルガルドは静かに自分の泊まった部屋の扉を閉めると、まだ寝ているであろうクローディアの部屋を見つめた。いつもは、クローディアとは部屋が離れているので、隣の部屋で寝るのは新鮮だった。
――会いたい。
フィルガルドはそう思ったが、これほど早くに起こすことは出来ないので、後ろ髪を引かれながら部屋を後にした。
その後、フィルガルドはエントランスで信じられない光景を見ることになる。
◆
早朝のまだ空も暗い時間に、私はラウルとアドラー、リリアと共にエントランスでフィルガルド殿下を待っていた。昨日も午前中の公務の後にここに駆けつけて、今日も午後から公務があるので早く出発する、という多忙なフィルガルド殿下を、せめて見送りたかったのだ。
「クローディア?!」
階段付近でフィルガルド殿下の声が聞こえて見上げると、フィルガルド殿下が私に気付いて声を上げ、階段を走って降りてきた。
「殿下、お気をつけて!」
私はフィルガルド殿下が心配で思わず声を上げた。
だが殿下は流れるように階段を走って降り、すぐに目の前まで来たと思った瞬間に、私はフィルガルド殿下の大きくてあたたかな腕の中にいた。そして耳元で殿下の嬉しそうな声が聞こえた。
「クローディア!! 待っていてくれたのですか? こんな早い時間に?」
私はフィルガルド殿下に抱きしめられたまま答えた。
「はい。どうか、お気をつけて……フィルガルド殿下」
フィルガルド殿下は抱きしめたまま私の耳元で囁くように言った。
「ありがとうございます。クローディア、あなたも無事で」
「はい」
フィルガルド殿下の体温は、まるで麻薬のように私の思考を溶かしそうになる。いつまでもここに居たいとは思う。だが、この場所は舞台に上がっている時だけの限られた場所。焦がれても手に入らない場所。落ちてしまったら――破滅が待っているのだ。
私は、フィルガルド殿下の胸に両手をつけて離れて、フィルガルド殿下を見上げながら言った。
「お引止めして申し訳ございません」
するとフィルガルド殿下が私の頭にキスをしたかと思うと、今度はおでこにキスをして、そして、鼻と頬にキスをした後に顔を離した。
「クローディア。見送りありがとうございます」
そして、まるでとろけそうな笑顔を向けてくれたのだ。
私は殿下の笑顔に引き込まれてしまいそうで、急いで顔を逸らした。すると、フィルガルド殿下は私の手を取った。私は馬車までは見送ろうとフィルガルド殿下のエスコートで馬車の用意してある場所まで行くことにした。
執事がシーズルス領邸の玄関の扉を開けると、海が水平線に沿って明るくなっているのが見えた。
「ああ、朝日が昇って来るのですね」
フィルガルド殿下が目を細めながら言った。
「……ええ」
空にはまだ星が見えているのに、一筋の明るい光。海から見える光の帯はとても幻想的だった。フィルガルド殿下が、乗せていただけだった私の手を少し力を入れて握った。
そういえば、昨日のパーティーの時からフィルガルド殿下は私の手を離そうとはしない。フィルガルド殿下の行動を不思議に思ったが、言葉に出すと、これまで保っていた糸が切れて、何かが壊れてしまいそうだったので、私は何も言わなかった。
私は、フィルガルド殿下と手を繋いで段々と明るくなっていく海を見た。朝日はゆっくりと昇りながら世界を照らしていく。真っ暗だった空にはやがて紫色の帯が見え、そしてオレンジ色が見えて、琥珀色、そして黄金色。本当に世界を鮮やかな色に染めて行く。
「クローディア。この色はまるであなたの瞳の色のようですね」
フィルガルド殿下が私を見ながら目を細めた。私はそんなフィルガルド殿下に向かって言った。
「ふふふ、私には殿下の髪の色のように輝いているように見えます」
「クローディアのそのような笑顔は久しぶりに見ました。クローディア、また一緒にこのような美しい風景を見ましょう」
フィルガルド殿下はそう言いながら、殿下だってこれまで見たことがないほど無邪気で嬉しそうな顔をしていた。
いまさらそんな顔をするのは……やめてほしい……。
私は、そう思うのにフィルガルド殿下から目が離せなかった。すると、フィルガルド殿下の顔が近付いているように感じた。
「殿下、そろそろお時間です」
その時、クリスフォードの声が聞こえた。
ふと周りを見ると、フィルガルド殿下のお見送りに来ていた侍女の皆様や執事が目を逸らしていた。
私が恥ずかしいことをしてしまったと頭を抱えていると、フィルガルド殿下が最後に私の口のすぐ横にキスをした。そして、フィルガルド殿下は嬉しそうに言った。
「クローディア、それでは私は先に城で待っています」
そして殿下は私の髪を撫でた後に、もう一度頭にキスをして馬車に乗りこんだ。
私は走り去る馬車を手を振って見送ったのだった。
フィルガルド殿下の馬車が見えなくなると、すぐにラウルが右隣に、アドラーが左隣にやってきた。
そしてラウルが穏やかな口調で言った。
「クローディア様。ここからの眺めはいかがですか?」
私はラウルを見上げながら言った。
「……本当にここはいいところね。夜景も美しいと思ったけど、朝日に照らされる街も美しいわ」
「クローディア様のおかげです」
「え?」
顔を上げてラウルを見つめると、ラウルはとても穏やかな顔をしながらも、熱の籠った様子で言った。
「今日も無事にこの朝日に染まる街並み見ることができるのは……あなたのおかげです。あなたがこの地を訪れて下さったことを、私は神に感謝いたします。我がシーズルス領を救って頂き、ありがとうございました」
そう言って、ラウルが私の手にキスをして目を細めた。ラウルにキスをされて驚いていると、今後は、アドラーが私のラウルに握られている反対の手を取った。
「どうしたの? アドラー」
アドラーに尋ねると、アドラーも私に手にキスをした。
「え?!」
「アドラー?!」
驚いていたのは私だけではなく、ラウルもだった。アドラーは私の手を持ち上げたまま言った。
「あなたにお仕え出来ることを光栄に思います」
一体何が起こったというのだろうか?
私が不思議に思っているとリリアが私の前に回って言った。
「私も、クローディア様にお仕えできて幸せです!!」
リリアや、ラウルやアドラーが朝日に照らされながら笑っていた。
朝日が真っすぐにここに光を運んでくれていたからだろうか、私はみんなの笑顔が眩しくて思わず目を細めてしまったのだった。
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