54 / 293
第二章 お飾りの王太子妃、国内にて
85 海辺の街との別れ(1)
しおりを挟む『クイーンイザベラ号』のお披露目式から一夜明けた早朝。空にはまだ星が輝いている日の出前。
フィルガルドとクリスフォードは、今日の午後に王都で公務が入っているので、まだ早い時間にシーズルス領邸を出る必要があった。
フィルガルドは静かに自分の泊まった部屋の扉を閉めると、まだ寝ているであろうクローディアの部屋を見つめた。いつもは、クローディアとは部屋が離れているので、隣の部屋で寝るのは新鮮だった。
――会いたい。
フィルガルドはそう思ったが、これほど早くに起こすことは出来ないので、後ろ髪を引かれながら部屋を後にした。
その後、フィルガルドはエントランスで信じられない光景を見ることになる。
◆
早朝のまだ空も暗い時間に、私はラウルとアドラー、リリアと共にエントランスでフィルガルド殿下を待っていた。昨日も午前中の公務の後にここに駆けつけて、今日も午後から公務があるので早く出発する、という多忙なフィルガルド殿下を、せめて見送りたかったのだ。
「クローディア?!」
階段付近でフィルガルド殿下の声が聞こえて見上げると、フィルガルド殿下が私に気付いて声を上げ、階段を走って降りてきた。
「殿下、お気をつけて!」
私はフィルガルド殿下が心配で思わず声を上げた。
だが殿下は流れるように階段を走って降り、すぐに目の前まで来たと思った瞬間に、私はフィルガルド殿下の大きくてあたたかな腕の中にいた。そして耳元で殿下の嬉しそうな声が聞こえた。
「クローディア!! 待っていてくれたのですか? こんな早い時間に?」
私はフィルガルド殿下に抱きしめられたまま答えた。
「はい。どうか、お気をつけて……フィルガルド殿下」
フィルガルド殿下は抱きしめたまま私の耳元で囁くように言った。
「ありがとうございます。クローディア、あなたも無事で」
「はい」
フィルガルド殿下の体温は、まるで麻薬のように私の思考を溶かしそうになる。いつまでもここに居たいとは思う。だが、この場所は舞台に上がっている時だけの限られた場所。焦がれても手に入らない場所。落ちてしまったら――破滅が待っているのだ。
私は、フィルガルド殿下の胸に両手をつけて離れて、フィルガルド殿下を見上げながら言った。
「お引止めして申し訳ございません」
するとフィルガルド殿下が私の頭にキスをしたかと思うと、今度はおでこにキスをして、そして、鼻と頬にキスをした後に顔を離した。
「クローディア。見送りありがとうございます」
そして、まるでとろけそうな笑顔を向けてくれたのだ。
私は殿下の笑顔に引き込まれてしまいそうで、急いで顔を逸らした。すると、フィルガルド殿下は私の手を取った。私は馬車までは見送ろうとフィルガルド殿下のエスコートで馬車の用意してある場所まで行くことにした。
執事がシーズルス領邸の玄関の扉を開けると、海が水平線に沿って明るくなっているのが見えた。
「ああ、朝日が昇って来るのですね」
フィルガルド殿下が目を細めながら言った。
「……ええ」
空にはまだ星が見えているのに、一筋の明るい光。海から見える光の帯はとても幻想的だった。フィルガルド殿下が、乗せていただけだった私の手を少し力を入れて握った。
そういえば、昨日のパーティーの時からフィルガルド殿下は私の手を離そうとはしない。フィルガルド殿下の行動を不思議に思ったが、言葉に出すと、これまで保っていた糸が切れて、何かが壊れてしまいそうだったので、私は何も言わなかった。
私は、フィルガルド殿下と手を繋いで段々と明るくなっていく海を見た。朝日はゆっくりと昇りながら世界を照らしていく。真っ暗だった空にはやがて紫色の帯が見え、そしてオレンジ色が見えて、琥珀色、そして黄金色。本当に世界を鮮やかな色に染めて行く。
「クローディア。この色はまるであなたの瞳の色のようですね」
フィルガルド殿下が私を見ながら目を細めた。私はそんなフィルガルド殿下に向かって言った。
「ふふふ、私には殿下の髪の色のように輝いているように見えます」
「クローディアのそのような笑顔は久しぶりに見ました。クローディア、また一緒にこのような美しい風景を見ましょう」
フィルガルド殿下はそう言いながら、殿下だってこれまで見たことがないほど無邪気で嬉しそうな顔をしていた。
いまさらそんな顔をするのは……やめてほしい……。
私は、そう思うのにフィルガルド殿下から目が離せなかった。すると、フィルガルド殿下の顔が近付いているように感じた。
「殿下、そろそろお時間です」
その時、クリスフォードの声が聞こえた。
ふと周りを見ると、フィルガルド殿下のお見送りに来ていた侍女の皆様や執事が目を逸らしていた。
私が恥ずかしいことをしてしまったと頭を抱えていると、フィルガルド殿下が最後に私の口のすぐ横にキスをした。そして、フィルガルド殿下は嬉しそうに言った。
「クローディア、それでは私は先に城で待っています」
そして殿下は私の髪を撫でた後に、もう一度頭にキスをして馬車に乗りこんだ。
私は走り去る馬車を手を振って見送ったのだった。
フィルガルド殿下の馬車が見えなくなると、すぐにラウルが右隣に、アドラーが左隣にやってきた。
そしてラウルが穏やかな口調で言った。
「クローディア様。ここからの眺めはいかがですか?」
私はラウルを見上げながら言った。
「……本当にここはいいところね。夜景も美しいと思ったけど、朝日に照らされる街も美しいわ」
「クローディア様のおかげです」
「え?」
顔を上げてラウルを見つめると、ラウルはとても穏やかな顔をしながらも、熱の籠った様子で言った。
「今日も無事にこの朝日に染まる街並み見ることができるのは……あなたのおかげです。あなたがこの地を訪れて下さったことを、私は神に感謝いたします。我がシーズルス領を救って頂き、ありがとうございました」
そう言って、ラウルが私の手にキスをして目を細めた。ラウルにキスをされて驚いていると、今後は、アドラーが私のラウルに握られている反対の手を取った。
「どうしたの? アドラー」
アドラーに尋ねると、アドラーも私に手にキスをした。
「え?!」
「アドラー?!」
驚いていたのは私だけではなく、ラウルもだった。アドラーは私の手を持ち上げたまま言った。
「あなたにお仕え出来ることを光栄に思います」
一体何が起こったというのだろうか?
私が不思議に思っているとリリアが私の前に回って言った。
「私も、クローディア様にお仕えできて幸せです!!」
リリアや、ラウルやアドラーが朝日に照らされながら笑っていた。
朝日が真っすぐにここに光を運んでくれていたからだろうか、私はみんなの笑顔が眩しくて思わず目を細めてしまったのだった。
615
お気に入りに追加
9,120
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢ですが、当て馬なんて奉仕活動はいたしませんので、どうぞあしからず!
たぬきち25番
恋愛
気が付くと私は、ゲームの中の悪役令嬢フォルトナに転生していた。自分は、婚約者のルジェク王子殿下と、ヒロインのクレアを邪魔する悪役令嬢。そして、ふと気が付いた。私は今、強大な権力と、惚れ惚れするほどの美貌と身体、そして、かなり出来の良い頭を持っていた。王子も確かにカッコイイけど、この世界には他にもカッコイイ男性はいる、王子はヒロインにお任せします。え? 当て馬がいないと物語が進まない? ごめんなさい、王子殿下、私、自分のことを優先させて頂きまぁ~す♡
※マルチエンディングです!!
コルネリウス(兄)&ルジェク(王子)好きなエンディングをお迎えください m(_ _)m
2024.11.14アイク(誰?)ルートをスタートいたしました。
楽しんで頂けると幸いです。
婚約破棄すると言われたので、これ幸いとダッシュで逃げました。殿下、すみませんが追いかけてこないでください。
桜乃
恋愛
ハイネシック王国王太子、セルビオ・エドイン・ハイネシックが舞踏会で高らかに言い放つ。
「ミュリア・メリッジ、お前とは婚約を破棄する!」
「はい、喜んで!」
……えっ? 喜んじゃうの?
※約8000文字程度の短編です。6/17に完結いたします。
※1ページの文字数は少な目です。
☆番外編「出会って10秒でひっぱたかれた王太子のお話」
セルビオとミュリアの出会いの物語。
※10/1から連載し、10/7に完結します。
※1日おきの更新です。
※1ページの文字数は少な目です。
❇❇❇❇❇❇❇❇❇
2024年12月追記
お読みいただき、ありがとうございます。
こちらの作品は完結しておりますが、番外編を追加投稿する際に、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。
※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。
【完結】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。
氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。
私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。
「でも、白い結婚だったのよね……」
奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。
全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。
一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。
断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。
私達、政略結婚ですから。
黎
恋愛
オルヒデーエは、来月ザイデルバスト王子との結婚を控えていた。しかし2年前に王宮に来て以来、王子とはろくに会わず話もしない。一方で1年前現れたレディ・トゥルペは、王子に指輪を贈られ、二人きりで会ってもいる。王子に自分達の関係性を問いただすも「政略結婚だが」と知らん顔、レディ・トゥルペも、オルヒデーエに向かって「政略結婚ですから」としたり顔。半年前からは、レディ・トゥルペに数々の嫌がらせをしたという噂まで流れていた。
それが罪状として読み上げられる中、オルヒデーエは王子との数少ない思い出を振り返り、その処断を待つ。
悪妃の愛娘
りーさん
恋愛
私の名前はリリー。五歳のかわいい盛りの王女である。私は、前世の記憶を持っていて、父子家庭で育ったからか、母親には特別な思いがあった。
その心残りからか、転生を果たした私は、母親の王妃にそれはもう可愛がられている。
そんなある日、そんな母が父である国王に怒鳴られていて、泣いているのを見たときに、私は誓った。私がお母さまを幸せにして見せると!
いろいろ調べてみると、母親が悪妃と呼ばれていたり、腹違いの弟妹がひどい扱いを受けていたりと、お城は問題だらけ!
こうなったら、私が全部解決してみせるといろいろやっていたら、なんでか父親に構われだした。
あんたなんてどうでもいいからほっといてくれ!
結婚して5年、初めて口を利きました
宮野 楓
恋愛
―――出会って、結婚して5年。一度も口を聞いたことがない。
ミリエルと旦那様であるロイスの政略結婚が他と違う点を挙げよ、と言えばこれに尽きるだろう。
その二人が5年の月日を経て邂逅するとき
何でもするって言うと思いました?
糸雨つむぎ
恋愛
ここ(牢屋)を出たければ、何でもするって言うと思いました?
王立学園の卒業式で、第1王子クリストフに婚約破棄を告げられた、'完璧な淑女’と謳われる公爵令嬢レティシア。王子の愛する男爵令嬢ミシェルを虐げたという身に覚えのない罪を突き付けられ、当然否定するも平民用の牢屋に押し込められる。突然起きた断罪の夜から3日後、随分ぼろぼろになった様子の殿下がやってきて…?
※他サイトにも掲載しています。
【完結】僻地の修道院に入りたいので、断罪の場にしれーっと混ざってみました。
櫻野くるみ
恋愛
王太子による独裁で、貴族が息を潜めながら生きているある日。
夜会で王太子が勝手な言いがかりだけで3人の令嬢達に断罪を始めた。
ひっそりと空気になっていたテレサだったが、ふと気付く。
あれ?これって修道院に入れるチャンスなんじゃ?
子爵令嬢のテレサは、神父をしている初恋の相手の元へ行ける絶好の機会だととっさに考え、しれーっと断罪の列に加わり叫んだ。
「わたくしが代表して修道院へ参ります!」
野次馬から急に現れたテレサに、その場の全員が思った。
この娘、誰!?
王太子による恐怖政治の中、地味に生きてきた子爵令嬢のテレサが、初恋の元伯爵令息に会いたい一心で断罪劇に飛び込むお話。
主人公は猫を被っているだけでお転婆です。
完結しました。
小説家になろう様にも投稿しています。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。