転生令嬢は最強の侍女!

キノン

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13.ローレンス家の秘密

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 ――やってしまった。
 肩に妻の温もりを感じながら、ヴィオルは心の中で頭を抱えた。
 用意した酒をエリーズが喜んで味わってくれたことが嬉しくて、ついついグラスに次々とお代わりを注いでしまった。そちらに気をとられて彼女が酒に強いか弱いか見極めることがおろそかになってしまい――気づけばエリーズは頭をこくりこくりと揺らして舟をこぎ出したかと思うと、ヴィオルの肩にもたれて寝息を立て始めた。
 瓶の中は既に空だ。おそらく半分程度はエリーズが飲み干した。加減を見て止めさせず、酩酊めいていに近い状態にさせてしまったのは己の責任だとヴィオルは自身を責めた。彼女が二日酔いにならないといいのだが。
 とにかく寝かせるべく抱き上げようとヴィオルがエリーズの体に手をかけたその時、彼女の目蓋が開いた。

「エリーズ、大丈夫?」
「んぅ……」

 鼻にかかったような声を漏らし、エリーズが顔を上げる。潤んだすみれ色の瞳がヴィオルの顔をとらえ、林檎のように赤く染まった頬がふにゃりと緩んだ。

「おうじさまぁ」
「え」

 間髪入れずにエリーズは腕を伸ばし、ヴィオルにぎゅっと抱き着いた。

「わたしをむかえにきてくれたのぉ?」

 舌足らずで間延びした口調、幼子のような甘え方はヴィオルが初めて見る妻の姿だった。その愛らしさはヴィオルの心をくすぐる。王子様ではなくて王様だよ、という突っ込みはあまりにも野暮だ。

「そうだよ、僕のお姫様。君をお城まで連れていくね」

 優しく声をかけながら、ヴィオルはエリーズを横抱きにした。きゃはは、と無邪気な声を上げるエリーズを寝室まで運んでいく。ところが彼女を寝かせるために寝台の上掛けをめくると、エリーズは足をじたばたさせて抗議した。

「やだー、まだ寝ないのぉ」
「でも眠いだろう? さっきまで少し寝ていたし……」
「やだ! ヴィオル抱っこ、抱っこしてて!」

 ヴィオルの夜着の胸元を掴み、エリーズは駄々をこねる。しばらく彼女の言う通りにして落ち着かせてから寝かしつけた方が良さそうだと、ヴィオルはエリーズを抱えたまま寝台へ上がりヘッドボードに背中を預け、足を投げ出して座った。エリーズはまるで赤子のようにヴィオルの腕の中に納まっている。今の状況に満足したのか、にこにこ笑いながらヴィオルの首元に顔をすり寄せた。
 エリーズはいつも毎日楽しくて幸せよと言ってくれるが、やはり王妃の立場が重くのしかかっているのかもしれない。たっぷり彼女を甘やかす時間をまた作らないと――とヴィオルが考えを巡らせていると、エリーズは体をもぞもぞと動かし、ヴィオルの両脚にまたがるようにして向かい合ってきた。

「んふふー」

 エリーズが上機嫌で夫の頬を両手で包む。長い睫毛まつげに縁どられた瞳の中できらめく星にヴィオルが釘付けになった瞬間、エリーズはヴィオルの唇に己のそれを押し付けてきた。

「ヴィオル、かっこいい。すき、だぁいすき」

 ちゅ、ちゅと音を立てて夫の唇をついばみながら、王妃は合間に甘い言葉をささやく。普段でもエリーズの方から口づけをしてくれることはあるが、ここまで情熱的にされるのは初めてだ。

(まずいなこれは……)

 繰り返される女神の口づけに、ヴィオルの理性がじりじりと焦がされていく。ヴィオルは浴びるほど酒を飲みでもしない限りほとんど酔いを感じない体質だが、今は愛しい妻の酒気を帯びた吐息だけで酩酊しそうだ。だが彼女を拒んで傷つけてしまったら、と思うと押しのけることができない。
 キスが途切れ不意にヴィオルが目線を下げると、エリーズの夜着の隙間にヴィオルだけがその甘さを知るまろい果実がちらりと見え――思わず生唾を飲んだ。
 エリーズと夫婦になってから、ヴィオルは男女がたのしむための様々な方法を彼女と共に実践してきた。しかし、それらについてエリーズの同意をとらなかったことだけは今まで一度もない。恥ずかしがるのを言いくるめたり、彼女が好きだと言ってくれる紫水晶の瞳の力を存分に利用しその気にさせることはあれど、男の力で押さえつけて無理強いだけはしなかった。それは夫婦だからこそ守らなければならない一線だと思っていた。
 目の前にいる男を自分の夫だと認識しているとはいえ、今のエリーズの状態では同意も何もあったものではない。「紫水晶の君も寝所ではただの獣」と城仕えの使用人たちの間ではもっぱらの噂らしいし否定しないが、今ここでエリーズの柔肌に食らいついてしまえば獣以下の存在に成り下がってしまう。耐えなければ――と思うのに

「わたしのヴィオル……あいしてるの。すきすぎて、しんじゃいそう……」

 出会った頃の可愛らしさはそのままに、愛されるよろこびを覚えた新妻の体は、本人にその気がなくとも夫を誘惑する色香を放つ。王都一のオペラ歌手も裸足で逃げ出すほど甘く透き通った声はいつもヴィオルの腕の中で愛を乞うてく時と同じで、それが余計にヴィオルの心をかき乱す。どんな拷問よりも耐えがたい甘美な苦痛に、ヴィオルの鼓動は震えるほどに早くなっていた。

「エリーズ、僕そろそろ限界……」

 情けない声をあげ、ヴィオルは妻をぎゅっと抱きしめた。子供をあやすように頭を撫で、背中をとんとんと優しく叩きながら自身は深呼吸をする。彼女が何とか眠りに落ちてくれれば、全てを守りきれる。
 やがてヴィオルの呼吸が伝わったのか、エリーズはそれ以上口づけをねだろうとはせず夫の胸に顔をうずめた。

「ヴィオル……どこにも、いかないでね」

 呟くように言ったその声色は、親とはぐれて泣く子犬のそれのようだった。

「わたし、ヴィオルといっしょにいられるならなんでもする……なんにでもなるわ。だから、おねがい。ずっとそばにいて」

 いつもは胸の内に秘められているのであろう妻の切ない懇願が、ヴィオルの胸をえぐる。色気を漂わせる妖女から一転、寂しがり屋の少女に姿を変えたエリーズの耳元にヴィオルは口を寄せた。

「……そうだね。僕もずっと一緒がいい」

 安心したのか、エリーズの呼吸が徐々に規則正しくゆっくりとしたものに変わっていく。顔を覗き込むと、遊び疲れて眠りに落ちた妖精のような愛らしい寝顔が見えた。
 ヴィオルは彼女を起こさないようにそっと寝台の上に横たえ、自分もその隣に寝そべって上掛けを被った。再びヴィオルに抱き寄せられてもエリーズが目を覚ます気配はなく、寝息を立ててすっかり夢の中だ。酒の影響だろうか、いつもより体温が高く、その心地よさがヴィオルのことも夢の世界に優しく誘う。
 妻の額に口づけを一つ落として、ヴィオルも目蓋を下ろした。

***

 明るさを感じ、エリーズは目を覚ました。横を向いた姿勢のまましばらくぼんやりし、はっと我に返る。昨夜、自分の足で寝室まで来た記憶がない。確かヴィオルが飲みやすい酒を用意してくれて、それを彼と二人で楽しく味わって――いつ眠ったのだろう?
 人の気配を感じ、エリーズは体を動かして反対側を見た。礼装姿のヴィオルがエリーズに背を向けた状態で寝台の端に腰かけている。

「ヴィオル!?」

 エリーズが驚いて身を起こすと、彼が振り返った。

「ああ、おはようエリーズ」
「お、おはよう……?」

 ヴィオルはほぼ毎日、エリーズが起きる時間には支度を済ませて政務に向かっている。なぜ彼が今ここにいるのだろうとエリーズが考えていると、ヴィオルが読んでいたらしい本を置き寝台に膝をついて身を乗り出すようにしてエリーズの顎に優しく指をかけた。まだ、いつもの手袋ははめていない。

「顔色はいつも通りだね。気分はどう?」
「ええ、大丈夫」

 エリーズが答えると、ヴィオルは安心したというように微笑んだ。

「良かった……ごめん、ついつい僕が飲ませすぎてしまったから心配で」
「あの、わたし、途中から記憶がなくて……もしかして、ヴィオルが寝室まで運んでくれたの?」

 ヴィオルが目を丸くした。

「そうだけど……本当に覚えてない?」
「ええ。迷惑をかけてごめんなさい……」

 それを聞いたヴィオルは大きなため息をつき、目頭を指で押さえてうめくような声を漏らした。もしかして何かとんでもないことをしでかしてしまったのか――エリーズの顔からさっと血の気が引く。

「わ、わたし何かひどいことをしてしまった? ごめんなさい、どうやってお詫びすれば……」
「いや、いいよ」

 ヴィオルの手が、エリーズの頭をなだめるように優しく撫でる。

「大丈夫だよ。暴れたとか吐いたとか、そういうことは一切していないから。気にしないで」
「そうなの……?」

 だとしたら、ヴィオルはなぜ先ほどため息をもらしたのだろう。エリーズが心の中で首を傾げていると、ヴィオルが急に真剣な面持ちになった。
 
「ただし、これからのことを考えて約束を決めさせてもらうよ」
「え、ええ。分かったわ」
「公の場で酒が出されても、今までと同じように舐めるだけにして。どうしても飲みたい気分になったら僕に言って。君が酒を飲んでいいのは僕と二人きりの時だけだ。絶対に」

 段々と鬼気迫る勢いになっていく物言いに、エリーズは頷くしかなかった。ヴィオルはよし、と満足気に目を細め、エリーズの唇をそっと指でなぞる。

「それから、二人で飲む時はもちろん好きなだけ付き合うけれど、その代わり何をされても文句は言わないこと……今回は耐えきったけれど、次からはもう我慢しないから」

 そう言った彼の紫水晶の瞳は、爽やかな朝には到底相応しくないどろどろとした欲をはらんでいた。その瞬間、エリーズは昨夜自分が何をしたのかを悟り――顔を真っ赤に染め上げた。

「は、はい……」

 こくこくと首を縦に振ったエリーズを見て、ヴィオルはふっと笑いその頬に優しく口づける。再び目が合ったとき、先ほどまで彼の瞳の中で渦を巻いていた情欲の炎は消えていた。

「そろそろ僕は行くね。君はもう少しゆっくりしておいで」

 白い手袋をはめて本を片手に持ち、紫水晶の君は颯爽さっそうと寝室を後にする。部屋の扉が閉まるのを見届けたエリーズはふらりと寝台に倒れ、恥ずかしさが消えるまで枕に顔を埋めて足をばたばたと動かした。
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