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一文字
【漢字一文字】双子 〜彼女の感情の矛先にいるのは本当はあなたじゃない〜
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くっきりとした境界をを引くために。
「文章力向上委員会」に掲載していた短編より。
お題は「部」
2007年2月
2016.9改稿
一方が怪我をすると、そのことを全く知らない片割れも同じ箇所を同じように痛がる。
怪我もなにもしていないというのに。
そんな双子のエピソードに、不思議ですねえとテレビの向こうでタレントが大げさに目を丸くし、素っ頓狂な声を上げた。
「そんな感じある?」
テレビを見つめたまま姉が膝を抱えた。
制服のスカートがめくれあがり画面の色が姉の白い足をまだらに浮かび上がらせる。
部屋は随分暗い。
「ないよ。あるわけないじゃん」
雪子は席を立ちシーリングライトのスイッチを入れた。
哲生のことで学校に呼び出された母は、まだ戻ってこない。
「……哲生には雪子が頼りだからね」
「わかってる」
雪子は窓から外を覗いた。眼下の細道で一斉に街灯が灯る瞬間を目にする。
風は少し肌に冷たくて、雪子は半袖から突き出た両腕を思わずぎゅっと抱え込んだ。
うっすら白く輪郭を浮き上がらせている山の端を遠くに見ながら、雪子は哲生の熱を思い浮かべた。
哲生は、熱い。
雪子は自分が体の芯からすっかり冷え込んでしまった、と身震いした。
「着替えてくる」
雪子はリビングを出て自室の扉を開いた。中学に入ってやっと手に入れた雪子だけの部屋だ。
哲生の半分ではない雪子だけのもの。
この部屋の隅から隅までくっきりと全てが、自分のものなのだと雪子は部屋を見回す。
雪子はベッドに仰向けに倒れこんで目を閉じ、今朝の出来事を思い浮かべる。
哲生の上履きが男子トイレの小便器のなかでじんわりねずみ色に染まっていくところ。
水の音に紛れて、こちらへ近づいて付いてくる誰かの笑い声が聞こえ、慌てて男子トイレを飛び出した瞬間の、胸の芯まで冷たくなるような感覚。
雪子は自分が冷たくなればなるほど、哲生は熱くなる、と天井を見上げた。
あの時、何も知らない哲生は空っぽの靴箱をまじまじと見つめ、立ち尽くしていた。
その横顔を覗き見た時、雪子は胸が高鳴るのを感じた。
「どうしたの?」
哲生の火を点灯させるのは、どうしたの? と言う、この瞬間だ。
雪子はざわざわ沸き起こる衝動的な何かを抑えるように胸の前にそっと拳を当てると、首を傾げ、さも心配そうな声を作り、静かにささやきかける。
哲生は雪子の目を一瞥すると、干渉を避けるかのように背を向け、裸足で歩き出した。
埃まみれの廊下に哲生の丸い指の跡が点々と浮かぶ。
「ねえ、哲生。スリッパ、借りてきてあげようか」
雪子は哲生の指の跡をなぞるように踏んで背中を追いかける。
後ろから哲生の顔を覗き込むくらいの距離まで近づき、哲生にだけ届くような声で呟くのだ。
「いい」
哲生は振り向きもせずそう答え、どんどん足を速めていく。
確実に着火したことを確信すると、雪子は少し離れて哲生の後を追った。
「きったねえ」
クラスメイトの西脇が下品に口を歪め、男子トイレから飛び出してきた。
ついで石田が逃げるように転がり出る。
早足の哲生と廊下に背を向けたまま飛び出した西脇の肩が軽くぶつかる。
「あ」
石田が哲生を凝視しそれから男子トイレを振り返った。
その視線の意味を哲生は敏感に読み取り、裸足のまま男子トイレへ駆け込んだ。
雪子はその場に立ち尽くしたふりをする。
口元に手を当て、覗き込むわけにはいかない男子トイレの方を窺ったり、周りを見回したりして心配しているかのように装う。
「俺じゃねーよ」
西脇が声を上ずらせると同時に、哲生が西脇に飛びかかった。
それを合図に雪子は大きな声で叫ぶのだ。
「誰か、先生呼んでっ」
周囲がざわめき人だかりができた後、雪子はどうしようとつぶやいておろおろと女友達のそばへ逃げ込んだ。
そして友達の袖を掴み、ため息をついて、止められなかったことを気に病んでいる顔をするのだ。
哲生が西脇に馬乗りになり、何度も殴りつける。西脇の口が切れ、周囲から悲鳴が上がる。
哲生の炎がもっともっと燃え上がればいいと雪子は願う。熱く何もかも溶かすように。
雪子は胸に当てた拳にぎゅっと力を込める。哲生の炎で雪子の胸が熱く灯るのを感じる。
双子の片方に宿った炎が、もう片方の胸にも暗く憑るのだろうかと雪子は考え、それを振り払うように首を振った。
「これで四度目なんだって?」
学校から戻った母がエプロンを腰に巻きながら雪子に尋ねた。母の後ろで哲生は悄然としている。
「どうして黙ってたの。あんたが頼りなのに」
雪子の胸にざわざわ衝動的な何かが沸き起こる。
なにも知らない哲生の横顔を見つめると雪子の胸はじんわり膿んだ。
燃えてよ、哲生。
雪子は心の中で声を張り上げる。
その時雪子の眼に浮かんだのは哲生と一緒だった頃の子供部屋の一つ一つだ。
左右に並んだおそろいの学習机。
二段ベッド。
タンス。
コルクボードにとめてある同じ顔した二人の赤ん坊の写真。
燃えてよ、哲生。
二人で一つじゃない、雪子と哲生になるために、くっきりとした境界をを引くために。
「文章力向上委員会」に掲載していた短編より。
お題は「部」
2007年2月
2016.9改稿
一方が怪我をすると、そのことを全く知らない片割れも同じ箇所を同じように痛がる。
怪我もなにもしていないというのに。
そんな双子のエピソードに、不思議ですねえとテレビの向こうでタレントが大げさに目を丸くし、素っ頓狂な声を上げた。
「そんな感じある?」
テレビを見つめたまま姉が膝を抱えた。
制服のスカートがめくれあがり画面の色が姉の白い足をまだらに浮かび上がらせる。
部屋は随分暗い。
「ないよ。あるわけないじゃん」
雪子は席を立ちシーリングライトのスイッチを入れた。
哲生のことで学校に呼び出された母は、まだ戻ってこない。
「……哲生には雪子が頼りだからね」
「わかってる」
雪子は窓から外を覗いた。眼下の細道で一斉に街灯が灯る瞬間を目にする。
風は少し肌に冷たくて、雪子は半袖から突き出た両腕を思わずぎゅっと抱え込んだ。
うっすら白く輪郭を浮き上がらせている山の端を遠くに見ながら、雪子は哲生の熱を思い浮かべた。
哲生は、熱い。
雪子は自分が体の芯からすっかり冷え込んでしまった、と身震いした。
「着替えてくる」
雪子はリビングを出て自室の扉を開いた。中学に入ってやっと手に入れた雪子だけの部屋だ。
哲生の半分ではない雪子だけのもの。
この部屋の隅から隅までくっきりと全てが、自分のものなのだと雪子は部屋を見回す。
雪子はベッドに仰向けに倒れこんで目を閉じ、今朝の出来事を思い浮かべる。
哲生の上履きが男子トイレの小便器のなかでじんわりねずみ色に染まっていくところ。
水の音に紛れて、こちらへ近づいて付いてくる誰かの笑い声が聞こえ、慌てて男子トイレを飛び出した瞬間の、胸の芯まで冷たくなるような感覚。
雪子は自分が冷たくなればなるほど、哲生は熱くなる、と天井を見上げた。
あの時、何も知らない哲生は空っぽの靴箱をまじまじと見つめ、立ち尽くしていた。
その横顔を覗き見た時、雪子は胸が高鳴るのを感じた。
「どうしたの?」
哲生の火を点灯させるのは、どうしたの? と言う、この瞬間だ。
雪子はざわざわ沸き起こる衝動的な何かを抑えるように胸の前にそっと拳を当てると、首を傾げ、さも心配そうな声を作り、静かにささやきかける。
哲生は雪子の目を一瞥すると、干渉を避けるかのように背を向け、裸足で歩き出した。
埃まみれの廊下に哲生の丸い指の跡が点々と浮かぶ。
「ねえ、哲生。スリッパ、借りてきてあげようか」
雪子は哲生の指の跡をなぞるように踏んで背中を追いかける。
後ろから哲生の顔を覗き込むくらいの距離まで近づき、哲生にだけ届くような声で呟くのだ。
「いい」
哲生は振り向きもせずそう答え、どんどん足を速めていく。
確実に着火したことを確信すると、雪子は少し離れて哲生の後を追った。
「きったねえ」
クラスメイトの西脇が下品に口を歪め、男子トイレから飛び出してきた。
ついで石田が逃げるように転がり出る。
早足の哲生と廊下に背を向けたまま飛び出した西脇の肩が軽くぶつかる。
「あ」
石田が哲生を凝視しそれから男子トイレを振り返った。
その視線の意味を哲生は敏感に読み取り、裸足のまま男子トイレへ駆け込んだ。
雪子はその場に立ち尽くしたふりをする。
口元に手を当て、覗き込むわけにはいかない男子トイレの方を窺ったり、周りを見回したりして心配しているかのように装う。
「俺じゃねーよ」
西脇が声を上ずらせると同時に、哲生が西脇に飛びかかった。
それを合図に雪子は大きな声で叫ぶのだ。
「誰か、先生呼んでっ」
周囲がざわめき人だかりができた後、雪子はどうしようとつぶやいておろおろと女友達のそばへ逃げ込んだ。
そして友達の袖を掴み、ため息をついて、止められなかったことを気に病んでいる顔をするのだ。
哲生が西脇に馬乗りになり、何度も殴りつける。西脇の口が切れ、周囲から悲鳴が上がる。
哲生の炎がもっともっと燃え上がればいいと雪子は願う。熱く何もかも溶かすように。
雪子は胸に当てた拳にぎゅっと力を込める。哲生の炎で雪子の胸が熱く灯るのを感じる。
双子の片方に宿った炎が、もう片方の胸にも暗く憑るのだろうかと雪子は考え、それを振り払うように首を振った。
「これで四度目なんだって?」
学校から戻った母がエプロンを腰に巻きながら雪子に尋ねた。母の後ろで哲生は悄然としている。
「どうして黙ってたの。あんたが頼りなのに」
雪子の胸にざわざわ衝動的な何かが沸き起こる。
なにも知らない哲生の横顔を見つめると雪子の胸はじんわり膿んだ。
燃えてよ、哲生。
雪子は心の中で声を張り上げる。
その時雪子の眼に浮かんだのは哲生と一緒だった頃の子供部屋の一つ一つだ。
左右に並んだおそろいの学習机。
二段ベッド。
タンス。
コルクボードにとめてある同じ顔した二人の赤ん坊の写真。
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