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三題噺 9月

【三題噺】緩やかに縛る赤い蛇 〜メンヘラ妹に振り回されて〜

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俺にはリスカをしては写真や動画を送りつけてくる妹がいる。


お題は「定食」「メンタル」「時計」3000文字以内




 空港内のレストラン中央にある、不釣り合いなくらい大きな柱時計に目をやった。
 搭乗時刻が迫っているのを知り、まだほとんど手付かずだった定食のコロッケをヤケクソにかきこむ。

「そんなに慌てなくても、大丈夫よ」

 喉を詰まらせ咳き込む俺の前で、紗霧はのんきにコーヒーをすすった。

「手続きは済ませてあるんだし。客を置いて飛びやしないわ」
「んな、迷惑かけらんねーだろ」

 強引に飲み下し、再び無理やり食らいつく。
 味なんて、何も感じない。

「いいから。落ち着ついて食べて」
「落ち着いてなんかいられるか」

 余裕あるそぶりの沙霧に苛ついて、思わず声を荒らげる。


 俺は、妹が腕を血まみれにしている動画を見て、空港へ駆けつけたんだ。

 冷静でなどいられるはずがない。
 本当は食欲なんてかけらも湧かない。
 食べ物の重みを受け止めかねて、胃がギュッと絞るように痛む。

「あの子は気を引きたいだけよ。振り回されるの目に見えてる」

 こういう時こそしっかり食事を摂らなくちゃ、と強引に空港のレストランに引っ張り込んだのは沙霧だ。

 妹の行動に慌てふためく姿を見せるのはこれで何度目だろう。
 何も喉を通らず、ろくなことを考えられない頭になって迷惑かけたことも数知れず。
 一人で受け止めるのは辛いだろうと、紗霧はいつだって俺のそばに居てくれた。
 駆けつけるたびなんてことない元気な妹の姿に、なんだ、と思う。
 でも、どうしても慣れない。

「俺は、あいつに振り回されたりなんかしてないぞ」

 大丈夫。
 落ち着いてないことを自覚できる程度には、落ち着いている、はずだ。
 なのに紗霧の俺を見る目はひどくシビアだ。

「あんたがほっとかないってわかってるからあの子は切るの。甘えてるのよ」
「は? お、俺のせい? じゃあ何? ほっとけってのかよ」

 まるで俺のせいで妹が腕を切り刻んでいるんだと言わんばかりの言葉にムッとする。




 今回妹の動画を見たのは、沙霧と二人で水族館へ向かう電車の中だった。

 白い腕に痩せた蛇が巻き付くみたいに赤黒い血液がうねるのを見た。
 指先から滴り落ちていく雫。
 背後に写っているのは、都内で一人暮らしをしている妹のマンションにある冷蔵庫。
 映像がぶれて途切れる。

「また、なのね」

 俺の様子で察した紗霧が車窓へ目をうつした。
 隣で、すぐさま妹に電話をかける。
 繋がらない。


 今すぐ病院に連絡しろ。
 一人か? 
 そばに誰かいないのか?


 動画の載った妹のラインに返信しても、既読はつかなかった。




「沙霧にはわかんねーよ。他人じゃねーんだ」
「わからないわ。私は他人だもの。巻き込まれて腹立たしいだけね」

 紗霧はピアノを引くように指を立てて、リズミカルに机を叩く。
 避雷針が電気を地に流すように、紗霧は指先から苛立ちを机に放っているんだ。

「沙霧はもう帰れ」
「……あんた、妹のそばにほんとに誰もいないと思う?」

 帰れ、の言葉に凍りついたように沙霧は頬を引きつらせ、それから緩めるように息をつき疑問を吐いた。


 はじめて画像を送ってきた時、マンションに駆けつけた俺を目にした妹は、泣きながら飛びついてきた。
 何度も名前を呼び、きてくれて安心した、もうしないからと猫が甘えるように俺の胸に顔を埋めて擦り付ける。
 幼い子供のように湿度の高い息を吐いて。

 もうしない。

 なのに、二度、三度……何度も妹は同じことを繰り返した。

 ごめんなさい、もうしないから。

 何度も、何度も聞いた、どうして。
 疑念は心の中に押し込めて、柔らかく髪をなでる。
 部屋を出る時にはもう既に約束が果たされないことを予感していた。

 なにか良くないサイクルに入っているんじゃないか。
 一体何が妹を凶行に駆り立てている?
 もし俺が、妹のところへ行かなければ、妹は。

「ほんとに切ったのかしら。映像がリアルタイムだって保証ないよね? 本物だって証拠も。前に携帯忘れて取りに戻った時、妹が部屋で男と一緒だったの覚えてるでしょ。あの時、おかしいと思わなかった?」

 携帯を妹のマンションに置いて出たのは何度目かの呼び出しを受けて、途方に暮れていた頃だ。
 不安だろうからといつも沙霧はついてきて、近くの喫茶で俺を待っていてくれていた。

 あの日携帯を取りに初めて妹のマンションを一緒に訪ねた。
 妹はなぜか沙霧を見てひどく怯えたような顔をした。
 後ろから妹を守るように、男が顔を覗かせ睨みを効かせる。

「……お兄ちゃん」

 玄関の向こうに立つ女連れの俺を見て、男がはあっ? と声をあげたのを覚えている。


 あの時、妹の左手首には最初訪ねた時見た、分厚く何周もぐるぐる巻かれた包帯が……なかった。





「だけど、今回はほんとうかも知れない」
「か・も・ね」

 沙霧の指の動きが止まる。

「あの子にとってあんたは単なるエッセンス。泣いて叫べばどこからでも飛んできてあやしてくれる都合のいい保護者。その立場に甘んじて平気なんなら、勝手にすれば」
「何だよ、わかったようなこと言いやがって」

 頭に浮かぶのは着信音が鳴り跳ね起きる時の、送りつけられた画像を目にした時の、妹のすがるような呼びかけを聞く時の、砂を舐めたようなザラリとした焦り。

「嫌なのよ。好き放題翻弄されるのが。あんたの妹のメンタルは異常。狂ってるわ、これ以上巻き込まれて傷ついてほしくないの」
「他人じゃないんだ。巻き込まないなんてありえないんだよ」


 もし、という気持ちが消えない。

 妹の約束がきっと守られないことくらい知ってる。
 ちょっとおかしいことだってわかってる。
 もしかしたら全部演技なのかもってかすかに思ってもいる。


 だけどもし、もしこんなことをしても無駄だとばかりになんの反応も返さなかったら。
 俺だけじゃない、この世で誰一人妹に応えなかったら。

 もし、今回ばかりは本当で、そばに誰もいなくって、手遅れになってしまったら?



「選んで。私は目の前の私より別の誰かを選ぶ男をそばに置くなんて、惨めなことはもうしたくない。対等でいたいの。私はあんたの妹と違って、保護者役なんかするのもされるのもごめんだから」
「俺は」

 瞼を閉じると妹の腕を這う赤い蛇の姿が浮かんだ。

 沙霧の手を取れたらよかった。
 いつだってクリアで確かな愛をくれる人の方を。
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