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三題噺 7月

【三題噺】娘の宝物、私の支え 〜我が子のSOSに気づいた時、私のできることは〜

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右手と左手どっちに宝物が入っている?
おしゃべりだった娘とのやり取りを苦い気持ちで思い出す父親のお話。

 お題は「拳」「鉛筆」「錆止め」




「ど~っちだ!」

 娘は手の甲を上にして小さな拳を二つ並べ、私の前に差し出した。

「ん? どっちって、どっちでもいいけど。何か入ってるの?」
「いいから早くえらんで! パパ、どっちにする?」

 パソコンから目を離そうとしない私を急かすように、娘は体をぶつけてくる。
 娘が可愛くないわけじゃないが、体を揺さぶられるのは不快だ。
 熱くてぺたぺたするし、仕事のことで頭がいっぱいの時は正直うっとうしい。

「じゃあこっち」

 ぶっきらぼうな返事をし左の拳にタッチする。
 選んだ理由は特にない。
 当たろうが当たるまいが、仕事の邪魔をしないでくれればどうだってよかったのだ。

「あったり~!」

 開いた手の中にあったのは、親指の第一関節くらいの長さしかない鉛筆だった。
 娘の手のひらが黒く汚れている。

「すごいでしょ? これ宝物だよ! 先生がね、明日筆塚に入れてくれるの。がんばって勉強したしょうこだねって」
「ふーん」
「本当はこんなに短くなるまで使うのは、変なくせがつくからよくないって言われたけど。勉強で使えなくなってからはね、お絵かきに使ってたから、こんなに短くなったの。こんな短いのどうやって使ってたと思う?」

 娘の質問に沈黙で答えるも、娘はめげずに話を続ける。

「こうやって”ほじょじく”っていうのをつけて使ったんだよ。全然ふつうの鉛筆みたいでしょ? わたし……」
「わかったわかった。もう遅いから寝なさい。夕実は明日も学校だろ?」

 会話は私が一方的に打ち切って終わった。





 優しくしてやれなかったことを後悔しているからだろうか。
 のちにこんな些細なやり取りをよく思い出すようになった。

 小学校に上がったばかりの娘は勉強することも新鮮で、友達のこと、プールのこと、なんでも尽きることなく話した。
 何をするのも楽しくて仕方がないように見えていた。
 そして娘の好奇心に満ちた日々はずっと変わらないものだと思い込んでいたのだ。




「夕実、ちょっと話さないか」

 部屋のドアをノックする。
 朝仕事へ出掛ける前。
 それから夜仕事から戻ってすぐの日課だ。

 返事はない。

 ドアの外には盆に載った食器がおいてある。
 部屋から出られなくなった娘のために母親が準備したものだ。
 完食して食器を重ねていることもあるが、大体は好きなものだけ食い散らかして廊下に放り出してある。

「お父さんな、この頃よく思い出すんだ。お前が小学校に上がった頃のこと。小さくなるまで鉛筆を大事に使ってさ、担任が筆塚に入れてくれるんだーって嬉しそうに話してたことがあったよな。どうやって小さくなるまで使ったかって得意げにさ。父さんあの時……」
「うるさい!」

 娘の尖った声に息を飲む。
 ぎゅっと手の中にある鉛筆の補助軸を握りしめる。

「黙れ! どっかいって! あんたの話なんか聞きたくない!」

 何かを投げつけたのだろう。
 鈍い音がして扉が揺れる。

 娘が部屋から出なくなってやっと、彼女がどれだけ頑張って新しい世界に馴染もうとしていたかを知った。
 家族に受け止めてもらうことを必要としていたかを。

「うん。また、明日話そうか。今日はもう、黙るから。夕実……」



 かつて娘が大事に使っていた鉛筆の補助軸は、武器になった。
 娘が引きこもり始めた頃、むりやり部屋に押し入ろうとして顔面に投げつけられたのが、今私の手元にある補助軸だ。
 初めてまじまじと見た補助軸は汗で錆びかけていた。

 今更だなと苦笑し、私は投げつけられた補助軸に錆止めを吹き付けた。
 なんどもこすって磨き上げた。
 こんな風に丁寧になぞってやれば、娘の心も同じように輝きを取り戻すことができるのではないか、なんて勝手な希望を抱いて。


 夕実の補助軸は今、私の支えだった。
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