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三題噺 7月
【三題噺】それぞれの旅を交換して、多分俺らは再びそれぞれ旅に出る 〜リア充遠距離夫婦のスパイスしかない暮らし〜
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猫たちが岩塩を舐め尽くしてしまったら、俺の中の美雨の記憶も溶け出して消えてしまうかも知れない。
旅人の妻と小説家の夫。
リア充遠距離夫婦のスパイスしかない暮らしのお話。
お題は「唇」「岩塩」「黒猫」
うちの猫たちが棚に転がしておいた埃まみれの岩塩を舐めるようになって、夏だなぁと思う。
ルビーソルト。
ローズクオーツのような薄っすらとした桜色。
アメジストのような神秘的な紫色。
それからクラック水晶みたいな白色の岩塩。
美雨から土産でもらったものだ。
おろして料理に使ったり、砕いて風呂に入れたりして数回楽しんだが、物珍しいのは最初だけ。
結局強い硫黄の匂いに辟易し、棚の飾りになっていた。
さすがに猫たちが舐め回したものを調理に使う気にはなれない。
岩塩はすっかり猫たちのものだ。
「あんまり舐めると血圧上がんじゃねーの」
邪魔しようと手を差し入れると軽く鼻で押しのけられる。
猫は汗をかくわけじゃないんだから、夏だからといって特別に塩分の補給なんて必要ないだろうに。
普段からよく人の足なんかなめるし、うちの猫たちは塩辛くて変な匂いがするものが好きな変態なのかも。
なんてどうでもいいことを考えながらデスクの前に腰を下ろす。
ラストシーンを残して原稿は止まったまま。
プロットは立ててあるはずなのに、いざ具体的にシーンにしようとするとブレて、時間ばかりが過ぎていった。
締切が迫っているのに。
こうして俺はまた馬鹿みたいに一人、内側の旅だ。
美雨は今どこを旅しているのだろう。
彼女の目に映る世界が見たい。
頬をなぞる風。
足の裏を滑る土の感じ。
耳に届く言葉のリズム。
彼女の持ち帰る全部と、彼女に触れたかった。
ただいまぁと土産片手に戻ってくるのを、どれくらい待っただろうか。
早く帰ってこい。
猫たちが岩塩を舐め尽くしてしまったら、俺の中の美雨の記憶も溶け出して消えてしまうかも知れない。
デスクに突っ伏してうたた寝していると唇にざらりとしたものが触れ、蠢いた。
慌てて身を起こすと目の前には黒い毛の塊。
黒猫のミュウだった。
唇は少しだけ塩っ辛くて、硫黄の匂いがする。
「お前じゃなくて美雨なら良かったのに」
口をぬぐい黒猫を抱き上げる。
「そんな風に言うの? 傷つくわよミュウ」
クスクス笑う声がして振り返ると美雨がソファに腰掛けていた。
どこのリゾートだってつっこみたくなるような一枚布を器用に巻いたワンピース姿。
「美雨……って夢じゃないよな。何その場違いな格好……やっぱ俺の妄想?」
「何言ってんの。パレオじゃない。せっかく土産に買ってきたのに」
ソファで美雨が足を組み替えると布の切れ目からふくらはぎが覗いた。
「土産?」
「そう、土産」
テーブルの上にもソファにも美雨の手元にも何もない。
美雨は悪戯な笑みを浮かべると首の後ろの結び目に手を掛けた。
「このパレオをあげる。そしたらもう着るものもないし、私どこにも行けない。ずっとここにいても?」
「そりゃあもちろん。でも忘れた? ここは美雨の家で着るものはいくらでもある。君にはどこが家だったか忘れるくらい世界中にいくつも家があんのかな」
「まさか」
「……とても素敵な口説き文句だったね」
嫌みと受け取ったのか、美雨は欧米人みたいに大げさに肩をすくめ立ち上がった。
「私の旅の記憶をあげる。あなたの旅を見せてくれる?」
美雨はデスクにUSBを置くと、パソコンに映る書きかけの小説を覗き込んだ。
俺の膝の上からミュウが飛び降り、美雨の足に身を擦り寄せる。
「待ってて。すぐに上がる。美雨が帰ってきたからね」
俺は美雨の首に手を回し顔を引き寄せると、情の薄そうな白く薄い唇に吸い付いた。
旅人の妻と小説家の夫。
リア充遠距離夫婦のスパイスしかない暮らしのお話。
お題は「唇」「岩塩」「黒猫」
うちの猫たちが棚に転がしておいた埃まみれの岩塩を舐めるようになって、夏だなぁと思う。
ルビーソルト。
ローズクオーツのような薄っすらとした桜色。
アメジストのような神秘的な紫色。
それからクラック水晶みたいな白色の岩塩。
美雨から土産でもらったものだ。
おろして料理に使ったり、砕いて風呂に入れたりして数回楽しんだが、物珍しいのは最初だけ。
結局強い硫黄の匂いに辟易し、棚の飾りになっていた。
さすがに猫たちが舐め回したものを調理に使う気にはなれない。
岩塩はすっかり猫たちのものだ。
「あんまり舐めると血圧上がんじゃねーの」
邪魔しようと手を差し入れると軽く鼻で押しのけられる。
猫は汗をかくわけじゃないんだから、夏だからといって特別に塩分の補給なんて必要ないだろうに。
普段からよく人の足なんかなめるし、うちの猫たちは塩辛くて変な匂いがするものが好きな変態なのかも。
なんてどうでもいいことを考えながらデスクの前に腰を下ろす。
ラストシーンを残して原稿は止まったまま。
プロットは立ててあるはずなのに、いざ具体的にシーンにしようとするとブレて、時間ばかりが過ぎていった。
締切が迫っているのに。
こうして俺はまた馬鹿みたいに一人、内側の旅だ。
美雨は今どこを旅しているのだろう。
彼女の目に映る世界が見たい。
頬をなぞる風。
足の裏を滑る土の感じ。
耳に届く言葉のリズム。
彼女の持ち帰る全部と、彼女に触れたかった。
ただいまぁと土産片手に戻ってくるのを、どれくらい待っただろうか。
早く帰ってこい。
猫たちが岩塩を舐め尽くしてしまったら、俺の中の美雨の記憶も溶け出して消えてしまうかも知れない。
デスクに突っ伏してうたた寝していると唇にざらりとしたものが触れ、蠢いた。
慌てて身を起こすと目の前には黒い毛の塊。
黒猫のミュウだった。
唇は少しだけ塩っ辛くて、硫黄の匂いがする。
「お前じゃなくて美雨なら良かったのに」
口をぬぐい黒猫を抱き上げる。
「そんな風に言うの? 傷つくわよミュウ」
クスクス笑う声がして振り返ると美雨がソファに腰掛けていた。
どこのリゾートだってつっこみたくなるような一枚布を器用に巻いたワンピース姿。
「美雨……って夢じゃないよな。何その場違いな格好……やっぱ俺の妄想?」
「何言ってんの。パレオじゃない。せっかく土産に買ってきたのに」
ソファで美雨が足を組み替えると布の切れ目からふくらはぎが覗いた。
「土産?」
「そう、土産」
テーブルの上にもソファにも美雨の手元にも何もない。
美雨は悪戯な笑みを浮かべると首の後ろの結び目に手を掛けた。
「このパレオをあげる。そしたらもう着るものもないし、私どこにも行けない。ずっとここにいても?」
「そりゃあもちろん。でも忘れた? ここは美雨の家で着るものはいくらでもある。君にはどこが家だったか忘れるくらい世界中にいくつも家があんのかな」
「まさか」
「……とても素敵な口説き文句だったね」
嫌みと受け取ったのか、美雨は欧米人みたいに大げさに肩をすくめ立ち上がった。
「私の旅の記憶をあげる。あなたの旅を見せてくれる?」
美雨はデスクにUSBを置くと、パソコンに映る書きかけの小説を覗き込んだ。
俺の膝の上からミュウが飛び降り、美雨の足に身を擦り寄せる。
「待ってて。すぐに上がる。美雨が帰ってきたからね」
俺は美雨の首に手を回し顔を引き寄せると、情の薄そうな白く薄い唇に吸い付いた。
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