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1巻

1-3

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「上に振ってあるこれは金箔きんぱくですか?」
「そう、彩りが加わっていいだろう」

 よく見たらあんころ餅には、キラキラと輝く金箔も散らされている。
 金沢といえば金箔。
 生産環境が適しているため、金沢の金箔生産量は日本で群を抜いている。きらびやかな食用金箔と、落ち着いた色合いの和菓子は、見た目の相性も抜群だ。
 なにより晴哉にとって、あんころ餅は特に縁深いものだ。

「祖母の作るお菓子の中で、特に好きだったのが特製のあんころ餅だったんです。祖母も一番よく作ってくれて……小豆あずきを丁寧にで漉して、滑らかにするんです。一緒に食べた『オトメちゃん』も絶賛していました」
「じゃあこれは、ふたりにとって思い出のお菓子だね」
「はい……いただきます」

 かさねにしつけられた習慣で、きちんと手を合わせてから、晴哉は竹製の菓子楊枝ようじであんころ餅を口に運んだ。

「ん……!」

 ほどよい塩味と甘さが舌にじんわり広がっていく。餡の中に隠れた餅が、しっかりとした噛み応えのある食感を生んだ。ゆっくりと咀嚼そしゃくすれば、過去にかさねが作ってくれたものと、とても味わいが似ている気がした。
『オトメちゃん』と、かさねのあんころ餅を頬張った記憶がよみがえる。


『ハルくん! かさねさんのあんころ餅は、今日も最高ね!』
『オトメちゃんが来る日は、おばあちゃんもいつもより張り切って作っているんだよ』
『嬉しいわ、何個でも食べられそう!』
『……あ、でも』
『もう、わかっているわよ。最後のひとつは食べちゃダメなんでしょう? ちゃんと残してあるから』


 ……そう。
 最後のひとつのあんころ餅だけは、ふたりとも決して食べなかった。
 それにはちゃんと理由があったのだが、そこでアマヤに「手が止まっているよ、どうかした?」と声をかけられ、晴哉は過去から帰還する。
 食べかけのあんころ餅を食べ終えて、添えられた湯呑みのお茶も一口。
 温かい緑茶が体を満たす感覚に、晴哉は「ほう」と息をついた。

「お菓子もお茶も美味しいです。これ、本当にお金を払わなくて……ん? なにか聞こえませんか?」
「ああ、ようやく連れてきてくれたみたいだ」

 不意に晴哉の耳に、出入口のドアの方から、雨音に交じって複数の声が聞こえてくる。

「ね、ねえ、ちょっと君たち⁉ いったいどこから現れて……ここはなんなの⁉ 私、さっきまで学校にいたはずなのに……!」
「あーあーいいから、いいから。つべこべ言わず入れって」
「中であなたをお待ちの方がいますので」

 声は三人分。
 内ふたりはエンとウイだ。ふたりはアマヤに続いて店の奥に消えたはずだったが、裏口からでも外出していたのか。
 そしてもうひとりは――。

「はいよ、一名様追加でーす!」

 エンが片手で元気よく戸を開け放つ。
 双子に両手をガッチリ取られて入ってきたのは、セーラー服姿の少女だった。
 胸ポケットに描かれているのは、ここら辺の高校では見ない校章だ。スラッとした細身の肢体したいに、黒髪ロングの癖ひとつないストレートヘア。背筋がピンッと張っていて姿勢がいい。
 成長しているのは当然として、晴哉の知るあの頃の面影おもかげが確かにある。なにより特徴的な猫目と目の下の三つの黒子が、ずっと求めていた相手が彼女であることを、はっきり晴哉に伝えていた。

「オトメちゃん……」
「その呼び方……え、まさか、ハルくん?」

 ああ、本当に『オトメちゃん』なんだ。
 懐かしい『ハルくん』という響きに、晴哉は胸が詰まる想いだった。自分のことをまだ覚えていてくれたのが嬉しい。こんな奇跡のようなこと、たりにしてもまだ信じられない。
 だが驚いているのは相手も同じだ。いや、いきなりこんなところに連れてこられた分、彼女の方がさぞ困惑していることだろう。

「ほ、本当にハルくんなの? なんで大きくなったハルくんが……?」
「それが俺にも理解がまだ追い付いてなくて……」
「結局ここはどこなの? 私、これから友達と約束があって、学校の図書室で時間を潰していたはずなんだけど」

 ……いまの彼女には自分と違って、ちゃんと別で『友達』がいるんだなという、刹那せつなの寂しさは置いといて。
 晴哉はどう説明したものかと悩んだ。
 おそらく双子は、晴哉には理解の及ばない人知を超えた力で、強引に『オトメちゃん』をここに連れてきたに違いない。
 それならば一刻も早く元いた場所に帰してあげなくては。彼女は待ち合わせの最中だったというなら尚更だ。

「アマヤさん、あの!」
「大丈夫、そこは問題ないから」

 無表情の下で焦る晴哉に対し、アマヤはそっと、晴哉の思考を読んだようにかがんで耳打ちする。

「『ここ』では時の流れが違うんだ。こちらでどれだけ時を過ごそうと、『あちら』に戻ればほんの数分意識を飛ばしていた程度。エンとウイには、ちゃんと連れてくるタイミングも指示してあるから、彼女の迷惑になるようなことはないはずだよ」
「は、はあ……」

 有無を言わさず綺麗な顔で微笑まれたら、晴哉は頷くことしかできない。囁かれた内容はファンタジーすぎるが、なんだかもう一周して慣れてきてしまった。
 アマヤは流れるような所作しょさで『オトメちゃん』に向き合う。

「ようこそ、『あまやどり茶房』へ。ここは雨の日だけ、会いたい人に会える金沢の茶房。心行くまで一服していくといいよ」
「あまやどり茶房……? なんで東京から金沢に……」
「ふむ……手っ取り早くご理解頂くには、ここは君の夢の中のようなものだと思ってもらえると」
「ゆ、夢?」
「君はお友達を待っている間に、図書室の席で眠ってしまったんだ。さあ、まだご友人が来るまでには時間があるから。夢から覚めないうちに、こちらでお茶とお菓子でも。すぐに用意するので」

 アマヤは強制的にもろもろを『夢』だと説明して、だいぶ強引に『オトメちゃん』を丸め込んだ。双子の「さあさあ、お早くどうぞ」「座れ、座れ!」という連携プレーにも押され、彼女は戸惑いながらも晴哉の正面に腰掛ける。


「それでは、どうぞごゆっくり」


 そう告げて、またしてもアマヤは双子を連れて店の奥に消えていった。
 残された晴哉たちの間には、なんとも気まずい沈黙が下りる。
 そもそも軽率けいそつに「会いたい」などと言ってしまったが、いくら晴哉が会いたくとも、『オトメちゃん』が会いたがっていたとは限らない。存在を覚えてもらっていたのは僥倖ぎょうこうだが、それだけだ。
 迷惑に思われていたらどうしよう。
 いまさらになって多大な不安が晴哉を襲う。

「あの、さ。ハルくん……えっと」

 晴哉がもだもだしているうちに、口火を切ったのは『オトメちゃん』だ。

「ただの夢っていってもさ、すごくリアルだから。ハルくん、小学生の頃から凶悪な目つき変わってないし。本当にハルくんだと思って話すね?」
「あ、ああ、うん」
「……その、夢でもさ。また会えて嬉しい」
「えっ」
「ずっと会いたかったの」

 睫毛まつげを震わせて、『オトメちゃん』は小さくはにかむ。
 その顔は記憶より大人びていて、だけど笑うと猫目が緩む様は昔のままだ。
 晴哉の不安は一気に吹き飛ばされてしまい、真顔のまま頬が熱くなる。なんとか小声で「俺もずっと会いたかったんだ」と言えば、かろやかな笑い声が返ってくるのだから、たまらなく気恥ずかしい。

「私ね、ハルくんに謝りたかったの。あれだけ仲良くしてもらったのに、なにも言わずにいなくなっちゃったこと、ずっとずっと後悔していたから」
「……なにか理由があったんだよな? オトメちゃんなりの」
「――みお」
「え?」

 脈絡もなく飛び出た単語に、晴哉は意表を突かれる。

「理由を話す前にその呼び方、いまさらだけど訂正させて。『オトメちゃん』は名字から取って適当に名乗っただけ。本名は乙女おとめみお。澪って呼んで」
「み……澪、ちゃん」
「うん」

 満足そうに頷く『オトメちゃん』――もとい澪。

「紛らわしくてごめんね。あの頃は下の名前が嫌いだったから……」
「いまは嫌いじゃないんだ?」
「……うん」

 ランプシェードの淡い光が、ふたりを包むように揺れている。
 それから澪は、なぜいきなり晴哉との待ち合わせ場所に来なくなったのか、その理由を話し始めた。

「簡単に言うと、お母さんに家を抜け出していることがバレちゃって。一年近く隠し通してきたんだけどね。お母さんはめちゃくちゃ怒って、私への監視の目がさらに厳しくなってさ。そんなときに、お父さんの急な東京への転勤が決まって……家族で引っ越すことになったの」
「そうだったんだ……」

 先ほどもアマヤの説明に対し、「東京から金沢?」と驚いていたので、澪の現住居は東京なのだろう。ここ石川県からは、北陸新幹線で二時間半で着くが、けっして近いとは言えない距離だ。

「ハルくんのところに行こうにも行けなくて、そのまま金沢を離れちゃって。なにも告げずにいなくなって、本当にごめんなさい……っ!」
「い、いいから! そんな事情なら仕方ないって!」

 澪はテーブルに額がつきそうなほど深々と頭を下げる。
 晴哉はネガティブ思考で、「もう自分に愛想あいそを尽かしたから来なくなったのでは?」とか想像していたので、むしろ安堵したくらいだ。
 嫌われたわけじゃなくてよかった。
 それなら、残る気がかりはひとつだけだ。

「答えにくかったら、その、答えなくていいんだけど。澪ちゃんとお母さんって、いまはどういった感じなんだ……?」

 澪と母親の関係については、晴哉は当時から幼心にも気を揉んでいた。
 結局、澪の涙を見たのは出会いの場面のみだったが、母親に対する鬱憤うっぷんはよく聞かされていた。それでも母を嫌いにはなれないのだ……ということも。
 デリケートな問題なので、尋ねるのには躊躇いがあったが、こんな最高の機会を設けてもらったのだ。
 いま聞いておかなくては。
 しかし緊張感たっぷりの晴哉に対して、澪はあっけらかんとした顔で打ち明ける。

「それがね、いまはすっごく良好なの! というのもさ、引っ越しを機に家族で話し合いの時間が持てて。仕事ばっかりなお父さんにお母さんは不満をぶつけたし、私もお母さんにもっと自由にさせて! って、やっと言えた。都会住みは慣れなかったけど、その分家族で協力するようになって……お母さんの性格もだいぶ穏やかになったんだよ」
「そっか……あのさ、澪ちゃんが下の名前が嫌いだったのって、たぶんお母さんが原因だよな?」
「うん。お母さんはいつも怒った声で私の名前を呼ぶから、少しずつ嫌いになったんだよね。でもいまは大丈夫」

 心配してくれてありがとう、ハルくん。
 それを聞いて、晴哉は今度こそ肩の力を抜いた。
 澪が自分から離れたのは致し方ない理由があってのこと。また彼女はいま、家でも笑って過ごせている。そのふたつの事実がわかっただけで、晴哉の長年抱えていた引っ掛かりは、ゆるゆると溶けて跡形もなく消えてしまった。
 澪に会わせてくれた双子とアマヤ、この茶房には感謝しかない。

「ねえ、さっきから私の話ばっかりだよね? ハルくんはどうなの?」
「は? 俺?」
「友達はできた? 学校は楽しい?」

 身を乗り出さんばかりの勢いで、澪は親戚のおばちゃんみたいな質問を投げかけてくる。晴哉はまさかの自分に向けられた矛先に動揺を隠せない。
 さすがに「いまでも学校で友達ゼロのぼっちです」とは言えなかった。晴哉にだって見栄みえやプライドはあるのだ。
 だが澪は幼き日と変わらぬ強引さを発揮して、やたらぐいぐい来る。

「もしかして彼女とかできた?」
「できてない!」
「ふーん……まあ、私も彼氏とかいないけどさ。ハルくんはきっかけがあれば絶対モテるのに。好きな子は? いないの?」
「いないってば! ちょ、顔近いから!」

 ついにテーブル越しに立ち上がって顔を寄せてくる澪に、晴哉はしどろもどろである。
 勘弁してくれ……! と思ったところで、「お、盛り上がってんなあ」と明るい声が割って入る。

「もう、エン! まだ様子見しようって言ったのに、水差しちゃダメだよ!」
「仕方ないだろ、様子見なんてしてたら茶が冷めるんだから。ほい、あんたの分のお茶セットな!」

 双子がわちゃわちゃしながら出てきて、エンの方が澪の前に軽い調子でお茶セットを並べる。晴哉に出されたものとまったく同じ、緑茶と金箔載せあんころ餅だ。
 おしぼりを一緒に持ってきてくれたウイは、「お話を邪魔してすみません」とペコペコ頭を下げている。

「ううん、気にしないで。それより、夢の中でもこれって食べられるの……?」

 いぶかしげに餅を楊枝でつつく澪に、晴哉は自分の残りの餅を噛んでみせる。澪は「最近の夢ってすごいのね」なんて微妙にズレた発言をしながらも、晴哉にならって口に運んだ。育ちがいいためか所作が綺麗きれいだ。
 次いで、わっ! と猫目を輝かせる。

「美味しいわね、これ! 餡がほどよく甘くて、噛むともっちりしていて。かさねさんに作ってもらったやつに似ているかも」
「……覚えていたんだ」
「もちろん、いっぱい食べさせてもらったもの。なんだっけ、『最後のひとつは残しとくげんよ。それは神様へのおそなえもんやからねえ』だっけ。かさねさんが、いつも言ってたやつ」

 晴哉と澪が、最後のひとつのあんころ餅だけは決して食べない理由。
 それはかさねが、そのひとつを『神様のほこらに供える用』として取っておかせたからだ。あんころ餅に限らず、供えられるお菓子のときはそうするのがルールだった。
『祠』は例の裏山の少し奥まったところにあり、小さい上にボロボロにすたれていたが、かさねはとても大事に扱っていた。足を悪くして山に行けなくなるまで、マメにお参りをしに通っていたものだ。
 晴哉はかさねと一緒に行ったことも、かさねが行けなくなってからは代理でお菓子を届けたこともある。澪も機会があれば付き添っていた。
 だが晴哉は澪との決別以来、幼心にもトラウマから山に寄り付くことすらできなくなったため、そのあとの祠がどうなったのかは知らない。祖母が気にかけている様は度々たびたび見かけたが、あいにくと確かめられていないままだ。
 あの祠は、現在もあそこにあるのだろうか?

「ところで目つきの悪い兄ちゃん、好きな人がどうとか話していたけど、兄ちゃんはそこの姉ちゃんが好きなんじゃないのか?」
「げふっ」

 エンの突拍子とっぴょうしもない発言に、晴哉の思考は中断された。傾けた湯呑みの中身をベタに吹き出しかける。

「エン! ダメだよ、そんな込み入ったこと聞いたら! お客様に目つきが悪いとかも失礼だよ……!」
「目つきは本当のことじゃん。姉ちゃんも兄ちゃんも、お互いが初恋ってやつじゃねえの? ほら、ウイの好きな、目に痛いキラキラの漫画によくある」
「少女漫画は素敵だもん!」

 乙女心を発動させているからか、主張するウイの声は強めだ。
 晴哉からすれば、ウイが少女漫画を読むことが意外である。見た目の古風なイメージからは、読むとしても古典文学などっぽいのに。
 ……正直、晴哉は澪のことを『そういう意味』で好きだったのかどうかは、自分でもわかっていない。大切な存在であることは間違いないが、初めてできた友達というだけで浮かれていたのだ。
 また考えるまでもなく、きっと澪の方は、晴哉に対して恋心なんて微塵みじんも抱いていなかっただろう。異性として意識されていたとは到底思えない。
 そう結論付けて、晴哉は気を取り直して緑茶をすすり直そうとしたのだが……。


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