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episode16.婚約解消

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 時は、パーティ会場にアマシアとグレンが入場したところに戻る。
 会場の客人はみな、赤い絨毯レッドカーペットを歩くアマシアとグレンに釘付けだった。
 でも当のアマシアは、場を楽しめるほど心の余裕はなかった。
 心臓はばっくばく、汗はダッラダラ、手足はガックガク。こんな重量感のあるドレスなんて着たことないし、コルセットがきつすぎて圧迫感が半端ない。

 まぁ一番の原因は、身代わりが主役顔をしてちゃっかりグレンの隣を歩いているからなのだけれど。いつ偽物だとバレて伯爵夫妻に糾弾されてしまうか、あるいは本物のセレニアが「そいつは偽物よ!」と殴りこんでくるか。

 かくいうグレンは、さすが騎士公爵のご嫡男様であらせられる。何度か躓きそうになっているアマシアを笑顔で支えられるくらいには、心の余裕があるようだった。歓声には手を振ってちゃっかり応えているあたり、状況を楽しんでいる気さえする。

(な、なんでグレン様は笑顔なんだろ。貴族ってみんなこんなに肝が据わってるのかな……)

 平気でアマシアを毒殺しようとしたセレニアといい、爆弾アマシアの隣で余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》のグレンといい、価値観が違い過ぎて気が遠くなる。
 おかげで再びつんのめりそうになった。
 そんなアマシアをグレンが支えると、湧き上がる淑女たちの黄色い悲鳴。
 中には失神する人までいる。

(え、大丈夫ですか……っ?)

 と──

「あの、グレン様はお美しいお顔に戻られておりますが、そちらにいらっしゃる婚約者のセレニア様が治されたのですか? 険悪な仲だとお伺いしたのですが、仲が良さそうにされているのは、そういった理由があったりするのでしょうか?」
「実はそのことで、みなさんに大切な話があります」

 おおっ! という声が辺りに満ちた。
 質問をしてきた紳士の一人が、興味津々といった様子でグレンに続きを促した。

「大切な話、というのは?」
「みなさんもご承知の通り、僕の顔はとある聡明な女性によって完璧に治りました。その方は、美しく、清らかで、聖母のように微笑み僕の心を癒してくれました」

(…………うん)

 手筈通りなら、グレンはここでセレニアの名前を出すはずだ。
 グレンを治したのはセレニア。
 そう言うことで、伯爵夫妻の逆鱗に触れることなく次の話に駒を進める。伯爵夫妻は、グレンを治したことをセレニアの功績にしたいと強く願っているのだ。ここでアマシアの名前を出すと、騒ぎだしてしまうかもしれない。
 アマシアにとって大事なのは、次の婚約の話。

 だというのに、少しだけひっかかりと覚えてしまう。
 グレンと仲良くなったキッカケだ。
 功績として誰にも認められなくてもいい。
 ただ、大事な思い出として、自分とグレンを結び付けておいてほしい。

「彼女の名前は、アマシア。僕を救ってくれたのは、アマシアという伯爵家に仕えている侍女の一人です」

 自然と目を瞑っていたアマシアは、次の瞬間、バッとものすごい勢いでグレンを見た。
 そんなことを言うなんて、聞いていない。

「僕は彼女の聖母のような優しい心に救われ、この顔を取り戻すことができました。いや、顔だけじゃない。僕は正直、顔が醜く変貌してからは心も醜くなっておりました。笑いあう人たちがとてつもなく羨ましく、妬ましかったのです。でも、そんな醜い僕の心を、彼女が慰め、包み込んでくれました。この場を借りて、彼女に最大級の御礼を申し上げたい」

 深々と、頭を下げる。
 迫真的なグレンの姿を見たからだろうか、客人たちはにこやかに微笑んでいた。主役はセレニアだったが、それを咎めようとする者はいない。むしろ、清々しい姿に感動すら覚えている者もいる。
 
 それはアマシアも例外ではなかった。
 心の底から、嬉しいと思っていた。
 功績が認められたからではない。自分をそんな風に思ってくれていた事が、例えようもなく嬉しかったのだ。

(伯爵夫妻はすっごい顔で睨んでるけど……)

 自分の娘が目の前にいるのに、それを無視して身代わりを褒めたからだろう。
 娘だと思っている女は身代わりで、本物の娘は会場に入れず場外にいるのだけれども。

「あ、あの! それで、セレニア様との婚約の話なのですがっ」

 またしても先ほどの紳士だ。

「そのように仲睦まじいところを見ると、正式な婚約が決定したのでしょうか?」
「あぁ、その話なのですが──」

 グレンはいつものようにニコリと笑顔を見せた。

「実は僕たち、婚約を解消することにしたんです」

 一瞬、場が静まり返った。
 そのあと、ざわざわと会場が騒がしくなる。
 中でも騒がしかったのはセレニアの母親である伯爵夫人で「どういうことなの、説明してちょうだい!」と大声を張り上げていた。伯爵もアマシアを睨むように見上げているが、想定内。

「この話は認められないわ!」
「そうだ、当人同士の勝手な話し合いで重要な家同士の絆が壊されるなど、あってはならない」
「僕たちは正式な婚約を結んでいたわけではありませんので」

 正式な婚約を結ぼうとしたかったのは伯爵夫人だ。夫人は娘の婚約者を見て、正式な婚姻を結ばなかった。セレニアのように直接言ってくることはなかったが、屋敷に滞在している間はグレンと目を合わせることはなかった。余程嫌われていたようである。
 なのに、グレンの顔が美しくなったら手のひら返し。
 グレンは遠回しに『正式な婚姻を承認されなかったのはあなたの方なのに、婚約解消を認めないのですか?』と脅した。

 それを汲み取ったらしい伯爵夫人は、ヒィッと情けない声を小さくあげる。娘に反論してもらおうとでも考えたのだろう、身代わりアマシアに向かって「なぜ黙っているの!?」と声をあげた。

 グレンがさっとアマシアの身を隠す。

「いいえ、夫人。これは僕とセレニア様で導き出した答えです」
「…………そんな」

 口もとに手をあてて、わなわなと震えだす。
 騎士公爵家との繋がりは、これで
しおらしくなる。伯爵も声をあげなくなった。

「僕たちはこれから、それぞれの道を歩みたいと思っております」
「なるほど」

 最初に質問した紳士は、感心した素振りでうんうん頷いていた。
 確かにグレンとセレニアは不仲説があった。でもこうやって、アマシアがセレニア役としてグレンの隣に立つことで、「婚約は解消したが不仲ではない」と印象付けることができる。
 もし、もしもの話だ。
 身代わりではなくセレニア本人がパーティに出席し、グレンの隣に寄り添おうなどと思ったら。

『俺は騎士公爵家の嫡男として、ロレンティーネ伯爵家に相応の報復を仕掛けるつもりだ。手段は選ばない。アマシアを守るためなら、家の名前や権力だって振りかざしてみせるよ』

 グレンは、ファルベッドにそんな脅しをかけていた。
 これが、ファルベッドが伯爵家のために身代わりを主役へとお膳立てした一番の理由。セレニアのためを思って、あえて主役の座から引きずり落したのは、長年伯爵家に仕えてきた侍女長の信念である。家をお守りする、それが侍女長の誇りであった。

「では、今日は僕と彼女のために集まってくださりありがとうございます。今宵は、どうぞゆっくり楽しんでいってください」

 盛大な拍手が沸き起こる。
 一度目の修羅場を切り抜けて、アマシアは小さく安堵した。

(すごい。グレン様、本当にパーティを丸く収めちゃった)

 筋道を考えたのはアマシアだけれど、グレンなしでこの場は切り抜けられなかった。
 じぃっとグレンを見ていると、彼は自然な仕草でエスコードするフリして、そっと耳打ち。

「俺が好きなのは君だよ、アマシア」

 小声で甘ったるい声と、ストレートに気持ちを伝えられて、アマシアの顔が赤らむ。
 どうすればいいか分からなくて視線をあたふたさせていると、アマシアはふと、会場の外で恨みがましそうにこちらを見るセレニアを見つけた。
 
(これで、最後────)
 

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