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1巻
1-2
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洗い物を終えて戻ると、丁度朝食が出来上がっていた。
メニューは硬くて薄い円盤状のパンらしきものと、肉と豆の煮込み料理。肉はなんと蛇肉だ。美紀は今まで出来上がった料理しか見ていなかったせいで、ずっと鶏肉だと思っていた。材料を見た瞬間はギョッとしてしまったが、もう食べているものだから気にしないことにする。
ここは家畜などはいないようで、乳製品や卵も見ない。確かにこれだけ虎を放していれば、家畜も怖がって逃げ出すだろう。
ちなみに酒やお茶はあった。これらの嗜好品があるということは、あえて素朴な生活をしているだけで、住人達の文化水準はそれなりなのかもしれない。
美紀は今まで食事を部屋で食べていたが、今日はアルザや他の住人と一緒に外で食べることにした。皆思い思いに地面に座り、木の器に好きなだけ料理を盛っていく。
美紀も料理を盛ったら、隣の女性にしかめ面で追加された。量が少ないと思われたのだろうが、住人とは体格の違う美紀では、同じ量を食べられない。
食事をしながら見渡せば、他の場所でも所々に集まって食事しているのが見える。たぶんこれが普通の食事風景で、天気が悪い時にだけ屋内で食べるのかもしれない。
――風が気持ちいい。もっと早く出てみればよかった。
こんな大勢で食事をするのは、いつぶりだろうか。周囲の会話は分からなかったが、美紀はこの雰囲気を楽しんでいた。
食事が終わると、食べ終えた皿と一緒に、借り物の着替えも洗濯することにした。洗濯は食事の油汚れを避けるため、別の水路でするようだが、洗剤は同じ葉っぱだ。
その後も美紀はアルザと身振り手振りで交流を図り、ちょっとした家事手伝いをした。
そうして外を歩いていると、虎の子が周りをウロウロしているのが見えた。
――可愛いなぁ……
動物の子供というのは、どうしてこうも愛らしいのか。抱き上げてお腹の毛を撫でたり肉球を触ってみたい気がするが、いかんせんその周りにいる大人の虎が怖い。あの虎達に慣れる時は、果たして来るのだろうか?
それから数日が経った。
美紀はアルザ達の手伝いをしているうちに、次第に住民達と打ち解けてきた。
なにせアルザを始めとした皆が、言葉の通じない美紀を子供のように扱うのだ。
美紀も子供扱いに甘えて、なにをするにも皆を頼る。これが美紀に大きな安心感を与えていた。
――思えばこんなに誰かに甘えるなんて、いつぶりかな……
美紀は子供の頃から、周囲の面倒を率先して見る立場に置かれていた。美紀の世話を焼いてくれる人はおらず、両親にすらも『自分でできるだろう』と放置された記憶しかない。
失恋して、キャンプで鉄砲水にあって、言葉の通じない土地に流されて――踏んだり蹴ったりな状況だが、この安心感を得られた点はいいことのような気がする。
「もっと早く、こうして飛び出せばよかったのかも……」
誰も自分を知らない土地へ行けば、こんな解放感が待っていたのだろうか。けれど美紀には、そんな冒険をする勇気がなかった。今は成り行きでここにいるが、自発的な行動で同じ状況に到達できるかは、甚だ怪しい。
こうしてのびのびと暮らす一方で、やはり原始的な生活は苦労もたくさんある。火をつけるのは火打石で、水は川から汲む、そして食糧を得るのは基本狩りだ。
便利な電化製品に囲まれて生きて来た美紀にとっては、蛇口から水が出て、スイッチ一つで火がつく生活が恋しい。スーパーやコンビニでお菓子や総菜を買いたいとも思う。
――文明的な生活がしたい、なにより水浴びじゃなくてお風呂に入りたい!
そう、この集落には風呂がないのである。風呂好きの身には、辛い環境だ。
とはいえ、文明的に劣っているから風呂がない、というわけではないようだ。むしろここでの暮らしの至るところで、文明を感じさせるものを見る。酒やお茶以外で言うと、女性が精巧な装飾品を身につけているのだ。もしかすると近くに、それなりに栄えた街があるのかもしれない。その街へ行けば、日本への帰り方が分かるだろうか?
美紀はそんな希望を抱くものの、現実は言葉が通じず、ここがどこなのかすら分からない。集落から一歩外に出ればジャングルの中で、安易に飛び出す気にもなれなかった。
大体、あのキャンプ場近くの川で流されて、どうやったらこんなジャングルに流れ着くというのか。住人が虎の耳と尻尾の飾りをつけている理由だって、宗教的なものだろうと思いつつも、本当のところは分からない。
美紀にとっては謎ばかりのまま、気が付けば半月が経っていた。
ある日、朝食を終えて川辺でのんびりとしていると、どこからか騒ぎ声が聞こえてきた。
「※※※※!」
「※※※※?」
何事かと美紀が様子を窺っていると、集落の入り口に人も虎も集まっているのが見えた。
――なにかあったのかしら?
美紀も集まりに近寄ってみたものの、背が高い住人達はさながら巨人の壁だ。それでもなんとか前を覗き見ようと隙間を探していると、美紀に気付いた隣の人から何故か集団の前に連れて行かれる。
――え、なになに?
突然前に出されて慌てる美紀の目の前に、二人の人物が立った。
短い白髪に褐色の肌をした長身の男性と、薄茶色のショートボブヘアに白い肌の小柄な女性だ。男性は三十歳前後、女性は美紀と同じくらいの年齢に見える。二人はこの集落の住人とは違い、洋服を身につけていた。どうやら集落の外から来た人間のようだ。
さらに気になるのは、男性には白くて丸い耳と、白に黒の縞模様の細長い尻尾がついており、女性にはピーンと立つ細長くてモフモフした薄茶色の耳がついていることである。
――男の人は白い虎、女の人は兎?
ケモ耳と尻尾をつけるのは、この集落独特の文化ではないらしい。
二人の方も、美紀を観察している。
「※※※※?」
「※※※※」
二人で何事か話し合った後、兎の女性がトコトコとこちらに近付いてくる。
「え、え、なんですか?」
思わず後ずさった美紀に対して、兎の女性は気にせず距離を詰めて来る。
「※※※※」
そして小さく呟いた後、美紀の額に手を触れる。
途端に、身体を熱いなにかが通り抜けた。
すると、次の瞬間――
「私の言っていること、分かるかな~?」
「……っ分かります!」
突然美紀の耳に、兎の女性の声で日本語が聞こえてきた。
「おお、言葉が分かるぞ!」
「本当だ」
「よかったよかった!」
さらに不思議なことに、住人の声も日本語で聞こえる。
「皆さん、日本語が喋れるんですか!?」
だとしたら、今まで会話が通じないのはなんだったのか。驚く美紀に、兎の女性が首を傾げた。
「ニホンゴ、っていうのがアナタの国の言語なのかぁ。私は呪術師のハンナ。呪術で言葉を繋いだだけだよ~」
ハンナが間延びした言い方で説明する。
――ジュジュツシ、ってなによ?
それはもしや、呪術師のことだろうか。そして呪術でお互いの言葉が分かるようにしたと。そんなの、まるでおとぎ話みたいだ。
「ハンナ、言葉は通じているのか?」
美紀が混乱しているところに、白虎の男性が割って入った。
「ジョルト、もういいよ~」
それにハンナがホワンと頷く。
「少し事情を聞きたいのだが。俺はこの里の者からの依頼で、言の葉の術を使う呪術師を連れて来た。アンタ一人か? こんな秘境にどこから来たんだ?」
「ど、どこからって……」
白虎の男性――ジョルトに尋ねられたものの、美紀は答えることができない。
ジョルトはここが秘境だと告げた。そんな場所に、日本の川から流されてたどり着くなんてあり得ない。
謎だというところで止まっていた思考が、言葉が通じた途端に動き出す。
――私は今、どこにいるの?
この疑問の答えを導き出すのが恐ろしくなり、美紀の身体が知らずに震える。
すると、ジロジロと美紀を眺めていたジョルトが口を開いた。
「どこの種族か分からないという話だったが、本当に分からないな」
「だねぇ、耳も尻尾もないとか、不思議だね~」
ジョルトとハンナの会話に、美紀の口から混乱と緊張で短い吐息が漏れる。種族とか、今までの人生で尋ねられたことのない質問だ。
「強いて言うなら人間じゃないですかね?」
この発言は、美紀としては自身の気持ちを和らげるために口にした、当たり前の事実だったのだが――
ザワッ!
何故か周囲がどよめいた。
「人間!?」
「人間だって?」
「うそ、本当にいたんだ」
「初めて見たよ」
「ガルルル!」
集落の住人どころか、虎まで驚いている。
――な、なんでこんな反応なの?
戸惑う美紀に、ジョルトが難しい顔をした。
「人間だと? 東の果ての人間保護区で暮らしているという噂を聞いたことはあるが、俺も本物は初めて見た。アクシデントかなにかで、保護区から出てしまったのか?」
「え~、人間って絶滅危惧種でしょう? そんなヌルい管理なの~?」
「現実にここにいるんだから、それしか考えられないだろうが」
ジョルトとハンナの会話に、美紀は衝撃を受ける。
――人間保護区ってなに? 絶滅危惧種、人間が?
意味は分かるが理解ができない言葉の羅列に、美紀は頭が真っ白になる。
「あの……皆さんも、人間ですよね?」
恐々と尋ねる美紀に、ジョルトが鋭い目を向けた。
「なにを言っている、見れば分かるだろう。俺達は獣人だ。俺やここの住人は虎の獣人、ハンナは兎の獣人だな」
――ジュウジン、ってもしかして獣人のこと?
呪術師に続いて、なんと非現実的な言葉だろうか。
説明に首を傾げる美紀を見て、ジョルトが「まるで幼子だな」と眉をひそめる。
すると、ハンナがニパッと笑って耳を動かす。
「おっきな耳は兎人の証!」
美紀は住人の尻尾が揺れ動くところを見るたびに、あれらは機械仕掛けで動いているのだと言い聞かせてきた。しかし、ハンナの耳の動きは、自由自在で滑らか過ぎる。
――もしかしてあれって、飾りじゃなくて本物!?
今まで考えないようにしてきた事実が、美紀に襲い掛かる。
日本で、いや世界でも獣の耳と尻尾が生えた人間なんて聞いたことがない。
――ここって、地球じゃないの……!?
その結論にたどり着いた途端、酷いめまいを覚える。
「……おい!?」
焦ったようなジョルトの声を聞きながら、美紀は意識を失った。
***
ジョルトが街で知り合いの虎人の男性から話を聞いたのは、今から三日前のことだった。
相手の虎人は密林の奥の秘境地帯にある集落――虎人の里ハビルに住んでいる。そこは『人の姿ではなく獣の姿で過ごすことが自然である』という祖先の教えのもと、原始的な暮らしをしている里だ。その虎人達は他の虎人と少し違った生態をしているため、原虎人とも呼ばれている。
傭兵を生業にしているジョルトは、古い文化と遺跡が残っているその里に、時折学者を案内していた。
その際に顔見知りになった彼がわざわざ訪ねて来たので、酒場に誘ったのだが、すぐにジョルトは失敗したと思った。色鮮やかな布を腰に巻きつけただけの彼の服装を、他の客が興味津々で窺っているのだ。
しかし、彼はそんなことを気にする風ではない。運ばれて来る珍しい料理に目を輝かせ、ガツガツと食べている。
そして満足するまで食べると、街に来た理由を話し始めた。
「変な遭難者だと?」
「そうそう。尻尾もないし耳も見たことのない形だし、若い娘さんなんだけど、どの種族なのかさっぱり分からないんだ」
彼が言うには、里の女性が魚をとりに上流の川岸に出かけたら、そこに娘が倒れていたのだそうだ。匂いを嗅いでも種族は分からなかったが、水中を好む種族には見えなかったので、彼女は意識のない娘を里へ連れ帰った。
しばらくして娘は意識を取り戻したものの言葉が通じず、虎の姿に怯えてばかりなのだという。
「共通語が喋れないのか」
「そう、だから困っちゃってさぁ」
ジョルトの指摘に、彼が肩を竦める。
獣人は種族ごとに扱う言語が違う。だが多種族が暮らす街では不便なので、ある時共通語が生み出された。今では田舎でも話せる者が一人はいるし、旅をする者なら当然話せる。
それなのに、共通語を話せない遭難者とはおかしなことだ。
「何族か分からないけど弱い種族みたいだから、外の街に連れて行ってあげた方がいいんじゃないかと思うんだ。けどさぁ、俺達だって外のことに詳しくないし。第一、言葉が通じないから事情も聞けなくて困ってるんだよ」
そして虎人の里の住人で話し合った結果、外の頼りになる人に助けを求めようということになり、彼がこうしてやって来たらしい。
「だからさぁ、なにか知恵を貸してくれ」
「まあ、それは構わんが。まずは話ができないことにはなぁ」
「ねえ、なんのハナシ~?」
相談されたジョルトも困っていると、背後から声がかけられる。振り向くと、ハンナが立っていた。
「ハンナ、てめえこの街にいたのか」
「そーう! さっき着いてここでご飯してたとこ。ねえねえ、なんの悪だくみしてるの~?」
ハンナは面白いことを見つけたような顔をしてジョルトの隣に座ると、テーブルに残っている料理を勝手に食べ始める。
「あ、こら! 俺の肉!」
「いーじゃんかケチ。で、なんの話?」
ハンナはどうあっても話に参加したいらしい。
――どうするかなぁ……
ハンナは腕のいい呪術師で、ジョルトは何度か一緒に仕事をしたことがあった。本来ならどこかの国で専属の呪術師として雇われていてもおかしくない実力なのだが、何故か各地をフラフラ旅している変わり者だ。彼女は、他種族同士の意思疎通に使う『言の葉の呪術』を扱えるので、今回の問題にはうってつけの呪術師なのだが……
――コイツ、愉快犯の気があるからなぁ。
「面白そう」の一言で、おさまるはずの騒ぎを引っ掻きまわされたことが何度もある。どういう状況か分からない場所に連れて行くには、不安のある相手なのだ。
だがジョルトの心配をよそに、ハンナは虎人の男性から詳しい話を聞いてしまった。
「噂の秘境の里! 行ってみたい!」
耳をピンと立たせて、やる気を見せるハンナ。言い出したら聞かない相手でもあるので、こうなっては仕方ない。ジョルト達は三人で虎人の里に向かうことにする。
けれど、まさかそこで噂に伝え聞いた人間というものを目にするとは、思ってもいなかった。
***
美紀が意識を取り戻したのは、昼近くになってからだった。いつの間に寝てしまったのかと疑問を抱くが、すぐに思い出す。
――そういえば、気を失ったんだ。
そのままベッドの上でぼんやりしていると、アルザがドアから顔を覗かせた。
「気が付いたのかい!? 大丈夫? 苦しいところはない?」
彼女はベッドの端に座ると、今までと同じ優しい手つきで背中を撫でてくれた。
「突然倒れるからびっくりしたよ。全く、よく倒れる娘だね」
本気で心配している様子に、美紀は申し訳なくも有り難い気持ちになる。言葉が通じると、今までのアルザの優しさがいっそう身に染みる気がした。
「もう平気です、ご心配をおかけしました」
美紀が謝ると、アルザはぎゅっと抱きしめてくる。
「そんなこと、気にしなくていいんだよ。この密林に迷い込んだ者を見つけたら助ける――この里の住人には当たり前のことさ」
見ず知らずの、言葉も通じない面倒な自分をそんな心意気で助けてくれたのか。異世界で受けた人情に、美紀の目元がジワリと潤んだ。
「じゃあミキ、改めて、ようこそ虎人の里ハビルへ!」
ニコッと笑ったアルザが握手を求めてきた。
しっかりと握手を交わした後、彼女に勧められたお茶を飲んで、気分が落ち着いたところで話を切り出される。
「目が覚めたら教えてくれってジョルトに言われているんだけどね、アンタはどうだい? 話ができそうかい?」
ジョルトの名前を聞いた美紀は、『人間は絶滅危惧種』という話まで思い出し、身体を震わせる。
まだその言葉を受け入れられなかった。
「無理そうなら、そう言いなよ?」
心配してくれるアルザに、美紀は首を横に振った。
「いえ、ジョルトさんと話をします」
「分かった。ちょっと待ってな」
アルザが呼びに行くと、すぐにジョルトがやって来た。
「具合はどうだ?」
部屋に入るなりそう切り出したジョルトに、美紀はなんとか微笑む。
「大丈夫です。いきなり気を失ってビックリさせて、すみません」
美紀は、アルザが置いていってくれたお茶を一口飲む。なにを言われるのかと緊張して、喉が渇いたのだ。
ジョルトは壁に寄りかかりながら無言でその様子を見つめていたが、やがてふっと息を吐く。
「まずは自己紹介だな。俺はジョルト、傭兵だ。街に住んでいるが、たまに仕事でこの里に学者を案内する仕事を請け負うことから、ここの連中と面識がある。今回はその縁でアンタの事を相談された」
どうやら美紀のためにわざわざやって来てくれたらしい。それに、やはり近くに街があるのだ。
――どのくらいの街なのかしら?
いや、たとえド田舎の農村でも、この密林の狩り暮らしよりは文明的だろう。緊張していた気持ちの中に、興味が芽生えた。
「里の者から、アンタは弱いし狩りもできないと聞いている。そんな奴がどうやってここにたどり着いたのか知らんが、よく生きていられたな」
ジョルトの言う通り、この集落の逞しい住人達に比べれば、美紀は赤ん坊もいいところだろう。自分が今元気でいられるのは、全てアルザを始めとした皆の優しさのおかげだ。これが弱肉強食の社会だったら、とっくに飢え死にしているに違いない。
「全部、皆さんの親切のおかげです」
美紀は神妙な表情で告げる。
「……性根は悪くなさそうだな。ところで、アンタの名前は?」
美紀は尋ねられて、名乗っていなかったことに今更気付く。
「あ、私は加納美紀、美紀という名前です。あの、私も聞きたいんですが、その、耳と尻尾は本物?」
名乗るついでと勢いで、美紀は今まで最も気になっていた事を尋ねる。
――だって気になるんだもの!
先ほどからずっと、ジョルトの背後で白と黒の尻尾がユラユラと揺れているのだ。怖そうな見た目に反して尻尾は可愛らしい。
視線が釘付けになっている美紀を見て、ジョルトは大きくため息をついた。
「当たり前過ぎることを聞くとは、人間というのはどういう教育をされているんだか」
そう言いつつも、彼は言葉を続ける。
「耳も尾も獣人の証で、獣の姿を象徴する部位だ。俺の場合は白虎だな」
ジョルトの説明に、美紀はなるほどと納得した。
気を失っている間に頭の中の整理がついたのか、今は話がすんなり入ってくる。
これまでおかしいと思いつつも気付かないフリをしてきたが、もう認めてしまおう。
ここは地球ではない違う世界――いわゆる異世界なのだ。
「耳と尾の常識を知らないで、よく旅ができたな。アンタはどうやってここまで来たんだ?」
「……ええと」
美紀はどう答えたものかと一瞬迷ったものの、全て正直に言うことにした。上手な嘘をつける気がしなかったのだ。
「あの、私たぶん、この世界の人間ではないです」
「……は?」
美紀の告げた事実に、ジョルトが間抜けな声を出す。
――まあ、そういう反応になるわよね。
美紀だって日本で『実は私は異世界人で』と言われたら、病院へ行くことを勧めるだろう。
そう思いつつも美紀は、とりあえずここへたどり着くまでの事を一方的に語り始めた。
「さっきあなたは人間が絶滅危惧種だと言いましたが、私が暮らしていた場所は人間だけが大勢暮らす世界でした」
メニューは硬くて薄い円盤状のパンらしきものと、肉と豆の煮込み料理。肉はなんと蛇肉だ。美紀は今まで出来上がった料理しか見ていなかったせいで、ずっと鶏肉だと思っていた。材料を見た瞬間はギョッとしてしまったが、もう食べているものだから気にしないことにする。
ここは家畜などはいないようで、乳製品や卵も見ない。確かにこれだけ虎を放していれば、家畜も怖がって逃げ出すだろう。
ちなみに酒やお茶はあった。これらの嗜好品があるということは、あえて素朴な生活をしているだけで、住人達の文化水準はそれなりなのかもしれない。
美紀は今まで食事を部屋で食べていたが、今日はアルザや他の住人と一緒に外で食べることにした。皆思い思いに地面に座り、木の器に好きなだけ料理を盛っていく。
美紀も料理を盛ったら、隣の女性にしかめ面で追加された。量が少ないと思われたのだろうが、住人とは体格の違う美紀では、同じ量を食べられない。
食事をしながら見渡せば、他の場所でも所々に集まって食事しているのが見える。たぶんこれが普通の食事風景で、天気が悪い時にだけ屋内で食べるのかもしれない。
――風が気持ちいい。もっと早く出てみればよかった。
こんな大勢で食事をするのは、いつぶりだろうか。周囲の会話は分からなかったが、美紀はこの雰囲気を楽しんでいた。
食事が終わると、食べ終えた皿と一緒に、借り物の着替えも洗濯することにした。洗濯は食事の油汚れを避けるため、別の水路でするようだが、洗剤は同じ葉っぱだ。
その後も美紀はアルザと身振り手振りで交流を図り、ちょっとした家事手伝いをした。
そうして外を歩いていると、虎の子が周りをウロウロしているのが見えた。
――可愛いなぁ……
動物の子供というのは、どうしてこうも愛らしいのか。抱き上げてお腹の毛を撫でたり肉球を触ってみたい気がするが、いかんせんその周りにいる大人の虎が怖い。あの虎達に慣れる時は、果たして来るのだろうか?
それから数日が経った。
美紀はアルザ達の手伝いをしているうちに、次第に住民達と打ち解けてきた。
なにせアルザを始めとした皆が、言葉の通じない美紀を子供のように扱うのだ。
美紀も子供扱いに甘えて、なにをするにも皆を頼る。これが美紀に大きな安心感を与えていた。
――思えばこんなに誰かに甘えるなんて、いつぶりかな……
美紀は子供の頃から、周囲の面倒を率先して見る立場に置かれていた。美紀の世話を焼いてくれる人はおらず、両親にすらも『自分でできるだろう』と放置された記憶しかない。
失恋して、キャンプで鉄砲水にあって、言葉の通じない土地に流されて――踏んだり蹴ったりな状況だが、この安心感を得られた点はいいことのような気がする。
「もっと早く、こうして飛び出せばよかったのかも……」
誰も自分を知らない土地へ行けば、こんな解放感が待っていたのだろうか。けれど美紀には、そんな冒険をする勇気がなかった。今は成り行きでここにいるが、自発的な行動で同じ状況に到達できるかは、甚だ怪しい。
こうしてのびのびと暮らす一方で、やはり原始的な生活は苦労もたくさんある。火をつけるのは火打石で、水は川から汲む、そして食糧を得るのは基本狩りだ。
便利な電化製品に囲まれて生きて来た美紀にとっては、蛇口から水が出て、スイッチ一つで火がつく生活が恋しい。スーパーやコンビニでお菓子や総菜を買いたいとも思う。
――文明的な生活がしたい、なにより水浴びじゃなくてお風呂に入りたい!
そう、この集落には風呂がないのである。風呂好きの身には、辛い環境だ。
とはいえ、文明的に劣っているから風呂がない、というわけではないようだ。むしろここでの暮らしの至るところで、文明を感じさせるものを見る。酒やお茶以外で言うと、女性が精巧な装飾品を身につけているのだ。もしかすると近くに、それなりに栄えた街があるのかもしれない。その街へ行けば、日本への帰り方が分かるだろうか?
美紀はそんな希望を抱くものの、現実は言葉が通じず、ここがどこなのかすら分からない。集落から一歩外に出ればジャングルの中で、安易に飛び出す気にもなれなかった。
大体、あのキャンプ場近くの川で流されて、どうやったらこんなジャングルに流れ着くというのか。住人が虎の耳と尻尾の飾りをつけている理由だって、宗教的なものだろうと思いつつも、本当のところは分からない。
美紀にとっては謎ばかりのまま、気が付けば半月が経っていた。
ある日、朝食を終えて川辺でのんびりとしていると、どこからか騒ぎ声が聞こえてきた。
「※※※※!」
「※※※※?」
何事かと美紀が様子を窺っていると、集落の入り口に人も虎も集まっているのが見えた。
――なにかあったのかしら?
美紀も集まりに近寄ってみたものの、背が高い住人達はさながら巨人の壁だ。それでもなんとか前を覗き見ようと隙間を探していると、美紀に気付いた隣の人から何故か集団の前に連れて行かれる。
――え、なになに?
突然前に出されて慌てる美紀の目の前に、二人の人物が立った。
短い白髪に褐色の肌をした長身の男性と、薄茶色のショートボブヘアに白い肌の小柄な女性だ。男性は三十歳前後、女性は美紀と同じくらいの年齢に見える。二人はこの集落の住人とは違い、洋服を身につけていた。どうやら集落の外から来た人間のようだ。
さらに気になるのは、男性には白くて丸い耳と、白に黒の縞模様の細長い尻尾がついており、女性にはピーンと立つ細長くてモフモフした薄茶色の耳がついていることである。
――男の人は白い虎、女の人は兎?
ケモ耳と尻尾をつけるのは、この集落独特の文化ではないらしい。
二人の方も、美紀を観察している。
「※※※※?」
「※※※※」
二人で何事か話し合った後、兎の女性がトコトコとこちらに近付いてくる。
「え、え、なんですか?」
思わず後ずさった美紀に対して、兎の女性は気にせず距離を詰めて来る。
「※※※※」
そして小さく呟いた後、美紀の額に手を触れる。
途端に、身体を熱いなにかが通り抜けた。
すると、次の瞬間――
「私の言っていること、分かるかな~?」
「……っ分かります!」
突然美紀の耳に、兎の女性の声で日本語が聞こえてきた。
「おお、言葉が分かるぞ!」
「本当だ」
「よかったよかった!」
さらに不思議なことに、住人の声も日本語で聞こえる。
「皆さん、日本語が喋れるんですか!?」
だとしたら、今まで会話が通じないのはなんだったのか。驚く美紀に、兎の女性が首を傾げた。
「ニホンゴ、っていうのがアナタの国の言語なのかぁ。私は呪術師のハンナ。呪術で言葉を繋いだだけだよ~」
ハンナが間延びした言い方で説明する。
――ジュジュツシ、ってなによ?
それはもしや、呪術師のことだろうか。そして呪術でお互いの言葉が分かるようにしたと。そんなの、まるでおとぎ話みたいだ。
「ハンナ、言葉は通じているのか?」
美紀が混乱しているところに、白虎の男性が割って入った。
「ジョルト、もういいよ~」
それにハンナがホワンと頷く。
「少し事情を聞きたいのだが。俺はこの里の者からの依頼で、言の葉の術を使う呪術師を連れて来た。アンタ一人か? こんな秘境にどこから来たんだ?」
「ど、どこからって……」
白虎の男性――ジョルトに尋ねられたものの、美紀は答えることができない。
ジョルトはここが秘境だと告げた。そんな場所に、日本の川から流されてたどり着くなんてあり得ない。
謎だというところで止まっていた思考が、言葉が通じた途端に動き出す。
――私は今、どこにいるの?
この疑問の答えを導き出すのが恐ろしくなり、美紀の身体が知らずに震える。
すると、ジロジロと美紀を眺めていたジョルトが口を開いた。
「どこの種族か分からないという話だったが、本当に分からないな」
「だねぇ、耳も尻尾もないとか、不思議だね~」
ジョルトとハンナの会話に、美紀の口から混乱と緊張で短い吐息が漏れる。種族とか、今までの人生で尋ねられたことのない質問だ。
「強いて言うなら人間じゃないですかね?」
この発言は、美紀としては自身の気持ちを和らげるために口にした、当たり前の事実だったのだが――
ザワッ!
何故か周囲がどよめいた。
「人間!?」
「人間だって?」
「うそ、本当にいたんだ」
「初めて見たよ」
「ガルルル!」
集落の住人どころか、虎まで驚いている。
――な、なんでこんな反応なの?
戸惑う美紀に、ジョルトが難しい顔をした。
「人間だと? 東の果ての人間保護区で暮らしているという噂を聞いたことはあるが、俺も本物は初めて見た。アクシデントかなにかで、保護区から出てしまったのか?」
「え~、人間って絶滅危惧種でしょう? そんなヌルい管理なの~?」
「現実にここにいるんだから、それしか考えられないだろうが」
ジョルトとハンナの会話に、美紀は衝撃を受ける。
――人間保護区ってなに? 絶滅危惧種、人間が?
意味は分かるが理解ができない言葉の羅列に、美紀は頭が真っ白になる。
「あの……皆さんも、人間ですよね?」
恐々と尋ねる美紀に、ジョルトが鋭い目を向けた。
「なにを言っている、見れば分かるだろう。俺達は獣人だ。俺やここの住人は虎の獣人、ハンナは兎の獣人だな」
――ジュウジン、ってもしかして獣人のこと?
呪術師に続いて、なんと非現実的な言葉だろうか。
説明に首を傾げる美紀を見て、ジョルトが「まるで幼子だな」と眉をひそめる。
すると、ハンナがニパッと笑って耳を動かす。
「おっきな耳は兎人の証!」
美紀は住人の尻尾が揺れ動くところを見るたびに、あれらは機械仕掛けで動いているのだと言い聞かせてきた。しかし、ハンナの耳の動きは、自由自在で滑らか過ぎる。
――もしかしてあれって、飾りじゃなくて本物!?
今まで考えないようにしてきた事実が、美紀に襲い掛かる。
日本で、いや世界でも獣の耳と尻尾が生えた人間なんて聞いたことがない。
――ここって、地球じゃないの……!?
その結論にたどり着いた途端、酷いめまいを覚える。
「……おい!?」
焦ったようなジョルトの声を聞きながら、美紀は意識を失った。
***
ジョルトが街で知り合いの虎人の男性から話を聞いたのは、今から三日前のことだった。
相手の虎人は密林の奥の秘境地帯にある集落――虎人の里ハビルに住んでいる。そこは『人の姿ではなく獣の姿で過ごすことが自然である』という祖先の教えのもと、原始的な暮らしをしている里だ。その虎人達は他の虎人と少し違った生態をしているため、原虎人とも呼ばれている。
傭兵を生業にしているジョルトは、古い文化と遺跡が残っているその里に、時折学者を案内していた。
その際に顔見知りになった彼がわざわざ訪ねて来たので、酒場に誘ったのだが、すぐにジョルトは失敗したと思った。色鮮やかな布を腰に巻きつけただけの彼の服装を、他の客が興味津々で窺っているのだ。
しかし、彼はそんなことを気にする風ではない。運ばれて来る珍しい料理に目を輝かせ、ガツガツと食べている。
そして満足するまで食べると、街に来た理由を話し始めた。
「変な遭難者だと?」
「そうそう。尻尾もないし耳も見たことのない形だし、若い娘さんなんだけど、どの種族なのかさっぱり分からないんだ」
彼が言うには、里の女性が魚をとりに上流の川岸に出かけたら、そこに娘が倒れていたのだそうだ。匂いを嗅いでも種族は分からなかったが、水中を好む種族には見えなかったので、彼女は意識のない娘を里へ連れ帰った。
しばらくして娘は意識を取り戻したものの言葉が通じず、虎の姿に怯えてばかりなのだという。
「共通語が喋れないのか」
「そう、だから困っちゃってさぁ」
ジョルトの指摘に、彼が肩を竦める。
獣人は種族ごとに扱う言語が違う。だが多種族が暮らす街では不便なので、ある時共通語が生み出された。今では田舎でも話せる者が一人はいるし、旅をする者なら当然話せる。
それなのに、共通語を話せない遭難者とはおかしなことだ。
「何族か分からないけど弱い種族みたいだから、外の街に連れて行ってあげた方がいいんじゃないかと思うんだ。けどさぁ、俺達だって外のことに詳しくないし。第一、言葉が通じないから事情も聞けなくて困ってるんだよ」
そして虎人の里の住人で話し合った結果、外の頼りになる人に助けを求めようということになり、彼がこうしてやって来たらしい。
「だからさぁ、なにか知恵を貸してくれ」
「まあ、それは構わんが。まずは話ができないことにはなぁ」
「ねえ、なんのハナシ~?」
相談されたジョルトも困っていると、背後から声がかけられる。振り向くと、ハンナが立っていた。
「ハンナ、てめえこの街にいたのか」
「そーう! さっき着いてここでご飯してたとこ。ねえねえ、なんの悪だくみしてるの~?」
ハンナは面白いことを見つけたような顔をしてジョルトの隣に座ると、テーブルに残っている料理を勝手に食べ始める。
「あ、こら! 俺の肉!」
「いーじゃんかケチ。で、なんの話?」
ハンナはどうあっても話に参加したいらしい。
――どうするかなぁ……
ハンナは腕のいい呪術師で、ジョルトは何度か一緒に仕事をしたことがあった。本来ならどこかの国で専属の呪術師として雇われていてもおかしくない実力なのだが、何故か各地をフラフラ旅している変わり者だ。彼女は、他種族同士の意思疎通に使う『言の葉の呪術』を扱えるので、今回の問題にはうってつけの呪術師なのだが……
――コイツ、愉快犯の気があるからなぁ。
「面白そう」の一言で、おさまるはずの騒ぎを引っ掻きまわされたことが何度もある。どういう状況か分からない場所に連れて行くには、不安のある相手なのだ。
だがジョルトの心配をよそに、ハンナは虎人の男性から詳しい話を聞いてしまった。
「噂の秘境の里! 行ってみたい!」
耳をピンと立たせて、やる気を見せるハンナ。言い出したら聞かない相手でもあるので、こうなっては仕方ない。ジョルト達は三人で虎人の里に向かうことにする。
けれど、まさかそこで噂に伝え聞いた人間というものを目にするとは、思ってもいなかった。
***
美紀が意識を取り戻したのは、昼近くになってからだった。いつの間に寝てしまったのかと疑問を抱くが、すぐに思い出す。
――そういえば、気を失ったんだ。
そのままベッドの上でぼんやりしていると、アルザがドアから顔を覗かせた。
「気が付いたのかい!? 大丈夫? 苦しいところはない?」
彼女はベッドの端に座ると、今までと同じ優しい手つきで背中を撫でてくれた。
「突然倒れるからびっくりしたよ。全く、よく倒れる娘だね」
本気で心配している様子に、美紀は申し訳なくも有り難い気持ちになる。言葉が通じると、今までのアルザの優しさがいっそう身に染みる気がした。
「もう平気です、ご心配をおかけしました」
美紀が謝ると、アルザはぎゅっと抱きしめてくる。
「そんなこと、気にしなくていいんだよ。この密林に迷い込んだ者を見つけたら助ける――この里の住人には当たり前のことさ」
見ず知らずの、言葉も通じない面倒な自分をそんな心意気で助けてくれたのか。異世界で受けた人情に、美紀の目元がジワリと潤んだ。
「じゃあミキ、改めて、ようこそ虎人の里ハビルへ!」
ニコッと笑ったアルザが握手を求めてきた。
しっかりと握手を交わした後、彼女に勧められたお茶を飲んで、気分が落ち着いたところで話を切り出される。
「目が覚めたら教えてくれってジョルトに言われているんだけどね、アンタはどうだい? 話ができそうかい?」
ジョルトの名前を聞いた美紀は、『人間は絶滅危惧種』という話まで思い出し、身体を震わせる。
まだその言葉を受け入れられなかった。
「無理そうなら、そう言いなよ?」
心配してくれるアルザに、美紀は首を横に振った。
「いえ、ジョルトさんと話をします」
「分かった。ちょっと待ってな」
アルザが呼びに行くと、すぐにジョルトがやって来た。
「具合はどうだ?」
部屋に入るなりそう切り出したジョルトに、美紀はなんとか微笑む。
「大丈夫です。いきなり気を失ってビックリさせて、すみません」
美紀は、アルザが置いていってくれたお茶を一口飲む。なにを言われるのかと緊張して、喉が渇いたのだ。
ジョルトは壁に寄りかかりながら無言でその様子を見つめていたが、やがてふっと息を吐く。
「まずは自己紹介だな。俺はジョルト、傭兵だ。街に住んでいるが、たまに仕事でこの里に学者を案内する仕事を請け負うことから、ここの連中と面識がある。今回はその縁でアンタの事を相談された」
どうやら美紀のためにわざわざやって来てくれたらしい。それに、やはり近くに街があるのだ。
――どのくらいの街なのかしら?
いや、たとえド田舎の農村でも、この密林の狩り暮らしよりは文明的だろう。緊張していた気持ちの中に、興味が芽生えた。
「里の者から、アンタは弱いし狩りもできないと聞いている。そんな奴がどうやってここにたどり着いたのか知らんが、よく生きていられたな」
ジョルトの言う通り、この集落の逞しい住人達に比べれば、美紀は赤ん坊もいいところだろう。自分が今元気でいられるのは、全てアルザを始めとした皆の優しさのおかげだ。これが弱肉強食の社会だったら、とっくに飢え死にしているに違いない。
「全部、皆さんの親切のおかげです」
美紀は神妙な表情で告げる。
「……性根は悪くなさそうだな。ところで、アンタの名前は?」
美紀は尋ねられて、名乗っていなかったことに今更気付く。
「あ、私は加納美紀、美紀という名前です。あの、私も聞きたいんですが、その、耳と尻尾は本物?」
名乗るついでと勢いで、美紀は今まで最も気になっていた事を尋ねる。
――だって気になるんだもの!
先ほどからずっと、ジョルトの背後で白と黒の尻尾がユラユラと揺れているのだ。怖そうな見た目に反して尻尾は可愛らしい。
視線が釘付けになっている美紀を見て、ジョルトは大きくため息をついた。
「当たり前過ぎることを聞くとは、人間というのはどういう教育をされているんだか」
そう言いつつも、彼は言葉を続ける。
「耳も尾も獣人の証で、獣の姿を象徴する部位だ。俺の場合は白虎だな」
ジョルトの説明に、美紀はなるほどと納得した。
気を失っている間に頭の中の整理がついたのか、今は話がすんなり入ってくる。
これまでおかしいと思いつつも気付かないフリをしてきたが、もう認めてしまおう。
ここは地球ではない違う世界――いわゆる異世界なのだ。
「耳と尾の常識を知らないで、よく旅ができたな。アンタはどうやってここまで来たんだ?」
「……ええと」
美紀はどう答えたものかと一瞬迷ったものの、全て正直に言うことにした。上手な嘘をつける気がしなかったのだ。
「あの、私たぶん、この世界の人間ではないです」
「……は?」
美紀の告げた事実に、ジョルトが間抜けな声を出す。
――まあ、そういう反応になるわよね。
美紀だって日本で『実は私は異世界人で』と言われたら、病院へ行くことを勧めるだろう。
そう思いつつも美紀は、とりあえずここへたどり着くまでの事を一方的に語り始めた。
「さっきあなたは人間が絶滅危惧種だと言いましたが、私が暮らしていた場所は人間だけが大勢暮らす世界でした」
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