【完結】恋となる執着

蓼脇 尚(たでわき なお)

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神官の懐柔

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「おはようございます、タリス。良い朝ですね」

 その日。タリスは木にもたれかかって、寝癖を散りばめた髪を撫でていた。たびたび欠伸をし、ぼうっと晴天を眺めている。今にも二度寝しそうな雰囲気である。彼は私を視界に収めた瞬間、唇を開いたまま、目を剥いた。

「はい、おはようございます、聖女様。仰る通り、綺麗な晴れ空ですねー」

 間延びした、やる気の無い声色。
 にわかに苛立ちが滲んでいる。

「貴方からすれば、曇天の方が有難いのでしょうね。私も、満点の晴空は好みません」

 途端に、タリスが上半身を捻って、私の方を向いた。

「聖女様も?」

 驚愕と疑念。
 彼に厳しい目を向けてきた私だからこそ、発言の意図が読めないんだろう。予想通りの反応に安堵する。

「ええ。だって眩しいし……。それに、時々、明るく振る舞うことを強要されているような……嫌な気持ちになります」

 節目がちに言うと、脳内をシャンデリアの幻惑が掠める。

 貴族の社交場、王城のパーティ。暗がりで跋扈する、人とは思えぬ化け物どものやりとり。暖かな太陽光と、酒気に濡れた灯りでは、纏う雰囲気さえ異なる。しかし、それ故に不快感が増すのだ。

(潔白で在れ、と言われているみたい。
 夜の間に積み重ねた虚実が、醜い澱として晒されているようで、辛い)

 自然と目線が下がる。
 視界の端でタリスが立ち上がるのが見えた。

「聖女様って、あんがい……」

 噛み締めるように吐かれた言葉にハッとして、顔を上げた。

 彼は鼻先が触れ合いそうな程、すぐ近くまで来ていた。眼前に迫る銀色の瞳。その奥底で、澱んだ何かが燻っている。耳の奥底で動悸が木霊し、思わず後退った。

「……案外、作家に向いているのかもしれませんね!」

 タリスは破顔して、何事かを言いながら去っていく。取り残された私は、釘付けになったように動けなくなった。

(また、はぐらかされた)

 よりにもよって、私の印象を。
 揺れる空色の髪を眺めながら、唇を噛んだ。



 しかし、将来とプライドがかかっている、雑草根性有り余る元貴族令嬢が、これしきの事でめげるわけもなく。

「タリス、昼食は摂りましたか? ……そうですか。よろしければ、ご一緒しても?」

「こんばんは。良い夜ですね。もうすぐ就寝時間ですよ。自室に帰って、しっかり休んでくださいね」

 その後も、タリスを見かけるたびに声をかけ続けた。



 夜空は深く、星々の輝きも少ない。月ばかりが爛々と輝く光景は、月の女神を奉っている、我が神殿特有のものだった。未だ就寝時間であるため、神殿内を出歩く者は少ない。

 そんな中。私は寝ぼけ眼を擦りなから、神殿の礼拝堂に向かっていた。ひとえに、タリスと会う時間を作るために。

(就寝時間。礼拝の時間。狂い月が浮かぶ朝──行動禁止時間に、彼は神殿を闊歩する)

 タリス懐柔作戦を始めて、早数ヶ月。
 彼の行動パターンが、手に取るように分かり始めていた。

 礼拝堂の壁には、豪奢なステンドガラスが存在する。それは、青と黒のガラスを用いて、星空の肌を持った月の女神を模っている。女神の瞳には窓が付いており、そこから聖女が顔を出して、説法を行うのだ。

 美しい礼拝堂は、赤い月光を放つ狂い月のせいで、濃緋色に覆われていた。

(いた)

 彼は、こちらに背を向けて、女神の足元に立っていた。

「タリス?」

 声を掛けても反応がない。
 聞こえなかったのか。そう感じて、数歩、タリスに向けて足を運ぶ。

「は、っ……」

 足が止まるのと同時に、声が漏れる。
 礼拝堂は、タリスの浄化で満ちていた。

 刺すような冷気が肺に侵入し、内側から身体の自由を奪う。また、これだ。私が大嫌いな、神の業。タリスだけが使う事を許された、憎く、尊く、素晴らしい──

 湧き上がる嫉妬が、ひたすらに刈り上げられていく。彼の浄化のせいで。強制的に取り上げられ、冷静でいるように諭されて。変化していく内情を知覚するたび、自分自身の気持ちさえ奪われる尊厳の薄さに絶望する。

 けれど、絶望した気持ちも、霞となって消える。それが浄化だから。

「最悪、だわ」

 苦し紛れに吐き出して、その場に倒れ伏した。目を閉じる瞬間、空色の髪が、ふわりとはためいた気がした。
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