5 / 6
許されざる****
しおりを挟む
タチアナが欲する物は、全て与えてやりたかった。愛情故の欲求ではない。ひとえに、俺があの子に強いた事の罪滅ぼしがしたかっただけだ。
タチアナは先帝陛下と正妃の唯一の子だったが、正妃たっての願いにより「人の年齢で6つを超えるまで幽閉する」事ととなり、国の果てで育った。疎まれたわけではない。魔女であった正妃にとって、母親から離れて過ごす幼児期が、より強力な魔女として育つ必須条件だと━━正妃の手記には、そう書かれていた。
対して、先帝はタチアナと何度も顔を合わせていた。
先帝は週末になると、決まって、数数ない騎士だけ連れて、何処へ出かけていく。
その足跡を追い、襲撃し、首を勝ち取ることは容易かった。
後々知ったのだが、俺が先帝を討った日は、タチアナの誕生日だった。馬車には子供が楽に座れるよう、小さなクッションが備えられていた。彼女を城に連れてこようとしたのだろう。
馬車に打ち捨てられた手習用の書物に触れた時、俺は初めて動揺した。俺は愚王を討った。愚王に思い入れは無い。しかし、同時に、幼子を抱える親を殺したのだ。
あらゆる高等教育を受け、蝶よ花よと育てられるはずだった彼女は、細い体で農業をするようになっていた。字も書けない、人を頼れない、贈り物を貰うたび恐縮する。俺と同じように、親の愛を受けずに育ってしまった。10年だ。先帝の死から10年。━━俺が彼女を迎えようと決心するまで━━彼女を放置し続けて━━10年経った。
「……けほ、けほ……」
タチアナは俺の腕の中で眠っている。
庭園で1人寝転んでいた彼女は、風邪を引いてしまった。青かった顔は真紅に染まり、肩で息をしている。少し外に出ていただけでこれだ。
タチアナの背を撫でた。
脆すぎる。哀れでならない。
医師に止められたが、振り切って彼女と同じ寝台に転がり込んだ。俺に風邪を移して彼女が治るのなら、それで良い。
「だから、早く元気になってください。また話をしましょう……」
瞼を閉じれば、昨日の事のように思い出せる。王と正妃を殺した日の事を。
『ルシエル、見ろ。泥だ』
陛下を殺した足で、正妃の私室に飛び込む。先に到着していたバールは、苦々しい表情を受けべながら腕を組んでいた。
正妃の部屋はもぬけの殻であったが、生きのびているとは考え難かった。人一人分の泥塊が、窓に這うようにこびりついていたので。魔女は死ぬと泥になる。よもやこの目で泥の遺骸を拝むことになるとは思わなかった。
「貴女も泥になるんですか?」
タチアナは答えない。
「愛が無ければ死ぬと、前に言いましたね。
愛を与えれば、死ななくなるんですか?
愛とはなんですか。
俺の行いに愛は無いのですか。
どうすれば、貴女は……」
俺のものになってくれるのか。
やはり、答えは無かった。
(目が覚めたら、陛下が風邪を引いていました。私と添い寝して、私の風邪が移ったそうです━━ああ。バール様にお会いした時、どう言い逃れすれば良いのかしら)
いえ、今度こそ殺されるかもしれないわ。
私は寝台に腰掛けている陛下の膝の上で、刺繍の練習をしながら、ぼうっと考え込んでいた。比較的簡単な花の絵図だ。貴族の子女なら誰でも出来るらしいが、生憎私は田舎者なので、とてもとても苦労している。
「上手くなりましたね、タチアナ」
「ほ、本当ですか!?」
「それに、俺が触れても恥ずかしがらなくなった」
「それに関しては頑張って耐えているだけです!!」
陛下が私の腰に腕を回し、首筋に顔を埋めた。朝よりも熱は引いている。風邪を貰ったとはいえ、地力が違うのだろう。明日にでも公務へ戻れそうだ。
「タチアナ」
陛下が顔を上げた。
赤らんだ頬に銀髪がかかっている。
気怠げだ。表情は無いけど、心無しか眉が下がっているような気がする。そういえば、この方は何時から私の名を呼ぶようになったのだろう。こんな、愛おしい者を呼ぶように、潤んだ声で。
「俺は貴女を大切に想っています」
時が止まったような気がした。
「これは、愛ではないのでしょうか」
告げた途端、陛下の身体が傾いた。
慌てて抱え、寝台に倒す。
陛下は寝息を立てながら、穏やかに眠っていた。未だ発熱しているのに、私を構うからだ。
(仕方のない人)
指先で彼の髪を整えながら笑む。
「……私は、母と父が向け合った、噂上の愛しか知りません。だから、実のところ、分からなくて」
陛下が私に向ける感情が愛ならば。
私が陛下に向ける感情も、愛なのだろう。
「来年になったら分かります。
私が泥になっているか、それとも貴方の妃として在れているか……それで、分かるんです」
生きたい。
死にたくない。
陛下の想いに報いたい。
これが愛でなければ、何が愛なのだろう。
タチアナは先帝陛下と正妃の唯一の子だったが、正妃たっての願いにより「人の年齢で6つを超えるまで幽閉する」事ととなり、国の果てで育った。疎まれたわけではない。魔女であった正妃にとって、母親から離れて過ごす幼児期が、より強力な魔女として育つ必須条件だと━━正妃の手記には、そう書かれていた。
対して、先帝はタチアナと何度も顔を合わせていた。
先帝は週末になると、決まって、数数ない騎士だけ連れて、何処へ出かけていく。
その足跡を追い、襲撃し、首を勝ち取ることは容易かった。
後々知ったのだが、俺が先帝を討った日は、タチアナの誕生日だった。馬車には子供が楽に座れるよう、小さなクッションが備えられていた。彼女を城に連れてこようとしたのだろう。
馬車に打ち捨てられた手習用の書物に触れた時、俺は初めて動揺した。俺は愚王を討った。愚王に思い入れは無い。しかし、同時に、幼子を抱える親を殺したのだ。
あらゆる高等教育を受け、蝶よ花よと育てられるはずだった彼女は、細い体で農業をするようになっていた。字も書けない、人を頼れない、贈り物を貰うたび恐縮する。俺と同じように、親の愛を受けずに育ってしまった。10年だ。先帝の死から10年。━━俺が彼女を迎えようと決心するまで━━彼女を放置し続けて━━10年経った。
「……けほ、けほ……」
タチアナは俺の腕の中で眠っている。
庭園で1人寝転んでいた彼女は、風邪を引いてしまった。青かった顔は真紅に染まり、肩で息をしている。少し外に出ていただけでこれだ。
タチアナの背を撫でた。
脆すぎる。哀れでならない。
医師に止められたが、振り切って彼女と同じ寝台に転がり込んだ。俺に風邪を移して彼女が治るのなら、それで良い。
「だから、早く元気になってください。また話をしましょう……」
瞼を閉じれば、昨日の事のように思い出せる。王と正妃を殺した日の事を。
『ルシエル、見ろ。泥だ』
陛下を殺した足で、正妃の私室に飛び込む。先に到着していたバールは、苦々しい表情を受けべながら腕を組んでいた。
正妃の部屋はもぬけの殻であったが、生きのびているとは考え難かった。人一人分の泥塊が、窓に這うようにこびりついていたので。魔女は死ぬと泥になる。よもやこの目で泥の遺骸を拝むことになるとは思わなかった。
「貴女も泥になるんですか?」
タチアナは答えない。
「愛が無ければ死ぬと、前に言いましたね。
愛を与えれば、死ななくなるんですか?
愛とはなんですか。
俺の行いに愛は無いのですか。
どうすれば、貴女は……」
俺のものになってくれるのか。
やはり、答えは無かった。
(目が覚めたら、陛下が風邪を引いていました。私と添い寝して、私の風邪が移ったそうです━━ああ。バール様にお会いした時、どう言い逃れすれば良いのかしら)
いえ、今度こそ殺されるかもしれないわ。
私は寝台に腰掛けている陛下の膝の上で、刺繍の練習をしながら、ぼうっと考え込んでいた。比較的簡単な花の絵図だ。貴族の子女なら誰でも出来るらしいが、生憎私は田舎者なので、とてもとても苦労している。
「上手くなりましたね、タチアナ」
「ほ、本当ですか!?」
「それに、俺が触れても恥ずかしがらなくなった」
「それに関しては頑張って耐えているだけです!!」
陛下が私の腰に腕を回し、首筋に顔を埋めた。朝よりも熱は引いている。風邪を貰ったとはいえ、地力が違うのだろう。明日にでも公務へ戻れそうだ。
「タチアナ」
陛下が顔を上げた。
赤らんだ頬に銀髪がかかっている。
気怠げだ。表情は無いけど、心無しか眉が下がっているような気がする。そういえば、この方は何時から私の名を呼ぶようになったのだろう。こんな、愛おしい者を呼ぶように、潤んだ声で。
「俺は貴女を大切に想っています」
時が止まったような気がした。
「これは、愛ではないのでしょうか」
告げた途端、陛下の身体が傾いた。
慌てて抱え、寝台に倒す。
陛下は寝息を立てながら、穏やかに眠っていた。未だ発熱しているのに、私を構うからだ。
(仕方のない人)
指先で彼の髪を整えながら笑む。
「……私は、母と父が向け合った、噂上の愛しか知りません。だから、実のところ、分からなくて」
陛下が私に向ける感情が愛ならば。
私が陛下に向ける感情も、愛なのだろう。
「来年になったら分かります。
私が泥になっているか、それとも貴方の妃として在れているか……それで、分かるんです」
生きたい。
死にたくない。
陛下の想いに報いたい。
これが愛でなければ、何が愛なのだろう。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

愛のゆくえ【完結】
春の小径
恋愛
私、あなたが好きでした
ですが、告白した私にあなたは言いました
「妹にしか思えない」
私は幼馴染みと婚約しました
それなのに、あなたはなぜ今になって私にプロポーズするのですか?
☆12時30分より1時間更新
(6月1日0時30分 完結)
こう言う話はサクッと完結してから読みたいですよね?
……違う?
とりあえず13日後ではなく13時間で完結させてみました。
他社でも公開

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

二度目の婚約者には、もう何も期待しません!……そう思っていたのに、待っていたのは年下領主からの溺愛でした。
当麻月菜
恋愛
フェルベラ・ウィステリアは12歳の時に親が決めた婚約者ロジャードに相応しい女性になるため、これまで必死に努力を重ねてきた。
しかし婚約者であるロジャードはあっさり妹に心変わりした。
最後に人間性を疑うような捨て台詞を吐かれたフェルベラは、プツンと何かが切れてロジャードを回し蹴りしをかまして、6年という長い婚約期間に終止符を打った。
それから三ヶ月後。島流し扱いでフェルベラは岩山ばかりの僻地ルグ領の領主の元に嫁ぐ。愛人として。
婚約者に心変わりをされ、若い身空で愛人になるなんて不幸だと泣き崩れるかと思いきや、フェルベラの心は穏やかだった。
だって二度目の婚約者には、もう何も期待していないから。全然平気。
これからの人生は好きにさせてもらおう。そう決めてルグ領の領主に出会った瞬間、期待は良い意味で裏切られた。

悪役令嬢カテリーナでございます。
くみたろう
恋愛
………………まあ、私、悪役令嬢だわ……
気付いたのはワインを頭からかけられた時だった。
どうやら私、ゲームの中の悪役令嬢に生まれ変わったらしい。
40歳未婚の喪女だった私は今や立派な公爵令嬢。ただ、痩せすぎて骨ばっている体がチャームポイントなだけ。
ぶつかるだけでアタックをかます強靭な骨の持ち主、それが私。
40歳喪女を舐めてくれては困りますよ? 私は没落などしませんからね。

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。
藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった……
結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。
ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。
愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。
*設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
*全16話で完結になります。
*番外編、追加しました。

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです
こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。
まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。
幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。
「子供が欲しいの」
「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」
それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。
愛すべきマリア
志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。
学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。
家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。
早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。
頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。
その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。
体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。
しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。
他サイトでも掲載しています。
表紙は写真ACより転載しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる