【完結】泥の遺骸

蓼脇 尚(たでわき なお)

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許されざる****

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 タチアナが欲する物は、全て与えてやりたかった。愛情故の欲求ではない。ひとえに、俺があの子に強いた事の罪滅ぼしがしたかっただけだ。


 タチアナは先帝陛下と正妃の唯一の子だったが、正妃たっての願いにより「人の年齢で6つを超えるまで幽閉する」事ととなり、国の果てで育った。疎まれたわけではない。魔女であった正妃にとって、母親から離れて過ごす幼児期が、より強力な魔女として育つ必須条件だと━━正妃の手記には、そう書かれていた。

 対して、先帝はタチアナと何度も顔を合わせていた。

 先帝は週末になると、決まって、数数ない騎士だけ連れて、何処へ出かけていく。

 その足跡を追い、襲撃し、首を勝ち取ることは容易かった。

 後々知ったのだが、俺が先帝を討った日は、タチアナの誕生日だった。馬車には子供が楽に座れるよう、小さなクッションが備えられていた。彼女を城に連れてこようとしたのだろう。

 馬車に打ち捨てられた手習用の書物に触れた時、俺は初めて動揺した。俺は愚王を討った。愚王に思い入れは無い。しかし、同時に、幼子を抱える親を殺したのだ。

 あらゆる高等教育を受け、蝶よ花よと育てられるはずだった彼女は、細い体で農業をするようになっていた。字も書けない、人を頼れない、贈り物を貰うたび恐縮する。俺と同じように、親の愛を受けずに育ってしまった。10年だ。先帝の死から10年。━━俺が彼女を迎えようと決心するまで━━彼女を放置し続けて━━10年経った。

「……けほ、けほ……」

 タチアナは俺の腕の中で眠っている。
 庭園で1人寝転んでいた彼女は、風邪を引いてしまった。青かった顔は真紅に染まり、肩で息をしている。少し外に出ていただけでこれだ。

 タチアナの背を撫でた。
 脆すぎる。哀れでならない。
 医師に止められたが、振り切って彼女と同じ寝台に転がり込んだ。俺に風邪を移して彼女が治るのなら、それで良い。

「だから、早く元気になってください。また話をしましょう……」

 瞼を閉じれば、昨日の事のように思い出せる。王と正妃を殺した日の事を。



『ルシエル、見ろ。泥だ』

 陛下を殺した足で、正妃の私室に飛び込む。先に到着していたバールは、苦々しい表情を受けべながら腕を組んでいた。

 正妃の部屋はもぬけの殻であったが、生きのびているとは考え難かった。人一人分の泥塊が、窓に這うようにこびりついていたので。。よもやこの目で泥の遺骸を拝むことになるとは思わなかった。



「貴女も泥になるんですか?」

 タチアナは答えない。

「愛が無ければ死ぬと、前に言いましたね。
 愛を与えれば、死ななくなるんですか?
 愛とはなんですか。
 俺の行いに愛は無いのですか。
 どうすれば、貴女は……」

 俺のものになってくれるのか。
 やはり、答えは無かった。



(目が覚めたら、陛下が風邪を引いていました。私と添い寝して、私の風邪が移ったそうです━━ああ。バール様にお会いした時、どう言い逃れすれば良いのかしら)

 いえ、今度こそ殺されるかもしれないわ。
 私は寝台に腰掛けている陛下の膝の上で、刺繍の練習をしながら、ぼうっと考え込んでいた。比較的簡単な花の絵図だ。貴族の子女なら誰でも出来るらしいが、生憎私は田舎者なので、とてもとても苦労している。

「上手くなりましたね、タチアナ」
「ほ、本当ですか!?」
「それに、俺が触れても恥ずかしがらなくなった」
「それに関しては頑張って耐えているだけです!!」

 陛下が私の腰に腕を回し、首筋に顔を埋めた。朝よりも熱は引いている。風邪を貰ったとはいえ、地力が違うのだろう。明日にでも公務へ戻れそうだ。

「タチアナ」

 陛下が顔を上げた。
 赤らんだ頬に銀髪がかかっている。
 気怠げだ。表情は無いけど、心無しか眉が下がっているような気がする。そういえば、この方は何時から私の名を呼ぶようになったのだろう。こんな、愛おしい者を呼ぶように、潤んだ声で。

「俺は貴女を大切に想っています」

 時が止まったような気がした。

「これは、愛ではないのでしょうか」

 告げた途端、陛下の身体が傾いた。
 慌てて抱え、寝台に倒す。
 陛下は寝息を立てながら、穏やかに眠っていた。未だ発熱しているのに、私を構うからだ。

(仕方のない人)

 指先で彼の髪を整えながら笑む。

「……私は、母と父が向け合った、噂上の愛しか知りません。だから、実のところ、分からなくて」

 陛下が私に向ける感情が愛ならば。
 私が陛下に向ける感情も、愛なのだろう。

「来年になったら分かります。
 私が泥になっているか、それとも貴方の妃として在れているか……それで、分かるんです」
 
 生きたい。
 死にたくない。
 陛下の想いに報いたい。
 これが愛でなければ、何が愛なのだろう。
 
 
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