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渇愛のルシエル

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「今晩からは、寝台の中で話をしましょう。俺たちは互いを知らなすぎる」

 皇帝陛下はそう宣って、毎日私と寝台を共にするようになった。指先と足先が触れ合うだけの、穏やかな夜が繰り返される。最初は顔から火が出そうだったが、今はシーツを鷲掴みにして恥ずかしさに耐えることが出来るようになった。

 時折触れる陛下の手は鍛錬で分厚かったが、私の手は農作業で荒れた痕跡が残っていた。それが恥ずかしくて、以降は侍女の方に入念に手入れしてもらうようになった。

「陛下のお好きなものはなんですか」
「特にありません。貴女は?」
「ええと、花と果物です。花は野に咲く小さなものが好きで、果物は真っ赤に熟したものが好きです」

 その会話がなされた翌日、小ぶりの花々と果物入りのバスケットが届けられた。

「タチアナは字を書けますか?」
「……辛うじて読めますが、書けません」
「でしたら、俺が教えましょう」

 次の日から、陛下は昼食の後に時間を取って、私に文字を教えてくれた。私が書き取りに苦戦するたび、椅子越しに私の手を掴んで、指の動かし方を教えてくれる。絡められた手が熱く、耳を掠める吐息が擽ったくて、正直勉強どころではなかった。

「陛下、お好きな書物はございますか?」
「特には。でも、貴女の書いた字は好きです」
「………………。」

 陛下は真顔で私を褒めるので、その度に口説かれている気分になってしまう。実際、私を口説いて懐柔しようとしているのだろう。母の行いを鑑みれば、当然の対応だった。

 問題は、私に母のような呪術の才が一切ないという事にある。つまり、口説かれ損だった。往来でも平然と頬に口付けし、肩を抱かれるので、悲鳴を噛み殺す日が続いている。

 陛下は親切で、真摯で、私に助力することに躊躇いが無かった。

「タチアナは、なぜ愛を求めるのですか?」
「愛が無くては死んでしまうからです」
「その割には、俺がそれらしい対応をとるたび、死にそうになっていますけど」
「…………い、言ったじゃないですか。愛の伴わない行為は苦手なんです!」
「そうでしたね」

 陛下は寝台の中でなんてことないように呟いて、隣で横になっていた私を抱き寄せた。彼の銀髪と私の金髪が溶け合って、体に力が入る。陛下の体は、いつも暖かかった。

「愛以外のものなら、過不足なく与えられるのに」

 陛下は私の背を抱きながら、微かに呟いた。
 そういえば、これだけ話しているのに、私は陛下の好きな物を何一つ知らない。




 翌る日、私はいつも通り、使用人の目を避け、庭園にやって来た。此処には荘厳な大木があり、その足元には、故郷の農村に咲いていたものとよく似た野花が咲いている。

 私は大木に腰掛け、野花を指先で擽った。
 陛下は何がお好きなんだろう。
 私にあれこれと聞く癖に、ご自分は何も語らないなんて。

(なんだか胸が痛いわ)

 ぐるぐると思考を回しているうちに、未だ愛を得られていない事実に胸が詰まる。

 やはり身体で溺れされるしかないのか。
 しかし。
 思わず自分の体を見下ろす。
 私は皇城から遠く離されて育ったため、栄養不足気味で、肉感的とは程遠い身体をしとぃた。この体であの方が満足できるとは思えない。というか私が耐えられない。恥ずかしい。

 うんうん唸っていると、大木の脇から誰かが顔を出した。赤毛の男。陛下と同い年くらいだったが、酷く険しい顔をしていた。

「初めまして、殿。僕はバール・トラスト。皇帝陛下の従兄弟です」

 人好きする笑顔を浮かべていたが、害意が剥き出しだった。それに、正妃殿下という言い方。なんとなくだが、この男は母を知っている気がする。

「あの……」
「皇帝陛下に愛を望むな」

 男は野花を踏み締めた。
 地を這うような低い声。
 身を切るような危機感で自然と立ち上がり、後退った。

「私は請われて陛下の妻となりました。その報酬として、愛を願う事の何がいけないのでしょう」
「お前の血筋が物語っているだろう」
「母と私は違います!」
「……ルシエルと同じ事を言うんだな」

 話が通じない。
 咄嗟に背を向けて走り出すが、男が駆け寄る方が早かった。地に引き倒され、腕を拘束される。

「あいつは愛を知らないんだよ」

「求めても無駄だ」

「そうなるように育てられたんだから」

「これに懲りたら、皇城から去るんだな」

 気づけば男は去り、私は天を見上げたまま、庭園で寝転んでいた。

 愛を知らない?
 あの方が?
 
 胸中を占めたのは、仄暗い共感だった。
 なんだ━━陛下は私と同じなんだ。
 
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