4 / 6
渇愛のルシエル
しおりを挟む
「今晩からは、寝台の中で話をしましょう。俺たちは互いを知らなすぎる」
皇帝陛下はそう宣って、毎日私と寝台を共にするようになった。指先と足先が触れ合うだけの、穏やかな夜が繰り返される。最初は顔から火が出そうだったが、今はシーツを鷲掴みにして恥ずかしさに耐えることが出来るようになった。
時折触れる陛下の手は鍛錬で分厚かったが、私の手は農作業で荒れた痕跡が残っていた。それが恥ずかしくて、以降は侍女の方に入念に手入れしてもらうようになった。
「陛下のお好きなものはなんですか」
「特にありません。貴女は?」
「ええと、花と果物です。花は野に咲く小さなものが好きで、果物は真っ赤に熟したものが好きです」
その会話がなされた翌日、小ぶりの花々と果物入りのバスケットが届けられた。
「タチアナは字を書けますか?」
「……辛うじて読めますが、書けません」
「でしたら、俺が教えましょう」
次の日から、陛下は昼食の後に時間を取って、私に文字を教えてくれた。私が書き取りに苦戦するたび、椅子越しに私の手を掴んで、指の動かし方を教えてくれる。絡められた手が熱く、耳を掠める吐息が擽ったくて、正直勉強どころではなかった。
「陛下、お好きな書物はございますか?」
「特には。でも、貴女の書いた字は好きです」
「………………。」
陛下は真顔で私を褒めるので、その度に口説かれている気分になってしまう。実際、私を口説いて懐柔しようとしているのだろう。母の行いを鑑みれば、当然の対応だった。
問題は、私に母のような呪術の才が一切ないという事にある。つまり、口説かれ損だった。往来でも平然と頬に口付けし、肩を抱かれるので、悲鳴を噛み殺す日が続いている。
陛下は親切で、真摯で、私に助力することに躊躇いが無かった。
「タチアナは、なぜ愛を求めるのですか?」
「愛が無くては死んでしまうからです」
「その割には、俺がそれらしい対応をとるたび、死にそうになっていますけど」
「…………い、言ったじゃないですか。愛の伴わない行為は苦手なんです!」
「そうでしたね」
陛下は寝台の中でなんてことないように呟いて、隣で横になっていた私を抱き寄せた。彼の銀髪と私の金髪が溶け合って、体に力が入る。陛下の体は、いつも暖かかった。
「愛以外のものなら、過不足なく与えられるのに」
陛下は私の背を抱きながら、微かに呟いた。
そういえば、これだけ話しているのに、私は陛下の好きな物を何一つ知らない。
翌る日、私はいつも通り、使用人の目を避け、庭園にやって来た。此処には荘厳な大木があり、その足元には、故郷の農村に咲いていたものとよく似た野花が咲いている。
私は大木に腰掛け、野花を指先で擽った。
陛下は何がお好きなんだろう。
私にあれこれと聞く癖に、ご自分は何も語らないなんて。
(なんだか胸が痛いわ)
ぐるぐると思考を回しているうちに、未だ愛を得られていない事実に胸が詰まる。
やはり身体で溺れされるしかないのか。
しかし。
思わず自分の体を見下ろす。
私は皇城から遠く離されて育ったため、栄養不足気味で、肉感的とは程遠い身体をしとぃた。この体であの方が満足できるとは思えない。というか私が耐えられない。恥ずかしい。
うんうん唸っていると、大木の脇から誰かが顔を出した。赤毛の男。陛下と同い年くらいだったが、酷く険しい顔をしていた。
「初めまして、正妃殿下。僕はバール・トラスト。皇帝陛下の従兄弟です」
人好きする笑顔を浮かべていたが、害意が剥き出しだった。それに、正妃殿下という言い方。なんとなくだが、この男は母を知っている気がする。
「あの……」
「皇帝陛下に愛を望むな」
男は野花を踏み締めた。
地を這うような低い声。
身を切るような危機感で自然と立ち上がり、後退った。
「私は請われて陛下の妻となりました。その報酬として、愛を願う事の何がいけないのでしょう」
「お前の血筋が物語っているだろう」
「母と私は違います!」
「……ルシエルと同じ事を言うんだな」
話が通じない。
咄嗟に背を向けて走り出すが、男が駆け寄る方が早かった。地に引き倒され、腕を拘束される。
「あいつは愛を知らないんだよ」
「求めても無駄だ」
「そうなるように育てられたんだから」
「これに懲りたら、皇城から去るんだな」
気づけば男は去り、私は天を見上げたまま、庭園で寝転んでいた。
愛を知らない?
あの方が?
胸中を占めたのは、仄暗い共感だった。
なんだ━━陛下は私と同じなんだ。
皇帝陛下はそう宣って、毎日私と寝台を共にするようになった。指先と足先が触れ合うだけの、穏やかな夜が繰り返される。最初は顔から火が出そうだったが、今はシーツを鷲掴みにして恥ずかしさに耐えることが出来るようになった。
時折触れる陛下の手は鍛錬で分厚かったが、私の手は農作業で荒れた痕跡が残っていた。それが恥ずかしくて、以降は侍女の方に入念に手入れしてもらうようになった。
「陛下のお好きなものはなんですか」
「特にありません。貴女は?」
「ええと、花と果物です。花は野に咲く小さなものが好きで、果物は真っ赤に熟したものが好きです」
その会話がなされた翌日、小ぶりの花々と果物入りのバスケットが届けられた。
「タチアナは字を書けますか?」
「……辛うじて読めますが、書けません」
「でしたら、俺が教えましょう」
次の日から、陛下は昼食の後に時間を取って、私に文字を教えてくれた。私が書き取りに苦戦するたび、椅子越しに私の手を掴んで、指の動かし方を教えてくれる。絡められた手が熱く、耳を掠める吐息が擽ったくて、正直勉強どころではなかった。
「陛下、お好きな書物はございますか?」
「特には。でも、貴女の書いた字は好きです」
「………………。」
陛下は真顔で私を褒めるので、その度に口説かれている気分になってしまう。実際、私を口説いて懐柔しようとしているのだろう。母の行いを鑑みれば、当然の対応だった。
問題は、私に母のような呪術の才が一切ないという事にある。つまり、口説かれ損だった。往来でも平然と頬に口付けし、肩を抱かれるので、悲鳴を噛み殺す日が続いている。
陛下は親切で、真摯で、私に助力することに躊躇いが無かった。
「タチアナは、なぜ愛を求めるのですか?」
「愛が無くては死んでしまうからです」
「その割には、俺がそれらしい対応をとるたび、死にそうになっていますけど」
「…………い、言ったじゃないですか。愛の伴わない行為は苦手なんです!」
「そうでしたね」
陛下は寝台の中でなんてことないように呟いて、隣で横になっていた私を抱き寄せた。彼の銀髪と私の金髪が溶け合って、体に力が入る。陛下の体は、いつも暖かかった。
「愛以外のものなら、過不足なく与えられるのに」
陛下は私の背を抱きながら、微かに呟いた。
そういえば、これだけ話しているのに、私は陛下の好きな物を何一つ知らない。
翌る日、私はいつも通り、使用人の目を避け、庭園にやって来た。此処には荘厳な大木があり、その足元には、故郷の農村に咲いていたものとよく似た野花が咲いている。
私は大木に腰掛け、野花を指先で擽った。
陛下は何がお好きなんだろう。
私にあれこれと聞く癖に、ご自分は何も語らないなんて。
(なんだか胸が痛いわ)
ぐるぐると思考を回しているうちに、未だ愛を得られていない事実に胸が詰まる。
やはり身体で溺れされるしかないのか。
しかし。
思わず自分の体を見下ろす。
私は皇城から遠く離されて育ったため、栄養不足気味で、肉感的とは程遠い身体をしとぃた。この体であの方が満足できるとは思えない。というか私が耐えられない。恥ずかしい。
うんうん唸っていると、大木の脇から誰かが顔を出した。赤毛の男。陛下と同い年くらいだったが、酷く険しい顔をしていた。
「初めまして、正妃殿下。僕はバール・トラスト。皇帝陛下の従兄弟です」
人好きする笑顔を浮かべていたが、害意が剥き出しだった。それに、正妃殿下という言い方。なんとなくだが、この男は母を知っている気がする。
「あの……」
「皇帝陛下に愛を望むな」
男は野花を踏み締めた。
地を這うような低い声。
身を切るような危機感で自然と立ち上がり、後退った。
「私は請われて陛下の妻となりました。その報酬として、愛を願う事の何がいけないのでしょう」
「お前の血筋が物語っているだろう」
「母と私は違います!」
「……ルシエルと同じ事を言うんだな」
話が通じない。
咄嗟に背を向けて走り出すが、男が駆け寄る方が早かった。地に引き倒され、腕を拘束される。
「あいつは愛を知らないんだよ」
「求めても無駄だ」
「そうなるように育てられたんだから」
「これに懲りたら、皇城から去るんだな」
気づけば男は去り、私は天を見上げたまま、庭園で寝転んでいた。
愛を知らない?
あの方が?
胸中を占めたのは、仄暗い共感だった。
なんだ━━陛下は私と同じなんだ。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
踏み台令嬢はへこたれない
三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」
公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。
春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。
そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?
これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。
「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」
ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。
なろうでも投稿しています。
【1/21取り下げ予定】悲しみは続いても、また明日会えるから
gacchi
恋愛
愛人が身ごもったからと伯爵家を追い出されたお母様と私マリエル。お母様が幼馴染の辺境伯と再婚することになり、同じ年の弟ギルバードができた。それなりに仲良く暮らしていたけれど、倒れたお母様のために薬草を取りに行き、魔狼に襲われて死んでしまった。目を開けたら、なぜか五歳の侯爵令嬢リディアーヌになっていた。あの時、ギルバードは無事だったのだろうか。心配しながら連絡することもできず、時は流れ十五歳になったリディアーヌは学園に入学することに。そこには変わってしまったギルバードがいた。電子書籍化のため1/21取り下げ予定です。
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
【完結】お見合いに現れたのは、昨日一緒に食事をした上司でした
楠結衣
恋愛
王立医務局の調剤師として働くローズ。自分の仕事にやりがいを持っているが、行き遅れになることを家族から心配されて休日はお見合いする日々を過ごしている。
仕事量が多い連休明けは、なぜか上司のレオナルド様と二人きりで仕事をすることを不思議に思ったローズはレオナルドに質問しようとするとはぐらかされてしまう。さらに夕食を一緒にしようと誘われて……。
◇表紙のイラストは、ありま氷炎さまに描いていただきました♪
◇全三話予約投稿済みです
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
【完結】婚約者が好きなのです
maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。
でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。
冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。
彼の幼馴染だ。
そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。
私はどうすればいいのだろうか。
全34話(番外編含む)
※他サイトにも投稿しております
※1話〜4話までは文字数多めです
注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる