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氷帝・ルシエル

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 獣の気配さえない、奥深い森の中で、女が土を掘っていた。掘建小屋を背に、長い金髪を薄汚れた布で纏め、平民のような薄布に身を包んでいる。

 一歩近づくと、女が振り返る。
 熟れた果実のように赤い唇と、血の気の無い青い顔が、幼さの残る顔立ちを妖しく引き立てていた。

 先帝と同じアメジストの瞳と、目が合う。





「俺はルシエル・バルトロメイ。今代の皇帝として、貴女を貰い受けたい」

 国の奥底の廃れた村に僅かな騎士を連れて現れたのは、皇帝を名乗る狂人だった。

(何を言っているのかしら、この方)

 男は逞しい体躯をしていたが、顔立ちは涼やかだった。銀の長髪とアイスブルーの瞳が、近寄りがたい気を放っている。身に纏う服は厚手の生地をふんだんに使い、繊細な金糸の刺繍がこれでもかと施されていた。

 そして、腰の剣に目をやる。

「あら。本当に皇帝陛下なのですね」

 呟いた瞬間、皇帝のそばに控えていた者達が一斉に剣を抜いた。必死に唇をかみしめて険しい顔を作っているが、私の言動に怯えているようだった。

(素直な方達なのね。ちょっと面白いかも)

 皇帝自身は、眉一つ動かさなかったけれど。

「やはり、貴女には分かりますか」
「ええ。だってそれは、“お父様の”剣だったから。皇帝以外、触れることも許されない宝剣ですよね?」
「そうです。付け加えるなら、この剣は本来、皇帝の直系以外、視界に入れることも叶いません」

 皇帝は高価な服が汚れるのも厭わず、地に膝をつき、私の顔を正面から見つめた。突然近くに現れた端正な顔に、一瞬心臓が跳ねる。

「この剣が“何か”知っていること。それは、貴女が先帝の寵児、タチアナ・ルイス・クロチルダである証左だ」

 無感情なアイスブルーの双眸が、ただ私を眺めていた。

(まるで氷のよう。いえ、鏡かしら。温度感の無い、人形のような瞳)

「勿論、無報酬で俺の下に下れとは言いません。貴女の欲しい物を、帝位以外、全てお譲りします」

 途端に、騎士達の気配がざわつく。

「俺の妻になってください」

 愛など欠片も無い、社会的契約を求めるだけの言葉。

 目論見が透けて見える。
 彼は先帝の血を引く私を妻とし、帝位の正当性を確保したいのだ。それだけの為に、私は今、命と貞操を握られている。その事実に腹が立つ。しかし、先帝を狂わせた魔女の血を引く私にまで頼るとは、相当追い詰められているのだろう。要望は、ある程度なら聞き入れてくれるかもしれない。

 そっと皇帝の手に触れた。
 よく鍛えられた、硬い手だった。

「でしたら、愛をください」

 皇帝の顔に、初めて困惑の色が差す。

「なんですって?」

「私が貴方に望む物は、愛だけです。ルシエル皇帝陛下」

 告げた瞬間、ルシエル陛下は、ギ、と固まった。私の意図を察かねているのだろう。

(本当にそのまんま、ただ私を愛してくれればいいのよ。成人以降、愛されなければ、文字通りのだから)

 魔女には呪いがかけられている。
 成人以降、誰かに愛されなければ、泥となって消えてしまう呪いだ。

 私は今年16歳。成人まであと1年。先帝の落胤で、魔女の血筋という面倒な身の上だから、誰かと深く関わりあう気はなかった。その選択が、死を呼ぶ事になったとしても。

 彼が打算で挑んだように、私もまた打算で挑んだだけのこと。女1人を愛するだけで盤石な帝位が手に入るのだ。彼ならきっと努力してくれる。

 陛下は真面目だから。
 私はその事を、父の死で思い知ったから。

「分かりました」

 抑揚の無い、低く、穏やかな声だった。
 陛下は空いた手で私の頬を撫でた。
 今度は私が固まる番だった。

「努力はいたします。けれど、俺はに不慣れなので。不快にさせたらすみません」

 そういって、私の頬に口づけた。
 ━━私の、頬に、口づけた!!

 どう、と顔が熱くなり、思わず身を引いてしまう。陛下は変わらず感情の見えない顔で、ひたすらに私を見つめていた。
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